メルティいちごみるく


(ててーれ、てててん)

 近所のスーパー、入口に置いてある消毒液を手になじませながらカートを引っぱってくる。新八と神楽が手慣れた動作でカートの上と下の両方にカゴを乗せた。そうして自動ドアをくぐると、まず最初に野菜売り場が目に入る。その端のほうに焼き芋コーナーがあって、『焼きたて』の音声POPがチカチカと点滅している。ここのスーパーの焼き芋は年がら年中焼きたてだった。最初のころは甘美な匂いにつられて声を荒らげていた神楽も「ここのスーパーいつ来ても焼きたてアル」と口にしてからはねだることもなくなった。本当にそうだ。けれどあのべちゃべちゃな焼き芋はどうにもくせになって、たまに買ってみたりする。焼きたてかどうかは疑問だが、たしかに甘くてどこか懐かしい味がした。紅なんとか、だった気がする、品種は忘れた。足の生えた『焼きたて』の音声POP。耳に残るあのフレーズが、頭の中で何度も繰り返し再生される。
(ててーれ、てててん)
 頭の中でとどめておいたはずが、口に出てしまったときがあった。それを耳にとめた神楽が首をかしげて
「ぽぽーぽ、ぽぽぽ、じゃなくて?」
「ぽ? なんかしっくりこねーな、それ」
 そのやりとりを聞いていた新八が「呼び込みくん?」とこちらを見て呟いた。呼び込みくん? 誰それ。なに、お前の友達?
「僕も、ぽぽーぽ、ぽぽぽ派ですかね」
「やっぱりそうネ」
 新八も神楽も、ぽぽーぽ、ぽぽぽ派だとわかって、そのときはだからなんだと思った。とりとめのない会話だった。カートを押しつつ野菜売り場を見回す。今日の安売りは大根らしい。


 懐からメモ帳を取り出して、手書きのリストとにらめっこする。週一回の買い出しのため買うべきものがたくさんあって、うっかりすると買い忘れがたくさんなんてよくあること。少しでも買い忘れを防ぐための策だが、何をカートに入れて何を入れていないのかがごちゃまぜになってほとんど意味がないのが実際のところ。カートを押して店内を回るのが面倒になって、以前、新八と神楽にこれを持ってこいあれを持ってこいと使いっぱしりを頼んだことがあった。乾物の棚の横で待つ。戻ってこない。しわしわの乾燥こんぶをじっと見つめる。遅い。焦れったくなり探しに行こうかとカートの持ち手を掴んだとき、ちょうど二人が目的のものを手にして戻ってきた、はずだった。目を向けると、お茶漬けの素を頼んだはずの新八はなぜかお吸い物の素を片手に、神楽は卵のパックを持っていた、二個入りの。一番安いの持ってこい、と頼んだのがまずかったかもしれない。新八に至っては普通に間違えている、なるほどレジ打ちもままならないわけだ。そういう事件があってからは、急がば回れで三人カートを囲みながら店内を歩き回ることにしている。卵、買った。豚肉、買った。長ネギは、買ったっけ。ごちゃごちゃとだべりながら乳製品コーナーまで進む。目の前にずらりと並んだ紙パックの、『牛乳』とラベルされた商品を下のカゴに入れる。妙に値段が安いと思いつつ買って帰れば『乳飲料』なことがしばしばあって、神楽には「この牛乳、薄口でまずいアル」と訴えられる始末。結局アンタも間違えてんじゃないすか、と新八の苦笑い。うるせーな、俺のは買い物あるある、お前のはナイナイアンサー。
 ふと、耳元で揺れるごちゃごちゃが聞こえないと思ってあたりを見渡すと、二人の姿が見当たらない。とりあえず牛乳の二つ隣あたりに陳列されているいちごオレを、同じように下のカゴに放り込む。乳製品コーナーから少し寄れて、なんとなく天井のほうを仰ぎ見た。節約だとか銘打って、程よく薄暗いスーパーの照明。まぶしいよりかは、はるかにマシだった。買い物中に新八と神楽がふっと姿をくらますのは一度や二度ではない。しかし少し経てばきちんと戻ってくるのはわかっているからさほど心配はしていない。そう、ちょうどこんなふうに。
「銀ちゃんこれ買っていい?」
「銀さん、あの、これいいですか?」
 二人が何らかの商品を片手に駆け寄ってくる。お菓子コーナーのほうから。酢こんぶと、お通ちゃんパッケージのスナック菓子を手に持って。
「とうきびうんこ味?」
「いや、違います。それお通チップスですよね。これは新発売で最近話題になってるやつです、チョコ味で」
 本格的に語り始めそうになった新八を軽くあしらいつつ、カゴに入れろよ空いてるスペースに、と言うときにはすでに酢こんぶとスナック菓子はカゴに投入されている。どうやら最近の子どもはいちいち確認を取らないと気が済まないらしい。たしかに会計のときは俺の長財布から払ってるけど、それは万事屋の金であって俺の金じゃないから、パチンコと飲み代の分はちゃんと抜いてポケットにしまってある。と、前に二人に告げたらグーパンが顔面に飛んできたが、すんでのところで避けたのでセーフ。そういった経緯があっても、これ買っていい? あれ買っていい? と買い出しの度に聞いてくるのはもう愛嬌だと思って諦めている。昔から財布の中身がすっからかんでないと落ち着かない性分だった。もちろん無一文とはいかないが、給料が入ればすぐ使い切ってしまう。宵越しの金は持たないとはよく言ったものだ。懐が暖かければ暖かいほど、有り金を全部スったときの寒さが身にこたえる。そう酒に酔いながらこぼすと、飲み仲間のおっさんは「そりゃあ兄ちゃん、貧乏神にでも好かれてんのさ」と応えたものだった。そうかもしれない、と納得しかけたところで「馬鹿だね。アンタのそれはただの怠惰だよ。払うもん払わないと今度こそ追い出すから覚悟しときな、銀時」とカウンター越しのババアは皺を深くして笑ったのだった。それから何ヶ月家賃を滞納しているのかは覚えていない。そういうわけで、さすがに食費の分まで溶かすわけにもいかないから、最初から生活費はきちんと分けてある。けれど二人の子どもったらしいおねだりを聞くのも、スーパーの安っぽい蛍光灯を眺めているのも、悪くないと思ってしまうくらいには、すでに日常の一部になってしまっていた。


 カゴが二つ山盛りになるほど食材を買い込んでも、一週間後には冷蔵庫の中はすっからかんになっている。一週間分の重み。カートの下段に乗せたカゴには野菜や飲み物などの重めの商品が入っていて、それを持ち上げてレジ台に乗せるのはわりかし一苦労だ。神楽がそのカゴをよいしょと手っ取り早く持ち上げてレジ台に置く。店員がレジ打ちを始めたのを見ながら「レジ袋ください」と声をかける。一時期エコバッグを買おうかどうか迷って、結局今まで通りレジ袋でいいかとなった。買い出しのときに限って持ち忘れそうだし、なにより万事屋のまとめ買いの量ではエコバッグは数個ないと足りない。店員がレジ打ちをしながら
「割引券はお持ちですか?」
「あー、いや、持ってないです」
 財布のレシート入れをまさぐるも見つからず。ここのスーパーは週一日でレシートに割引券がついてくる曜日がある。たしか木、いや、金曜だったか。たまにレシートに割引券がついている。そのときはラッキーと思うものの、いかんせんそういった日はだいたい店内が混みあっている。割引券目当ての客がたくさん来るからだ。それほど一割引の価値は大きい。週一回のまとめ買い、買えば買うほど割引の値段は高くなるのだから、割引券のついてくる金曜日に買いに来るべきなのはわかっている。けれど、割引券目当ての客でごった返す店内は思いのほか厄介でもあった。客と客がひしめき合って、カートを押しながらでは身動きがうまく取れない。油断すると二人とはぐれる。商品が見にくい。急かされる。もともと人混みは苦手なタチだ。客と客の合間を縫って買い物をすることが、どれだけ大変かを知っている。あっちへ揉まれこっちへ揉まれ、万事屋に帰るころにはまるで戦地帰りみたいにへとへとになっている。そのあと冷蔵庫に食品を詰めていると、あれ買ってないこれ買ってない、と買い忘れが続出する災難。「あー、銀ちゃんが急かすからヨ」と、とくに気にした様子もなく呟く神楽。違う、急かしてるのは激混みの店内のあの何とも言えない雰囲気であって俺じゃない。割引券か、落ち着いて買い物をできる環境か。考えて、後者を選んだ。一割引されるより、三人でカートを囲んで買い物ができるほうがずっといい。だから今も手にした長財布に割引券はなく、ひたすらレシートばかりであふれている。
 店員の手元に目をやると、そろそろレジ打ちが終わる頃合いだった。続いてディスプレイに表示された値段を見ながら万札を取りだしたところで、ん? と周囲を見回した。新八と神楽がいない。さっきまでそばにいたはず。アイツらどこいった。ひしゃげた長財布から万札が飛び出たまま、きょろきょろと目を動かす。いた。レジ横のお菓子コーナー。声をかけようとして後がつっかえていることに気づき、店員の「お会計は──円でございます」にどこか焦って、周りの目など振り切るように声を張りあげた。
「オイ、新八ィ神楽ァ、何してんだ! 会計もう終わっちまうって」
「銀ちゃん見てこれ!」
 神楽が何やら指さしているがあいにくこっちからは棚で隠れて見えない。妙に楽しそうにはしゃぐ神楽の姿しか見えない。いや、口説き文句とかじゃなく。
「買っていい? これ買っていいアルか?」
「だーッ! もうそれいいから、はやくそれ持ってこい」
 周りの目が気になってしょうがないから、はやくこっちに来てくれ。その願いが叶ったのか、神楽と新八がレジ前の通路をすり抜けてくる。「すいません、これもお願いします」神楽から新八へと渡ったらしい小さなお菓子は、さらに店員へと手渡される。ピッ、と通されていく小さくて四角い駄菓子。その手元を見て、次にディスプレイの値段を見て、あれ値上げしたんだ、とそのとき初めて気がついた。前はもっと安かったのに。カゴの隙間に吸い込まれていく、チロルチョコ。いちごみるく味。三つ。


 卵のパックが入った袋は神楽には持たせない。ゆらゆらと勢いをつけて揺らすのが神楽の癖だからだ。勢いあまって袋が手から離れ、卵が地面に叩きつけられたのを見たときは目ん玉が飛び出そうになった。ダイナミック卵割り。全部割れたのなんて人生で初めて見たかもしれない。今日の卵は新八の持つ袋の中。長ネギが袋の端から飛び出ている。一人一袋持っている状態。左手に持つ紙パックの入った袋が指に食い込んで痛い。空いた右手で赤と白の包み紙を開けて、中身を口の中に放り込んだ。いちごの甘酸っぱい味。ホワイトチョコレートの後味もする。
「銀さん好きそうだなって思って。やっぱり甘いですね」
「見た目がかわいいアル。いちごの柄になってるネ」
 新八と神楽の口元がもぐもぐと動いている。包み紙を見てみると、たしかにいちごが大きく印刷されていた。よりにもよってねだるのがこれか、と遠い目をしそうになる。けれども、たぶん、俺たちにはこれで充分だった。できるだけ長く味わっていようと口の中でゆっくり溶かす。ゼリーの層が舌に触れた。飴だのチョコだのを口に入れているとき、無性に何かを口ずさみたくなる。頭の中で流れるフレーズ。こうなるともう止まらない。一度流れ出すと頭から離れなくなってしまう。先週聞いた、今日も聞いた、そして来週も再来週も聞く。買い出しに行けば必ず入口で出迎えてくるそれは、飽きを通り越してもはや愛しささえ覚える。しょうもない会話に、あの場所に、いつもと変わらぬ日常があった。焼き芋買えばよかったかも。ふいに口ずさむ。新八と神楽の言う『ぽ』では、やっぱりしっくりこなかった。

(ててーれ、てててん)
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