悪友の結婚
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
早瀬の新妻が死んだ、と伝達が来たのは夏至をとうにすぎた真夏の頃だった。
千秋と奥さんは、仲の良い夫婦だった。特に千秋が奥さんにメロメロで、あんなに女好きだった男がパタリと遊びを止め、任務が終われば家に直帰、休日の野郎どもとの付き合いすら全く出てくることはなくなっていた。
人は配偶者によってこんなにも変わるものなのだな、と感心していた折である。その知らせは衝撃であった。
原因不明の爆発を起こした家の火災に、奥さんは巻き込まれたらしい。遺体は酷く傷んでいて検死すら出来ず、しかし着ている服が間違いなく千秋の奥さんのものだった。
焼死。あの花のように美しい奥さんにとって、あまりにも悲しい最期だった。
厳かに執り行われた葬儀に、オレも参加した。
どうなっていることやらと心配したが、千秋は全く取り乱していなかった。霊前を眺める千秋の表情は、無。あんなに仲の良い奥さんが亡くなったのに、千秋は冷静だった。その異様な佇まいに、密かに恐怖心を覚える。
なんとなく声は掛けられず、オレは焼香だけ済ませそそくさと斎場を後にした。
帰路に着きながら、胸ポケットに入っていたタバコを取り出す。ライターで火をつけ、口に挟んだ。苦い煙が肺を満たしていく。
あの二人は結婚式すらまだだった。奥さんがああいうの苦手で、恥ずかしいみたいで。僕はウエディングドレスも白無垢も着て欲しいんだけど。ほら、彼女世界一美人だから。と嬉しそうに惚気ていた千秋の顔を思い出す。
うぜぇ、死ね。興味ねぇ。そんな風に聞き流がさず、ちゃんと聞いてやればよかった。今となっては無駄な後悔を、オレは煙と一緒に吐き出した。
「シー」
振り返ると、そこには千秋が立っていた。黒いネクタイを緩めながら、オレに右手を差し出す。オレは無言で、タバコとライターを差し出した。結婚してから、禁煙すると言って一本たりとも吸っていなかったのに。もう禁煙する理由もなくなった。千秋は慣れた手つきでライターに火をつけ、タバコを口に挟んだ。
暫く無言で、二人でタバコをふかした。千秋の表情は相変わらず無である。あまりに急で、実感が湧いていないのだろう。
何か言うのも野暮な気がして、オレはタバコの苦味に集中した。一番初めにタバコを吸った時も、コイツと一緒だった。ただただカッコつけたくて買ったそれが信じられないほど不味くて、あまりの不味さに二人でえずいたことを覚えている。オレたちカッコ悪ぃな!と爆笑していたガキも、こうして大人になった。いつからオレ達は、タバコの苦味を美味いと思うようになったのだろう。
「協力してくれないか」
千秋は言った。オレは無言で顔を上げる。
千秋が変わらぬ無表情でオレを見ていた。
「誰が奥さんを殺したのか、か?」
少しの沈黙の後、違う。千秋は言った。
「彼女の死を偽造した犯人」
「……」
「それを探すのを協力してほしい」
オレは無言で、再びタバコの煙を肺に取り込んだ。
「彼女は死んでいない」
千秋の目が、闘志に満ち満ちている。それは奴が戦場に赴く時と同じ色をしていた。
「あの死体が彼女のものだと証明する手段は何もない」
「……」
「何故彼女があんな時間にあの場にいたのか。何故体は丸焦げなのに服が残っているのか。何故家が急に爆発したのか。何故僕が、あの日気を失って玄関で倒れていたのか。全ては謎のままだ」
短くなったタバコを、地面に落とした。
やっぱりか。冷静なフリをしていたけれども、冷静なわけはない。奴は奥さんが亡くなった事実を受け入れられないのだろう。
「頭おかしくなってねぇから」
千秋は言った。またオレの心の内を読んだようだ。オレはため息をつきながら、もう一本タバコを取り出した。
「でも、遺体が着ていた服は奥さんのものだったんだろ?」
「そんなものはいくらでも捏造できる」
「…なんのために?」
わざわざそんな手間をかけて、千秋の奥さんを死んだことにする必要がどこにあるのだろう。彼女は確かに美しいが、ごく普通の一般人だ。それこそヤクザに命を狙われる立場でもない。
「彼女、本当は忍びなんだ」
「は?」
「ちょっと特殊な能力を持った、優秀な忍び。だから彼女がそんなに簡単に殺されるとも考えづらい」
忍び?あのふわふわした奥さんが?全然イメージがわかない。混乱しているオレと、変わらず冷静な千秋。千秋はタバコの煙をまた一つ、吐き出した。
「ここからは僕の予想だ」
「……」
「彼女は暁に拉致されたんじゃないかと考えてる」
暁。その言葉に反応する。
最近里の周りを嗅ぎ回っている不審な奴らがいることは聞いていた。それが暁なのではないか、と囁かれていたことも。
暁が千秋の奥さんを拉致、か。確かにあり得なくはないが、些か飛躍しすぎた話の気もする。
「協力してくれ」
千秋は改めて言った。その言葉は、オレに断られるなんて考えたこともないように強気である。オレはタバコの煙を吸い込み、吐き出した。
腐れ縁の同僚。幼い頃からの付き合い。ずっと憧れ、嫉妬してきた相手。そしてあの美しい奥さん。
半信半疑ではあるけれども。しかし、あの奥さんがもし生きているのだとしたら。あの花のように笑う顔を、もう一度だけでいい。見てみたい、となんとなく思った。
厄介なことに巻き込まれることには、もう慣れている。
「…わーったよ。協力すりゃいいんだろ」
「流石僕の相棒だな」
「お前の相棒になった覚えはない」
一丁前に大人になった千秋は、あの日の、ガキの頃と変わらぬ悪戯な顔で笑った。
雲隠れの夜が、今日もまたゆっくりと足音も立てずやってくる。
愛する妻を失った男は、しかし一瞬も彼女のことを諦めてはいなかった。
.