万事屋が銀さん一人経営になった話
万事屋銀ちゃんが一人経営になってから二年の月日が流れた。江戸に平和が訪れて、新八は道場の復興に本格的に手をつけ始めた。
侍を、僕たちの誇りである剣を、なくしたりなんかしたくないんですよ。新八は笑って、でも万事屋は続けますからね、当たり前じゃないですか、と俺を見て言った。そのときの俺は、いったいどんな表情を浮かべていたのだろうか。
お前は道場だけに専念しろよ。
そう返していた。万事屋が重荷になったらたまったもんじゃない。お前のやりたいことをやれよ。新八は酷く困惑した様子で、そして次には声を荒らげていた。
ふざけないでください!! と。
言い争いになった。といっても、矢継ぎ早に言葉を発していたのは新八だけで、俺は普段と変わりなかった。社長椅子に腰掛けながら、こんな会話もしばらくできなくなるな、と一人勝手に感慨に耽った。それでも新八は食い下がることをしなかった。いつまでも、しつこく、同じことを何度も何度も口にした。
僕だって万事屋です、万事屋のことを勝手に決めないでください、僕たち三人で万事屋なんですよ、万事屋、万事屋──。
だから俺は言った。
道場を背負うってことがどういうことか、お前はちゃんと理解してんのか。そんなバイト掛け持ちするような感覚でやれるもんじゃねーんだよ。甘ったれんな。万事屋はいつだってできるけどな、道場復興なんてのは今しかできねーんだよ。時代は待ってちゃくれねェ、やろうと思ったときにやらねーと間に合わないこともあるんだ。……心配するなよ、万事屋が解散するわけじゃねーんだ。落ち着いたらいつでも戻ってこい。俺はずっとここにいるからよ。
我ながら非情だと思った。こう言えば新八は何も返せないだろうと、達者な口でまくし立てた。すると思った通り、新八は下唇を噛み締めて言葉を飲み込んだ。やがて決心がついたのか、震える唇でこう言葉を紡いだ。
僕はずっと万事屋ですから。絶対、帰ってきますから。
新八は満面の笑みを俺に向けた。俺も笑って、わかってるよ、そんなこと、と返した。眼鏡越しの新八の目からは、たくさんの涙が溢れていた。
そして同時期、神楽はエイリアンハンターになりたいからと長期休暇の申し出をしてきた。神楽に関してはちょっとパピーと宇宙巡りしてくるだけだからと、新八とは打って変わって軽い話で済んだ。すぐ万事屋に戻ってくるつもりだったのだろう。新八が万事屋から離れると聞いたときは、新八を責めるでもなく、むしろ俺の心配をしてきた。少しの間とはいえ万事屋が一人になるのだ。それを気がかりに思った神楽の背中を押し、神楽は無事、長期休暇で宇宙へと旅立った。
それから二年が経った。新八はたまに万事屋に顔を出すし、神楽は宇宙から万事屋へと電話をかけてくる。最初はすぐ帰ってくると言っていた神楽は、宇宙情勢の変化で地球へと帰るタイミングが掴めず、万事屋へ戻るのは先延ばしになった。それでも宇宙の旅はまんざらでもないようで、それならよかったと胸を撫で下ろした。早く帰りたいと泣きつかれたらどうしようかと思ったのだ。宇宙を介しての国際電話は料金が馬鹿にならないので、神楽からかけさせてこちらからは一度もかけたことがない。新八に関しても自ら会いに行くことはせず、新八が尋ねてくるときだけもてなした。もてなしたといっても特にこれといったこともせず、普段と同じようにくつろいでいただけだが。
万事屋には、宇宙巡りには連れて行けなかった定春と、二人と出会う前に戻っただけの俺がいた。二年が経ったけれど、何にも変わらなかった。俺にも特に、変わりはない。
「ちょっと銀さん、もうのびちゃったの~?」
変わったことといえば、以前より飲みに行くことが増えた。パチンコも増えた。競馬も増えた。でも何より、酒を飲むことが増えた。暇なときは万事屋の一階にあるスナックお登勢で、こうして長谷川さんと一緒に飲む。二人がいなくなってから──神楽が宇宙へと旅立ってから、食費に気をつかうことがなくなった。定春の食費はかなりのものだけれど、それでもドックフードを食べる派目になるほどの金欠ではなくなったし、依頼の数もそれなりにある。決して多いとは言えないが。だから気が向けば、奢ってやると長谷川さんを誘ってここに来る。なぜスナックお登勢以外に飲みに行かないのかは、俺にもよくわからない。長谷川さんと飲むのは昔からここが多いからか。たぶんそれが理由だろう。
「のびてねーよ、ばーか」
「あ~! 年上に向かってバカはないでしょバカは~!」
「うっせーなァ。申し訳ございませんでした~、まるでダメなおっさん略してマダオさん本当に申し訳ございませんでしたァ~」
「いや全然反省してないし、酔ってるよね? 確実に酔ってるよね??」
酒を飲むのは好きだ。アルコールが身体中に染み渡って、くらくらと酔いが回ってくる。強制的に頭のネジを外されるような感覚は抗い難いもので、一度味わえばその快感に身を任せたくなってしまう。片手に持った焼酎を一気に煽った。
「もうどれくらいだっけ? 新八くんと神楽ちゃんがいなくなってから」
「二年だよ、二年。長いようで短いのな~、時間経つのはえーのなんの。俺も、もうおっさんかなァ……」
「おっさんの前でそれ言う? そっかあ二年かあ、少年少女の二年は早いって言うし、二人とも立派になってんだろうな~」
「ンなことねーよ? 神楽は知らねーけど、新八は全然変わんねーよ。ちょっと背が伸びたくらいか。あーでも、ようやく師範の面構えになってきたかなァ、あいつちゃんと教えられてんのかね」
「気になるなら見に行けばいーじゃん? 遠くないでしょ、万事屋から新八くんの道場。なんだっけ、こうどうかん?」
「は? なんで俺が。めんどくせーし、邪魔になんだろ。まあ、お呼ばれしたら行ってやらねーこともねーけどさ? 万事屋は高いよォ~? 呼んだからには依頼料たんまり貰うよォ~」
「アハハ、銀さんらしいや」
空になった徳利に焼酎を注ぐ。テーブルには空瓶が一本、中身が三分の一まで減った瓶が一本の、計二本が置かれている。この調子だと残りもすぐに飲み干してしまうだろう。はぁ~、と大きく息を吐いてテーブルに突っ伏した。
「肩意地張ってないで、素直に会いに行きゃいいじゃないのさ」
頭上から落とされた声に、目線を微かにずらす。見れば、営業中だというのに気にせず煙草をふかしていた。
「神楽はともかくさ、新八は道場が忙しくて万事屋に来れないだけだろう? アンタから会いに行かなくてどうするってんだい。ギャンブルに明け暮れて、毎晩飲み歩いてるだけ暇だろう」
「そうだよ銀さん~。新八くんだって銀さんみたいな師範代が来てくれたら大喜びだと思うよ? だって銀さん、普段はアレだけど刀握ると強いじゃん?」
「無職にアレとか言われたくねーんだけど。あのな~、長谷川さんよォ。師範代っつっても俺は天堂無心流なんか扱えねーし、免許皆伝もしてねーし、つーか師範代になる気なんてさらさらないからね? あと俺は暇だから酒飲んでるわけじゃねェの~、酒飲むので忙しいの~」
「まったくこれだから甲斐性なしは」
つまみなんて頼まず、酒だけをひたすらに喰らった。ただただ酔いに潰れたかった。二日酔いに悩まされても、どれだけ嘔吐することになっても、アルコールで脳みそをふやけさせて何もかも忘れたかった。玄関で倒れ込んで朝まで泥のように眠りたかった。たとえそんな俺を見兼ねて、毛布をかけてくれる人がいないとしても。万事屋に向かう道中、二日酔いの薬を買ってきてくれる人がいないとしても。万事屋が一人だとしても。
新八。偉そうに説教しちまって悪かったな。
甘ったれてんのは、──俺のほうだよ。
「ババァ~、もういっぽーん!」
「ちょっと、アンタまだ飲むつもりかい? そのへんにしときな。明日どうなってもしらないよ。それに、もう店仕舞いにしちまいたいんだけどね」
「え~、まじかよ。さけがたりねーよー。なァ、はせがわさーん? まだのみたりねェよな~? まだのめるよな~?」
「銀さん、もうやめときなって。俺はそもそも、今日はあんまり飲む気分じゃなかったんだって。銀さんがどうしてもって何度も誘ってくるから付き合ったけどさ? 奢ってくれるって言ってたし」
「うっわ、はせがわさんひっど~。ありえねェよ~、このはくじょうものがよォ~。っんと、ひで、ひでーよ……みんなひでェ」
顔全体を真っ赤に染め上げて、ぼそぼそと何かを呟いている。完全に酔っ払っている様子の銀時に、お登勢は空になった焼酎の瓶を下げて、小さくため息をついた。
「最近は飲んだくれてばっかりで、年甲斐もなく不安になっちまうよ。こんな姿をあの子たちが見たらどう思うか」
「新八くんと神楽ちゃんあっての万事屋だったからなぁ。思ったより堪えたのかな。そういえば銀さんって二人が来る前は一人で万事屋やってたんでしょ? どんな感じだったの? 女将さんから見てさ」
「何にも変わりゃしないよ。いつも町中をふらふら出歩いて、仕事してんのかどうなのかもわかりゃしなくてさ。たまに飯をせびりに来たと思ったらツケばかりが溜まる始末さ。どうしようもないちゃらんぽらんだよ。それでも、あの子たちが来てから少しはマシになったんだよ」
うつ伏せになってうーうー唸るだけの銀時を脇目に、店仕舞いの支度を進める。やることが落ち着いたのか、懐から煙草を取り出して火をつけ、続きを口にした。
「家事だって最低限のことはこなすようになったし、食事だって多少は気にかけるようになった。前は三食まともに食べてることも少なかったんだよ。風呂に至っては水道代が馬鹿にならないって、夏はともかく冬は三日に一度だけだったり。『戦場では滅多に風呂なんか入れなかったし、シャワーだって毎日じゃなくて充分だろ』なんて抜かすもんだから、そのときはさすがに叱ってやったけどね。どこまでも馬鹿な子だよ」
「へぇ~。やっぱり銀さんはどこまでも銀さんなんだな~。女将さんも大変だね、二階にこんなのが住み着いてたらさ?」
「本当だよ。家賃滞納はもう懲り懲りだね」
お登勢はそこで一息つき、煙を大きく吐き出した。アルコールとニコチンの混ざった微妙な臭いが、部屋中に充満している。
ふいに、唸ってばかりだった銀時の声にぐずるような色が混ざり始めた。呻き声の合間に調子の外れた、つっかえた音が度々上がる。ぐずぐずと鼻をすする音と共に、先程とは打って変わって小さく萎縮した声色が部屋に響いた。
「っ、うぅう……なんで、やだ、やだよ……ひぐっ、んん、」
テーブルに突っ伏していて、どんな表情をしているのかは見えない。お登勢も長谷川も、開いていた口を閉じて銀時に視線を移した。しゃくりあげる呼吸に小さく肩が上下する。
「っぱちぃ……か、ぐらぁ、んで……いてーよ、ぁ、いてーよぉっ。ぐすッ……。おれ、おいて、どこ……いっちまう、んだよ……っ、やだ……さびしー、よ、やだっ……」
やだ。さびしい。あいたいよ。
普段は饒舌で憎まれ口ばかり叩く男の、抱えきれなかった感情がひとりでに溢れた。酔っていて頭が回らないのだろう、同じ言葉を小さく何度も繰り返す。二人は驚くでもなく、慰めの言葉をかけるでもなく、ただ男が泣き止むのを待った。弱々しく涙を流し、誰に縋るでもない哀しみに満ちた声を、ただただ二人は聞いていた。やがてその声が遠くなり、銀時がいつの間にか夢のなかへと微睡んだとき、お登勢は短くなった煙草を灰皿に押しつけた。
「本当に、困った息子だよ」
長谷川はゆったりとした呼吸で眠りにつく銀時を見つめた。この様子だと、明日にはきっと今日のことは何も覚えていないだろう。何一つ思い出すことなく、何事もなかったかのように一人で万事屋を続けるのだろう。
「あぁ、本当だよ。やっぱり、銀さんは変わらないや」
「悪いけど、アンタ銀時を上まで運んでくれるかい? こうなるともう起きやしないよ」
「うん、今日は銀さんの奢りだからね。それくらいはしないと」
脱力した銀時の両腕を肩にかけるようにして、おんぶの格好で背負う。よっこいせ、と両足を手で支えて抱え直すと、背中からくぐもった声が洩れた。
「ごちそうさまでした~、女将さん」
「あいよ。すっ転げるんじゃないよ」
銀時を背負って万事屋への階段を登る長谷川を玄関から見送る。看板の電気を消し、スナックお登勢の暖簾を下ろす。これから徐々に明るみ始めるであろうかぶき町の空を眺めて、お登勢はもう一度万事屋に視線を向けた。銀時を担いだ長谷川が、万事屋の玄関に足を踏み入れるところだった。
「簡単なことほど難しいもんさね。でも、なんであの子はあんなに不器用なんだろうねぇ」
野暮とはわかっていながら、お登勢は新八と神楽を思い浮かべずにはいられなかった。
万事屋銀ちゃんが三人経営に戻るまで、あと少し。
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