天の悪戯
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連れて行かれたのはアジトから少し離れたところにある甘味処だった。
躊躇なく暖簾を潜るイタチ先輩と、立ちすくむ私。先輩は立ち止まっている私に気づき振り返った。
「甘いものは嫌いか?」
『え……』
好きか嫌いかで言えば好きだし、そもそも今は胃に入るならなんだって構わない。しかし何故私なんかがこんな甘味処に連れてきてもらえるのだろうという疑問が隠しきれなかった。イタチ先輩は固まったままの私を見て、目蓋を伏せながら僅かに頬を緩めた。ドキッとする。イタチ先輩、笑い方が変わっていない。
「嫌いじゃないなら付き合ってくれないか」
観念して、はい、とかすれる声で答えた。暖簾の向こうに消えた彼の姿を追う。いらっしゃいませ、と穏やかなおばあさんの声。
私たち以外に客はいないようだ。先輩は自分が座るよりも先に私に席に座るよう促した。素直にお礼を言って腰を下ろす。色とりどりのメニューに、ごくりと生唾を飲み込んだ。今の私にはとてもじゃないけれど手の届かないご馳走の数々。
「どれでも好きなものを頼むと良い」
『…でも、私お金が』
ありません。その言葉に、先輩が少し驚いたような様子を見せる。
「連れてきたからにはオレが払う。当然だろう」
でも、と言いたくなって、まるでそれを許さないような先輩と目が合う。
仕方なくメニューにざっと目を通すと、一番下にくずきり5文という文字を見つけた。恐らく一番安いメニューだ。私は迷わずそれを指差した。
『じゃあ、これを』
イタチ先輩が目を瞬かせている。私はメニューをそのまま畳んだ。
「他に食べたいものは?」
『そんな立場ではありませんから』
「……」
イタチ先輩は何も言わず腰を上げた。恐らくおばあさんに直接注文しに行っている。体の不自由な高齢者にすら配慮できるイタチ先輩が何故暁なんかに。そう考えて、しかし答えなんてわかるはずもない。
諦めてお茶を口に含んだ。空腹過ぎて胃がキリキリと痛む。
戻ってきた先輩は無言で私の目の前の椅子に腰掛けた。暫く沈黙の時間が続く。
「結婚したんだな」
イタチ先輩が私の左手を見ていた。プラチナでできた結婚指輪がチカチカと光っている。
千秋さんが、私に一番似合うものをと時間をかけて選んでくれたことを思い出した。その思い出だけで自然と胸が暖かくなる。
『はい。ご縁があって』
政略結婚です、とは言わない。あえて言う必要もないだろうと思ったからだ。
先輩は小さな声で「すまない」と言った。
「幸せな生活を壊してしまって申し訳ない」
『……。別にイタチ先輩のせいではないですから』
話していてなんとなくわかる。イタチ先輩はまだ、心を持った人間だ。沢山の人を殺してきた人間に違いないのに。それなのに彼から滲み出るこの暖かさはなんなのだろう。
イタチ先輩が里抜けした時、うちは一族はサスケくんを残して全員殺された。うちはイタチの犯行だと聞いても信じられなかった。だって彼は、本当にとても優しい先輩だった。親のいない私を気にしてよく声をかけてくれたイタチ先輩。
あの頃の甘酸っぱい気持ちを思い出して胸がキュッとなった。
おばあさんが覚束無い足取りでこちらに向かってくる。甘味処なのに、どんぶりから湯気が上っていた。イタチ先輩が何か頼んだのかな、と私は呑気にお茶を啜る。
おばあさんからトレーを受け取り、先輩は私の目の前にどんぶりを置いた。
温かな湯気の向こうに茶色のお揚げが汁を吸ってぱんぱんに膨らんでいる。条件反射で口の中に唾液が満たされた。
「狐うどん、好きだっただろ」
再び顔を上げると、先輩が私を見ていた。
イタチ先輩と私は、よく任務を共にしていた。先輩が部隊長で、私が補佐。そして任務終わりによく連れて行ってもらった食事処で、私はいつも狐うどんを頼んでいた。
『よく覚えてますね』
「毎回それだったからな」
ぐぅ、と思い出したようにお腹が鳴る。断る気力はもう残されていなかった。
私は観念して深々と頭を下げる。
『本当に申し訳ありません』
「こういう時は謝るんじゃなく礼を言うものだ」
またすみませんと言いそうになったのを飲み込み、ありがとうございます、と答えた。表情は動かなくともイタチ先輩はなんとなく嬉しそうである。
はやる気持ちを抑え、両手を合わせた。どんな時も食べ物に対する感謝を忘れてはいけない。こんなに感情を込めたいただきますは初めてかもしれなかった。
ひと口スープを口に含んだだけで涙が溢れそうになる。しかしここで泣くのは流石に惨めすぎて、なるべく普通を演じながらうどんを啜った。
今までの人生で一番美味しい食事だった。
夢中でうどんを啜ってスープを一滴残らず飲み干し、最後にお揚げを摘み上げる。イタチ先輩がその様子を見てまた思い出をなぞった。
「食べ方も変わらないな」
『私、好きなものは最後に残すんです』
狐うどんの甘いお揚げが昔から大好きだった。むしろ、お揚げを食べるためだけに狐うどんを頼んでいたといっても過言ではない。
お揚げを噛み締めながらふとサソリさんのことを思い出す。私は彼のことを狐さんと呼んでいた。狐うどんと、サソリさん。あまりにも似合わなくて、なんとなく笑ってしまう。
「どうした?」
『いえ。なんでもありません』
お揚げを口に含んで噛みちぎる。じゅわっと甘い汁で口内が満たされるこの瞬間がたまなく好きだ。
美味しい、と思わず言葉が溢れる。イタチ先輩は少しだけ笑った。
あの後、ちゃっかり食後のあんみつまでご馳走になってしまった。
二人で肩を並べて暖簾を潜る。太陽が高い。今日も茹だるような暑さ。
『本当にありがとうございました』
改めて深々と頭を下げる私に、イタチ先輩は「いや」と返すのみ。
アジトに向かって歩みを進めながら、私は先輩に話しかける。サソリさんの嫌いな雑談というやつである。
『先ほどの店はよく来られるんですか?』
「たまにだ。あそこの甘味はそれなりに美味い」
イタチ先輩は顔に似合わず甘いものが好きだった。任務終わりは必ず三色団子を食べていたイメージがある。
時の流れで変わったものと、それでも変わらないもの。変わらないものに触れた時、なんとなく安心する。
「小南に食事の手配は伝えておく。気が回っていなくてすまなかった」
『そんな、全然です。そもそも私はそんな立場ではありませんから』
今は、殺されていないことに感謝せねばならない立場である。しかし、これから食べ物への不安を持たなくていいことに少なからず安堵した。
久々にチャクラを練っているからなのか、普段よりもお腹が空くしすぐにバテてしまう。胃が満たされた今、体力チャクラ共に満タン。今日は昨日よりも修行に集中できそうだ。
『私は修行してから戻ります』
「修行?」
イタチ先輩が反応する。私は頷いた。
『私、暫く忍者を離れていて。チャクラコントロールの感覚を取り戻すために修行するのを許してもらっているんです』
「……」
イタチ先輩は風に揺らぐ黒い髪を抑えて空を仰ぐ。まるで木ノ葉にいるような錯覚に陥りそうになった。
「構わない。小南にはオレから伝えておく」
『ありがとうございます』
敵には違いないのに、イタチ先輩には気を許してしまうところがある。同郷のよしみ、という奴なのかもしれない。
イタチ先輩に改めて御礼を言い、私は修行に向かった。目指すは昨日と同じ泉である。
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