このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

最終話(後日談)


【とある記者の記録Ⅱ】

事件後も彼女はあの館に残っていたと聞いた。
以下は花倉氏から聞いた話である。


当然行く宛てもない。生きる術はあったかもしれないが、こんな殺人事件の館の女中だった者を誰が雇うというのだろうか。犯人だと言われたり、怪しい実験の助手だと言われるに違いない。

春を迎えたとある日、栃子は割れた窓ガラスの補修をしていた。このままだと春の冷たい雨が降り込み館が痛んでしまう。幸い主人が遺した金はあったから、明日にでも修理を頼みに行こう。
そう思い、応急処置をしていた。

――その時、通りを大声でなにか叫ぶ声が聞こえ振り返る。
額に衝撃を覚え、目の前を火花が散ったかのように思えた。

「いっ・・・・」
悪戯で投げ込まれた石が彼女の額を直撃した。
ぐわんと頭が揺さぶられる感覚。咄嗟に額を押さえた手を見るとべったりと血が付いていた。
幸い傷は深くなかったため、その場にしゃがみ込み歩けるようになるまで待つしかなかった。助けを呼ぼうにもこの館にはもう彼女しかいなかった。

徐々に痛みが和らいできたが、いつの間にか雨が降り出し足元を血が混じった雨が染めていた。
春の雨は冷たく身に刺さるようなものだ。
早く、修理を―――そう思うもうまく足が踏み出せない。
立ち上がり様にふらりとよろめくと腕を取られた。

「貴女、まだここにいたんですね。」
花倉幸路だった

「・・・お見苦しいところを。」
そう言って今度は自分の足で姿勢を戻す。そのまま窓ガラスの応急処置を始めようと室内ではなく、割れた箇所へ向かおうとした。

これが彼女の仕事だと分かっていた。無理に引き止めることもできずに、傘をすっと差し出す花倉は彼女の背中に向かって話す。
「ひどい怪我だ。」

「ええ、悪戯が絶えません。これで、私の仕事がなくなることはないでしょう」
栃子も振り返ることなくガラスを片付けていた。

「もう、仕える主人もいないのに?」
ぴたりと栃子の手が止まる。

そして館を仰ぎ見るように視線を上へと向けた。
「ここが、この館が私の帰ることのできる唯一の家です。」

”幽霊屋敷” ”殺人の館” 人の気配がなく所々窓の割れた刺椿象館は正直に言って不気味そのものだ。ただこの少女はそれでも帰る家だと言った。

「今、助手がいなくて困っているんだ」
わざとらしく花倉は言った。
彼女も薄々は分かっている。この館も治安の関係から近々取り壊されることも。遺された金はあれど、この少女はきっと持て余し路頭に迷うことになるだろう。

「私は・・・私はどうすればいいのでしょう」
華奢な背中を縮こまらせ詰まるようにつぶやいた。

「そうだね、君が嫌でなければ事務所の雑用をお願いしたい。なに、次に働き口が見つかるまでの繋ぎとでも思ってくれればいいさ。」
こくりと頷く栃子に花倉は微笑む。

「ようこそ、花倉探偵事務所へ。新しい助手の栃子くん歓迎するよ。」

あの刺椿象館での事件後、多くを取材したが唯一救いとなったのはこの話だけであった。


若き女主人を自分の手で殺してしまった使用人とも面会を取り付けた。
やっと新たな情報を得られると高揚した気持ちで向かったが数日前に自殺したとだけ刑務官に告げられた。

彼は気が狂ったのか、自分の罪の大きさに耐えられなくなったのか…
屋久春秋も不知火菖蒲も帰らぬ人となった今さらに真相へ繋がる情報を得ることなど絶望的なものになってきていた。


【安居院家のその後Ⅰ】

その日、私は百貨店に買い物へ来ていた。あの館での一件以降やけに軍の監視がつくようになった。街に出れば、人ごみの中でも私たちをつけているのではないかと思うほど、行く先々で彼らと同じ服を纏った奴らが視界の端に嫌でもうつりこんでくる。

「考えすぎだよ。せつ。」
そんな時に物取りまで侵入したとあれば気が気ではないだろう。あきは気丈に振舞っているが、その横顔には疲れも見えていた。

本当に私たちが得ていいものだったのだろうか。
後悔に似た懐疑は日々ぐるぐると思考の中で渦巻いていた。

「あ!安居院家の・・・!」
そんな時に能天気に手を振って近づいてきた怪しい新聞記者。
手帳を取り出し、馴れ馴れしく笑いかけてくる。

「僕たちをつけるのはやめろよ!!」
珍しく激昂した刹月。今まで彼とはほとんど言葉を交わさなかった記者もこれには大層驚いた様子で言葉を失っていた。
「え、あぁ・・・すみません。ちょうど用事の帰りに偶然お見かけしただけですよ?」
今日は虫の居所が悪かったのかまた出直しますね~とだけ言い残し、刹月を危ない奴だなあといった目で記者は不躾な態度で去っていった。

「おい、どうしたんだよ。せつ・・・」
「すみ、ません。少し、気分が―――」
菩陽に何かあってはいけないと外出先でも気を張り詰め、家でも跡取りの騒動になりかねないため気を抜く時間などなかった。寝不足の状態が続き疲労は蓄積していった。
午前中に雨が降ったものの、昼前には天気も回復しまだ25度を超えるような暑さで気分も悪くなったのだろう。
「どこかで昼食でも取ろう。」
そう言って移動する。風が強い日だった。
そんな強風に巻き上げられた土埃が目に入る。

「―――っ。」
今日はとことん運が悪い。
「風、強いなあ・・・。」そう言って菩陽は目をこする刹月を気にかけていた。

涙がにじみ、瞳に入った異物が取り除かれると
「大丈夫か?せつ。」

その優しい表情もありありと疲れが滲んでいたが、

その後ろの人々

多くの雑踏を呑み込むような黒い陽炎のような”それ”

「せつ・・・?」

「あき・・・!!逃げてください!!」

気分転換に街へ出たことも

砂粒が目に入ったことも

それによって気づくのが遅れてしまったことも

すべて

すべて私が

――呪われていたせいだったんだ。

突き上げるように揺れる大地に、富の象徴ともいえる百貨店がぐにゃりと揺れる。
聞いたこともない大きな地響き。
大きな悲鳴と共に私ができることはただ一つだった。

菩陽の手を引き、走った。

呪いが今だけは彼を救える唯一の力であった。

黒い影が少ない方へ
菩陽に付きまとう黒い影が薄くなる方向へ―――

「ああ、これは・・・・」



呪いなんかじゃなかった
2/4ページ