暮らすことと生きること
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良くない知らせと言うものはいつも突然やってくる。
勤めていた会社がある日、本当に何の前触れもなく倒産した。会長や社長なんかは夜逃げ当然に雲隠れして、残された上司たちが半狂乱になりながらあってないような事後処理に追われていた。かくいう私たち平社員は紙切れ一枚口頭ひとつ。ただ会社が潰れた。よって解散ご苦労様でした。とただそれだけを告げられてぺいっと私物が詰まったダンボールと共にビルから放り出された。世は無情なのである。ところで数年間働いてきた分の退職金やらは出るんだろうか。
お偉方許すまじ。
と、秘かにーいや明らかに憎しみを滲ませながら中華街の近くの公園にて買ってきた点心をひたすら食べる。やけ食いである。やり場のない怒りと空腹に耐えかねて気づけばふらふらと中華街を訪れていた。晴れて無職となったので昼間からビールだって飲んでしまうのだ。縛りがないってすばらしいね。いや何にも良くないわ。
「ずいぶんとまあ、よく召し上がられるのですね。その体のどこに入るのでしょうか」
いきなり自分の隣からやけにいい声が聞こえて反射的にそちらを見ればアジア系のイケメンがにこやかに頬杖をついて座っていた。顔の次にその見事なシルバーアッシュの頭髪に目がいく。全身黒ずくめだからか余計に銀髪がきらきらと目立っていた。本来、爆食していたというのを人に見られていて恥じるところかもしれないが、大きなものを失った後では最早何とも思わなかった。ただ何故そんな女に話しかけてきたのかという怪しさは感じるが。怪訝そうな私を気にせず肉まんならあそこの店がうまいだのなんだの彼が話を続けているので、私も変だと思いつつ適当にふんふんと相槌をしながらフカヒレまんを食べ進める。奮発して買ったちょっとお高いやつである。
「……なぜ、何も聞かずに黙々と食べているのです」
痺れを切らしたのか話題が尽きたのか向こうから訊ねてきた。
「だって冷めたらおいしさ半減してしまいますし……」
正直な気持ちを目の前のイケメンに吐露する。だって熱いものは熱い内に頂かないと。おいしいものをベストな状態で食べるのは作った人への礼儀でもあるのだ。
「おかしいとか変だとか、あなたに警戒心はないのですか?」
「さすがに変だとは思ってますけど食欲の方が勝ってしまいまして」
食へのポリシーを差し引いてたとして、そもそも今の私はリストラ直後で普通の精神ではない。妙に肚がすわってしまっているのだ。
私の返答を聞いてあからさまにため息をつかれる。初対面のイケメンに呆れられてしまった。そしてそんな中でもフカヒレまんを無事に完食した私は次のごま団子に手を伸ばす。
「食べながらでいいので聞いてください」
「はい。なんでしょうか」
もう無視をすることに決めたのか食べるのを止めろとは言わなかった。私はありがたいと返事をしつつ、ごま団子のおいしさに内心感動していた。もっと買ってくればよかったと考えていたのがバレたのか「ちゃんと聞いてください」と怒られた。謝りつつ最初のにこにこ爽やか笑顔の仮面は一瞬だったなと思ったのだがまた怒られるので真剣に聞く体制をとる。団子は食べているが。
「単刀直入に言います。うちで働きませんか?」
思ってもみない申し出だった。
てっきり怪しい壺や幸運をうたう数珠なんかを買わされるのかと思っていたからだ。
「なに、以前あなたが働いていた所と仕事内容はそう変わらないですから」
「ま、待ってください!働いてた所って、なんでそんなこと知って……」
「あなたのことは充分に知っていますよ。山田花子さん」
さっきの笑顔の仮面が復活した。
ぺらぺらと男は私の勤めていた会社や仕事のこと(私はあそこでプログラマーをしていた)、先ほど会社が倒産して職を失ったことなんかを見事に語ってくれた。
ついでと言わんばかりに会社が潰れた原因やこのままだとおそらく退職金も支払われないだろうという最悪な情報まで教えてくれる。どうしてそんなに詳しいのかという疑問よりも先に怒りが湧いてくる。まじでふざけんなあの会社!
「私どものボスが山田さんのことをいたく買っておられるのでね。給料も前の会社よりとても良いですよ」
決して悪くない話ではないですか。
断る理由がないと言わんばかりに男は言う。いや、こんなに調べあげられている時点で彼らは只者ではないということが分かる。絶対に平時ならば関わらないし、そうですかけっこうです、はいさよならと逃げていたはずだ。しかしこちらはなにより無職である。こつこつ積み立てていたはずの退職金が消えてしまったという事実。今後の生活は?果たしてこの就職難にそう早くに仕事が見つかるのか……。考えるだけで気分が悪くなる。極めつけは倒産リストラの衝撃から抜けきれてない精神状態。まともであるはずがなかったのだ。
「……お給金はどのくらいで?」
ぐるぐると渦巻く思考の中、やっとの思いで開いた口から出たのはそんな言葉だった。
かくして私の危機管理機能はあっさりと壊れてしまったのであった。
*****
「………お、終わった~」
ディスプレイから目を離し、豪快に伸びをする。ぼきばきと肩甲骨と肩からひどい音がして、身体が悲鳴をあげているのが分かる。
「おつかれー。なんとか終わってよかったねー」
すぐ近くで同じ仕事をこなしていた同僚のシンさんが労いの言葉をかけてくれる。そういう彼の顔も疲れがたっぷりと滲み出ていた。
「お疲れさまです。いや、ほんと今回もなかなかにきつかったですね」
「いつものことだよ。花子さんも慣れてるでしょ」
「慣れたくはないですけど。まぁさすがに勤めて長くなってきましたからねー」
あの怪しすぎる勧誘から幾年。
今思えば正気の沙汰とは思えないが、私はあの男の誘いを受け、今の職場で働いている。確かに給料は良かった。だがまさか勤め先があのコミジュルだとは誰が思うだろうか。異人町で暮らす人達でこの名前を知らない人はいない。肉の壁と呼ばれる三竦みのうちのひとつ。誰も全容を把握していない謎の組織。なんてあることないこと世間一般ではいろいろな噂が囁かれていたものだが、まさか自分がその中に入るなんて思わなかった。なぜ、自分のような者が引き入れられたかというと、コミジュルには異人町に張り巡らされた監視システムがある。この情報の目玉こそが彼らの武器。もちろん大規模なシステムなので管理をしている人達がいるのだが、その内の一人がいなくなってしまい、早急に人員を確保せねばとそこそこできそうな私に白羽の矢が立ったそうな。ちなみにその『いなくなった』人について何で辞めてしまったのか尋ねたら聞かない方が良いと笑顔で黙殺された。恐ろしい。
さて、察しの良い方はお分かりだと思うがそのコミジュルの肝とも呼ばれる監視の目を披露された時点で私に断るという権利は無くなった。この誘いを断れば件の失踪した人と同じ末路になるのは目に見えている。イエスorはい。どちらにせよ、ここに連れて来られたということは了承したも同然で、私は首を縦に振るしか選択肢はなかったのだ。まあ、いざ入ってしまえばたまに訪れるトンデモ激務が辛いが至って平和である。仕事内容は平和的ではなかったが。
一般的なシステム管理の他、特定の人物の洗いだし、弱味、動向の監視諸々その他。どこが以前の職場と仕事内容は変わらない、だ。非合法のオンパレードである。私がまさかアングラな世界に足を踏み入れるとは思わなかった。遥か昔、ケーキ屋さんになりたいと純粋に夢を書いていた子どもの頃の自分が現状を見たら泡を吹いて倒れるに違いない。
幼き私よ。夢とは違いますが、それでも今なんとか死なずに働いてご飯食べられてますよ。
最終チェックを済ませてデスクの引き出しにしまったおやつたちの中からチョコチップクッキーを取り出した。前の職場でもそうだが仕事が忙しいとどうしてもお腹が空いたり糖分が足りなくなる。だからいつもお菓子を引き出しの中に常備していた。シンさんにも個包装のそれをおすそわけして、一口かじる。甘くほろほろとくずれてとてもおいしい。
「しばらくは作業ないですかね」
「どうだろう。明確なスケジュールってやつが無い仕事だからね」
「ですねー。平和な時間が続くのを祈ります」
シンさんとなんかフラグっぽいね。アハハ。なんて呑気にクッキーを食べていたら「まったくそうですね。私もそう願っていますよ」と背後から相変わらずの良い声が割り込んできて危うくクッキーが気管に入るところだった。
「…げほっ、じゅ、ジュンギさん……。背後から音もなく現れないでください」
「おや、消していたつもりはないのですが。申し訳ありません」
私をこの道に連れてきた張本人、ハン・ジュンギがいつの間にか後ろに立っていた。いやまったく気配感じなかったんだが。聞けば彼はコミジュルで諜報活動やヒットマンとしても暗躍していると聞いた。現実にそんな暗殺者だなんて嘘でしょうと思ったが誰も否定しなかったので、ああマジなやつなんだなと察したのだった。そもそも始末しろだの消せだのが日常会話のように飛び交う場所だ。件の管理担当者が消えたの然り、アングラな世界に足をつっこんでしまった以上慣れるしかない。そして自分が消される側にならないよう精一杯自分の仕事をこなすのみである。
私の動揺なんて意に介さず、ジュンギさんは持っていた紙袋からごそごそと何か取り出した。大変嫌な予感がする。
「お疲れさまです。こちら差し入れです。どうぞお召し上がりください」
すっとスマートに差し出されたのは某有名高級ホテルが販売している焼き菓子の詰め合わせだった。それをわなわなと震える手で受けとる。
「た、大変ですよシンさん!高級おみや案件が発生しました!!」
「なんだって!」
高級おみや案件とは。
元々私たちのボス、上司であるソンヒさんはよくお菓子とか食べ物なんかを差し入れしてくれていた。それがいつしかその差し入れのグレードが高くなるにつれ、難しい、困難な仕事の指令がくるようになったのだ。要はまあ、これやるからしっかり励めよということである。ソンヒさんの差し入れセンス良いからめちゃくちゃおいしいんだけども。
包装紙の上に乗せられていた指令書を緊張で固くなる指でぱらぱらと捲り確認する。読み進めるにつれ顔色が悪くなる気がした。私の横にきたシンさんが他人事のように「わあ、これまた大変そうねー」とちゃっかり包装紙を破いた菓子折りの箱を手に持ちながら言う。
「さっきようやく別の終わらせたとこなんですけど」
「ええ、存じています。しかしこちらもとても大切な案件です。あなた方ならば決して適当な働きはしないとソンヒも信用してまかせているのですよ」
ソンヒさんはきつい仕事を度々持ってくるが、それは私たちのことをきちんと信頼して見てくれているからだ。特に私なんか余所者であるのにそんなこと関係なくソンヒさんは技術も人としても私の事を認めてくれている。それに応えたいというのは自然なことで、何より仕事はきちんとやりとげなければ。生死を抜きにしても。
「とても光栄に思ってますよ。しっかりやらせて頂きます」
「はい。よろしくお願いしますね」
それでは私は、これで。
背を向けて部屋から出ていこうとする彼を呼び止める。先ほど頂いた菓子箱から3つほど焼き菓子を見繕ってジュンギさんに手渡した。
「……これは花子さん達への差し入れですよ」
「いいじゃないですか。たくさんあるんです。それにソンヒさんもジュンギさんのこと労ってると思いますよ」
おいしいものはみんなで食べた方がおいしいんです。
きっぱり言いきるように続ければジュンギさんは目を丸くさせて、それからゆるりと口元を緩ませると「ありがとうございます」と礼を言った。こういう表情を見せる時、彼はなんだか幼くかわいらしく見える。いつもそうして自然に笑ってくれればなぁと思ったが口には出さない。どんな反撃が来るか分からないからな。
「今度こそ私はこれで。皆さま頑張って下さいね」
「はーい」
「伸ばして返事をしない」
最後の最後にぴしゃりと叱られてからジュンギさんは部屋を後にした。ちぇっと心の中で悪態をついてデスク前に戻ったら、横でシンさんがにまにまと笑っている。
「なんですかその顔」
「んふふ、いやあ、別に?何でもないよ」
「含みのある言い方!」
ふふふ、と意味深な笑いをしながらシンさんも自分のデスクに帰っていく。納得はいかないが仕事に戻らねばならない。とりあえずと頂いたお菓子の中からフィナンシェをひとつ拝借し、食べながらまた画面を注視する。一級品のお菓子はとてもおいしかったのは言うまでもなかった。
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