二日目(3話~)
第五話「新薬」後編
記憶していた日々の話を終え、自らの考えを述べた。
「ここへきた栃子たちは元々は口減らしのために赤子の時点で殺されてもおかしくはないような農村の出身でした。」
山桐栃子は自分の家族の話はやはりここでも出さないようだ。
「流行り病で一族が死んだ家の子もいた。野垂れ死ぬしかなかった子に充分な食べ物、あたたかい寝床、清潔な衣服まで与えてくれた。こんな生活初めてだと泣く子もいた。
その命を多くの人を救済する薬のためにと言われれば、喜んで検体にと申し出る子も多かったの。」
「そんな年端も行かないような子どもを…」
菩陽は人道から外れた医学や薬学への探求に嫌悪感を示していた。
刹月も絶句していた。
「でも、―――幸せでしょう?」
そんな二人の反応など予想通りだったのか、気にする素振りもないまま栃子は続ける。
「ご主人を慕って、痛みを感じず試薬を与えられて。苦しまないまま夢の中で一生を終える。貴方たちの尺度で不憫だとか非情だとか言うのは間違っている。」
「・・・・・・・」
言い返すこともできずに黙り込む二人。
「これは”神薬”。痛みや苦しみから解放される薬。私たち栃子と万作の願い。
隠し場所を知識や機転をきかせ導き出した人に正しく使ってほしい。私たちの遺志を―――」
二人とも栃子に何かを言い返す気力はなかった。
重たい沈黙が診療所を包む。
「刹月、蔵の地下室で何があった。何か見たのか?」
思い出すのもつらいのかふるふると首を力なく横に振ると刹月は絞り出すように話した。
「その人が言っているのは事実です・・・だれも悲しんでいなかった。」
診療所は再び沈黙に包まれる。
栃子も言うべきことは言ったと一仕事終えたかのように、窓の外を眺めていた。
刹月は幾分か顔色は良くなってはいたが、まだ考え込むかのようにひたすら床を見ていた。
その時・・・
「菩陽さん、いますか?」
控えめなノックの音と菩陽を呼ぶ声がしたので診療所の戸を開けると景平がいた。玄関の外には巡査もいるようだった。
「山桐さんも意識が戻ったとお聞きしました。本当にご無事で何よりです。
そうだった。実は医学に明るい方のお力を借りたくてですね・・・」
そう控えめに願い出ているが、後ろに巡査もいるのだ。ほぼ強制的な捜査協力依頼なのだろう。
渋々、菩陽は腰をあげると、当然のように刹月もついていくようだった。巡査と景平の後に菩陽と刹月は続き、診療所を後にした。
一方その頃
【視点:楓小路美鶴】
冬でも暖かい室内。最新の技術によってつくられた硝子の天井を眺める。
薬学などの研究のためにガラス温室を造る者、庭園が好きで冬でも植物を愛でたいという金持ちの道楽で造る者。
どっちにしろ、一軍人の楓小路には一生かけても手に入れられないこの贅沢な空間で情報を整理していた。
いつしか、この室温の心地よさでぼんやりとしていた。目まぐるしく様々な出来事で少し疲れていたのかもしれない。誰かが温室へ来たのか扉の開く音にはっと振り向いた。
こちらの存在に相手も気づいたのかぎくりと動きが硬くなったのは不知火家の使用人の屋久とかいう男だった。背丈や燕尾服の上からでもわかる筋肉の付き方など自分よりも軍人らしさすらあった。
特に会話のタネも思い浮かばず、視線を逸らす。屋久の方からは何か植物を摘み取る音が聞こえた。料理にでも使うのだろうか。
姿勢を元に戻すとまた楓小路は思案に耽る。
『新薬の権利書も手に入れられなかったし、どうしたものか…』
ガタンと屋久はいつの間にか温室を出ていったらしい。
数分後、大きな声で言い争う声が外から聞こえたので飛び起きて温室を出た。
「お前にお嬢様の何がわかる!!あの方はあんなにもお優しく、聡明な方なのにずっと苦しまれている!それを救いたくて新薬に縋るのはおかしいことなのか!」
さきほどの落ち着いた様子からは考えられない程に怒りを前面に押し出した屋久と、それをどこか冷めた目で嘲笑するような表情の躑躅ヶ崎がいた。
「こんな時にやめましょう。人も亡くなっているんですから・・・」
慌てて二人の間に入る楓小路。
上官はたまにこうして人の逆鱗に触れてしまうことがある。まっすぐな性格でもあるが、言葉数が少なく、目つきが悪いのが威圧的だったり好戦的だと取られるからなのだろう。
その後は二人で昼食の席へ向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
【視点:景平匡】
慣れない場所で昼食の用意をする屋久。
てきぱきと配膳室と食堂を往復して準備は進めているものの、いつもの屋敷での勝手とは違うようでその表情はやや焦っているようだった。
そんな様子を食堂で見て景平は「屋久さん、僕もお手伝いします。」と申し出た。
本来ならば、こういう仕事は付き人をされている刹月さんの方が良いのだろうが、朝はあの一件から顔色が悪い。僕が手伝うのが自然だろう。
「すまない。それでは二階の客室にお嬢様の食事を持って行ってはくれないか?」
「え~っと、この盆ですか?」
その盆には、なにか野草の天ぷらと他は消化の良さそうな質素な和食のものがあった。
他の客人用には豪華なものばかりだが、体調の悪い不知火さんの食事だけ別に用意したのだろう。
「そうだ。頼んだ。」
落とさないように、揺らさないようにと階段をゆっくり上る。
不知火さんが休まれてる客室に着くと片手で盆を慎重に持ち、ノックをして声をかけた。
「景平匡です!屋久さんの代わりに昼食を持ってきました。」
「匡君!運んでくれてありがとう。
そういえば、ここに来てからお話なんてゆっくりできていなかったわね。」
「いえいえ、お気になさらず。それよりお加減はいかがですか?」
「…まだ良くなったなんて言えないわね。情けないわ。大きく動揺してしまっていて…あんなにも素敵な先生だったツバキさんが殺されただなんて…」
「・・・・?」
確かこの人はあまり現場を見ていなかったはずだ。それなのになぜ”殺された”って言いきった?
そんな考えを見抜いたのか、不知火は切り出した。
「匡君、私・・・分かってしまったかもしれないの。」
確かにこの人は外出できないような体調だったから多くの書物を読み、多くの事件のことを知っている。僕と文通を始めたきっかけも些細なことだったがお互いに高いレベルの話ができて楽しかったからだ。
この人の見解を聞く必要がある。
「匡!食事の時間だそうだ。」
このタイミングで先生が僕を呼びに来た。
廊下へ出ると先生がこちらへ来ていた。
「…!!ああ、すまない。女性の滞在する部屋を招かれてもいないのに覗くのはあまりよくないな。」
そう言って廊下で待つ先生に不知火は声をかけた。
「いえ、気にしないでください。匡君、あとで花倉さんも一緒にお話をしたいの。食事が済んだらまた来ていただけるかしら?」
そう言って不知火は手をひらひらと振りドアを閉めた。真っ白な手は陽の光も透けてしまいそうなほど薄かった。
「匡、深窓のご令嬢は何の用事だと?」
「センセ、恐らくですが…彼女は事件の真相をすでに見抜いたのかもしれません。」
――5話終了――