女子高生が異世界転移で筋肉モリモリのおじさんになりました

 優美が意識を取り戻すとここはかつての自身の部屋に居た。壁には制服のかかったハンガーや通学鞄が見え、見慣れたベッドに寝ている。体を起こしてみると、いつもの体があった。女特有の少しふくよかな腕、細い手。やはり奇妙な夢を見ていたかと安心をしてから立ち上がった。
 フローリングの床をしっかりと踏みしめており、感覚もきちんとある。ぺたぺたと裸足の音を鳴らしながら、部屋のドアノブに手を掛けた。そして扉を開いた瞬間に、視界が暗転する。
「えっ……」
 一瞬にして、優美の視界は宿屋の天井を向いていた。どこを見ても、先程の光景は無い。夢だったのだ。あまりにも、かつての世界に帰りたいからと見ていたのだろう。
 優美はあまりの悲しさに泣きそうになったが、支配者の言葉を思い出してから耐える。今は支配者の言葉を信じるしかない。優美は深呼吸をすると、大きな体を起こしてから窓からの朝日を見る。この世界でも変わらず太陽は綺麗であった。立ち上がり、それを見ながら体を伸ばす。
 よく眠れた気がする。昨日よりも遙かに体が軽く、筋肉のコンディションは完璧である。優美にとって筋肉とは無縁であるが、どうしてかそう思えた。
「……はぁ、今日も一日、頑張るか!」
 優美は床に置いている甲冑に手を伸ばすと、それを装備していった。一回自身で外していたので、装備の仕方も分かる。なので少しだけ手が止まりながらも、甲冑を全て身に着けた。
 そういえば朝なので腹が減っている。優美の世界では「腹が減っては戦ができぬ」ということわざがあり、正にその通りだと思った。一階で食事をまた頼めるのではないかと、優美は部屋から出て施錠をすると階段を降りていった。
「朝食食べる?」
 一階に降りるなり、カウンターで暇そうに座っていたジョンがそう話しかける。なので優美は「あぁ」と頷くと、空いている席に座った。
 周囲に幾つかテーブルがあり、他の客はまばらに居る。しかしその人々は皆、優美の方を見ていた。微かに聞こえるが「見ろよあの装備……」と口にしている。やはり注目を浴びるのが嫌な優美は、座った際に体を縮めてしまう。するとそれはこの外見からしてよくないと思ったので、慌てて足を開いて胸を張る。
 少し待つと、ジョンが朝食を持って来てくれた。メニューはパンと目玉焼き、それに焼いた肉だ。腹が減っている優美は口腔内に溜まった唾液を飲み込みながら、ジョンに礼を述べた。
「いただきます!」
 すぐに添えられていたフォークを手に持つと、早速朝食を食べていく。どれも優美の世界のものと同じ味がして、とても美味しい。するといつの間にか完食していた。
「ごちそうさまでした!」
 元気良く言うと、優美は厨房にいるジョンに空の食器を渡した。そして元気よく、冒険者ギルドへ歩いていく。
 途中ですれ違う人々も皆、優美を見て同じ反応をしていた。それに無視をしていたが、時折話しかけてくる者が居る。内容は「うちに入らないか?」というものだ。恐らく、冒険者絡みのことなのだろう。よく分からないので、優美は無視をしたり断ったりしていた。
 ようやくギルドに着くと、優美は依頼が貼り出されている掲示板へと一直線に向かっていく。
 数々の依頼を見るが、今優美が受けられるものは限られている。薬草の採取やあまり害の無い魔獣の討伐など。かなりの戦闘力があることは自覚しているのだが、やはりまだ知らないことがある。この世界について知っていることの方が少ない故に、慎重にした方がいいのだろう。
 なので優美はまず、この世界の基本を知る為に薬草の採取から始めようと思った。薬草の知識や採取できる場所は、知っていて損は無い筈だ。寧ろ有益である。なので薬草の採取の手伝いの依頼の紙を剥ぎ取った。
「この依頼を受けたいです」
 受付の女に紙を渡すと、ギルド側が受領したというサインを書き、スタンプが押される。これで依頼を受けたことになったので、依頼主の元に向かう。
 場所は雑貨屋の店主であり、話によると最近遠くの街の仕入れ先であった店が反乱した騎士団により殺されてしまったらしい。何と嘆かわしいことだと思ったが、今の優美では何もできないと思っていた。雑貨屋の話を黙って聞くと、依頼である薬草の採取を手伝っていく。とはいえ薬草は街の近くに自生しているらしく、街に一歩出たら採取できるものだ。しかし雑貨屋の店主曰く、採取するのは面倒なので買った方が楽だと。
 店主の言い分は分かるが、そこまで面倒なのかと訊ねた。
「こいつ、根っこまで抜かないと薬草として使えねぇんだよ。そんな暇がないから、安く仕入れてたんだ。ったく、こんなことしなければならないのは、騎士団のせいだ」
 言葉を聞いて納得したが、つまりは今採取している薬草は二束三文というレベルで買えてしまうのか。そう考えていると、次は依頼主の店主が質問をしてきた。
「お前さんのそれ、レイシオの親父のところの武器と防具じゃないか? それに……その剣は、誰も持ち上げることができなかった代物じゃねぇか! それを、持ち上げることができたのか!?」
「あ、あぁ……」
 店主が感嘆の声を漏らすが、そのようなリアクションに慣れてきてしまっていた。現に少しだけ、そのような者への返答などを考えることが面倒になったからだ。つまりは、他の者の驚き方が大袈裟過ぎると思えてしまう。
 優美は軽く受け流すと、薬草の採取に勤しんだ。そういえば学校の行事である美化作業があったが、草抜きが楽しかったことを思い浮かべながら。
 薬草の採取が終わったのは、太陽が真上に昇った頃である。優美の薬草の採取の手際がかなり良かったらしく、店主の倍の量はあった。
「すげぇな! 強い上に、こんなことを、真面目にしてくれたのか! さすがだぜ! ナグモっていう名前を、しっかり覚えておくからな! また機会があったらギルドを通して指名させてくれよな!」
 どうやらギルドを通せば、冒険者を指名できるらしい。指名されるメリットは依頼に困らないことだと思うが、今の優美には役不足だと思った。なのでこれもまた曖昧に返事をすると、依頼完了の報告の為にギルドに戻った。
「お疲れ様でした」
 受付の女から報酬である銅貨二枚を手渡しで受け取る。そこで、魔獣討伐により得た金貨三十枚の価値を知る。一般的にはとんでもない額になるらしい。
 手の平に乗っている銅貨二枚を見つめた後に、優美は受付の女に深く礼を述べた。ここから先は、無駄遣いなどはしないと戒めながら。しかし甲冑については、仕方のないことであるのだが。
 日が暮れるまでにはまだ時間がある。もう一つ依頼を受けても良いと思ったが、先程のように半日で終わるとは限らない。なので優美はこの街の探索をすることにした。
 まずはこの街の広さだが、とてつもない広さがあると思った。それに雑貨屋の店主の言い分から推測するに、ここに暮らしている者だけは豊かな生活を送れているのだろう。そしてそれに比例して、街がとても綺麗に見える。ゴミなどは落ちておらず、常に清潔を保たれていた。治安も悪くないのだろう。
 見知らぬ土地での一番の不安はそれらだが、一気に解決すると優美は少しずつ歩いていった。次はギルド周辺の施設である。
 レイシオの武具屋はもう行ったので、次はアイテムや魔法を何とかしなければならない。そのうちの回復手段を開拓しようと、優美は先程の雑貨屋へ再び赴いた。しかし優美の素が少し出てしまう。
「あのー」
「ん? ナグモか、どうした?」
「ごほん……アイテムを調達したくて来た」
 店主がなるほどと頷くと、優美は店内を見回した。広さはコンビニくらいはあるが、さすがにそれよりかは陳列されている商品の数が少ない。白い壁に茶色の棚が幾つもあり、その中にアイテムが少量ずつ並べてある。情報量が多くないので、優美は混乱せず助かった。幸いにもアイテムの傍にはきちんと紙製の値札が貼ってあるので、優美はそれを見ながら買うアイテムを決めた。文字は当然のように、日本語のように読めてしまう。
 まずは緑色の瓶で、栄養ドリンクのようなものがある。これは回復薬と書いてあり、価格は一つで銀貨一枚。薬草から作られていると察したが、安く仕入れていると店主が言っていた。それなのにこのような価格とは、どういうことなのだろうか。作るのに手間が掛かるのだろうか。優美はそう考えたが、回復薬に手を出せずに次の商品を見た。
「薬草……」
 次は白い紙に乗せられた薬草である。さすがに泥に塗れてはおらず、根から葉先まで綺麗にしてあった。価格は銅貨一枚だ。このまま口に入れるのかと思ったが、優美は店主に聞く勇気が無くそれを一つほど手に取った。
「ナグモ、それだけでいいのか?」
「い、いや、ちょっとな……」
 何か言い訳をしようとしたが思いつかず、優美は誤魔化すように次の商品を見た。値札には干し肉と書いてあり、これも銅貨一枚である。優美はこれで一旦、買ってから外に出ようと思った。なので紙に包んである干し肉を取ると、それを店主に見せた。
「銅貨二枚ね」
 すぐに計算ができたらしく、店主は即座に合計額を優美に告げる。優美は懐から銅貨二枚を渡すと「毎度あり」と返ってきた。優美は「ありがとう」と言うと、店を出た。
 まずは薬草と食料を手に入れたので、薬草をどのように使うのか試すことにする。街から出てから、適当な草むらで魔獣を探す。すると兎のような可愛らしい魔獣が居るので、それで試すことにした。
 まずは後ろからこっそりと近付き、兎のような魔獣を捕らえた。そこでわざと口元に手を添える。当然のように噛んできたが、痛みは皆無。寧ろ魔獣の方が痛がっている素振りを見せた。優美は首を傾げると、魔獣が逃げてしまった。なので噛まれたであろう手を見るが、傷一つついていない。
「なんでだろう……?」
 首を傾げながら、もう一度手を見る。しかしどう見ても傷は無く、痛みが無かった。まことに不思議である。
 もしかして先程の魔獣の噛みつく行為、攻撃が効いていなかったのか。そう考えてみたがあり得ないと優美は首を横に振った。しかし通常ならば、優美の知る限りでは動物に噛まれたら痛い筈だ。やはり先程のは魔獣にとっては攻撃なのだろうと思った。
 薬草をどう使えば良いのかと優美が想像していると、遠くから切羽詰まった人の声が聞こえた。聞き間違いでなければ「助けてくれ!」と。
 優美はすぐにその声がした方向へと視線を向けてから、軽く走り出す。そういえばこの甲冑姿で走るのは初めてだと思いながら、声の元を探していく。するとすぐに見つかった。商人らしき男が、銀色の甲冑を着込んだ男に剣を向けられているからだ。それも、甲冑の男は二人居る。
 助けに行くべきかと一瞬だけ迷ってしまった優美だが、今のおじさんの姿の力が本当に強いのであれば助けに行きたい。そう考えると、体が自然に動いていた。抜刀をしながら、助けを求める男の前に立った。同時に二人の甲冑の男たちの前に立ちはだかる。
「……やめろ!」
 どう言えばいいのか分からず、優美は甲冑の男たちに剣を向けた。すると男たちは「でけぇ……」と優美の持つ剣を見て怯んだが、剣を構え直した。
「助けてくれ! そいつらは、反乱を起こした騎士団だ!」
「そうなのか」
 かなり噂になっている騎士団へとようやく会えた。しかし騎士団が反乱を起こすとはどういうことなのかと思ったが、今は聞くべきタイミングではないと優美は考える。目の前の騎士たちに、馬鹿にされてしまうと思ったからだ。
 この二人が全てではなく、ほんの一部なのだろう。騎士団がどれくらい強いのかは分からないが、優美は最大の警戒をした。男たちを鋭く睨む。
「でも、見かけ倒しかもしれねぇだろ?」
「あぁ、そうだな」
 二人が笑いながらそう話すと、ほぼ同時に剣を振るってきた。一人は上から下へ、もう一人はこちらから見て左から右へ。優美はその太刀筋を容易に捉えると、持っている剣でガードした。金属同士がぶつかり合う音が鳴り響いた後に、ぱきんと何かが折れる音がした。剣を下ろしてみれば、男たちの剣が、見事に折れていたのだ。
 優美が一番驚いてしまうが、男たちにとってはそれが笑っているように見えたらしい。刀身のほとんどを失った剣を投げ捨てると、次は手の平を向けた。
「ふ、ふざけるな! あんな馬鹿でかい剣を振り回せる奴がいるか! 魔法だ! 魔法であいつを焼き殺すぞ!」
「ひいぃっ、魔法!? た、助けてくれぇ!」
 優美はこの世界でまだ魔法を見たことがない。なのでつい魔法という言葉に反応をするが、どのように避けたらいいのか分からなかった。まだこの目で、魔法を見たことがないが故に。
「ククッ……! 死ねぇ!」
 二人の男がそれぞれ違う魔法を放った。一人は手の平からガスバーナーのような火を放ち、もう一人は手の平からテスラコイルのような雷を放つ。
 優美はどうしようかと迷っていると、咄嗟に思いついたのが持っている剣だ。これを盾にすれば良いと、分厚く広い刀身で男を庇うようにガードした。結果は優美には傷一つついていないうえに、剣はびくともしなかった。そこで甲冑の男が絶望したかのように、口を開く。
「魔法も効かねぇなんて……化け物だ……! いえ、俺たちのことは、どうか見逃して下さい」
 男たちは無様にそう命乞いをするが、優美は怒りたくなった。人へ暴言を吐いたうえにその態度を示したからだ。それに相手は反乱を起こして、悪の側に成り下がった騎士たちだ。問答無用である。
「わ……俺はお前らを許さない」
 そう言って剣を振り上げると、怒りの感情を乗せて斜めの方向へと振り下ろした。ずしゃと何かが破裂するような音が聞こえると、初めて相手をした魔獣のように何かが粉々になる音が聞こえた。
 優美は今、人を殺してしまった。それも二人もだが、罪悪感や嫌悪感は何故か無い。寧ろ清々しかった。感情までも、支配者にコントロールされているのか。
 二人の死体は綺麗に骨を断ち、真っ二つに割れていた。優美がふうと溜め息をつくと、男に話しかける。
「大丈夫か?」
「えっ、あっ……は、はい!」
 男までも、優美の姿を見て怯えていた。さすがにそれには傷ついた優美だが、まずはこの男を街まで安全な場所まで連れて行かないといけない。男を無理矢理に立たせると、まずはどこか帰る場所があるのか訊ねた。
「お前は、近くの街の者か?」
「はい、実は俺、そこのフィアの街を拠点に商売をしている者でして……」
 なるほど、優美が現在居る街は「フィア」という名前の街らしい。今更知った。頷いた優美は男と共に一旦街へ帰ろうとした。そこで男に引き留められる。
「俺のことは置いておいて、死体をどうにかしなければなりません! 街に帰ったら、まずは教会に行ってあの男たちの死体のことを伝えに行きましょう! そうでないと、アンデッドになってしまいます!」
 アンデッドとは優美は聞いたことがあったし、聞いたこともあった。危険性なども何となく分かる。なので分かったふりをして頷くと、男と共に街へ戻った後に教会へと行った。神父へは死体のある場所と状態を説明する。それは男がしてくれたが、神父に大層驚かれた。人間の体を真っ二つにしたからだ。神父はそのようなことは聞いたことがないらしい。
 状況などを説明してから、ようやく教会から出ることができた。神父に幾ら説明をしても、耳を疑ってきたからだ。
 空はすっかり暗くなっており、同時に優美は腹が減ってきていた。商人の男と別れると優美はすぐに宿屋に戻り、食事を求める。
「ジョン、食事を頼む」
「はいよー!」
 酒場のカウンターにジョンが居たが、昨日よりかは客が多かった。なので少し忙しそうにしていたが、疲れている様子などは全くない。それに感心しながら、優美は空いている席に座った。周囲の客は、優美をじろじろと見ている。
 居心地がなんだか悪いと思っていると、ひそひそと話している会話の内容が少し聞こえた。それは「あの剣で人を真っ二つにしたのか……?」などと。どうやら、優美のしたことが噂として早くも広がっているらしい。犯人は神父ということはあり得ないが、恐らくは商人の男なのだろう。
 優美が大きく咳払いをすると、周囲の声が一気に静まった。しかし数秒後にまたしても声が戻っていく。
 いっそのこと取っている部屋で別々に食べたいと思っていると、早くもジョンが食事を持ってきた。今日のメニューは肉を煮込んだものとちょっとしたサラダ、それにパンである。この世界で野菜を食べるのは初めてであるが、見た目は奇妙な形状をしていない。見たことのない葉などがあるのだが。
「ごゆっくりー」
 優美の前に次々と料理を置いていくと、空腹が更に強まる。なのでジョンが去った後には、すぐに食事に手をつけていった。まずは、肉を煮込んだものである。これは味も見た目もビーフシチューに似ており、優美の箸、ではなくスプーンが止まらない。そうしているうちにいつの間にか完食をすると、次はサラダを食べ始める。
 レタスやキャベツに似た葉物野菜をカットしてあり、上には黄土色のドレッシングがかかっている。ドレッシングの味はごまドレッシングとかなり似ており、優美はこれもまたどんどん食べていく。そして最後にパンを食べると完食をした。満腹である。
 すると周囲の態度がどうでもよくなった優美は、ジョンに声をかけてから部屋に戻る。
 解錠をしてから部屋に入り、施錠をするとようやく一人きりの空間になった。誰かからヒソヒソと何か話されることもなく、視線もなく快適であった。しかしここにいる目的はこの世界の平和を取り戻す為である。この世界の脅威といえば反乱を起こした騎士団なのだが、それを全滅させたら良いのか。
「もしかして……私が騎士団の相手になるの?」
 ベッドの縁にどかりと座ると、そのような思考が巡ってきた。しかしそのようなことをできる力などない。いくら周囲に強いと言われても、そこまではできないのだろう。そう思った優美はベッドにごろんと横になる。
 早く元の世界に戻りたいが、優美も少しでも協力するしかない。優美の中で面倒と不安が混じり合うと、頭を抱えた後に部屋の天井を見た。今朝のように元の世界の景色がまた見たい、やはりこの状況は夢であったと思いたい。
 またあの夢を見たいと起き上がると、まだ身に着けたままの甲冑を静かに外していった。剣を壁に立てかける。そしてインナー姿になるが、そこでとある問題に気付いた。
「待って、私……今まで一回もトイレも風呂も行ってないんだけど……」
 今の世界に来てから、優美は生理現象が今まで起きていないのだ。だがせめて風呂には入りたいと、甲冑を再び装備してから部屋から出た。そしてまだ一階の酒場に居るであろうジョンの元に向かった。
「どうしたの?」
「その……この辺りに公衆浴場は無いのか?」
「あるよ」
 ジョンの反応を聞くなり安堵をした優美はその場所を聞く。するとジョン曰く、この近くに分かりやすくあるらしい。ジョンは今は厨房とカウンターを行き来しており忙しそうだ。なので優美はそれを聞いて「分かった、ありがとう」と言うと、外に出てから周囲を見渡した。
 既に陽が沈んでいて空は暗い。しかしこの街はかなり文明が発達しているのか、街灯が幾つもあった。足下が暗いなどということはない。なので優美は視線を上に向けながら、歩いていく。
 しばらく歩くと、ジョンの言う公衆浴場の案内看板があった。どうやら逆方向だったらしく、すぐに踵を返してから逆方向へと歩いて行く。公衆浴場の建物がすぐに見つかった。外観は白を基調としており、積んだ煉瓦の上から白く塗ったのだろう。近付いていくと、煉瓦の模様が見えた。
 優美はそこでとある問題に気付く。どちらの性別用の浴場に入れば良いのかと。確かに優美の今の体は男そのものだ。しっかりと確認したことはないが、特に下半身が存在していることが分かる。まだそれを見る勇気など無い。
 心は女といえど、やはり体の性別で判断した方が良いと思った優美は意を決して男用の浴場を利用しようとした。まずは建物に入るとすぐに受付が見えるので、そこにしっかりと歩き出す。
「はい男一人ね」
 自身の知る銭湯の番頭のような男が、優美を見るなりそう言う。優美は懐から金貨を出すが、そういえば細かい金が無いことに気付いた。だが回数券のようなものが存在するのだろうと、番頭のような男に聞く。
「回数券はあるか?」
「回数券? あぁ……そんなものならあるよ」
 番頭の男はそう言って、懐から木の札を取り出した。そこには「○○日まで無料」と刻まれている。いわゆる、電車の定期券のようなものなのだろうか。それよりも、優美は日数という概念があることに驚いた。しかしそれを表に出す訳にはいかないので、短い返事をした後に金貨を一枚番頭の男に差し出す。
「これで」
「はいよ、一年分ね」
 優美はそれを聞いて番頭の顔をまじまじと見てしまった。金貨一枚でこれほど公衆浴場を利用できるとは思わなかったからだ。
 番頭の男はそんな優美を不思議そうな顔で見ながら、金貨を受け取った代わりに木の札を受け取る。懐に大事に入れると、優美は早速人生初の男性用の脱衣所へと赴く。
 入ればすぐに他の利用客が服などを脱ぐ、或いは身に着けていた。そのような中で優美が入るなり、周囲がまたしてもざわつく。巨大な剣を携えているうえに、体躯の大きな男。目立たない筈がない。それに優美のことは噂になっていた。あの巨大な剣で、騎士団の男たちの体を真っ二つにしたのだ。
 周囲からは様々な目で見られている。尊敬、恐怖、驚愕など様々だ。優美はそれを体だけで受け止めながら、辺りを見回す。やはりここも優美がよく知るように荷物を置く入れ口の大きな棚があり、扉がついている。防犯面はかなりしっかりしていると思いながら、優美はまずはインナーのボタンを外していった。
 まとわりつく布が体から少しでも離れると、やはり気持ちが良いものだ。優美は解放感に包まれながら、優美は棚に荷物を慎重に入れていく。そして全て入れたところで、次はインナーである。これは洗濯を一度もしていないが、どこで洗濯をするのかと思いながら脱いでいく。
「うわ……筋肉すご……」
 徐々に顕れていく肌を見て、優美は思わず引いてしまっていた。インナーの上から見たときよりも筋肉が隆々としている。まるでボディビルダーのような体をしているが、優美はまだ女子高生である。ただただ引くしかなった。
 上半身を脱いだ後に、次は下半身である。上半身はまだ父親以外のものを見たことがるが、さすがに下半身はない。優美はうるさくなっていく心臓の音を感じながら、タイツのようになっているインナーを脱いでいく。
「うわ……うん……」
 インナーを脱いでちらりと自身の下半身を見るが、優美は一瞬だけ確認しただけで終わった。そしてクラスの男子もあのような外見をしているのだろうかと考えてしまう。いや、何を考えているのかと首を横に振ると、全裸になったところで棚の扉を閉める。銭湯のように施錠ができたのでついていた鍵を引き抜いてから握りしめると、優美は浴場へと入っていった。
 入った瞬間に体にぬるい湯気がまとわりついてきたが、これこそが醍醐味と思った。優美はまずはシャワーを浴びることができないのかと、様々な方向を見た。するとどうやら木製の壁際にある蛇口から常に放水されている湯を、桶に汲んで身を清めるだけという方式らしい。蛇口の元に行くと、優美は桶に湯を汲んでから大きな体を清める。体が清潔になり気持ちがよかった。
 体に湯を掛けた後は巨大な浴槽に入ることになるが、とにかく大きい。銭湯の浴槽の倍はありそうだ。浴槽も木でできているが、これを作るのにどれくらいの木材を消費したのだろうか。そう考えながら、優美はつま先を湯の表面につけた。予想通りに熱い。
「あちっ」
 だが銭湯という文化のある日本人の優美にとっては、反射的にそう呟いてしまっていても入れないということは無かった。つま先がどんどん見えなくなると、脚までもとんどん湯に沈んでいく。熱い感覚が大きくなっていくが、やはり湯は気持ちがいい。
 深さはちょうど座った際に胸まで浸かるまであるようだ。膝を折り腰を下ろすと、あぐらをかいた。優美の口からは自然と「はぁー」と声が漏れる。直後に口元を押さえたが、今はそこまで利用客が居ないのが分かった。そもそも、入浴という行為は庶民にとっては贅沢なのか。そう考えながら、優美は湯に浸かっていた。
 おおよそ三十分は浸かると、そろそろのぼせてくる前なのだろう。優美は立ち上がり入浴前のように体に湯を掛けると、浴場を出た。そこで気付いたのだが、この公衆浴場にはインナーを清潔にする魔法の装置のようなものがあった。構造など分からないが、大きな段ボールのように大きな箱の中に物を入れるだけでいいらしい。丁寧に説明の紙が貼ってあった。
 優美はインナーを着る前にその箱に入れてみた。すると途端に白い煙が充満したかと思うと、すぐに消えた。その後は何も起こらない。これで、良いのだろうと優美は箱を見る。やはりもう何も起きないので恐る恐る入れたインナーを取り出してから少しだけ匂いを嗅いでみる。すると洗剤と似たような香りがした。
 外見こそは男であるが、中身はまだ女子高生である。このように身だしなみを整えられるのならば、とこの公衆浴場に毎日通うと誓ったのであった。インナーを着ていく。
 そして公衆浴場から出て宿屋に帰ると、ベッドに転がるなりすぐに眠っていった。今夜は、寝付きがかなり良いと思いながら。
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