(そんなふうに、優しくなくてもいいのに)
銀さん。さすがに糖分摂りすぎですよ。いつか糖尿病になっても知りませんからね。
銀さん。どうしてそう、夜遅くまで飲み歩いてばかりいるんですか。子供じゃないんだから、いい加減しゃんとしてくださいよ。
万事屋に世話焼きなガキが増えた。一道場の主として借金を背負う、姉貴思いの、どうにもぱっとしないガキ。今の時代、仕事の選り好みなんてしていられないのに、レジ打ち一つできやしない。隙ばかり見せるから、ああも易々と足を引っかけられる。よくもまあ、今まで無事にかぶき町で生きてこれたものだ。そんなこと俺にはまったくもって関係ないけれど、食べかけのチョコレートパフェがテーブルにかっこぼされたのは、きっと長らく根に持つことになる。俺とアイツの関係なんてそれっぽっちで、たかが知れている。店員と客。たまたま、あの甘味処に居合わせていたというだけで。
うるせーよ。人生太く短くだろうが。俺は好きなモン食って好きなように生きて、好きなように死ぬんだよ。お前みたいな、レジ打ちすらできずに店長にいびられて、なんも言い返せねェようなクソガキに、ごちゃごちゃ言われる筋合いはねーんだよ。なんて、面と向かって言ったことはない。内心思っても、言ってはやらない。
志村新八、という目の前のガキは、どうやら万事屋の〝頼まれれば何でもやる〟というスタンスの目新しさに興味を惹かれたらしい。そうでもなければ、ほとんど初対面の、素性も知れない成人男性のもとへ『僕も万事屋として働かせてください』なんて頼み込みに来るわけがない。姉貴を借金取りの一件で助けたとはいえ、それはあくまで依頼としてだ。報酬は出してませんよ。そう言われても、万事屋にとってそういうことは日常茶飯事だから仕方ない。依頼主によっては、報酬が家賃の足しにさえならないこともある。報酬自体、受け取れないことだって、まあ、ままある。生業としては終わっている。だから姉貴のあれこれだって、そういうものだと割り切っていた。こうも安定しない仕事をするのは、ガキにとっては酷なことだろう。バイトをクビにさせて、姉貴にはこってりと絞られた。生計を立てるのだってままならないのよ、と。それでも、借金返済の糧となるような給料は出せない。だからアイツはじきに万事屋をやめるだろう。もしくは、苦しくなる一方の家計に堪えかねて姉貴がやめさせるかの、どちらかだ。
どうせ、飽きがくる。飽きれば、アイツも万事屋をやめる。そうすれば、子供の尻を叩く母親のような叱咤に耐える必要もなくなる。
銀さん。ギャンブルもほどほどにしてくださいよ。お願いですから、依存症だけにはならないでください。
銀さん。戸締りはしっかりしてくださいって、何度も言ってるじゃないですか。いざってときに心配でしょう。
別にパチンコだって競馬だって、好きでやってんじゃねーって。仕事もねーし、ジャンプ読んでたって飽きるし、一人だし、ほかにやることなんてねーから。暇なんだよ。だから、やめることなんてできねーよ。酒だってギャンブルだって甘味だって、それがなくなったら俺にゃあなんも残んねーもん。戸締りだって俺一人しかいないってのに、心配する必要がどこにあんだ。お前のおせっかいなんて俺にとってはクソの役にも立たねェんだよ。迷惑だ。それなら、お前は自分に合った現実的な仕事を見つけて、姉貴の負担を少しでも軽くしてやったほうがいいだろうよ。ここにはお前の居場所なんて、初めっからねーんだ。さっさと万事屋(ここ)から出てっちまえ。なんてのも、言わない。思っても、言わない。いずれやめるとわかっているのだから、あえて言う必要などない。
あまりにも純粋な優しさは、身に余る。ガキに似つかわしくない老婆心は、俺なんかに向けられるべきではない。然るべきところで然るべきひとに向けられるものだ。貰ったって、返せない。給料も満足に払えない、剣術の指南ができるわけでも、真っ当な人間としての目標になれるわけでもない。アイツの親切心はただただドブに捨てられている。だから、そんなふうに優しくなくていい。
「この感じだと、家賃払えるのいつになるかわからないですよ。給料に至っては、一生払ってもらえそうにないし」
目の前で預金通帳を片手に、頭を抱えている。呆れているのか、諦めているのか、俺にはよくわからない。
仕事のあるなしに落差があるのは当たり前だ。それは万事屋を始めようと決めたときから覚悟していた。責任は自分にある。それを負うのは苦ではないし、最初からわかっていたことだった。けれど想定外の従業員が、たとえ一文無しになったとして、道場の復興どころではなくなって、俺に詰め寄ることがあったとしても、俺はその責任を取ることはできない。そんなこと、端から勘定になど入れていないのだから。
「お前さあ、二十分もかけて来る必要あんの。ここ」
通帳をまじまじと見詰めていた両目が、こちらを向いた。
器用貧乏かもしれない。しれない、ではなく、おそらくそうだろう。レジ打ちすらできない。一丁前に他人の世話は焼くくせに、自分のことは後回し。これから生きていくなかで、その優しさは仇となる。いつかしてやられて痛い目を見る。情けは人の為ならず、なんて言うけれど、情けをかける相手は間違えてはいけない。
甘くはない。誰もがお前みたいに優しいとは限らない。だから、お前は情けをかける相手を見定める必要がある。貰ったものはきちんと返してくれる、不器用なお前がそのままのお前でいられるような、そんな相手を。お前ならきっと見つかるはずだ。それなのに、万事屋として働きたいだなんて。間違っている。頼まれれば何でも、なんて。そんなの、ちっとも儲けにならないのに。与えていないから貰っていないだけの俺と、与えるばかりのお前。あまりにも、不条理だと思わないか。割に合わない。報酬もなく、得るものもなく続けるなんて、それはなんて、割に合わないことだろう。本当は、特別万事屋(これ)がしたいわけじゃないんだろ。ただ、することがなかったから。何にもすることがなかったから、何でも屋なんてやろうと、安易に考えて。──本当は、万事屋なんて。
「万事屋なんて、やめちまえよ」
無意識だった。言ってから、頭痛のするような脱力感に襲われた。言うはずなど、言ってなどやらないと高を括っていたはずが、いとも容易く口からこぼれ出た。
俺にはよくわからない。赤の他人の尻を叩いて、時間を浪費していくことの、何がそんなに楽しいのか。お前が世話を焼いている相手は、そんな上等な人間じゃない。あまりにも汚れきっている。お前がただ、知らないだけで。飽きもせず万事屋に通ったって、それこそ給料など、一生払ってもらえないかもしれない。──一生、一生だ。それをお前は、無駄にするのか。
「僕は別に、給料を貰うためだけに万事屋で働いているんじゃありません。それだけなら、苦手なレジ打ちでもやってたほうがまだマシです。勘違いしないでください」
志村新八は、そう、あっけらかんと吐き捨てた。預金残高に目を通したあと、何でもないというふうに通帳を突っ返される。そのとき、俺は初めて新八の顔を真正面から見た気がした。眼鏡の奥で、純然たる意志を持って、生気に満ちあふれた両目は、店長にいびられて顔を引きつらせていた店員のものとは、確かに違っていた。それはほかの誰でもない、万事屋の従業員の──。
「それと、僕は給料払ってもらうまで、万事屋やめませんから」
お題は『ふたりへのお題ったー』さまから。
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