逢いたかった人
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丑三つ時、私は布団から抜け出した。千秋さんが起きていることはわかっていた。しかし、彼は私を止めることもない。
すぐに帰ります、と囁いて私は襖を開けた。玄関に行って下駄を履き、小走に小丘を登る。今日は満月だった。狐さんと初めて会った日と同じ、痛いくらいに眩しい満月の夜。
あたりを見回すも、狐さんの姿はない。
たしかに感じた、朝の直感。勘違いだったのだろうか。うろうろと彷徨いながら、私はふと、足元に視線を落とした。
そこにあったのは月下の花。あの日は悲しいほど綺麗に花を咲かせていたのに。今は固く蕾を閉じている。
私は腰を下ろし、その白い花にそっと触れた。月下美人は、その蕾を綻ばせることは非常にまれらしい。年に一回、多くて三、四回。あの日あれを見ることができた私はとても幸運だったのだろう。現に、あの日以来この蕾を開いた姿を私は見ていない。
できるかな、と少しだけ逡巡した。しかしそれは杞憂で、直ぐに掌がぼんやりと暖かくなる。教育とは偉大だ。まるで呼吸をするかのように、こんなにも簡単にチャクラが練れてしまう。たとえ私がどんなに忍びを辞めたいと願ったとしても。
『ごめんなさい。貴方の時間、少し戻させてね』
この花が咲いたのは前回の満月の夜。つまり28日前だ。ゆっくり数を数えながら、頭の照準を合わせていく。
みるみるうちに蕾が綻んだ。真っ白で美しい花が、満月に向かって生き生きとした姿を曝け出している。
私は気分の高揚を抑えられなかった。
戻った、と思った。この花が。初めてあの人と出会った、あの日に戻った。
「月下美人さん」
低くて、でもどこか甘い声。
顔を上げても、そこには誰もいない。後ろを取られたのだということは既にわかっていた。
「こんな時間に一人で出歩いていたら、殺してくれと言っているようなもんだと忠告したはずだが」
私は花を撫でながら、心の中で花に向かってありがとう、と呟いた。
『貴方は今日、私を殺すつもりで来たんですか』
「いや。生きたまま連れてこいと言われている」
私は動きを止める。後ろの彼は今日、私にクナイすら向けていない。
月下美人さん、と彼はもう一度言った。
「時送りの忍びはお前だな」
『……』
「今のいままで半信半疑だったんだが。ようやく確信を得た」
どうやら私がこの花の時を戻すのを見たようだ。
誤魔化しても無駄だな、と腹を括った。
『はい。私は時送りの血継限界を持つ元木ノ葉の忍びです』
狐さんは木ノ葉の忍びを探していた。どうやらそれは、私のことだったようだ。全て理解する。彼は暗部ではなく暁だ。この私の能力が、暁の目的に利用できると判断されたのだろう。
こんなことで、彼に初めて興味を持ってもらえるなんて皮肉なものである。
ゆっくりと振り返ると、そこにいたのは狐さんではなかった。そこには、一人の青年が立っていた。
初めて見る狐さんの素顔。特徴的な赤い髪をした彼は、気怠げなブラウンの瞳で私を見下ろしていた。そして服は黒地に赤い雲模様。
やっぱり彼は暁なのだと、私はやっと受け入れることができた。
『貴方が狐さんですか』
「まあ、お前の中ではそうだろうな」
青年は私を馬鹿にしたように笑った。腰を上げ、狐さんに向き直る。
『初めまして、狐さん』
「オレは狐じゃない」
『……』
「赤砂のサソリっつったら知ってんだろ。お前も一応忍びなんだから」
赤砂のサソリ。確か砂隠れの抜け人だったはず。歳は30を越えていたように記憶していたけれど、目の前にいる彼はだいぶ若い。
さわ、と野原に風が駆け抜ける。こんな時なのに風に揺れる彼の赤髪がとても綺麗だと思った。
「オレと一緒に来い」
有無を言わさない物言いだった。
私はその差し出された手を、夢を見ているかのような気分で見つめた。
その時である。
ぶわっと突風が吹いた。あまりの強風に、私は顔を覆って目を閉じる。
風が止んで、恐る恐る目を開けた。するとそこにあの青年の姿はなく。代わりに見慣れた背中があった。
『千秋さん…?』
そこにいたのは千秋さんだった。千秋さんは前を向いたまま、無事?と一言。私は無言で頷いた。
「お前が夫か」
頭上から声が降ってくる。見上げれば、木の枝の上に彼は移動していた。どうやら千秋さんの術を避けたようだ。
青年は私たちを見下ろしながらニィッと怪しく笑った。
「早瀬んとこのガキだな」
「ガキじゃない。もう26だ」
「オレからすれば十分ガキだ」
青年からの挑発にも、千秋さんは冷静だ。
「最近里をかぎ回っていたのは知っていたが。やはり目的は彼女か」
「うちのリーダーがその女の能力に偉くご執心でね」
時送りか、と千秋さんは呟いた。それと同時に後ろ背に私の身体を強く押す。
「ここは僕がなんとかするから。君は早く安全なところへ」
『え…でも』
相手は暁だ。いくら千秋さんでも、一人で対峙するのは分が悪すぎる。
迷っている私に、いいから、と千秋さん。
「君はもう忍びではない。戦いは僕が引き受ける。言ったろ。君は僕が守るよ」
ね、と彼はいつも通りの優しい笑みを向けてくれた。心臓がキュッとなる。
彼はいつだって私に真っ直ぐだった。私は彼を裏切ってばかりだったのに。その彼の真っ直ぐさに、私はいつだって甘えていた。
後ろから彼の背中に抱きついた。えっ!と千秋さんが動揺しているのがわかる。
私は千秋さんの背中に額を押し付けながら言った。
『人を呼んで戻ってきます』
「……」
『どうかそれまで、死なないでください』
約束する、と千秋さんは低い声で言った。ご武運を、と告げてから私は地面を蹴り、小丘を必死に下っていく。
千秋さんも、狐さんも。どうか死なないで。
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