愛しい(かなしい)
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デイダラの鳥に乗ることを断固拒否した私は、サソリさんの一歩後ろを歩いていった。ゆらゆら揺れる尻尾が何度も当たりそうになる。触ったら毒で死ぬぞ、と脅されるものの、勿論私に気を使ってくれる気はないようだ。今度は一瞬も気を緩めず二人の後をついていく。
会話は全くなかった。私の存在に関係なく、二人でいる時もいつも無言なのだろう。なんといっても悪の組織。ツーマンセルを組んでいるからと言って仲が良いわけではないのだろう。
ただ目的が一緒なだけ。まるで私と千秋さんのようだ、と二人を眺めながらなんとなく思った。
夜が満ちて、足元を見るのがだいぶ困難になった頃。デイダラが久し振りに口を開いた。
「今日はこの辺りで休むか、うん」
休むと言っても、勿論宿があるわけはない。当然のように野宿である。
サソリさんが答えるより先に、デイダラは鳥を地面に下ろした。ぼわん、と煙と共に鳥が姿を消す。
オイラ適当に休むわ、とデイダラは地面に寝転がった。ワイルドにも程がある。しかしサソリさんはリアクションしない。恐らくいつもこうなのだろう。
数秒経たないうちにデイダラはいびきをかいて眠り始めた。あまりにも無防備である。その寝顔を眺めながらどうにかして殺せないかなと考えていると、サソリさんにオイ、と声をかけられた。
「お前、本当に忍びなのか」
『はい?』
「考えていることが顔に出過ぎなんだよ」
どうやら私の殺意を感じ取ったらしい。私は不機嫌を隠さず、だからなんですか、と言った。
『妄想するくらい好きにさせてください。別に手は下しませんよ、今は』
「今は、ねぇ」
私はどちらかというと補佐側の忍びで、攻撃力は高くない。明らかに戦闘タイプのサソリさんとデイダラに私なんかが仕掛けたところで勝てるはずがないのはわかっていた。
ここに千秋さんがいたらな。と無駄な考えを巡らせる。
「お前もさっさと休め。明日はもうアジトに着く。覚悟しておけよ」
全然覚悟したくないし、と内心舌を出した。
その場に腰を下ろし、食べ損ねていたおむすびを取り出す。かぶりつけばじゃり、と不快な音。吐き出したくなる気持ちを抑えて二口三口と続けた。
「泥まみれの米は美味いか?」
『喧嘩売ってんですか』
「いや?惨めなお嬢ちゃんにはお似合いだと思ってな」
ぼわん、と煙がサソリさんを取り巻いた。その向こうに、先日も見た赤い髪が揺れている。おや、と思った。これはかっこいい方のサソリさん。
サソリさんは無言で、大男の傀儡を弄り始めた。メンテナンスをしているのだろう。私は残りのおむすびを口の中に放り込んだ。
『サソリさんは寝ないんですか』
「……。大して眠くねぇんだよ」
『そうですか。残念です』
「オレが寝たところでお前にオレは殺せねぇぞ」
サソリさんは相変わらず抑揚のない声で言った。千秋さんが敵わなかった人だ。そんなことは百も承知である。
おむすびを無理やり飲み込んで、とりあえず空腹を満たす。そして私は懐からあるものを取り出した。それは日中湯隠れで最後に仕入れた布と針である。
灯り貸してもらえますか、と私。サソリさんがちらりと私を見る。
「なにすんだよ」
『クナイ入れを作ろうかと』
「クナイ入れ?」
そんなもん道具屋で売ってただろ。その言葉に、それはそうなんですが、と答える。
『主人が、手作りの方が喜ぶんです』
「……」
『壊れてしまいそうだったので、新しく作ろうと思っていたんですが。こんなことになるとは思わなくて、作れずじまいで』
裁縫が実は苦手で先延ばしにしてしまって、と私。サソリさんは無言で、しかしランタンの灯火をこちらに差し出してくれる。
「くだらねぇ。お前、まだアイツに会えるとでも思ってんのか?」
『うーん。可能性は限りなく低いでしょうね』
「…じゃあ何故そんな無駄なことするんだ」
『おまじないみたいなものですよ』
「……」
私は針に糸を通しながら続けた。
『どこかで元気に生きていてくれますようにって、願いながら作るんです。そうしたら、もしかしたら渡せる日が来るかもしれません』
「……」
『まあ、来ないかもしれませんけどね』
千秋さんの腰についていたクナイ入れを思い浮かべながら布を裁断する。サソリさんの手元の傀儡がキィ、と音を立てた。
「一つ聞いていいか」
サソリさんが珍しく私と会話を続けるつもりらしい。ハサミに集中しながら、なんですか?と答える。
「お前にとって、あの男はどういう存在なんだ?」
ううむ、と私はまた唸った。
『よくわかりません』
「……」
『正直、恨んだことがなかったといえば嘘になります。千秋さんが私を見つけなければ、私はあのまま木ノ葉でそれなりに幸せに過ごせていたと思いますし』
雲に嫁ぐ時は正に断腸の思いだった。この年で、慣れない土地に、好きでもない人と一緒に過ごすための嫁入り。楽しみなわけがない。不安でしかなかった。
私は木ノ葉ですら友達がほとんどいなかった。雲に行って新たな友達ができないのは当たり前すぎる現実である。だから一日中家に閉じこもって空を見ていた。下女たちに、早瀬に似合わない薄暗い女だと嘯かれていたのも知っている。
しかし千秋さんだけは、いつでも笑顔で私に話しかけてくれた。
『私がすることを、なんでも喜んでくれる人でした』
「……」
『料理も、大して上手くないのにいつも残さず美味しそうに食べてくれて。私のつまらない会話も、いつでも嬉しそうに隣で聞いてくれていて。すごく優しい人なんだな、って思ってました』
「……」
『木ノ葉ではずっと一人でした。でも雲に来てからはずっと千秋さんが傍にいてくれました。お陰で、寂しいと思ったことは木ノ葉にいた時より少なかったかもしれません』
「……」
『今では本当に感謝しています。恩返しができなかったのが心残りですけどね』
サソリさんは無言である。少し喋り過ぎてしまったようだ。すみません、と呟いて私は布の切屑を端に集めた。
暫く無言の時間が続く。サソリさんは相変わらず傀儡をいじっている。私も裁断を終え、やっと苦手な裁縫に取りかかった。
「…あくまで、第三者の意見だ」
顔を上げると、サソリさんはこちらに視線を向けてはいなかった。私も再び手元に視線を落としながら、耳だけをそちらに傾ける。
遠くからフクロウの鳴く声が聞こえる。雲にはいない、フクロウの声。雲から随分離れてしまったのだな、と改めて実感する。
「もしオレがお前なら、好きでもない人間にそんなに感謝したりしない」
『……』
「もしオレがお前なら、好きでもない人間にそんな面倒で非効率な渡すあてもない裁縫なんてしない」
『……』
「…もし、オレがお前なら。好きでもない人間を想って、そんなみっともなく泣いたりしねぇよ」
やはりバレていたらしい。必死に頬を擦り、すみません、と一言。サソリさんは何も言わなかった。
サソリさんと対峙する夫の背中を見た時から、私は既に気付いていた。私はあの時、彼が死ぬことを心から恐れていた。私を縛り付けていた張本人なのに。彼が死んだら、私はきっと自由になれるのに。
しかし私は、確実に彼の死を望んでいなかった。それが何故なのか、わかっていた。ぼんやりとした気持ちだったけれど。
どうして、あんなにずっと近くにいたのに私は気づかなかったのだろう。二度と会えない事実に直面してから気付くなんてあまりにも遅すぎる。
千秋さんは何度も何度も私に好きだと言ってくれたのに。曖昧にして誤魔化した。私は一度も、彼に気持ちを伝えられていない。
いつでも傍にいて、支えてくれた夫。自分の勝手で私を木ノ葉から連れてきたことを、彼はずっと後ろめたく思っていた。だからこそ、彼がせめて私を決して一人にさせないようにと気を使い続けてくれていたことを私は知っている。それが当たり前になり過ぎて、私は彼の気持ちに寄りかかり甘えていた。
私の気持ちが動くのは、あまりにもゆっくりだった。でも少しずつ、確実に。どんな時も私の味方でいてくれた夫を、私はきちんと愛し始めていた。
『最低ですね』
私は言った。みっともないくらい声が震えている。
『あんなに裏切っておいて。今更好きだなんて言えるわけないですよね』
「……」
『まあ、もう二度と会うこともありませんから』
忘れてください。私は言った。サソリさんは相変わらず何も言わない。
元々下手なのに、泣いているせいで糸の並びがガタガタである。流石に千秋さんでもこれは嫌がるかもしれない。…いや、あの人ならこれでもありがとうって言ってくれるんだろうな。そう考えると更に涙が止まらなくなった。情けない、と思いながら無心で針を進める。
「オレにはわからねぇ感情だな」
サソリさんが珍しく饒舌である。私は作業を進めながら再び耳を傾けた。
「オレはお前と違って配偶者はいねぇし、これからも作る気はない」
『……』
「人を好きになったことも、大事に思ったこともねぇから。お前ら夫婦は理解し得ない人種だ」
『だからそんなにグレちゃったんですか?』
ギロ、とサソリさんに睨まれる。冗談ですよ、と伝えればお前は無表情だから冗談に聞こえねぇんだよ、と怒られた。サソリさんだって十分無表情じゃないですか、と思ったものの命が惜しいので口には出さないでおく。
「恋だの愛だの、オレにとっちゃ邪魔な感情でしかない」
『……』
布を合わせながら、また少し考える。私も今までその感情を知らなかった人間だ。偉そうに何か言える立場でもない。
ただ、思い返したらふわっと温かくなる。この気持ちを少しでも言葉にして伝えられたらいいな、となんとなく思った。
千秋さんに伝えられなかった想いを、私は今、敵であるサソリさんに伝えている。なんとも滑稽だ。でも、誰にも知られないで捨ててしまうよりはずっといい。
『そんなに悪いものじゃないですよ』
「……」
『誰かに必要とされている感覚というか。絶対的な味方がいるっていうのはいいものでしたね』
サソリさんは何も言わない。狐さんとして話している時から彼は元々リアクションの薄い人間だった。今更気にする必要もないだろう。
千秋さんのことを想いながら、私は少しだけ頬を緩めて笑った。
『サソリさんも、いつか大事に想う人間ができるといいですね』
サソリさんはやはり、何も言わなかった。私もそれ以上何も言う気はなかった。
雲隠れではない深い夜が始まっては、終わっていく。いつかまた、あの明るい星空を一緒に見られたら。
叶わない願いを、私はそっと心の中でなぞった。
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