絶望か、希望か
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その日の任務が終わったのは丑三つ時。
簡単な暗殺任務だったが思った以上に警備が厚く、突破するのに少々手こずってしまった。
その上途中で雨が降ってきて足元も悪い。メンテナンスしたばかりのヒルコが血液と泥に汚れ、気分は最悪である。
「あ~…疲れた」
「……」
デイダラも不機嫌そうだが、生身の身体ではイライラより疲れの方が勝るのだろう。
奴は無言で粘土を放り投げた。ぼんっと音がして鳥が姿を表す。
「オイラ先帰るわ。小南への報告はよろしく、うん」
オレの返事を待たずにデイダラは鳥に飛び乗った。単独行動は禁止だとあれほど言っているのに何度言っても聞きやしない。今日に限ってはオレも無駄な注意をするだけの余裕は残されていなかった。
ぬかるんだ地面を擦りながらアジトに向かう。戻ったら休む暇もなくメンテナンスだ。明日、いや、もう今日にはまた新たな任務が課せられるはずである。
そこでふと、月下に話したリミットのことを思い出した。約束の猶予は今日の夜明け。あと一刻程だ。流石にもう、答えは出ているだろうか。
とはいっても実質選択肢などないに等しい。
堕胎を選ぶにしろ、選ばないにしろ。どちらにしろ産むことは不可能。
あの様子だと本人も子供を作ることは望んでいなかったようであるし、案外この場で妊娠が発覚したのは都合が良かったのかもしれない。夫にも妊娠の事実は未来永劫知られることはないだろう。
ヒルコのメンテナンスと、今日は薬も調合する必要がある。ふう、とため息のようなものを吐き出してオレは帰路を急いだ。
雨脚がどんどん強くなる。嵐にでもなりそうな勢いだ。ヒルコの背中に飛んできた木屑が容赦なく傷を残して行く。石でも当たったら最悪だな、と危惧した矢先、目の前に大きな塊が音を立てて落ちてきた。
直撃したら悲惨だったと胸を撫で下ろしたのも束の間。目の前の光景にオレは目を疑った。
「…何してるんだ、お前」
目の前に落下してきたのは石でも塵でもない。そこにいたのは、人間。月下の女だった。
月下は腰を擦りながら、泥に薄汚れた顔で弱々しくオレを見上げる。
『…あ、サソリさん。おかえりなさい』
こんな子の刻もとうに過ぎた暗闇の中、目の前の女だけが呑気にヘラっと笑う。
服も髪も雨と泥でべちゃべちゃだ。一体いつからここにいたのだと聞く気にもならない。
月下はお愛想程度に膝の泥を叩き下ろしながらオレにくるっと背中を向ける。何度も落ちたのか、この前買ったばかりの忍服の背中が既に擦り切れ始めていた。オレはもう一度、何してるんだ、と言った。
『木登りの修行です』
「は?」
『チャクラコントロールの基本は木登りだって、アカデミーで習いましたからね』
その言葉が終わる前に月下は印を結んでいる。そして木に向かって駆け出した。一歩二歩、三歩。しかし五を数える前には足が木から離れてしまう。ドサっと落ちる音。
呆れてものが言えない、とはまさにこのことである。ただでさえ体調が万全でない身重な身体。それなのにこんな嵐の中寝ずに木登りの修行。その背中を見れば、”答え”は聞くまでもなかった。
オレの示してやった選択は、彼女にとって悩む価値すらないものだったらしい。
「馬鹿か」
木の根元で蹲っている月下を見下ろしながらオレは吐き捨てた。ふつふつと湧き上がる言葉では言い表せないほどの不快感。ヒルコに傷がついた時の比ではなかった。
「そんな下忍レベルの修行をして何になる。現実から逃げるな。忍びなら少しでも自分が生き延びられる可能性を模索するべきだ」
月下は何も言わないまま再びよろよろと立ち上がった。どう見てももうチャクラ切れが近い。
しかし彼女は印を結ぶ手を休ませることはなかった。
『だから模索してるんです』
「ああ?」
『”2人”で、生き延びられる方法を必死に探しています』
再び木に向かって駆けていく。一歩、二歩。しかし今度は三歩も持たなかった。ずるっと間抜けな音を立てて体が地面に落ちる。
大して高さはなかったのに、今度は起き上がれすらしない。その様はあまりにも惨めで滑稽だ。誰がどう見ても無駄な努力。そしてオレはそういう無駄が大嫌いである。
理性で自分を縛りつけなければ、うっかりヒルコの尾で突き刺して殺してしまいそうだった。それくらい目の前の女の行動が不可解で不愉快だ。
修行ですらない。こんな行動はただの逃避だ。
「子供は諦めろ」
激しい雨音よりも強く、オレは月下に現実を叩きつける。自分の命を削りながら腹を抱きかかえて護る彼女の姿を、そんな人間がこの世に存在するくだらない現実を。オレは認めたくなかった。
「まだ意識のない塊だ。人間ですらない。今のうちに殺せ」
『嫌です』
「殺せっつってんだろ!」
『絶対に嫌です!』
オレを睨む彼女の瞳を見て戦慄した。
19歳の少女。昨日までは確かにまだ乳臭いガキの顔だった。
ーーー今では完全に、母の顔をしている。
これはダメだと瞬時に悟った。恐らく誰が何を言っても聞かない。
月下はもう一度言った。『絶対に嫌です』と。その言葉は決意というよりも叫びに近かった。
『子供がいても、術が使えないわけではない。現に千秋さんの時も、ミミズクの時も、術はきちんと発動しました』
「……」
『要は集中力なんです。きちんと集中して二つのチャクラの流れを理解さえすれば、お腹に子供がいたって私は術が使えます』
その言葉はオレに対してではなく、自分に言い聞かせているようだった。
“術が使える”ということと”組織にとって使える”ということは全くの別問題だ。修行したところで一朝一夕に解決できる話でもない。それがわからないほど、彼女は愚かな人間ではないはずだ。
何故だ。堕胎しなければ、自分も殺される。
子供一人諦めさえすれば、まだ暁のメンバーとして生き残れる可能性がないわけではない。もしどうしても子供が欲しいなら、暁で確固たる地位を確立してからまた他の男と子供を作るという手だってある。
しかし、そういう問題ではないということもわかっていた。
理屈の問題ではない。何故なら女は。…母というものはそういう生き物だからだ。
震える足を地に立てながら、再び立ち上がろうとする。このままでは普通に体力の限界がきて死にそうだ。しかしそれでも、立ち上がることは決して止めない。
好きにすればいいと思う一方で、一応保護することを任された身である。この場で見殺しにするわけにもいかないというなけなしの義務感。
「もうやめておけ。この場で死ぬぞ」
『もう少しだけ…』
「大人しくしろ。一歩でも動いたら殺す」
でも、と更に言葉を繋ぎそうになった女の身体に強引にヒルコの尾を巻きつける。非難される手段ではあろうがこうなってしまっては致し方ない。
月下は抵抗する体力すら残っていないようだ。力無く頭を垂れさせたまま何も言わない。
ほんの僅かな情で締め付ける力を極力緩める。外部からの圧迫は腹の子にとっても毒だろう。そこで初めて、オレも既に腹の中の塊を”命”だと認識していることに気付いてしまった。
全く関係のない第三者のオレですらこれだ。当事者であるこの女にとっては察するに余りある。
邪魔な考えを頭の外に追い出してアジトを目指した。雨風は止まるところを知らない。月下の女は既に瀕死である。このままアジトまでちんたら運んでいたら命を落としかねない。
オレは思い切って方向を転換した。アジトよりも近くに小さな洞窟があることを思い出したのだ。
風に押される木々を避けながら暗闇を手探りに道を探す。すると闇を飲み込んだような洞穴の姿を確認。手狭ではあるが雨風を凌ぐには申し分ない。
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