おしゃべりは金
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「いやあ、不健全やわ~」
いきつけの喫茶店。
煙草の煙やなんやらで黄ばんだ壁紙に囲われた店の奥の席。そこがいつも2人で座る場所だ。やたらごてっとした古めかしいソファ席に腰を据えて、350円のそこそこの味のホットコーヒーを啜っていると花子がぽつりとこぼした。
「何がや」
「そらあ、侘助を取り巻くいろいろとやん」
そういう花子は体に悪そうな毒々しい緑色のクリームソーダを飲んどるというのに。それはええんやろうか。まあ、つっこむんはめんどいから置いといて。
花子の言う色々とは俺の今の職場のことを言っているのだろう。底辺中の底辺の週刊誌の編集記者で、人の弱みや苦労を飯のタネにして俺は生きている。ヤニと人間のどす黒い感情にまみれて仕事をしている現状を花子は多分よく思っていない。そう考えたのだが、その割には本人はけろりとした顔をしとるし、不健全だといった口は説教や嗜める言葉を吐くことはなかった。
「辞めろ言うんか」
汲み取れという顔をしてないが、とりあえずそう問いかけてみた。
「言うてないし。決めるんは侘助やろ」
「ほんなら、さっきの不健全云々は何やねん」
「別に。ただの感想」
そう言って花子は緑の水溜まりに沈みかけたバニラアイスをつつきだす。口火を切った割に話を広げることもなく、あっさりと言葉のラリーは終わる。結局、何だったのか。まあ、こいつが意味のない事を言い出すのは珍しくはないので、今回も特に深くは考えてはいないのだろう。
真剣な表情でアイスを掬っては口に運ぶ。その作業をなんとはなしにじっと見ていたら、手を止めてこちらを見上げた。それから自身のグラスと俺の顔を交互に見ると、おもむろにアイスの端に乗っかっていたさくらんぼを摘まんでこちらに差し出してきた。
「しゃあないな。これ欲しいんやろ」
「全然違うし。さくらんぼなんかいらんわ」
やたら自信満々に言うけど的はずれもいいところである。
「なんかとはなんや!あとこれはチェリーです」
「どっちでもええわ」
いらんと断っているのに花子はぐいぐいとさくらんぼを押し付けてくる。軸を持ってぶらぶらさせるものだから、釣り針に付けた餌のように見える。
「ええやん。特別にあげる言うてんねんから」
特別。
そういえば花子は昔から好きなものは最後まで取っておくタイプだったのを思い出す。ショートケーキのイチゴとか、弁当に入ってた玉子焼きとか。
クリームソーダに乗ってる安っぽい赤色のさくらんぼとか。
その、好きを上げる対象に自分が入っていることがガラにもなく嬉しいと感じてしまう。普段汚い所で鬱々と仕事をしているせいだ。こいつと居ると自分も少しはマシな人間に戻れるような気がしてしまう。
……いや、ほんまにらしくもないな。しょうもな。
そう思ってるのにうわつく心が自分の事なのに気色悪い。
「特別なんやったらしょうがないな」
目の前で揺れる赤い実を花子の手から噛り取る。
人工的な甘さとぶよぶよした弾力があまり美味しいとは思えないのだが、こいつが満足そうに笑うものだから、ええかと思ってしまうので本当にどうしようもない。
*****
「お、起きた」
ふいに意識が揺れて、目を開ければベッドに凭れて座る花子と目が合った。
「今何年?」
「タイムスリップしてきたん?」
ここ数日で何があったんや。そう言いながら花子が西暦を唱えて、そこでようやく、さっきまで昔の夢を見ていたのだと思い至る。仕事が忙しく、なかなか会えなかったが、久しぶりに会った花子は夢の頃と何も変わらないように見える。いや、少し疲れが顔に出とるかもしれん。
体を横たえたまま、視線を走らせて、ここが花子の家であることを認識した。怒涛の劇場とロケの詰込みスケジュールを終えて、ほぼ無意識でここへ到達した。合鍵を使いピンポンを鳴らさずに開ければ家主は留守のようだった。ふらふらとした足取りで何かを考えるのもするのも面倒くさく、電気もつけずに真っ暗なままベッドに倒れこんで寝てしまった。
そして、気がつけば家主は帰ってきているし、部屋は明かりで満たされている。明かりの他に微かに聞いたことのある声が聞こえて、出所を探す。間違い探しをするまでもなく発生源は見つかった。
ベッドの正面にはテレビが設置してあり、音の正体はそこからだった。しかも、よくよく見れば俺たちが出てる番組を花子は見ている。音量を最小限まで絞っているので一瞬気がつかなかった。
「本人の前で見んなや」
「ええやろ別に。あ!ええとこやったのに!」
「あの後ええとこもクソも無かったわ」
花子の横に転がってたリモコンを寝転んだまま、腕を伸ばして奪取すると迷わず電源ボタンを押す。ぷつ、と事切れる音がして途端に画面は真っ黒になる。
「まあ録画してあるからええけどな」
「ほんなら消しとくわ」
「持ち主の許可無く消すなや」
リモコンを花子の側に転がしても、またつける気はないのかテレビは沈黙をしたままだ。
「あのロケの、おもろかったで。女の子に声かける侘助が輩みたいで」
「誰が輩やねん。あんなんに感想とかいらんわ」
「も~恥ずかしがり屋さんやなぁ。かわいいかわいい」
微塵も思って無さそうに、むしろ煽っているに近い声で俺の頭を撫でる。からかいが多分に含まれているというのに、さらりと表面を撫でるやわらかい手が妙に心地よく、抵抗せずにされるがままにしてしまった。
「なに、どないしたん。いつもは鬱陶しそうにすんのに」
いつもの戯れならすばやく振り払っているのに、反応しないからか花子から戸惑ったように言う。
「……そうやな。悟りを開いたんかもしれんわ」
「ううん、だいぶお疲れみたいやな」
今日もよくがんばりましたねー、よしよし、と今度はさらに丁寧に幼児にするみたいに撫でられ、流石に気恥ずかしくなる。これ以上は止めておけと自分でストップをかけて撫でる手を振り払う。
「急に照れるやん。ツンデレやなあ」
「やめろ。キショイわ」
「ひどい」
花子はけらけらと笑う。何がおもろいねん。
なんとなく面白くない気持ちになり、ベッドから起き上がって花子のシャツの胸ぐらを掴み引き寄せる。そのまま噛みつくように唇を重ねて、開いた隙間から舌を差し入れてやった。驚いて逃げる舌を捕まえて好きなだけ弄び、口内を荒らしてからぱっと手を放して解放してやる。ぺたりと目の前に座り込む花子は頬を紅潮させて、わなわなと震えていた。その表情を見て大いに満足する。
「や、ちょっと!もっと優しく引き寄せて!シャツの首ダルダルになるやろ!」
「元からその部屋着ダルダルやん。ピンクのブラ丸見えやぞ」
「そっちが引っ張るからやろ!見んな!」
花子が両手を胸の前でクロスさせてガードのポーズを取る。顔を赤くさせて怒っているが、そんな息も荒くして溶けた表情で言われてもこっちを煽っているとしか思えない。 やったんは俺なんやけどもな。
こちらの好みに合わせた下着を着けているという意外にいじらしい一面があって、そういうところやなとスイッチが入りそうになるが、残念ながら連日の激務で流石に体力が尽きている。今日は無理。いや全く誠に遺憾ながら。
また続きは今度にすることにして、わあわあ言う花子をベッドに引き込むと一緒に倒れこむ。
抱き枕よろしくぎゅうと抱き寄せると「煙草くさい」と苦情が入った。
「文句言うなや」
「人のベッド使っといて言う?起きたら丸洗いコースやん」
「明日雨らしいで」
「うわ、最悪う」
まあ、ええか。ファブっといたら。
さっくり自己完結して切り替えの良いところは花子の長所だと思う。諦めたのか花子も脱力してもぞもぞと居ずまいを正した。それから俺の背中に手を回すと、ぽんぽんと叩かれる。
「今日もおつかれさん」
「そっちもな」
「ありがと」
おやすみ。
耳を通して頭に彼女の声が響くと、途端に眠気がやってくる。眠気と共に思考に混ざるのは過去の事だった。さっき夢で見たあの不健全であった頃より、今の自分はマシになっているのだろうか。
変わったことといえば、あのクソみたいな仕事を辞めたこと、花子と友達から彼女になったこと、相方と出会って漫才をするようになったこと、東京に花子と出てきたこと。その他いろいろ。……結構いろいろあったな。
そうであろうとなかろうと、昔から今現在に至るまで俺がどんなクソみたいな状態でも、こいつはいっつも傍におった。いつの間にか当たり前の事になって、それがずっと変わらんかったらええのに。そんな女々しい事を願ってしまっている。
……いや俺そんなキャラとちゃうやろ。
自分で自分にキショイと思うがこればっかりはどうしようもない。
きっとこんなよう分からん感傷的になるのは昔の夢を見たのと、疲れがピークに達しているからだ。頭の中がやかましい。もうええからはよ寝てまえ。
花子の方はさっさと寝てしまったのか、穏やかな顔で小さく寝息を立てている。こいつ寝つくん早すぎるやろ。寝転がした自分が言うのもなんやけど。
一人で寝ていた時とは違う、人の暖かさにくるまれて目蓋を降ろす。
頭の中に散らばっていた今日のあった事や音と光が遮断されてようやく静かになった。
2023.10.8
お題 インスタントカフェ
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