二人のヒーロー
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音もなく、印を結ぶ気配すらなく。まるで幻でも見させられていたかのように、暁はオレたちの前から忽然と姿を消した。
この夜の出来事全てが夢だったら、どんなによかっただろうか。
「千秋」
暫くそのまま呆けていると、シーが僕の名前を呼んだ。振り返ると、そこには相変わらず安らかな顔で眠り続ける美羽さんがいる。再び現実に打ちのめされそうになった時、シーは神妙な顔をしながら美羽さんの胸元に手を伸ばした。
「少し気になることがある。悪いが調べさせてくれ」
「え……?」
言うや否や、シーは美羽さんの服を徐に脱がせ始めた。あっという間に彼女の白い体躯が投げ出され、それだけでは留まらず躊躇なく下着にも手を掛けているシー。ギョッとして思わず止めに入った。
「なッ…僕の奥さんに何してんの!?お前の性癖がおかしい事は知ってるけど、まさかそこまでとは思ってなかったぞ!?」
「アホか。別にそういう意味合いで見てるわけじゃねーよ……」
僕の抗議を適当に受け流し、シーは美羽さんの身体を穴が開く勢いで眺めている。恥ずかしげもなくじっくりと時間をかけて観察し、時折感触を確かめるように触れる。暫く睫毛を伏せて考える仕草を見せた後、シーはオレに向き直った。
「あまりに綺麗すぎる」
真面目な顔して何言ってんだコイツは。
「変態かよ…」
「だからそういう意味じゃないって言ってるだろう。遺体が綺麗すぎるって話をしてんだよ」
遺体が綺麗すぎる?言われて再び美羽さんに視線を向ける。美羽さんは乱暴に服を脱がされようがピクリとも動かず、変わらず眠りこけたままだ。
「殺されてから少なくとも三時間は経過しているはず。しかし死後硬直もしていなければ、この通り身体のどこにも死斑が見当たらない」
「…確かに。そう言われればそうだな」
戦場で仲間が絶命した時。身体は直ぐに硬くなり、痛々しい紫の花が瞬く間に咲いていく様を僕は何度も目にして来た。しかし美羽さんにはその死者の特徴が一つも当てはまっていない。
それは一体何を意味するのだろうか。
「…まさか」
シーはハッとした様子で印を結び始めた。僕はその印を知っている。仲間が傷ついた時、癒やすための印だ。しかし何故このタイミングで医療忍術なのか、シーの意図が理解できない。
「ここからは予想だ。期待せずに聞け」
言いながらシーは美羽さんの曝け出された胸元に両手を当てる。緑の光が優しく美羽さんの身体を取り囲んだ。
「あの暁のメンバー。サソリ…って言ってたか?サソリは奥さんを仕留めた後、さっさと撤退せずに何故かオレたちと金髪の到着を待っていた」
「……」
「それは時送りが死んだことを皆に見せつけるためだ。そしてそれを演出した上で、わざわざ奥さんの身体を意図的にここに放棄していった」
シーは目の前の美羽さんに己のチャクラを流し込みながらチラッとオレの顔を見た。その瞳は興奮を隠しきれない様子だ。
「オレの予想が当たれば、奥さんはまだ死んでいない」
ドクン、と心臓が今までの人生で一番高鳴った。しかしその都合のいい一言を手放しで喜べるほど僕は馬鹿ではない。現に目の前の美羽さんは呼吸も脈も止まっている。これは先ほど二人で確認したから間違いないはずだ。
「死んでないって…どういうことだよ」
「止まってるんだ」
「止まってる?だからそれは亡くなってるから、」
「そうじゃない。現在この世で”彼女の時間だけが止まっている”。時送りってそういう能力だろ」
時間が止まっている。その言葉で急速に理解した。彼女は僕たちがここに到着する前に、彼女自身で自分の時間を止めたということか。確かにそう言われてみれば彼女の現在の身体の違和感にも説明がつく。しかし些か僕たちに都合よく出来すぎた話だ。
「…ちょっと待て、理屈は分かっても、意味がわからない。なんでこんなややこしい事態になってるんだよ?アイツらは美羽さんの能力を狙ってたんだろ?」
「詳しい事情は勿論オレにもわからない。恐らくサソリだけは奥さんのこの状況を知っていて、敢えてオレたちに奥さんを引き渡したかったんだろう。だから否応なしに仲間を引かせた。その心は再び奥さんの時間が動き出すのを仲間に見せないためだ」
「……なんだそれ。あの男が、美羽さんに情けをかけたとでもいうのか?」
「確かにおかしな話ではある。しかしそうとでも仮定しない限り、サソリの行動はやはりどう考えても不自然だ」
「……」
あいつが、あの暁に所属しているあの男が。美羽さんが組織から目をつけられないようにわざわざ画策した上で、安全な僕たちのところへ退避させたとでもいうのだろうか。
あの時、じっと美羽さんの姿を眺めていたサソリの姿を思い出す。
その顔からは奴が美羽さんに特別な情を持っているようには見えなかった。しかし何故か心が波立った感覚がしたのだ。あのえも言われぬ不快感は一体何だったのだろうか。
「…とは言え、単純な医療忍術じゃやはりダメか…」
シーは美羽さんにチャクラを送るのを中断する。医療忍術を施しても、彼が期待する反応がなかったようだ。
シーは顎に手を当て再び考えている。
「何か…何かがあるはずだ。再起動させるためのトリガーが…」
複雑な情を抱きながら美羽さんを眺める。雲にいる時、彼女が狐の男との逢瀬を楽しんでいることを知っていた。僕じゃなく、あの男に彼女が恋焦がれていたことも。
あの男と一緒に過ごした10日間。美羽さんはきっと、僕のことを恋しいと思った瞬間なんて一度もないだろう。むしろ僕のいない間に、嬉々としてあの二人は心を通じ合わせたのかもしれない。
別離は既に覚悟していたはずなのに、心の奥底で嫉妬の炎が激しく燃え上がった。
あの二人がもし愛し合っていたとしたならば、僕は一体何をしにここに来たのだろう。ヒーローなんて笑止千万。僕はただの場違いなピエロじゃないか。
彼女を責めるつもりはない。しかしこのやり場のない虚しさを、僕は一体どこにぶつけたらいいのかがわからない。
「千秋。奥さんは自分の時を動かし始めるきっかけをお前に託した可能性が高いと思う。お前が奥さんと対面した時、必ずやっていた行動や言動はないか?どんな些細なことでもいいから思い出してくれ」
いつもは的確な相棒の考察。しかし今回ばかりは的外れだ。思わず乾いた笑みが漏れる。
「それはない」
「何故?」
「言ったろ。僕たちの夫婦関係はとっくに破綻していた。美羽さんは僕のことを恨んでるんだよ。そんな男に大事な鍵を託すわけがない」
自分でも驚くほど卑屈な言葉が溢れ出して止まらない。僕はこんなにも彼女のことが好きで、夫婦として沢山の時間を共有して来た筈なのに。あんなぽっと出の男、しかもS級犯罪者だ。そんなどうしようもない男に全てを奪われた。悔しくて、自分が情けなくて、気が狂いそうだ。
人が誰かを愛することに、時間の長さは全く関係がないのだと思い知らされる。僕が一目見て彼女に恋をしたのと同じように。
「このド阿呆が!」
スパン、と思い切り頭をぶん殴られた。突然の衝撃に頭を抱える僕と、ゴミを見る目でそれを眺めているシー。
「いってェ…何すんだよ!」
「メソメソ気持ち悪いんだよ。メンヘラ女子か」
「なっ…んだと!」
思わず掴みかかりそうになった僕の腕を軽くかわし、今度はシーは僕の無防備な股間を蹴り飛ばした。よりによってそこかよ。まじで洒落にならない程痛い。あまりの痛苦に額に脂汗が滲む。
「…おっ、まえ…まじ、ありえねぇから…」
股間を押さえて蹲っている僕を心配することなく、シーは偉そうに腕を組みながら絶対零度の瞳を溶かさないままだ。
「お前は才能もセンスもずば抜けていいのに、肝心なところで抜けてるよな」
「ああ…?」
「奥さんがお前のこと好きじゃないことな。皆とっくに知っている」
サラッと暴露された衝撃の事実に空いた口が塞がらない。
「はっ…て、え…?……まじ?」
「如何にも仲の良い夫婦を演じてますって感じだったからな。奥さんはやることなすこと全部仕事って割り切ってるのが見え見えで全然楽しそうじゃなかった。概ねお前が一方的に惚れて、財力を盾にして無理矢理連れて来たんだろうなって仲間内では有名な話だぞ」
知らねぇのはお前だけ、とシー。何から何まで図星で、穴があったら入りたいくらいに恥ずかしい。
あまりの羞恥に赤面する僕とは正反対に冷めた表情で「だから辞めとけって言ったんだよ」。
「この子、見た目が大人びてるだけで中身はまだ子供なんだよ。19だぞ、19。お前自分が19の時のこと思い出してみろよ。あの時の自分に結婚なんて大きな責務背負えると思うか?」
「……仕方ないじゃねーか。どうしても好きだったんだよ。僕だってこんな恋したことなくて、気持ちだけが焦っちまって」
「だからそれは奥さんも同じだったってこと。奥さんはお前のことが嫌いなんじゃない。お前とどう接していいのかがわからなかったんだよ」
僕を見る時の、美羽さんの少し怯えたような瞳。てっきり嫌われているのだと思い込んでいたが、あれはまさか僕とどうコミュニケーションを取ったらいいか必死に探っていたということなのだろうか。
美羽さんは僕が思っていたよりもずっと、僕に歩み寄ろうとしてくれていたのかも知れない。それに気付いた瞬間、申し訳なく思う気持ちと同時に、コップから水が溢れるように愛しさが込み上げてくる。自分でも恐ろしいほど、僕の彼女に対する愛情は留まるところを知らない。一方的な片想いであることに変わりはないのに。
「でも、結局僕が彼女を傷つけてきたという事実は変わらない。目が覚めたとき彼女の目の前にいるのがあの赤髪の男じゃなく僕だったら、彼女はきっと失望するよ」
「あの男と奥さんの関係性は正直オレにはわからない」
「……」
「それも含めて、顔付きあわせて話し合うべきなんじゃないのか。お前ら夫婦は圧倒的に言葉が足りない。一度腹の中全部見せ合ってみろよ。お互いの好きなところも、嫌いなところも全部だ。擦り合わせて、時には折れて、喧嘩して。どんな事情があろうとも、一緒に生きていくって決めたのは間違いなくお前ら”二人”なんだから」
シーの言葉は違和感なくストンと胸に落ちた。僕は今まで、仲間たちとは自然とそれができていた。喧嘩して、仲直りして、時には分かり合えなくて別々の道を歩んだこともある。
僕は美羽さんに対してだけ、それができなかった。嫌われるのも、傷つけるのも怖かったからだ。
しかしそれでは後退もしない代わりに前進もしない。停滞することを望んでいたわけでは決してないはずなのに。
誰よりも近づきたいと願っていた。しかしそれを得るチャンスを、僕は自ら潰していたのだろうか。
ううん、と掌で唇を擦りながら思わず唸ってしまう。
「…僕、もしかして物凄く馬鹿なことしてたかな」
「もしかしなくても馬鹿だよ、お前は」
シーはふっ、と空気が漏れるように笑った。
夏の温い風が、僕たちの間を流れるようにかけていく。
瞳の片隅で、小さな光が瞬いた。永遠に明けないように思えた深い深い闇。しかし夜明けは、どんな時も皆に平等にやってくるのだ。
「お前たちは破綻したんじゃない。”まだ始まってない”だけなんだよ。ーー生きてさえいれば、いくらでもやり直せるさ」
木々の狭間からさあっとオレンジの光が差し込み始める。今日も一段と暑くなりそうな、夏の朝の始まりだ。
いつもは美羽さんが僕を起こしてくれた。でも、たまにはいいだろう。僕が、寝坊助な彼女を起こす日があっても。
君もそう思って、僕に託してくれたのだろうか。君はまだ僕に失望していないって、僕に助けを求めてくれてるって。少しくらいは自惚れてもいいのかな。
ヒーローにも王子にもなれなかった村人の僕が、お姫様を助けたいなんて随分烏滸がましいけれど。
「……とはいえ、外したらまじでカッコ悪いな」
「その時は盛大に笑ってやるから安心しろよ」
「ははっ…頼むわ」
美羽さんの傍に静かに跪く。相変わらず穏やかな顔で眠っている美羽さん。頬にそっと手を添えると、それだけで僕の心臓の動きが激しさを増す。僕の全身が、美羽さんを愛しいと叫んでいる。
ああ、僕はやっぱり、君が好きだ。
ヒーローにも王子にもなれなくていい。ただ君がこの世に生きてさえくれれば、僕はもう他に何もいらない。
初めてこんなに人を好きになった。
初めて、この世界で自分より大事な存在がいることを知った。
沢山失敗して、後悔した。君を好きになった僕はあまりにもカッコ悪くて、身勝手で。毎日苦しくて仕方なかった。
でも、卑屈になって下を向くのはもうやめよう。僕はやっぱり、どんな時も前を向いて進みたい。
今度は、二人一緒に。
彼女の寝顔のように穏やな、嵐が止んだ1日の始まり。
その陽だまりに包まれながら僕は。ーーー世界で一番好きな女の子と、キスをした。
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