番外編
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○お守り
資料のコピーを頼まれたと思ったら、別の上司にお茶出しを頼まれてしまった。
仕方なく給湯室に向かい、人数分の湯呑みを用意して、急須に茶葉とお湯を淹れる。蓋をして蒸らしている間にこれからすべき業務の事を頭の中で整理する。
まずは、コピーをして、それから今日締め日の請求書を発行して、あと営業課の経費の精算もしなくてはいけない。それに伝票入力も……。考えるだけで嫌になってきた。そもそもこのお茶出しも嫌いなのである。緊張するし、お茶を置く順番も気をつけなきゃいけないし、あの一瞬でひどく気疲れする。初めてお茶出しをした時は緊張しすぎでめちゃくちゃ手が震えて湯呑みをカチャカチャ鳴らしてしまった。おかげでお客様に笑われてしまった。お茶を盛大にぶちまけなかっただけマシだけど。
もう数えきれないほどやって慣れたとはいえ、嫌なものは嫌である。気分が下がる中これからの業務内容にやることが多すぎて、にわかに焦燥感が募ってくる。あれもこれもしなくてはいけないと軽く混乱してしまうのは悪い癖だ。ふと視線を下にやって、制服の胸ポケットにさした万年筆が目に入る。
ドラルクに卒業祝いに貰った黒いきれいな万年筆。
それを見るとふっとさっきまでの焦りが消えていくのが分かる。ずっとお守りのように持っているこの万年筆は不思議と安心感を与えてくれる。
そうだ。焦ってもろくなことがない。やれることから一つ一つ片付けていこう。まずはお茶を出すことからだ。
ふう、と息を吐き、気持ちを切り替えると湯呑みに緑茶を注いだ。
●プレゼントの裏側
※『特別なあなたへ』の後日談
「おじゃまします。はぁー途中で雨降ってきちゃったよー」
「いらっしゃい花子。窓から見えてたよ。災難だったな」
ドラルクの城へ向かう最中、天気予報にない突然の雨に降られた。傘は折り畳みを念のためと鞄に入れておいたおかげでそれほど濡れずに済んだのが幸いだ。
「でもちゃんとおつかいはしてきたよ。頼まれてた大根と豆腐」
「ありがとう。みぞれ鍋をするのに主役が不在だったからね」
花子の手のビニール袋からは立派な大根が頭を覗かせている。ドラルクは外の様子を見て、花子が濡れてきても大丈夫なようにタオルを準備して迎えていた。
「濡れてないか?けっこう強く降ってただろう」
「うん、たぶんドラルクなら苦戦しそうな雨だったけど、そんなに濡れてないよ。大丈夫」
花子はそう言うがやはり所々濡れてしまっていた。ドラルクはタオルで彼女の肩や髪についた露を拭ってやる。折り畳みではどうしても防ぎきれない所もある。強い雨なら尚更だ。
ぽんぽんと肌触りの良いタオルで拭かれるままになっていた花子だが、ある一点に気づくと思わずそこに注視した。
ドラルクのシャツの袖に光る黒いカフスボタン。
きちんと付けてくれてるんだと花子はそわそわするような、それでいて嬉しいような、胸の奥にあかりが灯るような気持ちになる。
タオルの隙間から覗いた花子の視線にドラルクも気付く。何せじっと袖口を見ているのだ。
ー思い切り『嬉しい』と顔にかいてあるな。
その微笑ましさにドラルクも隠さず笑った。
気恥ずかしそうに花子がそこから目線を外す。
「プレゼントしたの、付けてくれてるんだね」
「ああ。せっかくくれたものだからな。付けないと花子がしょんぼり萎れても困るしね」
「萎れませんー。すぐそういうこと言うんだから」
一言余計だよね、と花子は唇をとがらせた。言いながらも本心ではないと分かっているだろう。なにせ彼女は分かりやすいのだから。
ある程度水気が取れたところで拭く作業から解放する。
「ありがとね」
「どういたしまして」
ドラルクはふと自身の袖が目に入って、思い出したことがあった。自分でも意地が悪いとは思うが花子の反応が見たくて、悟られないように努めていつも通りの表情を装いながら口にする。
「そういえば花子。異性にカフスボタンを贈る意味を知っているかい?」
「意味?そんなのあるの」
案の定、花子は知らないといったふうできょとんとしていた。それから花子はちょっと待ってと前置きしてからポケットからスマホを取り出してすいすいと操作し始める。その意味を調べているのだろう。調べるのにさほど時間はかからない。現に花子の顔はみるみる赤く染まり、心なしか震えているように見える。思った通りの反応にドラルクはようやく隠さずににんまりと笑みを浮かべた。
「いやあ、花子もなかなか情熱的だったのだな」
「や、ちょっ…!違う!違うから!知らなかっただけなの!」
「うんうん。照れなくてもいい。ほーら抱き締めてあげようか」
ドラルクが両手を広げて迎える体勢を取れば、花子は赤い顔を更に染めて、耐え難いとばかりにふるふると彼を睨み付けた。そんなかわいい顔してもちっとも怖くないのにね。ドラルクは声に出さずに思う。
「アホ!ドラルクの破廉恥高等吸血鬼!」
「ブエー!」
「ヌー!!」
花子の繰り出した、なかなかに勢いのあるチョップがドラルクの脳天にクリティカルヒットし、そのままドラルクはあえなく砂と化した。終始二人の様子を見守っていたジョンは主人が死に涙して駆けつけた。
「そんな意地悪言うなら大根おろすの手伝わないからね!」
「ごめんごめん。かわいいドラちゃんのいたずら心がついうずいてね」
「誰がかわいいか、砂おじさんめ」
すっかり再生したドラルクと肩に乗ったジョンを伴って、花子達はキッチンへと移動する。横に並ぶ花子の横顔はまだほんのりと赤い。なんて初でかわいいことだろう。照れ隠しで殺られてしまったが、ドラルクは見たかった反応が見れて満足する。
「でもいつでも抱っこしてあげるから言ってね」
「まだ言うか!」
減らない口はつぶしてやる!と花子はドラルクの頬を人差し指でつついた。今度は死なないように加減してくるあたり、花子も大概彼に甘い。間に割って入ってきたジョンが代わりに花子につつかれているのをドラルクは今日も平和だなと光に当てられたような温い気持ちで見ていた。
2021.12.11