名前知らずの片恋
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彼女は、花のように華やかに笑う少女だった。
木ノ葉の賑やかな街で彼女を見た瞬間、僕は身体に電気が走ったかのような強い衝撃に襲われた。あんなに沢山の人がいる中、僕の目は迷わず彼女を見つけ、そしてその瞬間から目が離せなくなった。
その後の木ノ葉上層部との会議も全く身が入らず先ほど見た彼女のことを思い出すばかりで、同期のシーに怒られたほどである。
だから僕は言った。あの子と話がしてみたい、と。
『はじめまして。美羽と申します』
初めて対面した彼女は、緊張した面持ちで僕に頭を下げた。
間近で見る彼女はやはり綺麗で、その肌も目も唇も髪も声も全て僕の理想のそれだった。
そこからはもう必死である。彼女に楽しんで貰うために色々なところへ連れて行き、食事をして沢山の話をした。
何度目かの逢瀬の際、男性とお付き合いをしたことがないんです、だからどうしたらいいかわからなくて、と彼女は僕に打ち明けた。彼女はその事実を恥のように感じているようだったが、僕にとってはこれ以上ない悦びである。僕は彼女の最初で最後の男になりたかった。
日に日に彼女への想いは募り、国境を越えた距離がもどかしくて、僕は言った。僕と結婚して雲に来て欲しい、と。彼女は大変に驚いたようだった。
彼女の長い睫毛が小刻みに揺れている。その悩む姿が、断りの言葉を探しているのだということは直ぐにわかった。返事は急がないから、と僕は咄嗟に言った。焦らずゆっくり考えて欲しい、と。彼女は曖昧に頷いた。
時期尚早だったな、と猛省した。しかし会いたい気持ちは抑えられない。月に数回しかない逢瀬では耐えきれないほど、僕はもう完全に彼女の虜だった。
いっそ僕が木ノ葉に移住しようか。彼女のためだったら早瀬の名は捨てても構わない。そこまで考えていた折、彼女から僕に会いたい、と連絡があった。
『お話、お受けしようと思うんです』
えっ、と情けない声が出た。自分で申し込んだくせに、受け入れてもらえるとは微塵も思っていなかった。
彼女は浮かない顔で、しかしもう一度はっきりとお受けします、と言った。その顔を見て察した。上層部に何か言われたのだろう。
雷の国、雲隠れの早瀬といえば有名だ。本来は嫁いでくる女性もそれなりの家柄が求められるし、名誉なことだとも言われている。彼女はそれを上層部に利用されたのだろう。恐らく、政治的な理由で。
でも、話さなきゃいけないことがあります。彼女は言った。
『私の家の血は、少し厄介で』
彼女は初めて、自分の家のことを僕に話してくれた。僕の独断で求婚した彼女の家のことを、僕は調べもしていなかった。普通の忍び一家だと思い込んでいたが、どうやら違うようだ。
『時を操る能力を持っているんです』
時?と僕は言った。彼女は相変わらず暗い顔のままである。
時。少し考えて、僕はあることを思い出した。
「聞いたことあるな。触った相手の時を戻したり、進めたりすることができる忍びがいるって。…時送り?だとか」
彼女は無言で首肯した。
『時を戻して若返らせたり、傷のある部分を触ってその傷を負う前の時間に戻したりすることが可能です』
「素晴らしい能力じゃないか」
『……』
彼女はそっと、僕の腕に触れた。そして射るような瞳で僕を見つめる。
『…貴方の寿命が尽きる時間に、時を進めることも可能です』
自分の身体が強張るのがわかった。すみません、と彼女は僕からあっさり手を離す。
『時間を進めたり戻したりすることは本来禁忌なので、できるけどやりません。ただ、能力的には可能です』
「……」
『木ノ葉では好かれない能力でした。皆怖いみたいで』
彼女は付け足すように、自分の一族が嫌われてきたこと、子供を産んだら100%遺伝することを話してくれた。
僕はわかっていた。彼女はこの話をすることで、僕の方から破談にして欲しいのだと。
しかしその話を聞いてもなお、自分でも不思議なくらい気持ちが一ミリも動かなかった。
「僕と結婚してください」
改めて僕は言った。彼女は、初めて言われた時よりも更に驚いたようだった。しかし、こうなった場合の覚悟は既に決めていたようである。
『はい。…よろしくお願いします』
彼女は戦場に赴く忍びの顔で、僕の求婚に答えた。
それから程なくして、彼女は正式に僕の妻になった。
大して知りもしない他国の女と簡単に結婚して大丈夫なのかと周囲からは揶揄されたものの、結婚生活は至って順調だった。
彼女は良き妻で、朝から晩まで僕に尽くしてくれる。日を追うごとに、僕は更に彼女のことを好きになった。愛情に果てはないということを彼女に出会って初めて知った。
初めてキスをした日、彼女は少しだけ震えていた。その姿が愛しくて、僕は耳元でいい?と囁いた。彼女は小さな声で、はい、と答えた。
初めて抱く彼女の身体はとんでもなく滑らかで柔らかかった。今まで抱いたどの女とも比べ物にならないほど、彼女の身体は僕を魅了した。
その日はいつのまにか眠りに落ちていて。滅多に覚めない僕の眠りが、真夜中に途切れた。
回らない頭で隣を見やり、僕は息を飲む。彼女の姿がない。もしや、今までの事は全て妄想で、彼女は僕の元に嫁いでなどいないのではないかと馬鹿げた不安が頭を過ぎる。
丁寧にかけられた布団を剥ぎ、僕はそっと部屋の襖を開けた。すると、縁側に座って月を眺めている彼女の後ろ姿。心底ほっとした。
声をかけようとして、しかしそれが叶うことはなかった。
彼女は、肩を震わせながら静かに泣いていた。
必死に声を押し殺しながら、しかし堪えきれない啜り声が静かな闇に溶けていく。
『…帰りたい』
その言葉を聞いた瞬間、胸がギュッとなった。帰りたい、木ノ葉に帰りたい。彼女は繰り返しそう呟いて、それ以外の言葉を発さなかった。
わかっていた。彼女は僕のことが好きではないことを。
彼女がここに嫁いできたのは、ある種の任務だ。木ノ葉にとって邪魔な能力を持つ彼女は、早瀬に高値で買い取られた。そこに彼女の意思はない。彼女は従順に、与えられた任務をこなしているだけなのだ。
彼女は決して僕の要求を嫌がらない。しかしそれは、嫌がらないだけで、嫌でないわけではない。
キスをするのも、僕に抱かれるのも。彼女にとっては苦痛でしかないのだろう。しかし彼女は嫌だと言えないのだ。何故なら、それが彼女の任務だから。
子供のように泣く彼女の後ろ姿を見ながら、ごめん。と心の中で呟いた。君を笑わせるには、木ノ葉に返してやるしかないとわかっているのに。僕は君を木ノ葉に返してやれない。君のいない生活に、僕はもう、耐えられないんだ。
彼女の花のように笑う顔が好きだった。しかし彼女は、僕の前で笑ってはくれない。
はい、大丈夫です、わかりました。彼女はいつでも僕を受け入れ、心の中で泣いている。その事実をわかっているのに、僕は彼女を手放してやることができない。
君に不自由はさせないし、欲しがるものはなんでも与えてあげる。永遠に愛して、どんな脅威からも守ってあげよう。
いつかきっと、僕のことを本当に好きにさせてみせるから。どうかその時まで、たとえ任務としてでもいい。お願いだから僕のそばにいて欲しい。
眩しいくらいの満月の夜。
彼女が泣いたのは、後にも先にも、その日だけだった。
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