来年も再来年も
あ、そうだ。今年の抱負ってありますか?
うつらうつらし始めていた意識が緩やかに引き戻される。ゆるりとまばたきを繰り返した。あァ、抱負? 寝転がったまま少し掠れた声で返す。ほうふ? 豆腐の親戚アルか? コタツの向かって右側から飛んでくる神楽の声。そして左側からは新八の困ったような笑い声。
抱負っていうのは、こういうことをしたいなーって目標とか、そのためには具体的に何をするかっていう、いわゆる意気込みみたいなものだよ。
へー、と神楽が口にミカンを放り込む。さっきまでテーブルの上に山積みに置いてあったミカンは、ほとんどがすでに皮だけの状態になっている。ひたすらにミカンの皮をむく神楽の手元から、白い筋がぽろぽろとこぼれるのが見えた。
てかさァ、遅くねえ? それ新年明けてすぐ言うやつだろ、もう結構日にち経ってんだけど。
だからですよ。僕たち年末年始はわりとたくさん依頼があって多忙だったじゃないですか。落ち着いて話せる機会もなかったですし。
うん、まあ。たしかに。新八の言い分もわかるっちゃわかる。ううん、抱負ねェ。普段ならふざけた返答でもしていただろうに、今日に限ってはどうしてか真面目に考えていた。寝惚け眼を擦りながら、んん、と小さく伸びをする。順々に言っていきましょうよ。僕、神楽ちゃん、銀さんの順番で。新八が頭を動かすたび、照明の光がちらちらとメガネに反射する。なんか妙に乗り気。んじゃあ僕から、とどこか熱のこもった声色で新八が口を開いた。
僕はやっぱり、道場の復興ですかね。姉上がエクササイズと剣術を絡めたアプローチで、どうにか門下生を引き入れているんですけど。というか、門下生なのかな、一応。でもそれって妙案だと僕は思うんですよ、だって──。
ほんと、お前っていつもそればっかだよな。吹き出しそうになった勢いは、胸のところでとどまった。息子を持つ父親とはしょっちゅうこんな気持ちになるのだろうか。熱く語り始めた新八に、声も出さずにうん、うん、と相槌を打った。眠たいからかもしれない。聞き慣れた声は子守唄のようで、意識を優しく揺さぶられる。つけっぱなしのテレビから夕方のニュースが聞こえてくる。天気予報のコーナー。明日は雪の予報が出てるだとか洗濯物の乾きやすさだとかを聞き流しながら、買い出しやら依頼の予定の詰まり具合やらを無意識に考えていた。続いて今週の天気予報で──、のところでふいに音が途切れる。ああ、ばか。犯人の動きを目で追う。裸のミカンを片手にリモコンのボタンを押す神楽。ミカンを貪る口元から落ちる白。だからさっきからカス落ちてんだって。
あの、僕の話聞いてます? 神楽ちゃんはそれ最初から聞く気ないよね、すでにダンボール一箱分は食べてるよねミカン。
お登勢のババアから貰ったミカン。スナックの常連にミカン農家がいるとかで、新年の挨拶として送られたらしい。万事屋はそのうちの二箱ばかりお裾分けとして貰ったのだった。すぽんっ。そのミカンは音を立てて神楽の大口に吸い込まれる。リモコンを置いて定まったチャンネルは、結局さっき流れていたのと同じニュースだった。天気予報はとうに終わって、料理特集のコーナーが映っている。
言うと思ったアル。道場の復興、新八はいつもそればっかネ。それもまあ、新八らしくていいんじゃないアルか。
ん、と神楽が裸になったミカンを新八に押しつける。え、ああ、ありがとう。ミカンを受け取った新八はどこか照れくさそうな表情をしていた。二年前とダブる笑顔。コタツの中で伸ばした裸足の裏に、定春の背中が触れる。どうにもこそばゆくなって足の指を丸めた。狭くなったコタツ。右に動くと神楽の足、左に動くと新八の足。
じゃあ、次は私の番ネ。私のほうふはー、万事屋の社長としての地位を確立させてー、ピッチピチでスタイル抜群な私の美貌によってかぶき町の住民を虜に──。
うん、うん、と相槌を打つ。そろそろ新八も我慢の限界だろうと小さく笑いをこらえた。どことなくそわそわしながらコタツの左側へと視線を向ける。そしてばっちりなタイミングで期待通りのツッコミが飛び出した。
ちょっと、神楽ちゃんわりと野心的!? 社長の目の前でそういうこと言っちゃう? なんか気まずいんですけど!
わんやわんや言い合う新八と神楽の姿。見ていられなくなってまぶたを閉じた。まぶしい。手の届くところにあった読みかけのジャンプ。照明の光を遮るように顔の上に被せた。揺れるコタツの中で、三人と一匹がひしめき合う。
お前みたいな童貞メガネが社長だと、この先万事屋は立ち行かなくなるネ! 誰が童貞メガネだ! 二人がいない間、誰が万事屋の看板を背負ってたと思ってるんだよ!
わあわあとじゃれる声。うるせェ、と怒鳴れなかったのは眠気のせいだろうか。それともこんなしょうもないやり取り、眠気も吹っ飛ばせないほど聞き飽きてしまっていたからか。まぶたが小さく震える。ささいな言い争いやケンカのあと、振り切るように万事屋を飛び出していく新八と神楽、そして定春の姿。見慣れたものだった。それを止めもせず社長椅子でただふんぞり返っていた。そうしながら、潮時だ、と何度も思った。なのにどうしてか帰ってきてしまう。気に食わないなら、出ていけ。かつてそう言った社長は今やただの平社員。社長と副社長のケンカの前では、もはや蚊帳の外の平社員。社長椅子はおろか押し入れにすら居場所がない。万事屋を勝手にどうこうできる権利はどこにもない。
じゃあ、銀ちゃんは?
ふいにずらされたジャンプの隙間から問いかけられる。差し込んだ照明の光に目がくらんだ。半ば落ちかけていた意識をたぐり寄せる。なァに。掠れてほとんど聞き取れない声。
抱負ですよ。次、銀さんの番です。
二人から漂ってくる柑橘系の匂い。ミカンのカスまみれであろう神楽の指が、アイマスク代わりのジャンプを取り払った。抱負。頭の片隅で律儀にも考えていた。
「そんなモン、ねェよ」
霞んだ視界の先で二人の輪郭がぼやける。それは二年前のものと重なって、次に初めて出会ったとき、そして最後には目の前の少し大人びた新八と神楽の輪郭を形取った。溶けてゆく今も昔も変わらない光景。自然と上下のまぶたがくっついて、もう離れそうにない。
「この、まま、」
そこで途絶える寝言。え、銀さん、今なんて? 眠りに落ちる寸前に、温度のある二人の声が聞こえた。もー、寝ちゃったアルか? まぶたの裏側に映ったままの日常。新八と神楽が笑っていた。おやすみ、と優しい声が降ってきて、柄にもなく泣きたくなった。
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