天の悪戯
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結界を潜るなりデイダラに小南への報告を押し付け、オレは例の泉に向かった。
オレは任務の度にコートを泉で洗う。デイダラのように気にしない奴もいるが、オレは汚れたものはその都度洗わないとイライラする性格だ。芸術家たるもの身嗜みにも気を使うのは当然である。
昨日の光景がふと脳裏に過り、直ぐに打ち消した。別に見たくて見たわけではないと自分に言い聞かせると同時に、今日もいたらと想像するとげんなりしてしまう。
遠くから泉の様子を伺う。人の気配はない。ホッと胸を撫で下ろし、オレはヒルコから抜け出した。ヒルコのコートを脱がせ、更に泉に近づく。
その時だった。
吸い寄せられるように向かった視線の先に、二人の男女の影。呼吸が止まった気がした。元々呼吸なんてしていないはずなのに。
そこにいたのは月下の女とイタチだった。焼き付けられた光景にゾワっと悪寒が走る。
あのイタチともあろうものが、至近距離にいるオレに気づいていない。目の前の一人の女に夢中だ。そしてそれが無性に腹が立った。
なんなんだ、どいつもこいつも。あんな小娘一人に振り回されやがって。
イタチとあの女は同郷だと聞いていたが、どうやらそれだけではなかったようだ。何故か全身がささくれ立ったような感覚に襲われる。
故意に足元の葉音を奏でる。同時にイタチと目が合った。追って月下の女もこちらを向く。月下の女はまるで浮気現場を咎められた妻のように硬直している。
オレは気にせず泉に直行した。二人を完全に無視してコートを泉につける。
後ろでイタチが「すまなかった」と声をかけているのが聞こえた。月下はなにも答えない。が、恐らく首は横に振っているだろうとなんとなく想像がついた。
イタチがオレの後ろを素通りする。何も声をかけられないことに妙に安堵している自分。チッと舌を打ちそうになり、しかしあまりにもみっともなくて辞めた。
残されたオレと月下。後ろでソワソワしている様に神経が逆撫でされる。声を掛けられるより一歩先に一言「興味はない」と吐き捨てた。
「お前がイタチと何があろうがオレには無関係だ」
『……』
月下は小さな声で、すみません。と呟いた。すみませんってなんだよ。オレはコイツに謝られるような立場では全くない。そう伝えるまでもなく無視した。月下もそれ以上何も言ってはこなかった。
オレがコートを洗っている間、奴は後ろで何やらごそごそやっている。大して気にしていなかったが、オレの作業が終わってもなお月下は深く蹲み込んだまま微動だにしない。
遠くから夜の足音が聞こえ始めた。
「もうすぐ陽が落ちる。早くアジトに戻れ」
月下は左手を握り締めながらゆっくりと立ち上がった。方向はこちらを向いているが目線は全く合わない。
声をかけてしまった手前、なんとなく一緒に帰らねばならない雰囲気になる。学生かよ、と本日二度目のうんざりであった。
暫く無言で足を進める。デイダラとの無言は気にならないのに、こいつと二人の無言はなかなかに居心地が悪い。
『…サソリさん』
オレの名を呼んだ声が震えていることに少しだけ驚いた。横目で見やれば、無表情のまま静かに泣いている女の姿。ギョッとして、手に持っていたコートを落としそうになる。
「なっ…んだよ。急に泣くなよ」
『どうしましょう』
「ああ?」
『千秋さん以外の男性とキスしてしまいました。もう主人に顔向けできません…』
はぁ…?と間の抜けた返答をしてしまう。月下の女は唇に手を当ててボロボロと大粒の涙を流している。そんな子供じみたことで泣かれても困る。この件に関してオレは完全に部外者だ。
「別に見られたわけじゃねぇんだからいいだろ」
『そういう問題じゃありません!』
「そういう問題だ。世の中は嘘で出来ている。知らない方が幸せなことばかりだぞ」
『遊び人の発想ですね』
「お前いい加減殺すぞ」
既婚といえど、まだ年齢は19。夢見がちなお嬢さんにとっては契りを交わした男以外との接吻は苦々しい経験だったようだ。
しかしコイツの夫も、複数の女を経験した顔をしていた。そういうのは同性だとなんとなくわかる。あの男こそ遊び人の顔だ。本人には勿論言わないが。その心は、気を使ったわけでなく更に泣かれると面倒だからである。
月下の女が一向に泣き止まないので、オレは仕方なく足を止めた。このまま連れて帰ったら確実に小南に睨まれる。小南にしろ月下にしろ、女という生き物は本当に面倒だ。
どうしてオレばっかりがこんな目に。この女がきてから貧乏くじを引く頻度が高すぎる。
「とりあえず泣くな」
うっとうしい、と続けそうになった言葉を無理矢理飲み込んだ。いくらオレでも泣いている女を更に追い詰める趣味はない。
時間がかかることを覚悟して木に体を寄り掛からせた。疲れを感じない身体のはずなのに、コイツといるととんでもない疲労を感じるのは何故だ。
そういえば昔、小南から”女はただ話を聞いてもらいたい生物”なのだと聞いたことがある。
仕方なく、オレは月下に初めて話を振った。
「お前とイタチはどういう関係なんだよ」
『…なんですか、急に』
「聞いてほしいんだろ、話を。興味はねぇが聞いてやるよ」
『めちゃくちゃ腹の立つ言い方ですね』
言葉とは裏腹に月下は嫌な顔はしていない。要はオレに話を聞いてほしいということなのだろう。
『別に何もないです。同郷で、昔一緒に任務したことがあるってくらいで』
「……」
『イタチ先輩はあの通りとても優秀だったので。まあ、憧れていたといえばそうでしたけど』
言葉を濁す月下に、オレは躊躇なく言い放った。
「初恋ってやつか」
『……』
月下の目が泳ぐ。忍びのくせに相変わらずわかりやすい。オレは失笑した。
「図星かよ」
『別に何も言ってないじゃないですか』
「言わなくてもバレてんだよ」
むぅ、と月下の唇から空気が漏れる。眉間にシワが寄っているのは不快感を示すためではなく照れ隠しであろう。
初恋。確かにこの年頃の女が食いつきそうな話題である。無論、オレのような人間には全く理解し得ない話であるが。
「それならいいじゃねぇか。初恋が叶ってよかったな」
『……』
月下がじっとオレを見ている。この歪みきった世界で、彼女の瞳だけはいつまでも澄み切っていた。その事実が無性にオレの不快感を煽る。
出会った時からこの日まで一瞬も歪まないこの瞳。この純粋を切り取って形にしたような瞳が、オレは嫌いだ。
『…私の初恋はイタチ先輩じゃないです』
さわっと夜風がオレたちの間をかけていく。唇が動く。声がかき消されていった。
聞く気もないのに「なんだよ」と問う。月下は首を横に振った。
踵を返す。涙を止めるには十分な時間が過ぎた。
「さっさと行くぞ」
『……』
「これ以上モタモタするなら置いていく」
月下は動かない。オレは言葉通り、そのままアジトに向かって歩いていった。
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