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序章


「先生、こうもお誘いの手紙や先生の功績を称えるお手紙を毎回1行目だけ読んで燃やすには心苦しいものがあるのですが...。」

まだふくふくとしたあどけなさの残る血色の良い頬を焚火の熱気はさらに赤くさせた。一枚二枚と放り込まれる手紙。ごくありふれた手紙から成金好みの派手な封筒まで火にくべていった。

この時期を表す候の言葉で”春隣”などというものもあるようだが、まだ雪も降る日があり、厳しい寒さが続く。かすかな春の予兆は一日に畳の目ひとつ分日射しが伸びていることだろうか。

焚火の前に二人の姿があった。さきほどの少女はまた火にくべる手紙や封筒に手を伸ばす。もう一方はその当時にしては長身の女性。先生と呼ばれた女は鼻で笑う。

「まるで、蜜に集る虫だよ。金持ちも政府のお偉方もそんなもんさ。私利私欲に目がくらんで、欲を満たすために平気で他者を蹴落とす。BUSHIDOという尊きこの国の精神はどこへやらだ。」

「はあ、ですが...。私のような身ではこんな高価そうな紙を燃やすなど申し訳ない気持ちになります。」

「そうかね。それなら芋でも焼こう!そうしよう。」

人の気持ちに寄り添うことのない主人に女中である少女は肩を落とすこともなく、背中を見送ろうとした。

しかし次の封筒へと手を伸ばした時、政府の紋が入ったものを見つけ猫背気味に歩く主人を呼びとめた。

「先生、また軍から――」

「またあいつらか。あいつらは本当に面倒だ。治安の維持だとかで勝手に私の屋敷や診療所、研究室にまで上がりこむ!そのうちきっと法律までつくって取り締まるぞ。私は予言する!」

仕方ない...と苦虫を嚙みつぶしたような顔でその封を乱暴に切った。

「とうとう、新薬のことまで嗅ぎつけたか・・・」

どっかりとベランダで椅子に腰かけ思案に耽る主人をよそに女中は芋を焼き始めた。

ぼうっと虚空の一点に真っ黒な目を向ける。主人がこうなってしまっては梃子でも動かないことを知っていた。

気まぐれだがずば抜けた集中力がある。医学者としての才能や知識は同世代の者たちよりも頭ひとつ、いや二つ分以上飛び出していると学のない少女にも分かった。病人へは心無い言葉を投げかけることはあっても腕は確かだった。

上手く焼けた頃には陽も陰り、食べごろの温度になった芋を主人に差し出した。

「よし。」

芋を受け取ると、考えがまとまったのか主人は話し始めた。

「共同出資者を募るということで譲り先を決めよう。どいつもこいつも決定打に欠けるのが難点だった。

そこでだ!ここでひとつ謎解きの会を開き、謎を解いた者に譲るというのはどうだろう?」

名案だ、名案だと一人で感情が昂っているようでこちらの反応など聞いてもいないだろう。女中はこのままだと芋を喉に詰まらせそうだと温かい紅茶を差し出した。

「製薬会社のボンボン、頭脳明晰な深窓の令嬢、軍の狗ども、あと近頃の流行りか探偵だと名乗る奴らも呼んでやろう!これは楽しいぞ。宝を求めて人がいがみ合う姿など外野から見てる分には一番面白いのだ。」

それは愉快そうに長い足をバタつかせて喜ぶ姿は異常な様子だった。

「そうと決まったら、あと少しで完成する薬の最後の試験をしなければな。それが終わったら隠し場所の暗号を考えるぞ!招待状の用意もだな。ああ胸が高鳴るよ。」

「きっと賑やかで華やかな会になりますね。」

この屋敷は広いものの、訪れる客は病人ばかり。

そんな屋敷に知識や好奇心に溢れた若者が集まる。この人がそんなにも喜んでいるのは天才と呼ばれたこの人も寂しいのだろう。



「そうだ。火の始末の前に、これも燃やしておいてくれ。

  ―――お前、私が気づかないとでも思ったか?」

光をすべて吸い込んでしまいそうなほど真っ黒な瞳がこちらを覗き込んでいた。

さきほどまで子どものように無邪気に喜んでいた人とは思えない恐ろしい声色が脳を震わせた。

「・・・・・・。」

震える手で見覚えのあるその封筒を掴むと女中は全てをあきらめたように火の中へ投げ込んだ。

そんな一挙手一投足をじっと変化を見逃さないように観察する学者の黒い双眸が追っていた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



一週間ほどして4名の候補者を選んだ医学者は招待状を送った。

一通は郊外のいかにも金持ちの邸宅。

次は製薬会社の受付に。

三通目は軍部へ。

最後の一通は探偵を気取る者の事務所に。



招待状には―――

日脚伸ぶ立春の候、皆様におかれましてはますますご隆盛のこととお喜び申し上げます。

このたび問い合わせをいただいていました”新薬”の共同出資者を募ることになりました。

つきましては問い合わせいただいた皆様にお集まりいただき、ささやかな謎解きの会を催し出資者の選出を行いたく存じます。ご多用中誠に恐縮ではございますがご来臨の栄を賜りたく謹んでご案内申し上げます。

曲淵まがりぶちツバキ



――0話終了――


こぼれ話

少しこの時代のことを取り入れて書いたのでメモ

BUSHIDO…「武士道」1899年に刊行された新渡戸稲造による著書。原文は英語。日本人向けではなく西洋へ日本の武士道を欧米に紹介する目的で書かれている。

治安維持法…国体や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された日本の法律。 1925年(大正14年)に制定されている。
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