逢いたかった人
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重い足取りで帰路に着く。千秋さんは私に気を使って、沢山の話題を振ってくれた。
それに答えながらも、頭の中は真っ暗である。どうしよう、どうしよう。それしか考えられなかった。
門を潜り、下駄を脱ぐ。千秋さんもそれに倣って忍靴を脱いだ。あれ、と私は首を捻る。
『お仕事向かわれないんですか?』
「今日はもう休みを取った。皆も奥さんの傍にいてやれって」
えっ、と声が出た。千秋さんが少し寂しそうに笑う。
「嫌?」
『…そんなことはないです。ただ、お忙しい時期ですよね』
千秋さんの手が私の頬に伸びる。一瞬、体が震えてしまった。
「僕に君より大事なものはないから。だからいいんだよ」
『……』
私は静かに目蓋を落とした。
千秋さんの唇が、私のそれに押しつけられる。舌先で突かれ、私は大人しく口を開いた。と同時に熱いものが口内に侵入してくる。ゾクゾクした。
『…っあ、』
歯列をなぞられ、舌を絡みとられる。甘噛みされて腰の力が抜けそうになってしまった。それをすかさず支える千秋さん。押しつけられたものが既に硬くなっているのに気づき、私は思わず胸を押し返してしまった。
千秋さんが驚いているのがわかる。私はハッとした。
『…すみませんっ』
千秋さんは小さく笑って、私の髪を一束掬って口付けた。
「嫌?」
私は首を横に振る。寝室に行こうか、の言葉には何も答えられない。
手を引かれ、私は抵抗する気力もなくそれに従った。
襖を開き、二人で寝室に入る。いつもは闇に飲み込まれたかのような寝室。今日はまだ日が高い、明るい寝室。しかし、することは夜と一緒である。
硬直している私に、千秋さんは言った。
「ごめんね。君は嫌かもしれないけど、僕は君を抱きたくてたまらないんだ」
再びキスをされそうになる。私は必死に千秋さんの胸を押した。
『…ごめんなさい、今日はちょっと体調が』
私がした初めての拒絶だった。心臓が煩いくらいに暴れている。千秋さんはじっと私を見た。
「体調が悪いの?」
『…はい。少しだけ』
千秋さんは私から目を逸さない。青い瞳が、まるで愛そのものを見るかのように私を見つめている。
少しの沈黙の後、ふ、と口角が上がった。
「嘘だね」
『…え』
「君はいつも僕を上手に騙してるつもりなんだろうけど。全部バレてるよ」
狼狽ている私に、千秋さんは静かに言った。
「薬飲んでるんだろう」
まるで時が止まったかのように、息ができなくなった。
千秋さんから目が逸らせない。目の前の夫が恐怖の対象に変わる。
「聞いてもいないのに、下女が教えに来たよ」
『……』
「おかしいとは思ってたんだよね。その若さで、本当に全然身篭らないから」
『……』
「そんなに、僕との子供を産むのは嫌?」
違うんです、と私は言った。声が掠れてしまう。
『千秋さんとの子供が嫌なわけじゃないんです。でも、子供ができたら、能力が遺伝しちゃうから』
私の人生で、この血で得をしたことなど一度もなかった。時送りの能力自体、使用が法律で禁止されている。私たち一族は能力の暴走を起こさないようきちんと教育を受けてきたし、現に術は上層部に指示された時以外使ったことはない。
でも、やはり言われるのだ。「怖い」と。「触られたら殺される」と。
時送りは現在、私しか生き残りがいない。私が子供を産みさえしなければ、この血は私で途絶える。私はこの汚れた血を、私で終わらせるつもりだった。
『申し訳ありません。私に子供を産むことはできません』
「……」
『早瀬には跡取りが必要だということはわかっています。でも、私に子供は産めないんです。今まで騙していて本当にごめんなさい。…離縁して頂いても構いません』
千秋さんは何も言わない。しかし、その目がまだ私に失望していなかった。
全く理解できない。この人は何故、裏切り者の私にこんなにも変わらぬ愛情を持っているのだろう。
千秋さんが再び私の頬に手を伸ばした。恐怖を感じながらも、拒否することはできない。
千秋さんは私の頬を撫でながら、いつも通りの優しい声を出す。
「僕と離縁してどうするの」
『…それは、』
「木ノ葉に帰るの?それとも」
「あの、狐の面をした男のところに行くのかい?」
心の蔵が、今までの人生で一番強く波打った。
ドッドッドッ、暴れる心臓。千秋さんは変わらぬ穏やかな顔で笑っている。
「だから言ったろう。僕は君のことならなんでもわかるんだよ」
『……』
「気づかないと思った?君を見てればわかるに決まってるじゃないか。ああ、好きな男ができたんだなって」
違います、と私は言った。
『狐さんは、そういう対象じゃないんです。ただ、少し話を聞いていただいただけで。もうお会いすることもありません』
事実だった。現に私は狐さんのことを何も知らない。もう二度と、会えない。
その事実に、また胸がギュッとなった。
これは恋愛感情ではないはずだ。
顔も名前も何も知らない相手に、恋をするなんておかしな話があるはずがない。
そんなに簡単に恋をしてしまうくらいなら、私はとっくに目の前の夫に恋をしているはずだ。千秋さんはいつも私のことを優先してくれるし、愛してもくれる。それには応えられないで、あんな見ず知らずの男に恋をするなんてことがあったとしたら。私は今この場で殺されても文句は言えないだろう。それは裏切りどころの話ではなく、もはや重罪だ。
良いことを教えてあげる、と千秋さんは言った。
「雲の暗部が5人、殺されたことは知ってるね?」
私は無言で頷いた。私の返答は彼の想定と同じだったようだ。
「その中に、君の好きな狐の男は含まれていない」
『……』
「狐の男は、”殺した側”だ」
えっ、と声が漏れた。千秋さんは無表情である。
狐さんが雲の暗部を殺した。暗部の人間は無意味な殺生はしないはず。暗部同士の争いが起きれば、それが戦争に発展することも起こり得るからだ。だから皆、殺しには慎重なはずである。
それなのに何故。雲の暗部が、狐さんに何かしようとしたのか。それとも、何か別の理由が。
「あの男は暗部ではないんだよ」
私の頭の疑問に答えるように千秋さんは言った。私は必死に考えを巡らせる。狐さんが、暗部ではない?
『…どういうことですか?だってあの格好…』
狐さんの身なりは、暗部のそれと寸部違わない。むしろあの姿で、暗部以外の人間を想像することの方が難しかった。
千秋さんは私をじっと見つめている。その瞳に迷いはない。彼の私に対する愛情は、相変わらず一寸の歪みもなかった。
時は流れる。私が術を発動させなくとも。皆に平等に、残酷に。滑り落ちていく。
「あの男は、”暁”だよ」
彼を知らなかった頃の私には、もう戻れない。
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