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二日目(3話~)


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第四話「憧憬の日々」


警官が到着するまでの待機場所と花倉が指定した食堂へ向かう途中、刹月が花倉に声をかけた。
「あの…これ落ちていました」
きっと躑躅ヶ崎が栃子を運ぶ際に懐から落としたのだろう。封筒には「花倉幸路」と書かれていた。
「あ・・・!センセに配られる暗号ですね。」
覗き込むようにして景平が言った。

「暗号・・・?謎解きの会とはそういうことか。」
刹月から受け取った封筒を不思議そうに眺めた後、花倉は封を切った。

「センセ、本来は招待の日付は昨日だったのに何をされていたんですか…」
「ん?おかしいな。手帳にも今日だと書き止めていたはずだが。」

「・・・まあ、結果として困り果てていた時に来てくださって助かりましたよ。」
ため息をつく景平。彼は少し懐かしそうな眼をして続けた。
「あの時を思い出さずにはいられません。どうしたものかと困っていた時にこそセンセは来てくれる。」

そんな景平にどこか懐かしそうに花倉も微笑んだ。
「そうだね、そんなこともあった・・・。」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
【景平 匡の回想】

「いやぁ景平殿の話はいつも非常におもしろい。許可さえいただければ僕が本に書きたいくらいだ!」
多くの文士や芸術家が出入りするサロンでは活発に意見が行き交う。ギラギラした目のこの文士も景平の話に夢中になっていた。
景平匡もかつてはそんな華々しいサロンの席でも隅の方にいた一学生でしかなかった。今となっては決まった席があり、来店すればサロンでも名の知れた者たちに手招きされ会話の中心に座し、話の輪の外にいる者たちまでが聞き耳を立てるほどの人物になっていた。

『この人たちもあわよくば僕を利用してでも高みへのぼることを考えて…まったく油断できませんね』
柔和に笑い、角を立てないよう受け流す景平。

サロンの隅にはかつての自分と同じようにくすぶっている学生たちがいた。
這いつくばってでも袴の端でも噛んで引き摺り落とそうという獣じみた嫉妬や思惑、上昇志向の塊のような視線。
「花倉センセの腰巾着だ。」
「巧みなのは話術だけだな。本人の力で解決したわけではないのに。」
きっとそんな風に僕のことを話しているのだろう。

僕は今も学生という立場ではある。ただここまで注目されるようになったのは、今から一年と数か月前だったと記憶している。
いや、「記憶している」というそんな曖昧な記憶などではなく、センセとこのサロンで出会った日のことは今でも鮮明に目に浮かぶ。


――その日は非常に気温も低く、サロンで出された温かい飲み物も冷えた身体にじんわりと沁みるようになじんだ感覚を覚えている。

「ええい。うるさいうるさい!!口だけは達者だな!」
そんな安寧の時から一転、がごんと嫌な音を立てて衝撃を感じたときには視界にはサロンの床板が広がっていた。口の中は切れているようで砂と血の味がした。学のない警官どもに暴力で学生や若い文士たちが床に押さえつけられていた。
「少しでも話を聞いていただけませんか、僕たちはこのサロンで今日の芸術のあり方や将来のこの国の話に花を咲かせていただけではないですか!」
「そうだ!俺たちはあんたたちみたいに暴力で解決するような思想なんざ持ってない!!」
拘束されてもなお、わあわあと血気盛んな警官に口で負けることなどなく喧々諤々と日頃の政府への不満まで吐き出されていった。

「なぁにが、この国の将来だ!現に”殺人事件”が起きたのが危険思想に傾倒して暴力をふるった証拠だろう!」
大きな音を立てて机を殴る警官の”殺人事件”という言葉に現場の容疑者達は徐々に冷静さを取り戻していった。

―――そう殺人事件だ。
景平はカップの底に少し冷えた残りを飲みほそうとした時にサロン内に響き渡る女給の叫び声を聞いた。
どうやら腹を鋭利な刃物で一突きされた男性が便所で見つかったようだ。
被害者はその界隈どころか一般の人にまで名の知れた著名人の男性だった。巷で有名になってからも、ちょくちょくこのサロンにも顔を出す人物だった。

当然、隅の席に座っていた景平も容疑者として捕らわれていた。あまりにも土に汚れた手で気に入っていた着物を掴むものだから抵抗したらあっという間に取り押さえられたというわけだ。


「巡査殿!お呼びした探偵が到着しました。」
サロンの扉が開くと自然とそちらへ視線が集まった。景平は未だに床に押さえつけられていたため、新米警官らしき者の土やら埃がこびりついた靴が見えた。
その後ゆったりとした足取りのもう一人の汚れの少ない靴を視界の端で捉えた。

新米らしき警官が元気よく報告を済ませると、優雅な足取りでその人物があらわれた。
『探偵・・・?』
その人物は小説の主人公気取り…とでも言い表せそうなほど、堂々とした足取りで登場した。シャーロキアンでもあった景平は鼻で笑っていた。

「失礼。巡査殿。一人一人話を聞こうではありませんか。」
場の雰囲気が一変する。今まで大声でがなり立てていた警官も、サロンの客すらもこの探偵、花倉幸路の話を聞きいれる。
彼はどちらの立場にも寄らず、平等に話を聞いた。そんな先入観のない花倉の接し方に学生も文士も正直に報告をしていった。

「―――そして、アリバイのないのは貴方だけですね。景平匡君。」
「そうましたら、こいつが犯人で間違いないでしょうな!」
そう言って何か指示を出そうとした巡査を、片手で制止する花倉。
「まだ彼の話を聞いていない。巡査殿、しばしお待ちを。」

「確かに、僕は今…最も危うい立場に居ります。証言も持っていると云うのに嘆かわしいかな。一語たりとも信じてはくれませぬ。」
隅の方でぽつんと座っていたものだから、女給すらも景平のことを覚えてはいなかった。
そう認めてはいるものの景平の目は諦めてはいなかった。

「しかし、良い席だね。ここは・・・」
そう言って含み笑いをする花倉に巡査は奇妙なものを見るような目をして
「花倉殿・・・こんな隅の席は埃もあって、窓から冷たい風も漏れ出ていて…どこがいいんですか?」
巡査の声も無視して、探偵花倉幸路は僕へ声をかける。

「貴方の見解を聞きたい。」
花倉はじっと景平を瞳の奥を覗き見る。
そんな気迫に気圧されることなく僕は淡々と語り始めた。
「……最もな話を致しましょう。この時代、平民に法など適応される筈がございません。貴方もご存知なはずです、皆、お金に目が無いのですから。きっとこの事件も藪の中に葬られましょう。
それでも、シャーロックホームズよろしく主人公気取りで登場した貴方はこの事件を解決すると云いなさるのでしょうか?」

対して、花倉は微笑を浮かべながら
「奇遇ですね、私もあの本は多少は読みました。そんな貴方ならよくご存知でしょう……探偵の探偵たる所以は、不明と偽装を明かし、真実を求めんとすること。主人公気取りかはさておき……もしこの場にそれらがあるのなら、解き明かすのが私です」
と応じる。
「…。……っふふふ。」
景平の、微笑みのまま向けられた視線は好奇に溢れているだろう。
「では僕の目撃談でもお話致しましょうか。…ただの好奇心ですよ。この情報は限りなく今回の犯人に近づける要素の一つとなるでしょう。___」
隅の席にいつも座るのは居場所が中心にないからというわけではない。
この席に座ることで多くを見通せる場所だったからだった。その日の人の動き、所作に出る思惑や感情。決まった時間に訪れることでこの小さな社会の縮図を俯瞰することができたのだ。


「―――という一件があって、それから僕はセンセの助手になったわけです。」
ぱんと手を一度だけ叩き、熱中するがあまり顔をこちらへぐいぐいと寄せすぎた文士の頭を覚醒させた。

「はああああ、その後はどうなったんです?後生ですから聞かせてください!」
息を呑む展開とは言ったものだが本当に息を止めていたかのように大きく呼吸をする文士の青年。

「すべてを聞いたら、貴方は本に書いてしまうでしょう?」
その後のことを知っているのは僕とセンセだけでいい。
あの日、妙に目端の利く印象的な学生として僕を見出してくれた。

「景平殿~!君もいつかは暖簾分けして探偵業をやるのかい?その際には僕が君の話をぜひとも書くからな!」
「いえいえ、僕が探偵など・・・。センセと肩を並べるなんて烏滸がましい。
 しばらくは先生の下でお力になるよう頑張るつもりです。僕のような半端者の学生を傍に置いてくれるんだ、これほど優しい人はいないよ。」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「匡、君の番だ。」
センセが僕を呼んだ。僕の聴取の番がまわってきたのだ。
容疑者は食堂にて待機しており、順に目撃したことや昨晩から今朝にかけての行動を話していったのだろう。
聴取は体調が悪そうな不知火を優先しその後に屋久、軍人の二人、安居院家の双子…と最後に僕の聴取だった。
僕以外の客人の聴取が終わると菩陽さんが「念のため山桐の看病へ行きたい」と言った。それに対し不知火さんも「私も…」と手をあげた。食堂に残されたのは僕一人だった。

「俺たちが見張っておく」と巡査に言い、菩陽さん、不知火さんに軍人たちもついていった。
さも当然のように菩陽さんの後についていこうとした刹月さんに何か菩陽さんが耳打ちしていた。
その直後とても不安そうな様子で
「……ッ…じゃあ、何かあったら絶対に逃げてください。無理もしないこと。…もし、私が間に合わなかったら…軍人の方に頼ってください…。」
安居院家の二人についてはいつもくっついて行動していたのに、刹月さんは別方向に歩いて行った。

大方、僕以外の聴取をしてからまとめた情報について話し合いをしたいということだろう。
目新しい情報もないため「僕が主寝室へ行ったときにはすでに軍人のお二人がいて、物音を聞いてから他の方たちが下りてこられた状況です。」
と述べるとうんうんと僕の話を聞いたセンセはぱたんと紙束を閉じ、椅子から腰を上げた。
僕の聴取はすでに終わったということだ。

「センセはこの一件を殺人事件だと思っているのですか?」
視線を上げ、問いかけると
「…そうだよ。」
間髪入れずに返ってくる。
「やはり…そうでしたか。」

あの日のようだと思った。
僕はまた容疑者の一人となった。

「匡はすぐに殺人事件と気づいたんだね。さすが私の助手だ。」
「この程度、当然でしょう…。」
「他にも不知火菖蒲も殺人だと気づいていたようだがね。軍人二人は表情に何も出さないせいで読めなかった。」

「現場に行こう、君の見解を聞かせてくれ匡。」

花倉幸路が集めた情報の中でアリバイを示すものはこうだ。
・屋久春秋という不知火家の使用人は夜間は客室前の廊下に待機していたと証言した。
・早朝、山桐栃子が一階へ朝食の用意をしに降りるまでに誰も客室から出ていない。
・その後、一時間ほどたってから、ほぼ同じ時刻に軍人二人が一階へ下りて行った。
・騒ぎが起きるまでは安居院家の二人や不知火菖蒲も部屋から出てくるところを見ていない。

「――という情報が揃っている。この屋久という使用人の言葉を信じるとするならば…という前提はあるがね。」
書き起こした情報を手に違和感に僕は気づく。
『”あの人”はいつ一階に下りたのだろう?』と

センセは続ける。
「現在考えられる可能性としては
 夜間に屋久春秋が犯行に及んだ
 軍人二人の共謀
 女中 山桐栃子の単独犯
・・・といったあたりか。女中は幸い呼吸は安定しているようだ。」

「そして推測される死因だが―――

がたんと物音がした。
現場を見ていた警官も気づいたが些細な物音だった。

いつもなら、そのまま無視しておく程度の物音だったが、この館で殺人が起きたことを考えるとまた何か起きているのではないかと思うのが当然だろう。
「巡査殿、ここは任せました!匡…あちらには何がある?」
花倉は寝室を出て北側に続く廊下を指さす。
「確か、風呂と蔵です」

「そうか・・・きっと暗号の指し示す場所だな。」
「センセは解けたのですか?」

「ああ。蔵に行こう。」
そう言ってセンセと僕は急ぎ足で廊下を進み蔵へ入る。

薄暗く外気よりもひんやりとした蔵の中。その隅には物をどけた痕跡があり、地下へ続く床板がどけられていた。

目を凝らしながらその地下へと続く階段を覗き見ると誰かが倒れている。

胸元で茶封筒を握りしめている。よほど重要なものなのか拳が真っ白になるほど強く握っているようだ。
顔が良く見えず一歩一歩急ぎながらも踏み外さないよう階下へと歩みを進めると―――

真っ青な顔で浅い呼吸を繰り返す安居院刹月が倒れていた。


――4話終了――
過去エピソード提供のご協力
犬山様、lusu様
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