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二日目(3話~)


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第五話「新薬」前編


倒れた安居院刹月を見て花倉と景平は犯人がいるのではないかと念のため周囲を警戒した。
事件現場を調べていた巡査を含む警官たちがどたどたと蔵へ集まった。
「犯人が地下に潜伏していたのか!」
地下室にいる景平と花倉に巡査は声をかけた。

「いえ…違います」
暗闇に目が慣れてきたのだろう花倉はこの地下室には人の気配がないことを察し冷静に答えた。
景平もそれに同意するかのように頷いた。
「巡査殿、この刹月さんのご兄弟が診療所にいますので…」
「ああ分かった。おい、呼んできてくれ。」
部下に巡査は指示を出すと、携帯電灯をつけた。

「私は飲み水でも取ってきましょう。巡査殿、景平をお任せしますね」
花倉自ら配膳室へ向かった。
景平はまだ容疑者でもあるので、彼一人で水を取りに行かせることもできなかった。

残された巡査は蔵の地下にあった部屋へと足を踏み入れ携帯電灯でその地下室を照らした。

「これは――――」
さすがの景平さえも口元を押さえていた。巡査もその惨状に顔をぐっとしかめ言葉を失っているようだ。

安居院刹月が倒れたのも理解できる。常人には心に深い傷を植え付けるようなその部屋には掃除しても落ちなかったのだろう。誰でも容易に想像できる多くの血の跡と解体道具が残っていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――数時間後

「それ、共同出資の契約書・・・ですね。おめでとうございます。安居院菩陽様。」
はっと菩陽が顔を上げると、ベッドで頭だけシーツから出した栃子がこちらを見ていた。
蔵で倒れた刹月を医務室まで運ぶと、その音で栃子は目を覚ましていたようだった。
傍らの町医者も往診バッグの金属の留め具をぱちんと閉じる。
「くれぐれも安静にしなさいね」と栃子と刹月だけでなく菩陽にまでも釘を刺すかのように眼鏡の奥の目玉をぎょろりと動かし睨みつけるかのように視線を送ってきた。
安静にしていろということは二人とも大事には至らなかったようだ。
その場には栃子や安居院家のふたりだけでなく不知火、や軍人の二人もいて少しだけ緊張感がなくなった。

ベッドから体を起こすと栃子は「ご迷惑おかけしました。」と詫びると少し真剣な顔をして、
「申し訳ありません。安居院家のお二人にだけお話したい内容がありますので…」
そう退室を促した。町医者と不知火、軍人の二人は渋々退室することになった。

「あ、あの・・・!」
そう言って、刹月が不知火を呼び止めた。ここへ来てからあまり共通点もなく目立った会話のなかった二人だ。何かあったのだろうか、ひそひそと小声でなにかを話すと不知火は微笑み、
「御心配ありがとうございます。でも私の病は以前からのものですから…」
「いや、そうじゃなくて・・・!」
歯がゆそうに刹月が顔を歪ませる。刹月も先ほど倒れたばかりなのだ。運び込まれてきたところを見ていた者の中には不知火も当然いた。困ったように菩陽へ視線を送る不知火。
「おい、刹月。安静にしてろって・・・」

「・・・・・・。」
がっくりと項垂れるかのように刹月はベッドに腰かけた。
ガラガラと音をたてて診療所の戸を閉め、足音が遠ざかると菩陽は深いため息をついてから切り出した。

「おい、説明してもらおうか。あの蔵、それと庭園の奥の墓…あれらはどういうことだ。」

刹月が倒れたと警官に聞いて菩陽は蔵へ急いだ。
自分が刹月へ向かうように指示してしまった。その矢先の出来事に強い自責の念を感じていた。
幸い、大事には至らなかったようだが顔色が病人のようだった。
この診療室についてからは「もう帰りましょう。菩陽が危ない…」とぶつぶつつぶやいていた。

ふう、と一呼吸置くと栃子が切り出した。
「お二人はあの地下室だけでなく墓も見たのですね。」
安居院家の二人は静かに頷いた。

「それでは、私が知り得る範囲ではありますが、神薬を完成するに至った経緯をお話ししましょう。」

山桐栃子はぽつりぽつりと話し始めた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

【栃子の回想と独白】
―――山桐栃子がこの館へ来て間もない頃の話

「栃という木は古くからこの国の暮らしを支えた種だ。花は白く小さいものが集まるようにして咲く。個々は小さな花でも樹木全体にたくさんの実を付ける。そして果実も人々の糧となる。そうやって過去から現在、未来に渡って人々を守る。それが由来だ。」
母のように名の由来を語るこの曲淵ツバキという女は私の母などではない。

「今日から君の名は”栃子”だ。」

栃子たちはその日も呼ばれた。
淡々とご主人は問診をして身長・体重を記録していった。
「月経は来ているか?」
「はい、予定通りに来ています。」
ここへ来る前は食べ物に困るほど、経済状況が困窮していた。私だけではない。私たちみんなそうだったのだろう。栄養が不足することで月経がこない栃子もいたはずだ。

私たちはお互いの本当の名前を知らない。
女の使用人は栃子。
男の使用人は万作。
名前が覚えられないからだと言っていた。番号で呼ぶのもよかったが、来客があった時に怪しまれるとご主人は言っていた。

しかし、そんな名の不自由さを忘れるほどに充分な衣食住を与えられた。広くはないが隙間風も入らない清潔な部屋。やわらかいベッドまで与えられた。読み書きができるのなら、ご主人につき往診や診療所での患者の記録をとる手伝いをする者もいた。
私は前任の記録係の栃子と仲が良かった。多くの仕事を二人でこなした。
私が来た時には四人ほどだった栃子もいつの間にか私とその先輩だけになっていた。
「私が体調を崩した時に…」と多くのことを丁寧に教えてくれた。
先輩だというのにふくふくとしたあどけなさの残る頬がとても可愛らしいと思ってしまった。とても愛嬌のある人だった。

仕事の合間にも・・・
「ほら。あの庭仕事をしてる万作さん、素敵じゃない?すらりとした長い手足!」
そんな色恋の話はまだ私には分からなかったが、先輩が幸せそうならそれで良い。その後、想いが通じたのか庭仕事で見つけた花を万作が先輩へ手渡していたところも見てしまった。

しかし仕事にも慣れてきたある日、転機が私たちに訪れた。

「計算ミスで人手が足りなくなったから地下室へ来てくれ。その仕事が終わってからでいい。」
外科手術をする医師のような道具を洗っているご主人に呼ばれた。

”地下室”という言葉に先輩は青い顔をした。
その時の栃子は「暗いところが苦手なのか」などと先輩の考えていることはよくわからなかった。何も考えずに蔵へ向かった。

――人手が足りない
男子は診療所の空いた一室で生活していたが、最近は帰ってきていないのか、シーツも洗ったときのままだった。外へ使いとして出したのだろう…そう思っていた。

先輩はがたがたと震え始めた。明らかに様子がおかしい。
「調子が悪いんですか?」
私がそう聞くと
「大丈夫、きっと大丈夫・・・。」とそれは私への返事などではなく自分に言い聞かせているようだった。

防護服というものを身に着けているご主人がいた。同じような服やマスクを私たちに手渡して言った。
「鼻がやられると、調理に支障が出るだろう。付けてくれ。」
そしてその地下室の奥。元は座敷牢か何かだったのだろう。その片隅を顎で指し、さらに続けた。
「育ちすぎてしまったんだ。一人では持ち上げられそうにもなくてな。おい、そっちの栃子。足の方を持ってくれ」
呼ばれた方の先輩である栃子は大げさにまで肩をびくつかせた。もたもたと座敷牢の入り口をくぐり入った。何かを見つけたのかはっと息を呑むようなひゅっという音が聞こえ、その後よろめきしゃがみ込むとマスクを外し嘔吐した。
「―――っ、げほげほっ・・・」

使えないとご主人は思ったのか吐瀉物の後片付けが面倒なのか…。ご主人は舌打ちをすると私の方を見て
「おい、新人。お前、仕事はどこまで覚えた?」
「炊事、洗濯は元からできました。読み書きもできます。カルテだけあと少し・・・といったところです。」
そうか・・・とご主人はほんの数秒何か考えた後、興味を失ったかのように視線を”それ”に戻した。
私が”それ”の足を持ちご主人の指示通りに運び、腰で折り畳むように大きな釜へ背の高い万作の死体を入れた。
釜へ流し込まれる液体で地下室内は異様な臭いが立ち込めた。”育ちすぎた”のはその釜から手足がだらりと出てしまったことだろう。先輩が素敵だと言った手足だ。
釜から出てしまうのが面倒なのは、うまく溶けきらないからだと後からご主人に聞いた。


あの日から精神的に少々参ってしまった先輩の代わりに多くの仕事をこなした。
仕事は好きだったが、いきなり二人分をこなすには身体がついてこなかったらしい。疲れから私は熱を出して床に伏せっていた。

私と交代するかのように先輩は仕事に復帰した。たまに仕事の合間に様子を見に顔を出してくれた。
ただその日は目元を真っ赤にした先輩が私の頭を数度撫でてくれた。年齢は1つ2つしか変わらないだろう。それなのに、もしも私に姉がいたらこんな感じなのかと高熱でふわふわとした感覚の頭で考えてしまった。
「まだ熱があるわ。」
水仕事をした後なのか、額をすべる手が冷たく心地よい。
冷えた手からは彼女の体温を感じ取ることはできなかったが、とても慈愛に満ちたその感触や手つきに形容しがたい安心感を得た。ふと強烈な眠気がくる。

「さようなら、栃子。」
意識が途切れる時、そう聞えた気がした。

その声は確かに震えていた。

きっとこの人もいなくなってしまうのだろう。


私が何をしようと何も変えることはできない。それは私がここへ来るまでの十数年の人生で痛感したものだった。
苦痛を受けるくらいなら傍観に徹しよう。そうすれば幾分か痛みも和らぐ。
私が一番恐ろしいと思うのは終わりのないような苦痛の中で苦しみもがくことだ。

―――数日後

体調も回復すると地下室へ呼ばれた。
もうこの館もご主人と私だけになってしまった。大きな館内に響くのは自分の足音だけ。

最近は軍や警察が怪しむからと被検体を集めるのをやめたようだ。
「前の万作の時にもう大丈夫だとは思っていたのだが、この栃子のおかげで神薬の完成を証明できた。」
最後に一度だけ手術台の上に置かれた先輩の手を握った。
「精神的に摩耗した者への効果や副作用の記録も取れた。」
2人でその栃子を釜へ押し込む。
「おい、新人…いや、栃子か。お前の方が仕事ができそうだと踏んだからだ。それに口外しそうもないからな。」
よほど気分がいいようで、その日のご主人は私が何も返事をしないのにべらべらと話し続けた。
薬剤を流し込み、先輩の身体が溶けていく。

長い年月、会わなかった知人の顔や名前や姿かたちが記憶を司る海馬から溶け出していくかのように・・・その顔も存在も、骨ごと溶けて消えていく。
時間をあけて何度かかきまぜた後にそれでも釜の奥に残った骨の欠片を拾い庭園の奥の墓地へ埋めに行った。
火葬すれば近所に煙で怪しまれる。天気が悪い日や風の強い日にはできない。土葬するには野犬が掘り起こさない深さまで掘るのはご主人や私には難しい。薬剤でこれだけ溶かしてしまえば小娘一人でも処理ができる。

処理した万作や栃子の私物を整理した。万作の部屋を整理していると支給された衣服の胸ポケットから何かが落ちた。

『栃子へ
 君だけは外の世界でも幸せを見つけてほしい。』
私ではない栃子への手紙だった。少し離れた土地への片道の切符。

『何を言っているのだろう?』
理解できない感情にもやもやとしながら、栃子は買い物のついでに駅に立ち寄り、その切符の払い戻しを済ませるとご主人の財布にお金を戻しておいた。

第五話「新薬」後編
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