生きるために
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ーーー千秋さん!千秋さん!
彼女が僕を必死で呼ぶ声が頭から離れない。
おかしな話だ。今までだって一度も、彼女が僕の名前を必死に呼んだことはない。
呼ぶ必要もないはずだ。彼女にとって僕は憎むべき対象なのだから。
それなのに確かに耳に残っている、僕が唯一愛している妻の声。妄想か、はたまた幻か。
それともーーーあれは紛れもない現実だったのか。
「千秋」
顔を上げれば、そこには同期のシーの顔。無意識にテンションが下がってしまい、それに気付いたシーに睨まれる。
「なんだよ」
「いや…あまりにも可愛くない声だなと。やっぱり僕の名前を呼んでいいのは女性限定にしようかな」
「ぶち殺すぞ」
シーは数枚の書類を机に置いた。その書類には、”あの日”の日付が書いてある。
「頼まれたやつだ。調べてやったんだから感謝しろよ」
「ああ…」
目を落とし、思わず顔を顰めた。
「少ないな」
「原因不明の爆発、で処理されてるからな。それ以上書くことないんだろ」
僕の妻が爆発に巻き込まれて死んだとされている例の事件。彼女以外にも10人以上の死者が出た事件なのにこの関心の薄さ。不自然だな、と書類に目を通しながら考える。シーも同じ疑問を抱いたようだった。
「確かにこの規模の事件なのに、調査が極端に少ない…いや、むしろほぼ調べられていないと言った方か正しいのかもしれない」
「……」
「調べが進めば、里にとって不利益な情報が出る。そう考えるのが妥当だろうな」
シーは視線を動かした後、頭に指を添えた。彼は感知タイプの忍びである。誰かが身を潜めてこの話を聞いていないか確認しているのだろう。つまり、これから先は更に込み入った話になるということである。
「ここからはオフレコだ」
シーは一層声を潜めながら言った。僕は書類に目を落としたまま無言で頷く。
「雲の上層部は、十中八九この事件が”暁”によるものだと判断している」
暁。その言葉に反応する。今度はシーが頷く番だ。
「奥さんの能力…時送り、だったか。木ノ葉では最高レベルに危険な能力とされている。その能力は使わせないことが条約を結ぶ上で絶対条件だったらしい。まあ、雷影様がその条約を守るつもりは鼻からなかっただろうってのは置いておいて。彼女が外部に漏れるのは御法度。しかし今回、その能力がよりにもよってあの暁に奪われた可能性がある」
「……」
「それが木ノ葉に伝わったら条約云々の騒ぎじゃない。多額の賠償金で済めばまだマシ、ひいては雷影様の失脚すらあり得るレベルの失態だ」
「…なるほど。彼女が死んでいた方が里にとっては都合がいいということか」
「そういうこと。木ノ葉にも彼女は事故死したと既に通達されている。どこの国も隠蔽に動くのは早ェんだよな」
大して中身のない書類は、話を聞きながらでも簡単に確認することができてしまった。
僕は机に書類を置き、シーに視線を移した。
「暁の方の調べは?」
「そっちも今調査中。ただ、暁には雲出身の忍びがいねぇから。他里に比べて持っている情報が圧倒的に少ない。しかもこの流れでは第三者の協力も望めそうもないときた。仮に情報が集まったとしても戦力が足りなすぎて相当厳しいぞ。いわば負け戦だ」
シーの前向きでない言葉を聞きながら、僕は頬の筋肉が緩むのを制御できなかった。くっくっくっ、と喉の奥から声がせり上がってくる。シーは呆れた様子で目を座らせた。
「今の話に喜ぶ要素あったか?」
「彼女が生きているという確証を得たんだ。それだけで今は十分」
彼女の能力が目的なのだとしたら、拉致した後すぐに殺される可能性は限りなく低い。しかし事件が起きてから今日で4日目だ。悠長なことは言っていられないのもまた事実だろう。
「あと3日でどこまで調べられる?」
「3日って…オレ、他にも腐るほど任務あるんだが?」
「うん。で、どこまで調べられる?」
深い深いため息。しかし僕とシーは長い付き合いだ。僕の諦めの悪さは嫌というほど熟知しているだろう。
頭を掻きながら面倒臭そうに考えているシー。僕は黙って返答を待った。
「…まあ、やれるとこまでやってはみるけどよ」
「頼む。10日以内にはケリつけたいから」
「……」
無理だろ、と顔が言っている。それを無視して僕は続けた。
「悠長なことは言ってられない。10日でも遅すぎるくらいだ。本当は今すぐにでも動きたい」
「さっきも言ったろ。戦力が足りなすぎる。もし奥さんにたどり着けたとしてもオレたちが勝てる確率は限りなく低い」
「そこに関しては僕に任せてくれ。協力してくれる人材に心当たりがある」
「……」
「お前有給どれくらい残ってる?」
「有給?そんなもんあってねぇようなもんだ。死ぬほど残ってる」
「じゃあ明日からガッツリとっていいぞ。僕から雷影様に話は通しておく」
ニッコリと笑った僕に反してシーは憂え顔。しかし僕に意見を出すことは諦めたようだ。賢明な判断である。
「それ休みじゃねぇじゃねぇか…」
「細かいこと気にすんな。じゃ、頼んだぞ」
「……」
「…あ、それと。里に関して変わったことがあったらどんな小さな事でもいいから教えてくれ。もしかしたら彼女が、」
そこまで言って口を噤んだ。もしかしたら彼女が暁から何かサインを送ってくるかもしれない。そう言おうとして、言えなかった。
そんなことがあり得るのか疑問だったからだ。彼女は常に僕から逃げたがっていた。もしかしたら彼女は、僕からの助けを望んでいないのかもしれない。だとしたら、僕のやっていることは一体なんなのだろう。
話の続きがないことに疑問符を浮かべているシー。僕は我に帰って「いや、なんでもない」。
「とにかく何かあったら頼む。僕は戦力の確保に動く」
そう言って僕は踵を返した。長い廊下を歩きながら関係ないと自分に言い聞かせる。
彼女の気持ちは今は後回しだ。とにかく時送りが暁の手に落ちるのはどうしても避けなければならない。これは立派な、里のための任務だ。
後回し、か。僕は今まで一度だって彼女の気持ちを優先したことなどなかった。それなのに何を今更善人ぶっているのだろう。
彼女を殺し続けていたのは暁でもなんでもない。夫である僕だった。
雲一つない空を見上げながら最愛の妻を想う。いや、彼女と出逢った日から彼女を想わなかった時なんて僕には1秒たりともない。
君の心の中に僕がいなくてもいい。それでも僕は、君を愛すると決めているから。
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