絶望か、希望か
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辰の刻になったころには、嵐はすっかり去っていた。
月下の女はオレのコートに包まったままスヤスヤと寝息を立てている。極限まで疲れ切っていたのだろう。まだ当分目を覚ましそうにない。
暫し悩み、しかし小南への任務の報告が済んでいないことを思い出した。
安全とは言い切れないが、特段リスクが高いわけでもない。
オレは月下をその場に残し洞窟を抜け出した。
ヒルコのメンテナンスも終わっていないし、新しいコートも下さなければならない。やることが多すぎて頭が痛くなりそうだ。
アジトに戻り一も二もなく予備のコートを羽織る。すぐにでもヒルコのメンテナンスに入りたいが報告が先だろう。小南の居場所を探そうとして、しかしその必要はなかった。
コツコツと高いヒール音。小南はオレの到着を待っていたようだった。
「月下は?」
小南はオレの顔を見るなり一も二もなくそう言った。世話係にされているのが心外だ、と発言するのはもう飽きた。それに先ほどまで一緒にいたのは紛れもない事実である。
「寝ている。暫くは起きそうにねぇぞ」
小南は暫しの沈黙の後、そう、と呟いた。その横顔に、嫌な勘が働く。
小南は当初から月下のことを何かと気にしている様子があった。この組織には珍しい同じ性だからか。恐らく妊娠に関しても誰よりも早く感づいている。そして、それが引き起こすであろう、結果も。
「ペインから連絡があったの」
予感した、言葉だった。
時が止まりそうになる。しかしオレはそれを許さず、ゆっくりと一度瞬きをした。
「珍しく少々手こずったようなのだけれど。…あと3日程で戻れるそうよ」
ーーーリミットが、区切られた。
そう感じたのは小南も同じようである。
いつも通りの無表情。しかしその向こうに間違いなく憂いが滲んでいる。
小南はこの組織に属するには心を持ちすぎた人間であった。あの少女と同じように。
「どうするつもり?」
主語はなくとも何について尋ねられているのかは明白だった。しかし、目の前の女が望む解決策をオレのような組織の端くれが持ち合わせている訳もない。
「どうするもなにも。どうしようもねぇだろ」
小南は腕を組んだまま何も言わない。
オレは静寂を裂くようにコートのボタンをパチンと音を立てて止めた。
世の中は理不尽だ。当たり前のように幸せな家庭に生まれる奴もいれば、とんでもなく不幸な境遇の人間もいる。
生まれることすらできない人間だって、この世界には星の数ほどいる。
運が悪かった。その一言に尽きる。今あの女は自分の命を繋ぐことすら危うい状況だ。
ましてや子供なんてーーー護れるわけがない。
「暇を貰えないか」
小南が目を見張ってオレを見る。しかしその発言に一番驚いたのはオレ自身だった。
今のは間違いだと否定しようとして、しかし口から溢れた言葉を無かったことにすることなんてできやしない。
幸せそうに腹を撫でる月下の顔が、先ほどから頭の脳裏にこびりついて離れなかった。
どうでもいい、と切り捨てることは簡単なはずなのに。
いつからオレはこんなに生温い男になってしまったのだろう。あの平和ボケした女とそれなりの時間を共有してしまったからだろうか。オレは過去の自分を恨みながらぐしゃりと髪をかき上げた。
どんなに言い訳をしようと足掻いたところで、あの時感じた魂が揺さぶられる感覚に嘘はつけなかったのだ。
「2日。いや、1日だけでも構わない」
「…それで、どうにかなるの?」
「どうにかならない可能性のほうが限りなく高い」
「……」
小南が穴が開きそうなほどオレを見ている。オレは意識して彼女から視線を逸らした。直視できるほど自信のある提案ではとてもなかったからだ。
「わかったわ」
しかし、小南の判断は非常に早かった。
「貴方に2日間休暇を与える。その間の行動について、私は貴方を咎めない」
「…随分杜撰な判断だな」
この組織にそもそも休暇制度などあるわけはない。任務も言うまでもなく山積みのはずである。
提案した自分で言うのもなんだが、休んでいる余裕など全くないはずだ。
しかし小南は悪びれない表情。寧ろ心なしか嬉しそうである。
「ペインの帰りが遅いのが悪いのよ。私、もう貴方達のような野蛮人を取り纏めることに疲れたの」
それでは、と踵を返した小南の残り香はまるで友人の無事を祈るかのように慈愛に満ちていて、すぐに空気に優しく溶けていった。
前に出す足が自然と早くなり、雨上がりの地面を雑に散らしていく。
こんなに救いのないこの世界で、葉に滴る朝露がまるで希望のように美しく輝いていた。
洞穴に戻れば、月下が先ほどの体勢から全く動かぬまま眠っていた。だいぶ血色の戻ったその横顔は、母というよりも赤子そのもののようだ。
しかし、彼女にはもう休む猶予は残されていない。
オレは一思いに月下の頭に鉄槌を落とした。見開かれた大きな瞳が、真っ先にオレを捉える。
『いっ…たぁ…!いきなり何するんですか!?』
「修行するぞ」
『…は?』
困惑している月下を無視して、オレは続けた。
「オレが直々に修行を見てやる。お前のそのクソみてぇなチャクラコントロール一から叩き直すぞ」
時はいつも目に見えず、一定の速さで過ぎ去ってしまう不可逆なもの。
例えどんなにあの日に戻りたいと願っても、決して戻れることはない。それが時の流れというものだ。
過去には決して戻れない。ーーーそれならば、未来を変えるしかないだろう。
リーダーの帰還まで、あと3日。
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