女子高生が異世界転移で筋肉モリモリのおじさんになりました

 目の前には支配者が居るが、優美はまずは何を言えばいいのか分からなくなってきた。そうしていると、支配者が不思議そうに話しかけてくる。
「どうしたの? ここは契約する為の場だよ? 君には必要ないよね?」
「必要ある……リルンを救いたいから」
「へぇ、なるほどねぇ。でもいいの? そのリルンって子が死んじゃったら、君も死んで、二度と元の世界に戻れなくなっちゃうよ?」
 支配者が脅すように言うが、優美の意思は変わらない。なので強く頷くと、支配者が小さく笑った後にい「面白いねぇ」と呟く。
「そうなんだ。だったらいいけど……ほら、契約するんでしょ? こっちに来なよ」
「あぁ……」
 優美は支配者の言う通りに肉の扉の向こうに歩いて行くと、そこでようやくリルンを解放した。見れば扉の向こうも景色は一面が真っ白と変わらないようだ。
「じゃあ、ほら、その子の額に手を当てて」
「……? こう……?」
 リルンの額に手で触れると、氷のように冷たかった。まるで、氷でも触っているかのように。
「うん、そうしてから、目を閉じて」
「ん……」
 目を閉じると、その瞬間に手から何かが流れ出ているように思えた。だがこれが魔力だということは薄々分かる。なのでリルンの額に魔力が吸い込まれていくように感じながら、手を当て続ける。すると支配者が「そこまでで大丈夫だよ」と言うので、手を離した。すると流れていた魔力がぴたりと止んだと思うと、リルンの額から熱気が出て来るように思えた。まるで、生き返ったかのように。
 支配者を見れば軽く拍手をしていた。
「これで契約は終わりだよ。おめでとう。これで君たちは契約者同士だね。じゃ、このままもう死なないようにしてね」
 背後の肉の扉が全開に開いていた。支配者はそれを指さしているが、戻れという意味なのだろう。なのでリルンの体を抱えると、再び扉の向こう側へと出る。扉が閉まり、構成されていた肉などが腐り始めた。優美はそれを見て顔をしかめた後にリルンの状態を確認する。
 いつの間にか目を閉じており、どうやら寝ているようだ。安心した優美だが、支配者に肝心なことを聞くのを忘れていた。この世界を司るハルヤというのは、即ち支配者なのかと。
 なので優美は先程の扉に触れようとしたが、肉片同士が固まってしまいびくともしなかった。膝から崩れ落ち、瞬きをすると視界が暗転した。ここは王都ヤイダールの街の片隅である。近くには衛兵の死体があり、そしてリルンの体を抱えていた。見れば服は破れているが、傷が完全に癒えていた。契約が、無事に終わったらしい。
 だがここで安心するのはまだ早い。未だに衛兵が追って来ると思ったからだ。なので優美は場所を移す為に移動するが、どこに行けばいいのか分からない。それに宿屋にはもう戻れないことを考えると、一旦街から出ることにした。次は来た道の反対側を行く。
 来た道は砂漠であったが、反対側は木々が生い茂る森になっていた。下手したら遭難しそうなくらいに険しい坂があるが、優美は必死に登っていった。
 途中で衛兵などに出くわすのではないのかと思ったが、その心配は無かった。見渡す限りでは、人の気配が無いからだ。その点は心配が無いと思いながらも、優美はひたすらに坂を進んでいく。
「ん……」
 するとリルンが意識を取り戻したようだ。なので優美は立ち止まってからリルンの様子を見る。
「ナグモ……?」
「リルン! 目を覚ましたのか!」
 膝を落としてからリルンを土の上に座らせると、優美も座った。そして話そうとしたが、リルンに体を押し退けられる。
「ど……どうして! どうして私と契約しましたの!? こんな……私なんかと!」
 リルンのガラスのような瞳から涙がぽろぽろと落ち、そして土の上に落ちていく。ふと、リルンの泣き顔が美しいと思いながら、優美は思ったことを述べる。
「リルン、お前と生きたいからだ。他にあるか?」
 やはり優美の本心は変わらない。外見がおじさんであるが、許して欲しいと思いながら手を差し伸べる。例え、手を取ってくれなくとも。
「私は、もうお父様とお母様の元に行きたかったのに……ハルヤ様……」
 ここでリルンがハルヤという神に祈ろうと思っていたらしいが、その手を止めてから「ハルヤ……様……?」と眉間に皺を寄せた。途端に悲鳴を上げたと思うと、頭を抱え始める。
「私は、ハルヤ様を疑ってしまった! 今もずっと! 私は生まれてからずっと、ハルヤ様を信仰し続けていたのに!」
 次第にリルンが発狂をすると、優美はその小さな体をそっと抱きしめた。リルンがじたばたと暴れるが、優美は宥めるように言葉を吐いていく。
「大丈夫だ、大丈夫……」
 それを繰り返していくうちに、リルンの動きが緩やかになっていく。優美の言葉が効いてきたのか。なので優美は唇の端を小さく上げていると、リルンが空を見上げた後に言い放つ。
「だから、私は……もう、ハルヤ様を信仰してはいけない……」
 その声はとても悲しげであり、優美は顔を歪めた。優美は元の世界でも無宗教でいるが、少しはリルンの気持ちが分かるような気がした。ずっと信じていたものを、疑ってしまうことだ。優美としては信仰を友人に言い換えれば、身近に感じられた。
「……今は逃げよう」
 だがこれ以上は何を言えばいいのか分からないので、優美はそれだけを言うとリルンの体を再び抱えた。リルンは特に振り払う気は無いのか、大人しく優美の腕の中に入る。そしてリルンが指で前の方向を指し示すが、その方向に行って欲しいということなのだろうか。優美はこくりと頷くと、その通りに歩いて行った。
 しばらく歩くと、ようやく視界が開けた。木々は見えなくなり、代わりに空がよく見える。それを見たリルンが「あれ」と言いながら指差すので、優美はその方向を見た。
「村か……?」
 少し遠くに村のようなものが見えたが、街と呼ぶには少し物足りない。リルンがそこに行けということなので、優美はそこを目指す。途中で緩やかな下り坂に差し掛かったが、リルンを抱えているので急ぐ訳にはいかない。慎重に、坂を降りていく。
「痛いところはないか?」
 ようやく会話の糸口を見つけた優美がそう話しかけると、リルンは首を横に振った。契約により、痛みや傷は取り払われたらしい。しかし顔が死んでいるように見える。
 改めてリルンと契約をしたことを考えるが、やはり後悔は無い。寧ろリルンの命を救うことができて良かったと思っている。対してリルンは生き延びてしまったことを、どれくらい悔しがっているのかは分からないのだが。
「あそこで少し休むか?」
「……うん」
「よし、そうするか」
 優美は頷くと順調に坂を降りていき、そして村に辿り着いた。リルンから少し説明があり、曰くここは隣の国らしい。そうとなると国境付近の警備があまりにも手薄だと思った。それを不自然に思っていると、リルンが説明を足していく。
「あなたがさっき越えた森は、人間一人では越えられないと言われている森なの。だから、衛兵は必要ないとされて、前から配置されていないわ……」
 なるほど、と優美は納得した。それと同時に自身がそれほどに人間離れしているということを、改めて知らされた。今のところは、そのせいで不利になったことは無いのだが。
 リルンと話していると、村に到着した。人がよく通り、優美たちのような冒険者も見かける。なのでその雰囲気にすぐに馴染みながら、休める宿屋を探した。適当に見つけた宿屋に入ると金を払い、部屋に入った。とても狭くベッドは一つしか無いので、当然のようにリルンを寝かせる。
 ようやくリルンを寝かせることができると、優美は酷く安堵した。契約により体は回復したものの、体力は全く回復していないと思ったからだ。
「ありがとう……」
 横になるなり、リルンがそう呟くとすぐに眠りに入った。それは永遠のものではないものの、優美はその姿を見て不安そうに見る。だが本当に契約をして、傷が癒えたのだ。リルンの命を救えたことは夢ではないのだ。
 優美は心の中でそう言い聞かせながら、リルンの寝顔を傍で見守っていた。次第にリルンの寝息が聞こえると、安堵の為に優美に眠気が襲ってくる。今はもうそれに勝てる見込みが無い。無意識のうちに、疲れを蓄積させていたらしい。
 なので眠気や疲れに抗えないまま、床に膝を着けるとベッドの縁に顔を沈めてから眠りに入った。

 目を覚ますと、優美は眠っていたことに驚いてしまう。素早く起き上がるが、リルンはまだ眠っている。ここに着いてからどれくらいの時間が経過したのだろうか。そう考えるが、時間が経過したことを示すものはこの部屋には無い。
 溜め息を漏らしていると、リルンのうめき声が聞こえる。優美は慌ててリルンの方を見ると、顔を歪ませているのが分かった。まるで、先程まで悪夢を見ていたかのように。優美の鼓動が自然と早くなる。
「リルン!?」
「ん……ぅ……ナグモ……?」
 リルンはうっすらと目を開けているが、優美はこの細い体を触れる気にはなれなかった。今触れてしまえば、リルンの体を砕いてしまうかもしれないからだ。あまりの不安と安堵に、強く挟まれているが故に。
 そしてゆるゆるとリルンが起き上がると、こちらをまだ細い目で見ていた。まだ、完全には覚醒していないらしく。
「リルン……?」
 名を呼ぶと、リルンが反応してくれた。少しずつ、目が開いていく。
「ナグモ……」
 こちらの名を呼び返してくれると、優美はリルンの肩を掴む。もう、体を砕いてしまう衝動は消え失せていた。
 リルンの目がはっきりと開くと、どうしてなのか手を振りほどかれた。そして頬に乾いた痛みが走る。何が起きたのか分からなかったが、ようやく気付く。ついさっき、リルンに頬を叩かれてしまったことを。
「リルン……?」
「どうして、勝手に……! どうして、私となんかと契約を……! ……ごめんなさい、私、あなたに助けて貰ったのに……でも……いえ……」
「リルン、俺は少し外の空気を吸って来る」
 優美はすぐに部屋から出ようとすると、リルンにがしりと手を掴まれた。まだここから去って欲しくないという意らしい。
 その意図を察した優美はこの部屋から出るのを止めると、リルンの元に戻る。
「……ナグモ」
 優美はリルンの手を取った。がたがたと震えており、心細いと言っているようなものである。放っておけないと思った優美は床に再び膝を着けると、リルンの近くに寄る。
 そういえばリルンはいつの間にか契約を結ばれており、長く信仰していた神を疑うようになっていた。様々なことがあって、リルン本人はまだ理解が追いついていないのだろう。
「回復したら、ハルヤについて調べよう。大丈夫だ、まだ時間はある。俺は、いつでもリルンを待っている」
 そういえばおじさんらしい振る舞いも上手くなったと優美は感じた。しかしそれをリルンや誰かに言うことはできず、心に封じ込める。優美もリルンのように何か弱音でも、吐けたら良いと思えた。今の姿が筋肉モリモリのおじさんではなく、女子高生であったらよかったのにと。
 だがここまで来れたのは、この姿のおかげだ。それに今の強さにまで調整と言えばいいのか、してくれたのは支配者である。感謝しなければならない。
「ナグモは、休まなくても……?」
「いや、俺はいい。もう休んだ」
 リルンがこちらへ手招きしてくるが、それはまずいと思った。心は女子高生と言えど、外見はおじさんである。決して手招きに応じる訳にはいかないと、首を横に振る。
「では、私が回復したら、行きましょう。この村の先に……」
 リルンが何か言いかけたところで、外が突然に騒がしくなる。そして勢いよく部屋の扉が開くと、武器を持った衛兵が三人居た。こちらを、鋭く睨んでいる。
「ゾアマー国より、そこの二人を拘束して欲しいと要請があった。なので友好国であるガイン国の王の指揮の下、お前らを拘束する」
「チッ!」
 優美は舌打ちをすると共に、リルンの体を抱えてから剣を持った。幸いにも相手は飛び道具を持っていないが、外にも援軍が居るのかもしれない。それでも、外に逃げた方が生還率は上がる。そう考えた優美は片手で剣を構えながら、部屋の窓を割って外に出た。
 やはり予想通りに近くに衛兵が数人おり、こちらの姿を捉えると共に武器を構えて追いかけて来る。囲まれていないのが幸いだ。
「リルン! 掴まっていろ!」
 この状況を切り抜けるには、今の体での身体能力を利用するしかなかった。しかしそうなると、リルンに負担を掛けることになる。なるべく最小限に留めたい優美は、リルンにそう言った。勿論、リルンは言う通りに首に腕を巻き付け、抱きつく形になる。
 それらの感覚を拾うと、優美は走りながら足に力を少しずつ込めた。そして次に足を着地させるその瞬間に、優美は高く跳躍をする。上手くいった。下には困惑をしているガイン国の兵が見え、周囲には建物の屋根が見える。思ったよりも高く飛べたことを確認した優美は近くの屋根に着地をすると、もう一度跳ねた。やはり同様に高く飛ぶ。
「凄い! リルン! 飛んでるぞ!」
「ナグモ! 遊んでないで、早く逃げて下さいまし!」
 二人で大声でそう会話をすると、いつの間にかリルンの調子が元に戻っていることに気付いた。優美は内心で胸を撫で下ろすと、また次の屋根に着地した後に、次の目的地を決めようとする。
「もう兵は来ていないか?」
「見えませんわ! でも、遠くに行って下さいまし! 遠くに!」
「分かった」
 調子の良い声音で返事をすると、この村で一番高い建物の屋根へと移動する。そして辺りを軽く見回した後に、近くに山があることに気付く。そこに入るのがいいだろう。そう思った優美は、リルンに提案をする。リルンはそれに賛成した。なので優美は山の中に入る。

 地面に足を着けると、リルンから安堵の息が出たことが分かる。やはり、地上が落ち着くのだろう。そこでリルンをゆっくりと降ろすと、隠れることができる場所を探した。
 見れば木々に囲まれているが、ちょうど綺麗に地面が空いているところを見つける。どうやら誰かがキャンプでもした跡なのだろう。優美がそこに歩いて行くと、リルンも着いて来てくれる。
「ここに座ろう」
 そう言うと、リルンと向かい合わせになって腰を降ろした。またしてもようやく落ち着けるのか、リルンは息を大きく吐いた。疲れているのが分かる。
「悪いが……まずは状況の整理をしよう。リルンの街はハイムで、ゾアマー国に属している。そして王都のヤイダールのすぐ隣がガイン国。こんなところか?」
「えぇ、そうですわ。ここはガイン国。ゾアマー国と友好的な関係にありますの。やはり、ここに逃げたことが駄目でしたわね。ごめんなんさい」
「いや、リルンが謝ることじゃない」
 優美はリルンを軽く宥めた後に、遠慮がちに契約のことを質問した。それまでリルンは申し訳なさそうにしていたが、次第に機嫌の悪いものに変わっていく。
「……契約について、何か知っていることは無い?」
 これについて聞くのはまずかったと思ったがもう遅い。リルンが溜め息をつくと、渋々と言ったような顔で答え始める。
「まずは人の理を越えること、これは話しましたよね?」
「はい……」
 優美は自然と正座をすると、リルンがその姿勢を見て首を傾げながら説明を続ける。
「それともう一つ、話していませんでしたわ。私には縁が無いと思って、説明を省いていましたが……」
 もう一度リルンの口から溜め息が出た。次は優美が申し訳なさそうに眉を下げながら話を聞く。
「この世界で、契約をしている人は珍しい部類に入りますわ。そうですね……一つの街に一組、居るという確率ですわね。基本的には、片方に相当な力が無いと契約はできませんわ。なので情報は少ないですが、希に契約者同士で、感情がシンクロするらしいですの。それと、力がシンクロすることくらいですわね……」
 優美はシンクロという言葉に強く反応した。
 言うなれば、例えば優美が怒れば、たまにリルンの感情もコピーされたかのように怒るということだ逆もまた然りで、そのうえに力もである。これもどちらのものが一時的に同じものになる訳だ。優美は理解したという意味で頷いた。
「それで、その、シンクロする瞬間って、やっぱ分からないの?」
「そうですわね、たまに予兆が分かるという話も聞きましたわ。なんでも、扉が見えるとか……」
 次に扉に反応をすると、優美は契約前に見た肉の扉を頭の中で描く。思い出すだけでも気持ち悪い光景だが、これが関連するとなると気持ち悪いなど言っていられない。
「扉が分からないのですが、ナグモは扉が分かりますの?」
「あぁ……」
 すると辺りの空気が変わったような気がした。そしてリルンを見ると、信じられないという顔をしている。優美は首を傾げてどうしたのか訊ねた。
「その、扉が見える側の、感情や力がシンクロしますの……!」
「なんだって!?」
 つまり一時的にだが優美の凄まじい力を、リルンも出すことができるという訳だ。しかし持続時間もタイミングも任意ではない。それらを思ってから項垂れる。
「ナグモ、あなたの力を私も使えるということになりますが……感情もは嫌ですわ……」
「えっ!? どうして!?」
 答えは優美も知っているが、今の姿がおじさんだからだろう。なのでリルンから視線を逸らして「あぁ……」と言って項垂れる。直後に顔を上げるとリルンは顔を赤くしているが、どうしてなのか。そう考えているとリルンは「違いますわ!」と言って自らの頬を押さえた。その仕草がとても可愛らしく、思わずクスクスと笑ってしまう。
「何を笑って……この話しは終わりにしましょう。それよりも、ここに長居しては危険ですわ。このままだと、ガイン国の兵たちに見つかってしまいますわ。そうですわね……まずはこの山を抜けましょう……その前に、お腹が空きましたわ。まずは、何かを食べましょう」
「そうだね。でも……食料や水はヤイダールの宿屋に置いて来たんだけどな……」
 装備以外のものはヤイダールの宿屋に全て置いてきた。このまま回収するのは厳しいので、必然的にこの山で採るしかない。だがリルンならばどの野草やキノコが食べられるのか知っているだろう。なのでそれを提案すると、リルンは頷いてくれた。これはもう仕方のないことだ。
 なので二人は立ち上がるとまずは主食となるもの、肉を探そうとした。さすがの優美も腹が減っており、このままではまともに戦うことができなくなる。本当は米が食べたかったが、この世界には無いのだろう。米のことは諦め、食べられることができる魔獣を、リルンに聞く。
「……そうですわね、無難にボーカゥですわね。香草をまぶして丸焼きにしたものが、夕食でたまに出ていましたわ」
「丸焼きか! いいなぁ! ……で、香草も採る訳になったんだが、このまま二手に別れるのはやはり危険だな。一緒に行動しよう」
 二人は契約をしており、どちらかが死ねばもう片方も死ぬことになる。今のところはリルンを一人にしては優美の死亡率が上がってしまう。なのでそうするしかなかった。
 まずはボーカゥを狩る訳だが、優美は一度だけ倒したことがある。とはいえその時の倒し方では、食べるのに苦労してしまうだろう。全身の骨を粉砕してしまったのだから。溜め息をつきながら、リルンにボーカゥの狩り方を聞いた。
「……弓は持っていませんの?」
「持ってない」
「でしたら、脳天だけを狙って殴るしかありませんわ」
 脳天のみを狙う、確かに急所と呼べるに相応しい箇所だ。だがそこを狙うことができるかは分からないが今はやるしかない。今の優美では、ボーカゥを傷だらけにして倒すことしかできないからだ。なのでこくりと頷くと、ボーカゥを探し始めた。リルン曰く、この山でも野生として生息しているらしく。
 拠点にしていた場所から少し離れると、ボーカゥを早速見つけた。遠目にしか見れないが大きさはそれなりにある。リルンがこちらを見て頷くと、木の枝を渡してきた。これで脳天を突いて欲しいということらしい。優美は思わず二度見をする。
「これではちょっと……」
「ではあなたのその大きな剣で倒しますの? きちんと、食用として」
 リルンに対して何も返すことができなくなった優美は、ただ「うっ」と痛い箇所を突かれたような顔をするしかできない。なのでリルンは溜め息をつくと、木の枝を放置するように地面に置いた。
「では他に何か策はありますの?」
「策……」
 優美は少し考えるが、何も出てこない。持っているこの剣ではリルンが当然のように反対をするだろう。他の手は無いか考えていると、優美はとあることを思いついた。初めてこの世界でボーカゥと対峙した時のように、体を持ち上げた後に地面に叩きつければ良いのだ。優美はそれをリルンに説明し始める。
「……今、何と?」
「だから、俺がボーカゥの体を持ち上げて。頭から地面に叩きつけるっていうことだよ」
「あなた、本当に人間ですの……?」
 優美は密かに悪口を言われたような気がしたが、このような反応はもう慣れてしまっていた。こくりと頷くと、ぽかんと口を開けてしまっているリルンをその場に待機させる。
 気配を悟られないようにそっとボーカゥの体に近付くと、大きさはかなりあった。優美よりも体長が大きいくらいだ。これだけあれば、可食部は相当にあるのだろう。
 まずは尻の部分へ回った。しかしここからでは頭を叩きつけるのは難しい。優美は少し考えると、とあることを思いついた。胴体の部分をまずは一発殴ってみるのはどうだろうか。そう考えた優美は、胴体の部分を目で捉えてから拳を作る。そして力を込めながら、ボーカゥの胴体を思いっきり殴った。途端にボーカゥの体が揺れ、そして一瞬のうちに体が地面に倒れる。苦しげな声が聞こえたので、優美はもう面倒になり頭を殴った。顔を見れば白目を剥いたと思うと視点が合わなくなり、そして呼吸の為の細かい動きが無くなる。どうやら、死んだらしい。優美はリルンに来ても良いと合図をした。
「あなた……本当に人間ですの!?」
「それさっきも聞いたよ。ほら、ボーカゥを運ぶけど、さっきの所でいいかな?」
「ええ」
 優美は先程の開けた場所にボーカゥの死体を置くが、このまま丸焼きにしては時間が掛かるうえに、いずれかはガイン国の兵などに見つかってしまうだろう。優美はこのまま焼いても良いのかと考えていると、リルンがボーカゥから少し離れて欲しいと言う。優美はそれに従った。
 するとリルンが目を閉じ、ボーカゥの死体に手の平を向けて何かブツブツと呟き始めるが、もしかして魔法の詠唱なのだろうか。この世界で未だに魔法をまともに見たことがない優美は、期待の眼差しをリルンに向ける。そしてしばらくするが何も起きない。リルンを見れば、眉間に皺を寄せていた。やはり、魔法を発動できないのだろうか。
 優美は何か手伝えることは無いのか考えるが、この筋力では適度な火を起こすことができない。なので悩んでいると、リルンの魔法の詠唱の声は大きくなっていく。苛立っている証拠である。
 静かにその様子を見るが、なかなか何も起きない。するとリルンは諦めたのか、手を降ろしてから目を開けた。そして肩をすくめる。
「火の魔法で調理をする、というのをやりたかったのに……」
「お、俺もやってみるよ!」
 するとリルンはあまりの空腹に、眉を大きく下げ始めた。腹から空腹の音さえ鳴り始めている。このままではいけないと、優美は魔法に挑戦してみることにした。前回魔法を発動しようとして、結局は失敗に終わったのだが。
「まずは……イメージ……」
 そう呟いた後に、優美は手の平をボーカゥの死体に向ける。そしてまずは火をイメージするが、大き過ぎても小さ過ぎてもいけない。適度な強さをイメージする。そうした後に、次はボーカゥがこんがりと焼けるイメージをするが、そもそも優美はボーカゥを食べたことがあるのだろうか。ジョンの酒場で何度もこの世界での料理を食べたが、そういえば何を使った料理なのか全く聞いていない。なので、ボーカゥの味や焼けたイメージを牛に例える。
 そして魔法の詠唱などは分からないので、適当に力を込めた。するとリルンの短い悲鳴と焼ける音が聞こえたので、目を開けた。するとボーカゥがこんがりと焼けている姿が見える。「えっ……!? 俺、魔法が使えた!?」
「はい……私としては悔しいけど、その通りですわ」
 溜め息をついたリルンだが、優美はあまりの嬉しさに女子高生が使うような言葉を発しそうになる。だがそれを必死に抑えると、背中に背負っている剣を取り出して「まずは切り分けよう」と提案した。勿論、リルンはそれに賛成をする。
 ボーカゥを切り分けていくが、どの部分がどの部位なのか分からない。女子高生のリルンが知っている部位といえば、モモやスネくらいだろう。なのでまずは足を切っていくが、解体している様子をリルンは直視できなかったらしい。小さく謝りながら目を閉じるが、今の優美は特に何も思わなかった。以前の、女子高生の優美であればリルンと同じリアクションをしてしまうだろう。なので優美はリルンを宥めながら、ボーカゥの足を切っていく。
 無事に四本の足を切ることができると、それを更に細かく切り分けた。とは言っても動物の解体に関しても素人の優美は、骨等を取り除いていく。そして筋のような箇所を切っていくと、リルンに目を開けて欲しいと言う。
「ごめんなさい……」
 リルンが再度謝っていたが、優美は気にしていないと返した後に「早く食べよう」と促した。そこでリルンの顔が晴れるので、優美は何故だか大きく安堵をしてしまう。やはりリルンのような年頃の人間は、そのような表情が似合うと思いながら。
「ハルヤよ……」
 そこでリルンは何か祈ろうとしたところで、何かに気付いたらしい。ハルヤと言っていたが、もしかして自身の信仰心に改めて疑問を感じてしまったのか。
「俺の前では、気にしなくていいよ。俺は無宗教だから。それよりも、さぁ、食べよう」
「そうですわね……いただきます」
 地面に座った二人は、主に優美がボーカゥの肉を食べていく。味はやはり牛にかなり近く、ジョンの料理にもこのような食材が使われていたような気がした。優美はそう思いながらボーカゥの肉を食べていく。
 途中でリルンが満腹になると、優美だけが食べ進めていく。足は全て食べたので次は体だ。どう食べたら良いのか分からないでいると、頭上から何か声が聞こえた。いや、気のせいだろうと思いながらボーカゥの体を見る。するとまたしても誰かの声が聞こえた。幻聴か何かだろうと思っていると、今度は目の前に人の姿が浮かび上がる。
「し、支配者!?」
「もう、何で無視をするの?」
 目の前には支配者が姿を現しており、焼けたボーカゥを見るなり「美味しそうだね」と呑気に言う。しかし支配者はこのような時に何の用事だろうか。そもそもリルンには支配者が見えているのか、そう思ってリルンの方を見た。リルンは支配者の姿を見て硬直している。
「リルン、どうしたんだ?」
「ハルヤ様……!」
「えっ、これがハルヤ!?」
 優美は支配者を指差すと、支配者は「これって……」と呆れていた。改めてリルンに本当にそうなのか訊ねると、こくりと頷いた。つまりは、優美の知っている支配者は、この世界を司るハルヤということになる。
 そこでこの世界に来た当初のことを思い出す。そういえば支配者は「この世界を救って欲しい」と言っていた。そこで支配者は即ちハルヤということに納得することができる。だが納得と同時にやはり、この世界に飛ばされたことにクレームを言おうとした。そこで、リルンの存在を思い出して口を噤む。
「そういえば、何しに来たんだ」
 どうしてこの場所に来たのかと優美はそれを訊ねると、支配者は指を鳴らした。まるで聞いて欲しかったかのように。
「ねぇ、ゾアマー国のヤイダールに王が居るでしょ?」
 支配者の言う人物に、優美やリルンは眉をひそめた。二人はその王のおかしな発言により追われる身になったのだ。良い顔はできない。
「そいつが、どうした」
「その王がね、僕と契約をしたがっているから、殺してくれない? 困るんだよね。僕と契約をされても」
 あまりにもあっさりと重要なことを言うので、優美は聞き逃しかけた。なので支配者の言うことを復唱した後に、リルンが「ハルヤ様と!?」と驚く。
「本当だよ。君たち、契約のとあるルールは知ってるかな?」
 契約の条件といえば力のある者、死んだ者に力を注ぎ直す勇気がある者くらいだろう。優美は軽くそう思っていると、支配者は困ったように笑いながら話を続ける。
「実はね、契約にはとある裏のルールがあってね」
 すると支配者は座っている二人を交互に見るが、優美もそしてリルンも支配者の言う「裏のルール」が知りたくなっていた。なので二人とも前のめりになってしまう。
「それはね、人を殺せば殺す程、契約の力、結束力が上がるんだ。だから王は騎士団この国の人々を殺させて、それから僕に会って契約をしようとしている魂胆なんだ。分かってくれたかな?」
 優美は口をあんぐりと開け、何も言えないでいる。リルンも同様なのだが、そうしているとい支配者がクスクスと笑う。
「だから、王を殺してくれない? 多分そのうち、ここの国ガインの人たちも殺していくと思うけど」
「わ、分かった! 分かったが……それで、ゾアマーの王を倒したら、いいんだな?」
 優美の言葉の最後にはとても意味深な意味が含まれていた。つまりは、元の世界に戻してくれるのかということである。対して支配者は頷くと、優美の中にやる気が込み上げる。だがリルンの方をふと見ると、まだ帰りたくないという気持ちもあった。それらの感情に挟まれながら、優美は「分かった」と返事をする。
「ありがとう。君ならそう言ってくれると思ったよ。お礼として、君たちは契約をしているでしょ? 僕がその契約の効力を上げてあげるよ。そうだねぇ、その女の子にも、君みたいな力を高確率で出せるようにしよう。それでいいかな?」
「勿論ですわ! ハルヤ様! ありがとうございます!」
 リルンが立ち上がって頭を下げる。それを下から見ていると、リルンが優美の腕を引く。立てということらしい。なので重たい腰を上げるように立つと、リルンが小さな手で背中をばしばしと叩き始めた。優美は渋々と頭を下げる。
「じゃあ、よろしくね」
「はい! ハルヤ様」
 支配者はリルンに近付くと、額に手をかざした。するとリルンの体が一瞬だけ青白く光ったと思うと、すぐに消えていた。先程ので、契約の力が上がったのろうか。
「じゃあ、またね。次は王を殺した時に来るよ。そうだ、僕への信仰心は無くてもいい。でも、せめて僕という神が居ることくらいは頭に入れておいて欲しいな」
「ハルヤ様……!」
 リルンは感激でもしたかのような目で支配者を見るが、優美はそのようなリルンに何も言うことができなかった。元の世界でも無宗教の優美は、信仰という言葉にあまり馴染みが無い。それにあまり身近でも無いが、それでも信仰とは人の心の支えになるという認識はあった。なのでリルンのことを黙って見ていると、いつの間にか支配者の姿が消えていた。
「……ハルヤ様が仰ったように、王を倒しに行きましょう。でも、どうやって王のところまで行けば……?」
 その場で座り込んだリルンがそう口にすると、その隣に優美が座った。そして近くの小さな木の枝を手に取ると、地面にまずは現在位置を描いていく。とはいえ地形やこの世界の文字が分からないので円である。
「まずは、ここがガインとゾアマーの国境の左側が、今俺たちがいるところで……」
 円の中に星を描くと、リルンが何か閃いた顔をした。すると手の平をこちらに差し出してくるが、木の枝を渡して欲しいということなのだろうか。優美はリルンに木の枝を渡す。
「ここから再びゾアマーに行くには、一つ知っているルートがありますわ」
 リルンは現在位置から線を右側に引いていくが、どうやら適当にという訳では無さそうだ。黙って見ていると、リルンが説明を始める。
「この先に山があるので、ここを登りましょう」
 見れば描かれた線は、優美が描いた円の下側を通っているようだ。つまりは、その辺りにリルンの言う山があるらしい。
「山か。いいが、リルンは大丈夫か?」
「勿論ですわ! 先程ハルヤ様に、契約の力を強くしてもらいましてよ! ……でも、限界だったら……その……ナグモに余裕があれば、担いで……」
「いいぞ」
 リルンの顔が瞬く間に真っ赤になるが、まるで綺麗な赤い宝石のように見えた。それくらいに、麗しく思えた。
「では……このボーカゥは、どうしましょう……?」
「あっ……」
 そういえばボーカゥの胴体の部分がまだ残っていた。このまま食べ続けるのもいいが、それではリルンを待たせてしまう。なので悩んでいると、リルンが何かを思いついたらしい。ボーカゥの胴体に手の平を向けた、その瞬間に周囲が熱くなる。
「おい、リルン!?」
「待って下さいまし! ……はぁ! え、えぇっ!?」
 するとボーカゥの胴体が一瞬のうちに焦げてしまう。もしかしてリルンは、このまま死骸を放置しては虫が湧くからこうしたのではないか。そう思った優美はリルンを賞賛する。
「凄いなリルン! 確かに、このまま放置してたら、ここに居たことに気付かれるからな!」
 一方でリルンは大きく動揺し始めているが、どうしたのだろうか。
「……ち、違いますの!」
 リルンは足をもじもじとしていた。どうやら優美の思っていたこととは違うらしい。なので首を傾げていると、リルンが恥ずかしそうに口を開く。
「……これを干し肉にすれば、携帯することができますでしょう? 私は、そうしたいから、魔法を使ったつもりですの」
「あ、あぁ……」
 何もいえなくなった優美は遂にはリアクションに困っていると、リルンが細い腕で優美の体をぽかぽかと叩き始める。
「もう……! 何か言って下さいまし! 残念だったねとか!」
「ざ、残念だったね……」
「今言っても遅いですわ!」
 かなり理不尽である。そう思いながらも優美はリルンの手を取る。見ればリルンは頬を風船のように膨らませており、今にも破裂しそうだ。頬が破裂しない為にも、優美が小さく笑いかけた。
「また、干し肉にしてくれるか?」
「仕方ありませんわね! 次、ボーカゥを見つけたら。丸ごと干し肉にしますわ!」
 するとリルンもつられてなのか笑うと、二人は広い空を見ていたのであった。
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