続く日々も君とありたい
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「働くって大変なことだね」
だらしなくソファに寝転び、ぐたりとした花子は遠い目をして先の言葉をこぼした。
向かい側でゲームに興じていたドラルクはまた始まったかなと一瞥しただけで、再びプレイに集中する。
「きみ、それ毎週言ってないか」
「言ってな……いや、言ってるな。でも大事な事だから何度だって言うの!」
ぐうぐう唸りながらクッションに顔を埋めてぐだぐだと愚痴る花子のつむじを見る。
彼女は晴れて社会人になり、同時に社会の荒波に揉まれることとなった。学生の身分とは全く違う、賃金が発生する故の責任、社内のルール、朝の通勤電車の辛さ、歳の離れた上司との会話、エトセトラ。
学校とは勝手の違うそれに花子も例にもれず、社会人生活の厳しさに日々格闘するばかりである。
加えて、初めての一人暮らしというのも中々に大変な事も多かった。仕事終わりの家事の面倒さといったらなく、食事なんかは最初の内は頑張ってあれこれ手を尽くしていたが、今はネットの時短レシピとスーパーの割引お惣菜とすっかりお友達になっている。
働き出してからドラルクの元で食事をふるまわれた際に、今までに感じたことのない有り難さにちょっとばかし涙してしまった程である。
元々家事はする方ではあったので、勝手は分かっているが、働いてからこなすとなると話が別だ。これに子育てもやってる世のお母様方は偉すぎるなと花子はしみじみ思った。自分の母親も苦労したのだろうかと思いはしたが、基本放任されてたしなぁと思う。赤子や幼児の頃の記憶なんて無いが、その頃は手をかけられていたのかもしれない。あまり深く考えるのは自滅することと同じなので余計な事を思い付く前に思考停止した。
働き出して花子はドラルクの元へ遊びに行く回数は学生の頃より減りはしたが、週末になるとほぼ訪れてはいるので、それほど会ってないということはなかった。そもそもラインで平日も生存確認と称して連絡は取り合っているのでタイムラグはあまり感じない。
その日会社であった事や今日のご飯の写真やジョンのかわいさ溢れる写真など、いつも画面の中は賑やかだ。中でも毎日ドラルクから送られてくるジョンへの手料理の写真は花子にとっては飯テロでしかなかった。労働からくる疲労でくさくさした心には嫌がらせかな?と思いつつも、週末ドラルクに作ってもらおうとリクエストを考えるのは楽しみでもあった。あとジョンがおいしそうにご飯を食べる写真や動画は荒れた花子の心を癒してくれる薬でもあったので結果オーライである。
週末が来たら待ってましたとばかりに怒涛のオーダーが来るので『花子の食事への執念がすごい』とはドラルクの言葉である。それもこれもドラルクの料理がうまいのがいけない。一人暮らしには刺さりすぎるのだ。
「ドラルクが出張してくれればなぁ。かわいいアルマジロ付きのお手伝いさん。最高じゃない?」
「花子の収入ではとても私達は雇えないな」
「このやろー。お高く止まりやがってー」
「何を言う。私は高等吸血鬼だぞ。ーそうだな、いっそ城に住めばいいんじゃないか」
ドラルクはさらりと言いのける。花子はクッションから顔を上げてじっと吸血鬼の顔を見た。相変わらずゲーム画面に注力しているままで表情に変化がない。本気とも冗談とも取れる気がした。花子も、うーんと唸って考えてみる。
「駄目だ。ここからは会社が遠すぎる」
「ふむ。それは残念だなあ」
「本当に残念がすぎるよ。一緒にここに住めたら毎日すごく楽しいだろうにね」
がち。
ボタンを押す指に力が入って、操作していたキャラが化け物にやられてしまった。ゲームオーバー。悲壮感溢れる音楽に無情なテロップが画面に映し出されて、深く、深く息を吐き出した。
「……きみって本当そういう所あるよな」
「え?何が?」
「無自覚ってこわい」
花子の放り投げた爆弾にしっかり被弾しつつも、それが自分の発言から始まったせいだということはひとまず無視をすることにする。
まだ、惜しい惜しいとうわ言のように呟き、足をばたつかせている花子を見て、ゲームをするのを中断することにした。
聞くところによると花子の職場はパワハラやモラハラが横行するような会社ではないし、所謂ブラック企業というやつでもないそうだ。慣れない仕事に四苦八苦してはいるが、花子もここなら続けられそうとほっとしたように言っていた。
なので、何か彼女にあったのではなく、単に疲れてしまっているだけなのだ。それはそれで厄介ではあるのだが。
「うう……誰かちゃんと起きて働いて家事もして、えらーいって言ってほしい。甘やかしてほしいー」
ついにはこんな事まで言い出した。
誰かってここには私とジョンしかいないではないかと心の中でドラルクはつっこんだ。口にしないのはまだ様子を窺っているからである。すると、ジョンが気を使ったのかソファに寝転ぶ花子の傍へ駆け寄ると、丸い小さな手で花子の頭をよしよしと撫でた。
「ヌンヌ、ヌンヌ」
「ジョン!慰めてくれてるの!?うわーん、ありがとう。優しい……浄化される……泣きそう」
心底嬉しそうにジョンの慰めを受け入れている。願いが叶って良かったなとその光景を眺めていたら、なぜか花子がちらりとこちらを見ている。
「……何だその視線は」
無視して尚もちらちらと見てくる。何ならジョンまでもがドラルクの方を見やっている。
これはもしかしなくともそういうことか。やれと。要求されているのか。
はあ、とため息を一つこぼしてから立ち上がる。
花子の所へ行き、膝を付いて屈んでやった。
「花子はちゃんと全部がんばって偉いな」
彼女の丸い頭に手を乗せて、ぽんぽんと撫でてやる。
そのままくしゃりと髪の毛に指を通せばやわらかい毛がドラルクの指の間をくすぐった。
目を丸くして驚く花子にドラルクも満更でもない気持ちになった。
偉いと思っているのは本心だ。花子にしてほしいと願われたから言った訳ではない。学校を卒業して、家を出て、慣れない仕事に一人暮らしにと本当によく頑張っていると思う。それが充分に伝わったのか、ぽぽっと花子の顔に熱が灯る。
「い、いざ面と向かってやられると照れる……」
「やれと言ったのは花子だろう」
「そうだけど!」
頬を染め、恥ずかしがってはいるが花子も嬉しそうだった。彼女は褒められるのに慣れていない。だが、その分とてもいい反応をしてくれるので、そこがかわいらしいなとドラルクは思う。面と向かって言いはしないが。
しばらく撫でていると、羞恥心が薄れてきたのかされるがままに、むしろ気持ち良さそうに撫でられるのを受け入れている。
どうかそんな顔を他の奴に向けないでほしい。
ふと顔を出した欲にまだ出てくるべきではないと、奥へ押し込める。まだ、もう少しこのままでいたいと願ってしまう。
「どうだ、少しは満足したか」
「うん。また明後日からがんばれそうだよ」
花子の勤務体制は平日5日勤務の週休2日制である。
ちなみに今日は土曜日で、日曜日の夕方放送の国民的アニメが始まると一気に憂鬱な気分になるらしい。
「ああ……でも明日が来てまたすぐに月曜の奴がやって来る……」
「言ってる傍から落ち込むな!」
「ヌンヌーン」
「うえーん!やだー!ジョンお腹もふらせてー!」
わさわさとジョンの白い腹毛をさわる花子。
これも大人になったということなのか、とドラルクは花子の情緒に感慨深いようなそうでないような複雑な気持ちになった。
せめて、花子のリクエストしてきたオムライスでも作ってやろうと、ドラルクは今晩の献立を考えた。
その日の夕食に出したオムライスにドラルク本人曰く、ジョンの大変愛らしい絵をケチャップで描いたというのに、花子が『前衛的すぎて逆に芸術かもしれない』と茶化してきたのでその脳天にチョップをかましてやった。
2021.11.20
お題 インスタントカフェ