満月の夜
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二人で夕食を作り、たわいも無い会話をしながら食事をし、お風呂に入って、身体を重ねた。
毎日同じことの繰り返し。
側から見れば幸せそうな夫婦そのものだろう。でも、この満たされない気持ち。自分でも何故なのかよくわからない。
千秋さんはぐっすりと眠っている。私は千秋さんに布団をかけなおし、そっと場を離れた。
着物の胸元を合わせながら、ぶるっと身体を震わせる。雲は木ノ葉と違い、夏でも夜はよく冷える。カーディガンを一枚肩にかけ、私は家を出た。
夜の澄んだ空気を肺一杯に吸い込む。この誰もいない夜の空間がたまらなく好きだ。夜は危ないと怒られそうだけれど。私の密かな楽しみだ。誰にも邪魔はされたくはない。
無駄に広い屋敷の外をぐるっと一周。それだけでいい気分転換になる。カツカツと下駄を慣らしながら、時間を噛み締めるようにゆっくりと歩いた。
今日は満月である。木ノ葉にいた時より、これまた近く見える月。暗い夜空に暖かな光が降り注いでいる。
私はその光に導かれるようにいつものルートから外れた。屋敷から離れ、小丘の方に歩いて行く。
そこで私は一輪の白い花を見つけた。
近くに寄り、まじまじとその花を見つめる。とても美しい花だった。しかし、見たことがない。名前もわからない。こんな花、ここにあっただろうか。
「月下美人だ」
顔を上げる。しかし人の姿はない。聞き間違い?と思いながら再び花に視線を落とす。
そこで初めて私は気づいた。背後に人の気配があることを。クナイを持った手が後ろから首元に押し付けられ、ゾッとする。完全に油断していた。私が忍びを辞めたところで、私が忍びに襲われないという理由にはならないのに。
「一般人か」
私の反応の鈍さを見て、相手はそう判断したようだ。
私は身体を硬らせながら必死に首を縦に振る。
「お嬢さん。このご時世、こんな夜中に一人で出歩いてたら殺してくれって言ってるようなもんだぜ」
『……』
「安心しろ。忍びでもない女を殺す趣味はない。これはただの警告だ」
相手はそう言うと、クナイをくるっと持ち直した。どうやら、言葉通り私を殺す気はないようだ。腰に力が入らず、ヘナヘナとその場に座り込んでしまう。
背後で相手が喉を鳴らして笑うのがわかった。
「ビビらせすぎたか?悪いな。連れが遅くてイライラしてたところでよ」
言葉のニュアンスに既に殺意は感じず、私は恐る恐る振り返った。そして目を見張る。
『暗部…の方ですか』
「へぇ。さすがにそれくらいの知識はあるのか。一般人でも」
そこにいたのは、狐の面をした男だった。私だって元忍びだ。それくらいは知っている。
本来暗部は、一般の人間の前に現れない。大体何らかの極秘任務のために動いているからだ。彼らが動いている、ということは。やはりこの里にも何か良くないことが起こり始めているのだろう。
私の手を引き立たせて、「気をつけて帰れよ」と彼は踵を返した。その腕を咄嗟に掴む。顔は見えずとも、彼が驚いているのがわかる。
『あの…少し話しませんか?』
「は?」
『お連れ様を待っているんですよね。それまでの時間でいいんです』
無言。私は彼の腕を掴む手に力を込めた。
『すみません。この里で主人以外の方と話したのが久しぶりで』
「主人?」
狐の顔が、私の頭から爪先までをジロジロと見る。
「…お前、まさか既婚?」
『はい、一応』
「いくつだよ」
『19です』
ああ、と男が馬鹿にしたように笑う。
「その年で結婚ね。よっぽど恋愛に夢見てる馬鹿か、血統を好まれた繁殖牝馬か。どっちかだな」
どちらかといえば後者です、と答えればふぅん、と興味のない相槌。全く同情の目を向けられないことに安心した。
なんとなく、この人は信用できる気がする。
『貴方は』
「?」
『多分、雲の人間じゃありませんよね』
男の動きが止まる。少しだけ、空気が重くなった気がした。
『すみません、責めるつもりではないんです。ただ、身のこなし方が雲の人間とは違う気がして』
「……」
雲の男性はガッチリした体格の人が多い。しかし目の前の男はどちらかというと小柄だ。子供なのではないかと見間違えてしまうくらい、彼には男性を感じなかった。だからこそ話しやすいのかもしれない。
「そういうお前も、雲の女っぽくねぇな」
『はい。私は木ノ葉出身です』
「その平和ボケした感じは確かにそうだな」
どこ出身ですか?なんて鸚鵡返しの質問をする気はなかった。
暗部の方にそんな質問をするのは失礼だし、そもそも聞いても答えてはくれないだろう。
「木ノ葉、か…」
少し考えた仕草をした後、なぁ、と彼は言った。
「木ノ葉出身で、最近雲に来た男。知らないか?」
『え…木ノ葉出身の男性ですか?』
私の知る限りでは、そういう話は聞いたことがない。そもそも国を跨いだ移住は制約が多い。それこそ結婚でもしない限りなかなか起こり得ない事象だ。男性なら尚更である。
そう伝えると、だよなぁ、と彼。彼も私と同じ心情らしい。
『その木ノ葉出身の男性に何か?』
「いや…大したことじゃない。なにやら優秀な忍びらしくてね。見つけたら一つ手合わせを願いたいと思ってな」
暗部である以上、目の前の彼もかなり優秀な忍びなのだろう。わかりました、と私は言った。
『今度主人に聞いてみます』
「……。夫は忍びなのか?」
はい、と答えようとして、これは言ってもいい情報なのか少しだけ躊躇する。
目の前の男は少なくとも雲の暗部ではない。ということは、私の軽口が他国への情報漏洩に繋がる可能性があるということだ。特に、私が嫁いだ早瀬という家はそれなりの名家である。人に知られてはいけない情報は山ほどあるのだ。
口を噤んだ私に、別にいい、と彼。
「言えないことは言わなくていい。そっちにも色々事情があるだろ」
『…はい。すみません』
「…お。やっときたか」
狐の顔が空を見上げた。つられて見上げると、満月に一羽の鳥の影。この里に夜飛ぶような鳥はいない。ということはあれが彼のお連れ様だろう。
ありがとうございました、と私は頭を下げた。
『つまらない話を聞いていただいて』
彼はまた何やら考えている様子である。
「お前、ここにはよく来るのか」
『え…まあ、時々。散歩がてらですけど』
面の向こうで、彼が少しだけ笑うのがわかった。
「じゃあ、”またな”。雲隠れのお嬢さん」
次の瞬間、印も結ばずに目の前の男は消えた。慌てて空を見上げると、鳥の姿もない。こんな一瞬で。暗部になる人間はやはり桁違いの実力なのだな、と面食らった。
誰もいなくなったこの小丘で、私は白い花に再び目を落とす。相変わらず美しい月下の花が、私を優しく見つめていた。
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