続く日々も君とありたい
名前設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「無事に卒業したよ、ドラルク」
いつも以上にぴしっと皺一つないブラウスにプリーツのスカートが揺れる。この制服姿を見られるのも今日が最後なのだと思うと感慨深いような気がした。
ドラルクの生の内、ほんの一部とはいえ、時の流れとは早いものだと実感する。
「留年しないでよかったねえ」
「私けっこう真面目なんだから、余裕だよ」
ふふん、と得意気にしている彼女のブレザーの胸元には小さな花束が刺さっている。卒業生を見送るためにつけられたものだろう。花子が来たことによって思いがけず春の訪れを感じる。
「ジョン、見て見て。紅白まんじゅう貰ったんだよ。後で一緒に食べようね」
「ヌー!」
ジョンにまんじゅうや卒業証書を見せている花子の顔はとても晴れやかだ。まあ、めでたいことには変わりないだろうが彼女の場合は他人とは違う所もあるだろう。
高校を卒業した花子は大学へ進学せずに就職する。あの家を出て、一人暮らしを始めるらしい。
*****
「きみ、大学へは行かないのか?」
卒業式を迎えるずっと前。
花子はいつもの通り遊びに訪問して、その時はドラルクとゲームをしていた。よく遊びに来るので受験勉強はしなくて良いのかと心配したのもあっての質問だった。画面に釘付けの花子はドラルクの方を見ずに「そうだよ」と簡潔に答えた。とりあえず受験生ではないらしい。
「てっきり美術系の大学にでも行くのかと思っていたが」
「絵は本当に趣味で描いてるだけだからね。仕事にする気はないし、それで好きなものを嫌いにはなりたくないから」
安定した仕事につきたいしね、と続けて花子は掛け声と共に技を繰り出す。が、ドラルクはいとも簡単にそれを避けて見せる。隣から悔しそうな唸り声が聞こえた。ちなみに今は格闘ゲームで対戦している最中である。
「じゃあ就職するのかい?」
「うん。実はもう就職先決まってるんだよね」
「はあ!?いつの間に!」
「面接は少し前にしたんだけど、内定のお知らせがつい最近来たんだよ。私も春からOLさー」
「そういうことはもっと早く教えてくれ……」
ごめんごめん。と全く悪びれることのない謝罪がきたので、腹立ち紛れに花子の操作している熊のキャラにエグいコンボを叩きこんでやった。一気に体力ゲージが空になり、熊はあえなく地面に沈んだ。お返しだと変な顔で煽ると花子は悔しそうに歯噛みした。
「なんで就職したかったの」
2回戦が始まって、しばらくその試合に熱中していたがふいにドラルクが問いかけた。ずっと頭の片隅にあったことだった。進学しないで、就職すること自体はさして珍しくもない。しかし、花子の場合は何か深い事情があるような気がした。家が裕福ではない訳ではない、ということくらいは検討がついている。
これまでの花子からぽつりぽつりと出てきていた言葉から引っ掛かりはあったのだ。
なんとなく聞くなら今かもしれない。ドラルクはそう思った。
ドラルクがまた華麗に技を決めた所で勝負はついた。WIN、LOSE。二つの言葉がお互いのキャラに貼り付いている。
「きっと、聞いてもおもしろくないよ」
私の家族の話。
テレビから流れる勝利のBGMがやけに耳についた。
*****
花子の家はどこにであるような家族構成だった。
母は専業主婦、父はわりと大きな企業に勤めていて、子どもは花子の一人っ子。青い屋根の一軒家に住んでいて、三食ご飯も食べられて、きれいな服も寝床もある。
なに不自由のない生活。
ただ一つだけないものがあった。
それは裕福であること関係なしに多くの人が持ちうる幸福。
家族の愛情だけがそこにはなかった。
両親がそもそも会社の関係でお見合いをし、特に好きなわけでもなく、利害の一致のみで結婚したようなものだった。そこで世間体の為だけのように、一人子どもができ、後はろくに愛情もかけられず、ただ世話をされているだけといった調子であった。
結婚もした、家族もできた、さあ、世の皆様方これで満足でしょう。そう言わんばかりに。
花子に対して両親は無関心だった。
甘えても反抗しても何をしても彼らには響かない。
無視と無関心は似てるようで違うと花子は言う。無視は悪意があってすることだけれど、無関心は全くその人に興味がわかない。嫌悪感や悪意すらわかない。
花子の両親は確かに彼女のことを不自由なく育てた。でも好きだからとか大切だからだとか、そういう尊い慈しみの気持ちをがあってのことではなかった。ただ、世間一般的な、法が定める義務によって施されているにすぎない。
「両親には感謝してる。暴力ふるわれたりしなかったし、学校にも行けたし、生活面で困ることはなかった。ーでも、私はいつでも孤独だった」
環境のせいか、彼女の生来の人見知りの気質のせいか、はたまたその両方もあって友人関係も希薄だった。そういえば花子がぽろりと友人はいないと言っていた。ドラルクは初めて会った時とてもそんな風には見えなかったのでそう言えば、花子は「なんでかな。自分でもよく分からないけど大丈夫だって思ったんだよね」とはにかんだ。
そんな花子の慰めになったのが絵を描くことだった。集中して描いていると周りの事は忘れられる。描けば描くほど答えるように上達するのも嬉しかった。例えそれが自己満足だとしても。楽しくて仕方なかった。
「だから、私初めてドラルクに会った時にね、絵を褒められて嬉しかったの」
誰かに認められることが。褒めてくれることが。
これほどまで心を震わせることだったなんて知らなかった。今まで与えられたことのない感情だ。
ドラルクも彼女との出会いを思い出す。
あの時、確かに花子はとても嬉しそうにしていた。
そうか、だから、きみは。
彼女の話を聞いていくほどにパチリパチリとパズルのピースがはまっていくような気がした。ドラルクが料理をふるまった時も、らくがきのような絵を大事そうにしまっていた時も、ほめたり叱ったり心配したり、一つ一つ些細な出来事でも。花子にとっては特別な事だったのだ。
隣に座る彼女が急に自分より柔くて脆い生き物のように見えた。少し、うつむいた顔からは寂しさの影がふつふつとにじんでいる。
なんとか振り払ってやりたくて咄嗟に花子の手をとった。確かめるように、やわらかい自分より小さな手を握る。
そんな顔をしてほしくはない。花子には似合わない。いつもみたいにばかみたいに明るく、眩しい程に笑っていてほしい。そういう想いを含めて、やさしく力を込めた。
「まだ、きみは寂しいか」
ジョンも気づけば花子の膝に登ってきていた。心配そうに鳴いている。それを見て、はっとしたようにドラルクを見やる。大きな丸い瞳には一人と一匹が映っていた。
きれいな瞳だな、と思った。
彼女のご両親は知らないのだろうか。うつくしい瞳を持ち、少し抜けているが真面目で、素直で、こんなにもいとおしいと思える彼女のことを。
なんてもったいないことなのだろう。
やがて、花子はゆっくりと頭を振る。明確な否定だった。
片方はドラルクの手を、もう片方の手をジョンの小さな前足をぎゅっと握った。
「全然。もう、寂しくないよ」
固いものがほどけていくように花子はやわらかく笑う。先程まで纏わりついていた影はもうどこかへ消えていったようだ。
「それは良かった」
「ヌヌン!」
彼女の親は彼女を愛してはくれなかった。
でも、その代わりに一人と一匹に出会うことができた。そしてかけがえのない存在となった。
それだけで花子は救われたのだ。
*****
つまるところ、花子はそんな家から早く出て行きたかったのだ。だから進学よりも就職を選んだ。もとより花子自身も特に学びたい事が無かったので都合は良かったらしい。
彼女が就職すると決めた時も両親は反対しなかった。
そうか。わかった。
概ね両人こんな感じの反応であっさりしたものだったのだが、花子は下手に反対されずに良かったと思っていた。まあ、興味がないから反対されるわけもないのだが。
そうして、無事に内定も貰え、一人暮らしの家も決まり、着々と準備は進み、卒業式を迎えた。
これから花子は慣れない仕事に、生活に、戸惑うことも苦労することもあるだろう。
でも、これから先、彼女にはたくさん楽しい事があるといい。孤独を、寂しさを必要以上に感じてしまった分。それらを軽く超えるくらいに。
彼女が始めてしっかりと自らの口から心の内にある深い悲しみを吐露した時。その頃から思っていたことだ。そして、そこにはドラルクとジョンも傍で出来得る限り見守っていければいいと願っている。
ジョンと卒業証書授与式ごっこをしていた花子を呼ぶ。振り返った彼女の手にラッピングされた小さな箱を手渡した。驚きに見開かれた眼がドラルクと箱を忙しなく見ている。
「え、何これ」
「卒業祝いだよ」
「うそ、本当?開けてもいい?」
「もちろん」
丁寧に包装紙をはがす。現れた細長い小さな箱を開けると中には万年筆が入っていた。黒い艶やかな軸に、キャップの中に隠れた金色のペン先は細かな装飾が施されていた。
「すごい……きれいな万年筆」
「そういうのなら仕事に使いやすいだろう。まあ、始めて勤めることだし、きみ、人見知りもするらしいから気苦労も多いだろう。だから何か馴染みの物があった方が少しでも安心するかなと……」
ドラルクは自分でも何を言っているのかと完全に着地点を見失っていた。最後の方は尻すぼみになったが、肝心の花子の反応はというと、とても嬉しそうに万年筆を見つめていた。愛しいものを見るような、そういう喜びが表情に滲んで表れていた。
言葉でお礼を言われるより、もう先に貰ったようなものだ。
「ありがとう。ドラルク。大事にするね」
「……筆記具だから使わないと意味がないぞ」
「ふふ、もちろん使うよ。大事に、使う」
慎重に箱の蓋を戻して、丁寧に鞄の中へとしまった。
ドラルクの肩に登っていたジョンが喜んでくれて良かったねという顔をしていたので、頬を指でつついてやった。
「さ、そろそろ食事にしよう。今日は花子の門出の祝いだからね。きみの好きなものをたくさん作ったよ」
「やった!唐揚げある?」
「もちろん。だし巻き玉子もポテトサラダもあるよ」
「さすがドラルク!有り難き幸せー」
「まったく感謝したまえよ。ほら、冷めないうちに早く行くよ」
二人と一匹が廊下を歩く。
明るくみずみずしい銀色の光が歩く先を照らしていた。
2021.11.14
お題 afaik