二人のヒーロー
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僕は今まで、絶望したことがなかった。
自分で言うのは何だけれども、僕は産まれも育ちも、顔もいい。勉強もできたし、忍術の会得に関しても特に苦労した覚えがない。教師にも上司にも期待され、そしてずっとそれに答え続けてきた。
危険な任務を任されることも多かったけれど、それでも今こうして生きている。自分はこの世界のヒーローで、その他の全ては僕の引き立て役。主役の僕はこれからも幸せに華々しく、なんの困難もなく生きていけるのだろうと、そう、本気で思っていた。
だから、ぬかるんだ泥の上で横たわっている彼女を見た時、それが現実だとはとても思えなかった。
きっと彼女はまだ生きていて、僕の助けを待っている。だって僕が主役ならば、彼女がヒロインだから。ヒロインがヒーローの到着前に死ぬなんてありえない。そんな物語があったとしたら、ブーイングの嵐だろう。
「…呼吸も、脈もない。医療忍術での蘇生は不可能だと判断する」
シーが美羽さんの腕を取りながら静かにそう言った。頭と指先は妙に冷えているのに、ドクン、ドクン、と血管を流れる血液が妙に騒いでいて熱が身体の内側に篭っていく感じがする。
呼吸と、脈がない。蘇生が不可能。それは一体、どういうことだ?
わかっているはずなのに、脳が理解することを全力で拒絶している。
真っ白な顔をして横たわる美羽さんはただ、眠っているようだ。声をかけたら目を擦って、いつも通り起きてくれるんじゃないか。千秋さん、遅いですよ。そう言って笑ってくれるんじゃないか。そう思わずにはいられないほど、安らかな顔だった。
「…すまない、オレの力不足だ」
無言で立ち尽くしている僕の隣で肩を落とすシー。シーは全く悪くない。むしろこの少ない情報の中で最善を尽くしてくれた。シーがいたから、僕はやっとこうして美羽さんに会うことができた。
しかし、間に合わなかった。その残酷な現実が僕の心を打ちのめす。
跪いて、美羽さんの頬に手を伸ばす。美羽さんはとても色白で、少しでも興奮するとすぐに頬がピンク色に上気していた。本人はそれを恥ずかしがっていたものの、僕はそんな彼女の可愛らしい姿を見るのが好きだった。それなのに今は全く血色がなく、青白い。ゾッとするほど冷たい頬。二度と見られないピンク色。失われた温度。
「…っ、ごめん…」
せっかく僕を信頼して、助けを求めてくれたのに。彼女の期待を裏切り、こうして死なせてしまった。苦しかったろう。辛かったろう。あと少し、ほんの少し早くたどり着けていたら、君は死なずに済んだかもしれないのに。
結局僕は、美羽さんを不幸にしたままだ。謝ることすらできなかった。際限無く零れ落ちる涙が、ぱたぱたと美羽さんの頬に弾けて落ちていく。
戦場で泣いたのは、この日が初めてだった。
「千秋」
みっともなく泣いている僕の隣で、シーは再び印を結んでいる。少し遠慮がちに、しかし毅然とした態度でシーは言った。
「悪いが悲しむのは後だ。戦いはまだ終わっちゃいない。お前が戦わないと全員死ぬぞ」
わかってる、と焼けるような喉から声を絞り出した。例え美羽さんが死んだとしても、ここが敵との戦いの場であることは変わらない。美羽さんの遺体をわざわざオレの目のつくところに置いたのは、オレを動揺させて戦力を削ぐという作戦の一部だろう。
敵はまだ、近くにいる。
「感動の再会は果たせたか?”千秋さん”」
声の出どころを上向けば、木の枝からオレを見下げる赤い髪の青年の姿。黒いコートに、赤い雲模様。
初めて見たはずなのに、その姿に妙な既視感を覚える。
「お前がーーーあの時の狐の男か」
オレの発言に、青年は一瞬驚いた顔をした。しかしすぐに余裕を取り戻し、ククッと喉を鳴らして笑う。
「……ああ、お前、”戻された”んだったな。覚えてねぇのか」
「一体何の話だ」
いや、と意味深に答えながらそれ以上は何も言わない。不快に思いながらも、オレは冷静に彼の姿を観察した。
このタイミングで目の前に姿を表した暁。恐らく奴が、美羽さんを殺した張本人だ。コイツだけは、何があっても絶対にオレが殺さなければならない。それが今のオレにできる、彼女に対する唯一の罪滅ぼし。
「シー」
「あぁ?」
「お前美羽さん連れて逃げろ」
「……は?」
オレの発言に、隣で印を結んでいたシーが珍しく狼狽した様子を見せた。
「っ、お前死ぬ気か!?暁に一人で立ち向かって勝てるわけないだろうが!」
「美羽さんをどうしても木ノ葉に返してやりたい。ここで万が一オレとお前が死んだらそれすら叶わなくなる」
「”木ノ葉”に…?」
オレたちの会話に、何故か暁の男が反応を見せた。奴はこめかみに指を当てながら少し考えるような仕草を見せる。
「お前らは雲の人間だろ。連れ帰るなら雲じゃねぇのか」
「オレは雲の人間だが、彼女は元々木ノ葉の人間だ」
「……」
「…彼女は、ずっと木ノ葉に帰りたがっていた。その願いを叶えるためにオレは今日ここに来たんでね」
叶わない願い。どうしても叶えてやりたかった彼女の願い。彼女の頬をそっと指で撫でる。死して尚、それは変わらず産まれたての赤子のように柔らかなままだ。
「オレは今日ここで、彼女と離縁するつもりだった」
は…?とシーが間の抜けた声を出す。オレと美羽さんの本当の関係を知らないシーにとってこの反応は当然のことだろう。
しかし自分の中では最初から決めていたことだった。もし、もう一度彼女に会えたら。今度こそ彼女を自由にさせてやろうと。もう、これ以上オレの一方的な想いで彼女を縛りつけるのはやめようと。どんなにオレが彼女のことを愛していたとしても、その愛は彼女を傷つけるだけだから。
それなのに彼女は、大好きな故郷に帰れず、好きでもないオレに支配されたまま逝ってしまった。可哀想だ。こんなに悲惨なことが許されていいのか。自分の行いを恨まずにはいられない。
しかし後悔したところで美羽さんはもう戻ってはこない。オレは、これから彼女のためにできることをするしかない。それだけはもう二度と、間違えたくなかった。
「悪いけど、葬儀も供養も木ノ葉でしてやって。できるなら名前も旧姓に戻してほしい」
「オイ…全然話が読めない。オレにわかるように説明しろ」
「説明も何も、夫婦関係が破綻してたって話だよ」
「今更何言ってる…お前は奥さんを何より大事にしてただろう!?だからこうして、負け戦だと知りながらここまで来たんじゃないのか!?」
いつもは冷静なシーが怒りに身を震わせている。弁明のしようがなかった。いつもオレを信じて、ついてきてくれたシー。その唯一無二の相棒を最後の最後に失望させて本当に申し訳なく思っている。
でも、もうこれ以上オレに彼女の気持ちを踏み躙ることはとてもできない。
身体に目立った外傷はないのに、何故か右の手首が腫れ上がり血が滲んでいる。美しい彼女に似合わない痛々しい傷跡に、持っていたハンカチをそっと結びつけた。毎朝美羽さんが忘れずにオレに持たせてくれた空色の布地。その儚くも二度と手に入らない優しい思い出に、胸が引きちぎられる思いだ。
「今までごめんね。…早く君の故郷に帰ろう」
彼女の頭を一度、二度撫でる。頼んだぞ、とシーの瞳を真っ直ぐに見据えて託した。シーはもう、何も言わなかった。
刀を引き抜いて立ち上がる。意識せずとも青い雷がオレの周りを取り巻いた。
雷光の先には、世界で一番憎い男の姿。暁は好戦的で、殺戮に何の罪意識もない非情な集団だと聞いている。しかし奴は先程からオレたちに全く戦意を見せていない。その様が妙に不気味だ。
奴は青く輝く雷光を眺めながら、ふっと鼻を鳴らして笑った。その悪人らしからぬ泰然たる笑みに、心臓が小さく跳ねる。
「似た者夫婦だな」
「ああ?」
「いや。こちらの話だ」
赤い髪を夜風に揺らしながら、変わらず微動だにせずオレ達を眺めている青年。過剰に用心深いのか、はたまた何か他に作戦があるのか。
強者の考えることは、どの戦闘においても他者には理解し難い。
「サソリの旦那ァ!」
その時、夜空を一羽の鳥が横切った。赤髪の男の視線が初めてオレから逸れる。
ふわり、ふわり。滑らかな丸を描いて鳥がサソリと呼ばれた男の隣に舞い降りる。
新たに現れた金色の髪をした男が、鳥の影から顔を覗かせ顔を顰めた。
「あーあ…どうなってるかと思って見にきたら。結局殺しちゃったのかよ、うん」
「暁に刃向かった報いだ。仕方ないだろう」
「オイラは別にいいけどよ。リーダー怒るんじゃねぇの?」
「あの女の代わりならいくらでもいる。大した忍びじゃなかったのはお前もよく知っているだろ」
「ははっ…確かに。でも惜しかったなー。まだヤッてねぇのに。それにどんな風に泣き叫んで死ぬのか見たかった……っおっと!」
飛ばしたクナイが金髪を掠って木に突き刺さる。すかさずシーがオレの名前を叫んだ。
「安い挑発に乗るな。取り乱せば取り乱すほど勝機は逃げるぞ」
忍びの基本。戦闘中一番失ってはいけないのは冷静な心だ。
ふー、と深いため息を吐き出した。一度、二度、深呼吸して身体の中に新しい酸素を取り入れると、それだけで少し頭が冷える感じがする。
『顔が怖いですよ、深呼吸してください』。任務に赴く前に美羽さんによく言われた言葉。
こんな時にも思い出すのは、やはり君のことばかりだ。
算段もなければ勝算もない。ヒーローになれなかったオレは、今日この場で死ぬのかもしれない。でも、それでも。君の笑顔を奪った奴を前にして、オレだけ尻尾を巻いて逃げるわけにはいかないだろう。
「弔い合戦でもする気か?辞めておけ。どうせ死ぬぞ」
殺気立っているオレを見下げながらサソリは眉一つ動かさない。相変わらず奴からは戦意が全く見えない。完全にオレのことを舐めているのだろう。
反して隣の金髪は目をギラギラさせてオレを眺めている。こちらは殺る気満々のようだ。
「へっ…そんなに慌てんなよ。安心しな。大好きな女の元にすぐ逝かせてやるから」
「お気遣いどうも。でも無用な世話だ。先に逝くのは君たちだよ」
「ショックで頭おかしくなったか?お前風情がオイラとサソリの旦那に勝てるわけないだろ」
金髪の男が嗤いながら懐に手を伸ばした。ついに戦闘の火蓋が切って落とされる。オレは全身にチャクラを溜め、刀を握る腕に力を込めた。
「デイダラ」
一触即発のオレたちの間に水を刺したのは、意外にもサソリの一声だった。サソリはデイダラの右腕を掴み、血気盛んな相方の動きを強制的に静止する。
「こいつと戦う必要はない。引くぞ」
「えー!?なんでだよ、これからが面白いところだろ、うん」
「ターゲットは死んだ。これ以上無駄に労力と時間を割くのはオレたちにとって何の旨味もない」
引く…?その言葉に呆気に取られる。この状況で引くとは、一体どういうことだ。
暁二人に対して、今この場で戦えるのは実質オレしかいない。正直明らかに劣勢なのはオレたちの方だ。しかもオレたちは暁の情報を追ってアジトまで潜入してきた厄介者。そのオレたちを野放しにする意義とは一体なんだ。
チラッとシーを確認する。シーも美羽さんの傍で虚をつかれた顔をしている。心境はオレと一緒のようだ。
しかしサソリはオレたちの様子など歯牙にもかけない様子。
「イタチと鬼鮫に引くように伝えてこい」
「まじかよー…つまんねぇな、うん」
「あの二人は雷属性でお前にとっては鬼門だぞ。少なくとも楽に勝てる相手ではない」
「べっ、別に鬼門じゃねーし!つーかオイラが雷に弱いってバラすなよ、うん」
「お前は雷どころか月下にもやられてただろうが」
デイダラは納得いかない様子だが、サソリは本気で引くつもりのようだ。異常なほど戦意が全く見えなかったのは演技でも挑発でもなかったということだろうか。
どうする。刀に力を込めたまま思案する。
このままでは美羽さんが暁に殺されたという事実しか残らない。暁の殲滅は愚か、何の情報も手に入れられず仕舞いだ。このままでは力を貸してくれた木ノ葉の皆にも合わせる顔がない。そして何より、美羽さんの仇をとることが未来永劫できなくなる可能性が高い。
今この状況で、オレは何を選ぶのが最善なのだろうか。
「千秋。ーー引くぞ」
混乱するオレに道を指し示してくれるのはやはりシーだ。シーはすっかり冷静を取り戻した顔をしてオレを見ている。
「奥さんが亡くなった今、オレたちにももう争う理由がない」
「……」
「気持ちは痛いほどわかる。でもここはまだ戦っている皆のために引いてくれ」
自暴自棄になってしまうほどの計り知れない憎悪と、僅かに残された理性。唇が切れるほど噛み締めて、無理矢理後者を奮い立たせる。オレは無念を殺して刀をゆっくりと下ろした。サソリがその様を見てニヒルな笑みを見せる。
「お仲間が賢くて助かったな」
「……」
「ほら、お前も。早く行け」
「へいへい。わーったよ、うん」
デイダラの鳥が夜空に優雅に舞い上がる。その様を臍を噛みながら見送った。
一人残った赤髪の男。奴こそが美羽さんの仇。それがわかっていながらオレは奴を殺すことも、この手で触れることすら叶わない。
自分の無力さに、内臓が全て押し潰されたかのようだ。
サソリが再びこちらを見た。しかしオレと視線は合わない。オレはその視線の先にいるのが何なのかすぐに気がついた。
サソリが見ていたのは、美羽さんだった。蔑むわけでもなく、悲しむでもなく。ただ無表情で、しかししっかりと美羽さんの存在を確かめるようにその目に映し出している。時間にして、わずか数秒。しかしその様が妙に印象深くオレの頭に焼き付いた。
そのまま何も言わず、サソリはゆっくりと空を仰向く。闇夜に幻想的に映える、美しい赤。その様は敵ながら非常に芸術的で、思わず目を奪われそうになる。
「…もうすぐ、夜が明けるな」
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