鬼はここにいる
おにはーそと、ふくはーうち。
往来からガキたちのはしゃぐ声が聞こえる。豆のカラカラと乾いた音が鳴っている。それに混じるように随分と近く、向かい側のソファからはとりわけ大きな掛け声がする。おにはーそと、ふくはーうち。ソファの上でうつ伏せ寝の神楽は、何食わぬ顔でばりぼりと豆を食らっている。そこは食べるんじゃなくて、投げるんじゃねーの。ぐるりと首を回した勢いでテレビのほうを向いた銀時は「今年の恵方は南南東! 南南東です!」と女性アナウンサーがフリップを指さしているのを見た。南南東ってどっち。疑問に答えるかのようにタイミングよく流れる「二十四方位で言うと丙です」。いやだからどっち? 変な角度で曲がった首もそのままに銀時は心中ツッコむ。
「銀ちゃーん、今日の夕飯何アルか?」
ばりぼり、ガリッ。豆の噛み砕かれる音がうるさい。ありもしない豆たちの悲鳴が聞こえる。さっき昼飯食べたばっかなのにもう夕飯の話かよ、とか、豆食いながらする話かそれ、とかいろいろ思ったけれど、結局どれも声には出さないでいた。
「恵方巻き」
キャッホーイ、と神楽がわいた。マジで? 恵方巻きアルか? 今ちょうどテレビに映ってる、なんかどっかの方角を向いて黙って食べるやつ? ちなみに銀ちゃん、南南東ってどっち?
「しるかボケ」
昔なじみの知り合いからノルマがどうのこうの、だから銀さん買ってよ恵方巻き、お願い、と手を合わせられた。腹に入れば一緒だと二つ返事で買ったけれど、売れないなら売るな、作るな、と今思えば少し腹立たしい。前払いのあと実物を見てぎょっとした。そこそこ値が張るくせに出てきたのはちんまりとした巻き寿司三本。こんなんで夕飯足りるわきゃねーだろバッキャロー!
「黙って食べなきゃいけないんデショ? 口を離したらダメ? 水は飲んでもいいアルか?」
「なんだそれめんどくせーな、普通に包丁で切って食べればいいだろ」
「ロマンがないアル」
「お前みたいなガキはなァ、丸かじりなんてしたら最後、はしゃぎすぎて喉詰まらせたりすんだよ。いやマジで」
神楽が手に持った豆の袋を口に当てて、いわゆるラッパ食いで腹の中に流し込んでいるのを見て、銀時は内心ホッとした。節分伝統のアレ。さっき神楽も口ずさんでいた、鬼は外福は内、の掛け声。豆は今しがた神楽が食べきったので最後、だから万が一にも、自分が鬼の面を被って豆を投げつけられるなんてことあるはずが──。
ベリッ、と神楽が追加の袋を開けた。勢いあまって開け口から豆が数個飛び出す。まてまてまて、お前、今、それどっから出した。
「オイ新八! てめー、豆は一袋だけにしろってあれほど言っただろうが!」
台所で食器洗いをする新八に怒声を投げた。シンクに跳ねる水の音、皿がカチャカチャと触れ合う音がする。その聞き慣れた生活音で銀時の声はかき消される。えー? なんですかー? 新八が手元を動かしたまま聞き返してくる。もう一度同じ文句を繰り返すと、ちら、とこちらに視線を寄こした新八の笑い出しそうな目元。
「ええ、そんなこと言ってました?」
クソ、こいつらだけで買い出しに行かせたのが間違いだった。袋から飛び出た豆が、テーブルの向こう側からこちらへと転がってくる。それを摘んで手のひらでころころと弄ぶ。お前も投げられるわ食べられるわ、散々だな、などと思いながら。
「よぉーし、それじゃあそろそろ始めるアルか」
何を? 聞かなくてもわかる、嫌な予感。神楽が鬼の面を差し出してくる。厚紙で作られた原色の赤鬼。受け取って、すかさずゴミ箱へと破り捨てた。鬼役をする気などさらさらない。神楽には少し気の毒かもしれないが、と目線を戻したそのとき。ソファの下から袋入りの豆をいくつも取り出す神楽の姿を見て、銀時の表情が引き攣った。
「お面はたくさんあるアルよ」
包装に印刷された、節分豆、お面付きの文字。マジで、新八お前、何袋買ってきたんだ。鬼退治をする気満々の神楽が、ニタァ、と意地の悪い笑みを浮かべたとき、銀時は、ああ、鬼だ、と確信した。
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