女子高生が異世界転移で筋肉モリモリのおじさんになりました
魔獣を抱えて、どれくらい歩いただろうか。支配者と話していた頃は、青空が広がっていた気がした。となると、現在は青色に橙色が混ざっている。最低でも三時間くらいは歩いたことになるだろう。よくここまで歩けたものだと、優美は唖然としていた。しかし体力はまだ残っているし、足も疲れていない。
見える景色は、山ではなく点在する木材でできた民家へと変わっていった。人の姿だってあったが、優美の世界と同様の姿らしい。それに遠くには多くの木材やレンガ製の建物が並んで見えるので、あれが支配者の言う街なのだろう。
恐らくは夜になった頃に到着するのだろうと思いながら、優美は歩いていく。すると後ろから声がした。優美は顔を左の方向へと振り向かせる。
「おーい、あんた」
初めてこの世界の人間に話しかけられた。その者は、農家らしい姿をしている。証拠として簡素な服装の所々に泥が付着しており、鎌のような物を持っているからだ。その者は壮年の男性と推測できる。
「はい!」
優美ははっきりと返事をした。だが体内で響く声の音は相変わらず低く、慣れない。なので少し顔が歪んでいたのだろう。農民は「大丈夫か?」と尋ねてきた。
「大丈夫です」
「本当か? だってそれ、大型の魔獣だぞ? そんなもんを、一人で抱えてどうしたんだ? 旅の奴か?」
「は、はい……」
驚いた顔をした農民の男は「一人で大丈夫なのか!?」と驚いていた。しかし優美としては特に何も思わなかったので、こくりと頷いた後に返事をする。
「大丈夫です」
「そんな訳があるか! だってそいつは……男八人くらいで、ようやく運べる代物だぞ! それを一人で運ぶだなんて、あり得ない!」
「えぇ……」
優美は自身に引いてしまう。この世界での正しい法則を知ってしまったが、そこまでだとは。それに、このまま街に入れば注目の的になるだろう。また来たことのない街が夜になっても、人々の喧騒が止まない気がしたからだ。
「と、とりあえず、大丈夫です……では!」
優美はそう言うと、農民の男の前から急いで立ち去った。死んだ魔獣を抱えながら、走り去ったのだ。遠くから農民の「ば、化け物だ!」という声が聞こえたが、気のせいではないのだろう。優美は溜め息をつきながら、街へと走って行く。
さすがに魔獣の重さもあり、どすんどすんという足音が鳴っていた。現在は、筋肉に包まれた中年の男性の姿をしているが、優美だって年頃の女である。それが、酷く恥ずかしかったのだ。頬が熱く感じ始めていると、街へと入れる門へと到着した。
そこにはかなりの数の馬車を携えた商人などが並んでおり、兵たちが入門の許可を下しているところである。列の最後尾に優美が並ぶが、前に並んでいた商人などが優美の姿を見る度に、怯えの目を向けていた。やはり、先程の農民の男の言う通りに、他の者としては有り得ない光景かもしれない。
優美が俯いてしまっていると、それに気が付いた一人の兵がこちらに近付いてきた。赤くなっていた顔が、青ざめていくように感じる。
「おい、そこのお前……えっ……?」
右肩に抱えている物を見るなり、兵は絶句をした。周囲の人々のように、この世の者ではないような目で見ている。それに少しショックを受けた優美だが、思い切って兵に話し掛けた。
「あ、あの……! 街に、入らせて下さい!」
「……あ、あぁ、ちょっと……待っていて、くれ……いや、下さい……」
兵は優美と視線を合わせることなく、他の兵たちの元に戻ってから、何やら話し合いをしている様子だ。なので優美が首を傾げていると、先程の兵が戻って来た。
「も、目的は?」
声に乗っている怯えた色が、取り払えていなかった。優美は更にショックを重ねながらも、兵の質問に答える。
「この魔獣を売って、武器屋で武器を買う為です」
「ハハ……そうだよな、そいつと戦って武器が壊れちまったんだな……よし、お前は入っていいぞ」
許可を待つ人々の列があったというのに、割り込みをしてしまう。さすがにそれはよくないと優美は断ろうとしたが、兵や他の人々の怯えた目に耐えられなかった。背中に複数の視線を浴びながら、優美は街へと入って行く。
門を潜ると、そこには賑やかさが広がっていた。優美からしたら「中世ヨーロッパ街並み」そのものだったからだ。石造りの舗装された道に、レンガや木でできた建物たち。それに奥には、小さな白い城が見える。ここを納める主のものなのだろうか。
目の前には人々が歩き、それぞれの目的地へと向かっている。しかし優美の存在を見た者がおり、皆揃って二度見をしていた。門の前と同様に、優美が一人で大型の魔獣を抱えているのが、とても恐ろしく見えたのだろう。それを見て、右肩に抱えているものを何とかしなければならない。
だが一つ、問題がある。優美はどこで換金すればいいのか分からないからだ。支配者からは街のある方向と、それに倒した魔獣をどうするか教えてくれた。しかし街の中にどこに何があるのか分からないのだ。優美は頭を抱えたくなった。
「ど、どこで……ん……?」
しばらく呆然としていると、目の前に「ギルド換金所はあちら」と矢印まで丁寧に書いてある看板があった。支配が言っていた場所だ。
冒険者ギルド、そのような組織がファンタジーの世界にあったことを思い出す。なので優美はそこで右肩に抱えている物を換金してもらおうと思った。看板にある矢印に通りに歩き出していく。
看板によれば、まっすぐ行ってから右に曲がるとあるという。まずはまっすぐ進んで行くが、途中で他の人々も同じ方向に歩いていることが分かった。優美の知るファンタジー世界のように、甲冑やローブなどを着た者たちを見かける。
次に右へと曲がると、そこには大きな建物があった。一階建てで多くの人々が出入りしている。なので扉付近では小さな混雑が生まれていた。その行き交う人々が優美のことを見ていく。やはりはやこの状況を何とかしなければ、と建物に入った。
「あの……」
そこで背後から話しかけられた、気がした。だがやはり気のせいだろうと、歩き進めようとする。
「あなたです! 肩に大型魔獣を抱えてる方!」
これは優美のことだろう、と振り返る。見れば正面に金髪の女が立っていた。今の優美とは頭一つくらい低い身長で、メイド服のようなものを着ている。容姿はとてもよく、優美ほ思わず「可愛い……」と言いかけた。
「そこのあなた! 換金所はここではなく、ギルドを出て裏に回ったところですわ!」
「あ、そうでしたか。どうもありが……」
「まったくもう!」
礼を述べる前に、金髪の女がくるりと体の向きを変えてどこかに行ってしまった。優美は追いかけようとしたが、周囲の視線は相変わらずである。このまま注目を浴び続けるのは嫌なので、優美は言われた通りにギルドを出た。街の喧騒を再び聞きながら、建物の裏へと回る。すぐそこに「換金所」と書いてある看板があり、優美はふうと息を吐いた。
ギルドの建物の壁に屋根が作ってあり、その軒下に大きな机が幾つも並んでいる。冒険者たちの列ができており、建物側には恐らくは鑑定をする者が何人も居た。
並んでいる者たちは皆、革製の袋を片手に持っているだけだ。優美のように、魔獣の体自体を持っている者は居ない。なのでここでもまた「すげぇ……」という声が聞こえた。
視線を浴びる中で優美は列に並ぶが、鑑定から換金まではとてもスムーズに行われていた。ギルド側も側も、手慣れた様子で流れ作業をしていく。優美はそれを見てぽかんとしていると、いつの間にか机の前に立っていた。
「冒険者証は?」
「冒険者証?」
ギルドの者が机を見ながらそう尋ねてきたが、優美はそのようなものは持っていない。なので首を横に振ってから答えた。
「どうして冒険者証を持っていない? 無くしたのか?」
「いえ、私は冒険者ではありません」
「じゃあ何で先に魔獣を狩ってここに来た? ……って、これをあんたが一人で狩ったのか!?」
ギルドの者はどうやら基本的には冒険者の顔をほぼ見ていなかったらしい。なので顔を上げて優美こ顔見るなり驚いていた。
「お、お前……! い、いや、すまん。なんでもない。あんたが狩ったそれは預かっておくから、冒険者登録してからここに戻ってくるといい。しかし、あんたくらい強い奴が、どうして今まで冒険者にならなかったんだ?」
「こ、これには事情がありまして……ありがとうございます!」
優美はそう言いながら、右肩に抱えていた魔獣を机の上に置こうとした。しかしギルドの者が「机が壊れるから地面に置いてくれ」と言うので、優美は地面に置いた。ようやく、右肩にあった獣臭さが無くなる。
他の冒険者たちは形をどうにか保っている魔獣を見て、物珍しそうにしていた。注目を浴びるのが嫌な優美は、ギルドの建物に立つ。その際に木製の扉に、ギルドのシンボルマークのようなものが刻まれているのを見かける。剣を持った手のようなものだが、やはり魔獣などと戦うところから取ったのだろうか。優美はそう思いながら、扉を開けた。
入ると正面に女二人が見えたが、腰より上くらいの高さのカウンターがあった。後ろには扉のような物がある。両側には掲示板があり、何枚もの白い紙が貼り出されている。記載してある内容は、優美からでも見えた。しかし優美の知っている日本語ではないが、自然と読み取れてしまう。
「魔獣の討伐に、薬草の採取……本当にファンタジーそのままね」
ぼそっと一人で呟いてから、冒険者登録の仕方を聞く為に受付へと向かった。
「あの、冒険者登録をしたいのですが……」
「はい! 冒険者登録ですね! お名前を教えて頂けますか?」
一人の受付の女が元気よく返事をしてくれた。その返事通りに、とても活発そうな外見をしており、身長は小さめである。優美は「小動物みたいでかわいい」と言いかけたが抑える。今の優美がそう言ったならば、不審者だと通報されるに違いないと思ったからだ。
名前、そういえばこのまま優美でいいのかと思った。だが今の姿は女子高生ではなく、中年のおじさんだ。名前はおろか、性別にまで釣り合っていない。
これではよくないが、ここでずっと考える訳にはいかない。無難な名前と言ったら、あとは名字くらいしかない。なので一つ咳払いをしてから、優美は答える。
「ナグモ、です」
「はい、ナグモさんですね。少々お待ち下さい!」
女が踵を返して後ろの扉を開ける。その瞬間に部屋のようなものが見えたが、棚などが沢山並んでいた。物置のような部屋なのだろうか。
すると後ろから、他の冒険者が受付に用があるようなので優美は端に寄った。もう一人の受付の女が対応をする。
「すいません、この依頼受けたいです」
冒険者が紙を受付の女に渡していた。掲示板から紙を取り、渡してから依頼を受けられるのだろうか。優美はそう察しながら、二人の会話を聞いていく。
「分かりました……それでは、頑張って下さいね」
受付の女が羽ペンにインクをちょんちょんとつけ、依頼の紙の隅にサインを書く。そして赤いインクを染み込ませたスタンプを軽く押すが、柄は入口にあったシンボルマークと同じである。そして依頼の内容を冒険者に確認をすると、依頼の紙を受け取った冒険者はカウンターから離れた。
そして受付の女が後の扉を開けようとすると、先程の小さな受付の女が扉を開いていた。
「お待たせ致しました」
次は受付の女が部屋に入り、小さな受付の女が目の前に立つ。手に何か持っていると思ったら、優美に差し出してきた。銅色のプレートのネックレスである。
「これが冒険者証ですナグモさん。依頼を受けたいのであれば、こちらと、こちらの掲示板に貼ってあるものから選んで、ここに持ってきて下さい」
「は、はい」
優美は返事をしてから受け取ると、小さな受付の女が「それでは頑張って下さい」とにっこりと微笑んできた。それもまた可愛らしいのだが、優美は我慢しながら頷いた。
とりあえずは、退治した魔獣を換金できるようになった。優美は冒険者証を首に提げてから、ギルドから出る。そして裏にある換金所へと再び向かった。
「おお、来たか」
「すいません、冒険者証、頂きました」
首に提げたばかりの冒険者証を、ギルドの者に見せる。まだしっかりと輝いている銅色をギルドの者が確認をすると、うんうんと頷いた。
「冒険者証を発行してもらってる間に、査定を済ませておいた。こいつは知ってると思うが、ボーカゥと言ってな、よく畑などを荒らす魔獣として有名なんだ。それも、巨大サイズだ。状態は皮や角はとても綺麗だが、全身の骨が粉々になっているが……どうやって倒したんだ? まぁ、いい。ほら、報酬だ。よくやったな」
ギルドの者はそう説明しながら、硬貨の入った袋を差し出してきた。
「金貨三十枚だ」
袋を受け取った優美だが、そもそもこの世界の硬貨の価値など分からない。支配者が居るときに、そのような疑問が起こらなかったからだ。そのときは、それどころではなかったのだが。
「ありがとうございます」
ギルドの者からの言葉の全てを、分かったように聞いてから報酬を受け取る。きちんと、涼しい顔でいられているのだろうか。内心では、冷や汗塗れである。
「あんたは強いんだ。きっと良い冒険者になる。頑張れよ」
「はい」
まずい、かなり期待をされている。そもそも、優美はこの世界の理も分からなかった。しかし唯一、支配者が強くしてくれたのが救いである。それさえあれば、何かあった時に身を守れるからだ。
それに強さといえばこの世界の人間から見れば、優美は相当なものらしい。証拠として先程持ち込んだボーカゥと呼ばれている魔獣は、素早い上に剛力らしい。それを素手で倒してしまったからだ。相手が人間でも、素手であっても余裕で倒すことができるだろう。
だが他の魔獣も居るに違いない。例えば、エルフやドラゴンなどが出てきたときはどうするのだろうか。
悩み事ばかりが頭を巡らせていると、ふとギルドの者が話しかけてきた。
「そういやあんた、武具はどうするんだ? このまま、素手で倒すのか? いくら強いあんたでも、さすがにそれはいつか危ない目に遭うんじゃないか? ここに良い武具屋があるから、紹介してやるよ。レイシオ武具屋といってな……」
「は、はぁ……」
そう言って、ギルドの者がこの街のおすすめの武具屋を教えてくれた。場所はここからとても近いので、口頭での説明になる。
説明によると、ここから大通りを直進し、十字路を二回通った場所にあるらしい。後は、看板があるので分かるという。優美はとても分かりやすい説明に、うんうんと頷いてから礼を述べた。なので早速、その武具屋に行く。少しでも早く、この世界を救って元の世界に戻りたいからだ。
ギルドから離れると、説明通りに進んでいった。徒歩でおおよそ十分くらいの距離である。すぐに、案内の看板が見えた。
「ここか……」
武具屋には看板が掲げてあり「レイシオ武具屋」と書かれていた。異世界の文字であるが、優美はそれも自然に読めてしまう。
店の外観は、古い煉瓦造りをしている。扉は木製で新しいが、最近できたのだろうか。しかし外壁の煉瓦はかなりの経年劣化が見受けられた。優美は首を傾げながら、ドアノブに手をかけ、扉を開く。
「いらっしゃい」
聞こえてきたのは、男の無愛想な声だ。本当にここがギルドの者がすすめてくれた武具屋なのだろうか。優美は居心地悪そうにしながら「お邪魔します……」と控えめに呟き、店内を見回す。
無愛想な声の主、恐らくは名前はレイシオと呼ぶのだろう。その店主は長机に肘をつけ、気怠げに座っている。机の上には羽根ペンとインク、それに紙があるのみ。
そして肝心の商品なのだが、壁には様々な武器や防具が丁寧に飾ってあった。それらのうちの一つである剣を近くで見てみると、埃一つない。他の物も見てみたが、同様である。
優美はこれを見て、すぐにかなりの腕を持つ職人だと思った。このレイシオという店主は、商品を大切にしているからだ。ようやく安堵をした優美は、他の商品を見て回る。
するととある一つの商品が気になってしまう。他の武器は壁に飾ってあるのだが、それは壁に立てかけてあるだげである。
「あの、これは……」
優美が指差すが、それはとても分厚く長い剣としか言いようがなかった。刀身は磨かれて手入れされているとはいえ、現在の優美の身長くらいはあった。抱き枕に最適なサイズと思ってしまったが、これは武器である。
デザインは無骨な刀身に、控えめなデザインの持ち手がついていた。これは言い換えれば、シンプルという言葉が相応しい。優美はただ重そうだと思っていると、ふと店主が話しかけてくる。
「これを持てれば、タダでくれてやる。そんな鉄塊、邪魔なんでね」
「タダで? いや、持てるはずが無いじゃないですかぁ。ほら……えっ……」
冗談のように笑った優美は、その剣を持つ。
するとどうだろうか、剣を軽々しく持つことができた。それも、優美にとってはあまり力を要さない。見た店主が驚いていたが、もっと驚いているのは優美の方である。このような重いものを持つことができるなどと。
しばらくは何も言えなかった様子の店主だが、次第に小さな笑い声が聞こえてきた。どうしたのだろうかと、優美は顔をしかめる。
「ククク……ハッハッハッハ! 本当にに持てるとはな! いいぞ、タダでやる! 大事にしろよ!」
「えっ……? いいんですか?」
「いいんだよ! 俺がタダでくれてやるっつたんだからよ! それにしても、ふざけ半分で作った物の持ち主が現れるなんてなぁ。本当は、俺がこの店を畳むときは溶かしてやろうと思ってたんだ」
店主は突然に饒舌になり、そう語る。優美はうんうんと頷くしかなくなったので、そのまま話を聞いていく。
「分かるだろ? 男にしては、こういうでけぇ剣ってのは、ロマンだ。憧れだ。一度くらい、見るくらいはしたいだろ?」
優美は店主の言っていることが分からなかった。姿は筋肉隆々の男だが、中身は十七才の女子高生である。男のロマンなど、分かる筈がない。
顔が引きつってしまっていたが、店主の視線は剣の方へと向いている。まるで、我が子を見ている父親のようだ。そのような優美のことなど知らずに、店主は更に続ける。
「剣を持てるか、挑戦した奴は何人、いや何百人もいた。だが持てる奴がいなかった。俺は、そんな状況でこいつを作って良かったのかとも考えていた。剣は人に使われてなんぼだからな。でもやっぱり、ロマンを捨てきれなかったんだ。そのロマンを、今まで捨てなくてよかったぜ。ありがとうな」
店主がゴツゴツとした手を差し出し、握手を求めてきた。優美はおずおずと手を差し出すと、店主がしっかりと手を握ってくる。力強い握手である。思わず「あっ」と声を漏らした優美だが、今はおじさんである。このような場面で違和感のある様子を見せてはいけない。なのでその声の後に続けていく。
「あぁ、こちらこそ」
おじさんらしく返事ができたのだろうか。声は恐らくは外見通りのはずなのだが。
「それと、防具はどうする? ここでも扱っているが買っていくか? すまんが、防具は金を取らせてもらうからな」
「そうでした。防具を……これで一番強いものをお願いできますか?」
優美は金貨三十枚の入った袋を店主に渡す。その際にじゃらじゃら音がしており、店主は眉を寄せた。しかし硬貨の金色を見るなり口をあんぐりと開ける。見たことのないものを見ているような顔をしていた。優美は顔を引きつらせる。
「こ……こんなに!?」
「えっ」
「金貨をこんなに!? おい、これだけありやぁ……」
店主はすぐに顔を上げると、素早く立ち上がった。そしてズンズンとどこかへ歩いていくと、防具のある場所へと向かっていった。立派な防具があるが、その中でも特に厳めしい外見の防具を指差す。
「本当はな、こいつは金貨四十枚なんだ。だけどな、足りない分は後でもいいからくれてやる」
「いいんですか!?」
優美は店主の顔を凝視するが、二言は無いらしい。しっかりとうんうんと頷くので、次は優美が口をあんぐりと開けてしまう。
だが武器や防具を揃えた後のことを、何も考えてはいない。この後は、ギルドで依頼を受けるのか、それとも他のことをするのか。少し考えた優美は「ちょっと待って下さい」と、考える時間を店主に求める。
「いいぞ。だが、どうした?」
「私は、この後どうするのか考えていません。先程冒険者になった新人でして、まずは小さな依頼を受けていくべきか、少し休憩をするべきか迷っていまして……」
「えっ!? あんた、まだブロンズ階級の冒険者なのかい!? 俺はてっきり、プラチナ階級の冒険者様だと思っていたよ!」
そこまでそうに見えるのか。それにプラチナ階級とは、初めて聞く言葉だ。プラチナと言えばゴールドやシルバーのような金属の名だが、それらよりも高い冒険者の階級のことなのだろうか。訊ねようともしたが、優美はそれを止めた。この場所、というよりこの世界に来た経緯まで説明すると、不審に思われる可能性があるからだ。
不思議そうに店主が優美の顔をじろじろと見て「確かに、見たことない顔だな……」と呟く。
「そういや、名前は?」
「ナグモです」
店主は「ナグモ、ねぇ……」と考える仕草として、太い顎に手を添える。しかし記憶の中では、該当するような人物が見つからなかったらしい。首を横に振った後に、言葉を続ける。
「じゃあ、本当に新人の冒険者なんだな。分かった。まずは宿屋かどこかで少し休憩していけ。無理をすると、いくら強いあんたでも、元も子もないからな。うーん、今は金貨二十枚で譲ろう。だがあと二十枚は後で払って欲しい」
「いいんですか……? では、お言葉に甘えて……」
優美は袋から金貨を二十枚取り出し、店主に渡した。そして甲冑の方を見ると、やはり重厚感のあるデザインをしている。それに、かなり重そうだ。しかし今の優美としては、装備しても問題なく動けるのだろう。そう思った優美は、甲冑に触れる。
色は灰に近い黒色をしており、全体的に屋根瓦のように金属製の板が重なりあっている。しかし関節や胴、それに甲以外は剥き出しになっていた。店主曰く、全体的に重量のある甲冑なので最低限の部分をカバーしている、とのこと。
「ここで、もう装備していくか?」
「はい、そうします」
店主が購入した甲冑を指差してそう言うので、優美は頷いた。なので早速、優美は甲冑に手をかける。
装備の仕方は正直分からないのだが、まずは脚パーツから装備していった。脚に固定していく毎に、バチンバチンと大きな音が鳴る。そして気が付いたのだが、履き心地がかなり良かった。まるでジャージやスニーカー姿で居るような感覚である。
驚きのあまりに、感嘆の声を漏らしてしまう。
「すげぇだろ? これも、俺が作ったんだぜ?」
ギルドの者からの紹介を受けて、どうやら大正解だったようだ。優美は店主の言葉に「はい!」と返事をする。
次は胴に装備した後に、最後に肩や腕、甲と装備していった。ようやく全ての部分を装備するが、やはり軽く心地が良い。
「重くはないか?」
「はい、大丈夫です」
優美は肩や腕を上げ、更に膝を上げた。見ての通りだと、店主にアピールをする。
「それはよかった。じゃあ、ナグモ、あとの金貨二十枚、ちゃんと払ってくれよ」
「勿論です」
二人はそう約束すると、ナグモは深い礼を述べて、武具屋を出た。空を見れば、太陽は真上にある。そこで、ここに来てから食事をしていないことに気付く。自覚した瞬間に、腹の虫が騒ぐ。
それに思わず笑ってしまった優美は立派な甲冑を纏いながら、まずは宿屋を探した。
よくは分からないのだが、異世界であるここの言語の文字を日本語のように自然と読めてしまう。もしかして、支配者がそうできるように「してくれた」のだろうか。優美は少しは支配者に感謝をしながら、街中を歩いて宿屋を探していった。
しかしすれ違う人々に「あいつすげぇ……」や「プラチナか?」とヒソヒソと、優美を指差して言っていた。明らかに、本人に聞こえているというのに。だが優美はそれに睨んだり、威圧を与える勇気などない。なので聞こえないふりをした。
しばらく歩いて優美が見つけたのは、まだ小綺麗な外観の宿屋である。三階建てになっており、どうやら一階部分は酒場で二階と三階は宿屋という構造らしい。優美の想像するファンタジーの世界の酒場とは、食事ができるうえに情報収集ができる場所という認識をしている。それが、優美にとってちょうど良いと思えたのだ。合理的に行動できると思ったからだ。なのでその建物に入った。
「いらっしゃい、ヒュウ! すげぇ装備だな!」
酒場で店番をしているらしい若い男が優美を見て軽く、そして機嫌良くそう言う。男はカウンターに肘をついて暇そうにしているが、店内を見れば周囲に客は全く居ない。
男は相変わらず優美のことを見ているが、やはりこの世界の人間から見ても立派な装備なのだろうか。
「あの……いや、何か食う物を作れるか?」
今の外見らしい威厳を持たなければならない。なのでこれまでとは別の口調に変えた。これで、おじさんらしいものになったのだろうかと。
「できるぜ」
店の者らしく、丁寧な接客態度ではない。現に未だに男が肘をついていたからだ。優美はそれを少し不満げに見ていると、男がスッと立ち上がり口を開いた。
「冒険者たちは、確か反乱を起こした国の騎士団の制圧に向かってるはずなんだけど」
「……反乱?」
男の言うことは初耳である。そもそも国に騎士団という組織があることもだ。なので首を傾げてから詳しい内容を聞こうとした。だがその前にまずは自身が冒険者になりたての、ブロンズ階級の冒険者であることを示さなければならない。そうすれば、ある程度のことを理解してくれるだろう。
優美は首に提げている銅色の小さなプレートを見せた。
「こういう者だが」
「えぇ!? ブロンズ!? プラチナかと思ったんだけどなぁ……」
男は落胆していた。優美は何もしていないのにそれにショックを受けると、男からの続きの言葉を待つ。
「そうかぁ、まぁいいや。知ってると思うけど、実力主義で有名なあの騎士団が、王に不満があるからって昨夜反乱を起こしたんだ。それでまずは近くの村を襲って焼き、罪も無い村人たちを全員逃がさず虐殺したらしい。むごいよなぁ」
言葉の最後は、男の声はとても低くなっていた。それくらいに、重い出来事だということがよく分かる。
優美は何も言葉を返せなくなった。この世界を、支配者は平和にしたいのか。真面目にそう考えた後に、ふととあることを思いつく。優美自身も、騎士団の反乱の制圧を少しは手伝えるのではないのかと。
「だったら……」
そう言いかけたところで、優美の腹の虫が再び鳴く。それも男に聞こえるくらいに、音が大きい。
男は途端に大笑いすると「何がいい?」と聞いてくれた。なので優美は「何か適当に」と頼む。この世界の食文化は分からないが、同じ人間としての形であるので大丈夫だろうと。
すると男は厨房に入り、何か切るような音が規則的に聞こえ始める。調理を始めたのだろう。何もすることがない優美は近くの椅子に座ると、食事の完成を待った。
十数分が経過したところで、食事が完成した。空腹に限界がきていた優美は、目の前に並べられた食事を涎を垂らしながら眺める。あるのは動物の肉をスパイスのようなもので味付けして焼いたもの、丸いパン、コーンのような色のスープ。どれも美味しそうで、優美は垂れてくる涎が更に止まらなくなりそうであった。
それを見た男はおかしそうに笑いながら「食べてもいいよ」と促してくる。それを聞いた優美は「分かった」と一つ返事をした後に、手を合わせてから食事に手をつけていった。
「いただきます……」
まずは動物の肉のような肉を添えられているナイフとフォークで切ってから口に運ぶ。味は豚肉のような味がして、塩胡椒と似たような味を舌で受け取る。ここの世界としては異世界人の優美でも、とても美味しく食べることができた。次に添えてあるスプーンでパンやコーンのようなスープを食べる。それらもまた優美の知っている味がした。
「美味しい!」
「それはよかった」
男はニコニコとしながら優美が食べている様子を、いつの間にか向かいの席に座って眺めていた。それに気付いた優美は恥ずかしくなるが、やはり空腹には負けられない。ちらりと男の方を見ながらも、出された食事を完食していった。
「ごちそうさまでした! 美味しかった」
優美は元気よく男にそう言い、ナイフとフォークを何も残っていない食器の上に置く。そういえば男のような口調を忘れていたが、今はそのようなことを忘れていた。満腹になった優美の顔には、笑顔が浮かんでいる。
「綺麗に食べてくれてありがとう」
男は立ち上がり、空になった食器を下げようとした。だがそこで優美は手を止めさせる。食事代を、まずは払わなければならないからだ。後払いだとしても、少し冷静になった優美は訊ねる。
「美味しいご飯をありがとう。あの……全部でいくらだ?」
「ん? お金? いいよ、なんかいい食べっぷりを見てたらお代とかどうでもよくなってきちゃって」
「え、えぇ……」
それでも優美は金貨一枚でも取り出そうとしたが、男に止められる。本当に、食事代はいらないらしい。
「それより、名前は?」
「名前? ナグモだ」
優美は若干慣れてきた、ここでの名前を口にする。男はふむふむと言いながら視線を天井に向ける。これは男なりの、考える仕草なのだろうか。
「俺の名前はジョンだよ。よろしくね」
ジョンは食器を下げる手を再び動かす。一方で優美は金貨を取り出す手を止めた。そしてそれなら、とここの宿屋で一泊したいと申し出る。
「ここは宿屋なんだろ? 一泊してもいいか?」
「ん? いいよ。食事ありなら一泊銀貨三枚だよ。うちは少し高めだけど、それが嫌なら他行ってね」
銀貨、そのような硬貨もあるらしい。恐らくは銀貨よりも価値が高いものが金貨となるが、銀貨何枚分に相当するのだろうか。優美は少し考えるが、何も見当がつかない。なので面倒になり、金貨を一枚差し出した。
「これで、何泊できる?」
「おおっ、金貨じゃん。金貨での支払いなら、四泊でいいよ」
ジョンの言葉からして、銀貨十枚で金貨一枚に相当するらしい。それを覚えた優美は四泊したいと言った。勿論、ジョンはそれを承諾する。
「いいよ。じゃあ、これがナグモの部屋の鍵ね。場所は二階の奥の部屋だよ。今はほとんどの冒険者たちか反乱した騎士団の制圧に向かってて、街に半分以上はいないから、暇なんだよね。角部屋だよ」
「助かる」
優美は鍵を受け取ると、鍵が使える部屋に入る為に二階へと上がっていった。木製のまだ新しい階段を登ると、二階へと到着する。奥の部屋らしいが廊下の左右にそれぞれ二つずつ扉があり、その奥に扉が一つあった。あれが。優美が泊まる部屋なのだろう。優美はその扉の前までゆっくりと歩く。
廊下を歩くと、床が軋む音が聞こえた。それを聞きながら目的の扉の前に辿り着くと、受け取った鍵を鍵穴に差し込んだ。そして捻ると、がちゃりと小さな音が鳴る。解錠ができた。
ドアノブに手をかけると、扉を開いた。部屋に入ってまず見えたのは、大きなベッドである。そしてその近くに机と椅子があるので、まずはその椅子に座った。
「ふぅ……」
一つ溜め息をつくと、ようやく一人きりで休むことができた。この世界に来てから、約二日経過しようとしている。まだ分からないことがあるが、少しずつ分かったことを増やせば良いのだろう。だがその中で、優美は分かっていても分からないことがあった。それは、優美自身の強さである。
支配者曰く「強く調整した」らしいが、その強さはこの世界ではあり得ないレベルだと推測できる。それに外見はその強さに応じた外見をしているが、そういえば優美はこの世界での姿を見たことがない。なので立ち上がってから、鏡を探すとすぐに見つかった。細長い姿見があったからだ。優美はその前に立ち、鏡で自身の今の姿を見る。するとすぐに驚愕の感情が沸き起こる。
「本当に……お……おじさんだ……」
鏡には逞しい体をした男が立っており、外見年齢は二十代後半から三十代後半くらいだろう。灰がかった黒い髪を後ろに撫で上げてあり、もみあげから顎まで髭をたくわえている。それに、髭は鼻の下にもあった。見るからに、おじさんである。
「これが今の私って……」
優美は自身の今の姿を見て絶望をすると、支配者がどこかから現れないのかと周囲を見渡した。しかし現れる気配など、一切無い。
今まで女として生きていたが、まさか男になるとは思ってもいなかった。いや、そのようなことなどあり得ない。
「戻りたい!」
そう叫んだが、今まで夢であったということはなかった。優美はこの世界の現実を、しっかりと生きてしまっているからだ。やはり夢ではなかったと、優美は大きく項垂れる。
「そんな……」
肩をがっくりと落とすと扉の向こう、廊下から人の声が聞こえた。他の冒険者もこの宿屋を利用している。なので自然と口を押さえると溜め息を大きく吐いた。
外はもうじき日が暮れる。夜になれば休息の為に眠らなければならない。甲冑を外してから静かに床に置き、ベッドの縁にどすりと座る。甲冑の下は黒いインナーを着ているが、腹が見事に縦に割れていた。
「すご……」
かつては腹には少しの脂肪がついているくらいで、もうじき腹は横に割れる寸前であった。なので自身の腹を触り、初めて触れる、筋肉の硬い感触に感動してしまう。シックスパック、それに指で触れると改めて「すご……」と呟く。
それに腕も、見事な筋肉がついている。特に上腕二頭筋は、惚れ惚れとしてしまいそうだ。優美の好きなタイプというのは、同じ年代の細身の男子だというのに。
そう考えてからハッと気付くと、すぐにその思考と取り払う為に首を横に振った。そして天井を見上げていると、自然とベッドに仰向けに転がってしまう。
「はぁ……」
木製の天井の模様を視線でなぞると、この世界でも木は同じだと思った。ふと魔法は使えるのかと思ったが、出し方など分からない。呪文を唱えるのだろうかと予想してみるが、その肝心の呪文が分からない。いや、魔法は使えるのだろうか。これくらいの筋肉があれば、魔法を使う必要があるのか。
魔法といえば、優美が想像するものは二つある。まずは戦闘時に使う魔法だ。これは炎や氷や雷などを魔力を使って出すもの。そして次に日常生活で使う魔法だが、飛ぶくらいしか思いつかない。元々の世界でファンタジーのことについての知識は、アニメやスマートフォンでのゲームで得たものである。
今の優美の場合何が使えるのだろうか。例えば、攻撃力や防御力を上げるものは使えるのだろうか。手を上げてから少しは見慣れてきた、ごつごつとした手の平を見つめる。
「うーん……分かんないや……」
手をだらりとベッドに落とすと目を閉じる。そして気が付いた時には、優美は眠っていたのであった。
見える景色は、山ではなく点在する木材でできた民家へと変わっていった。人の姿だってあったが、優美の世界と同様の姿らしい。それに遠くには多くの木材やレンガ製の建物が並んで見えるので、あれが支配者の言う街なのだろう。
恐らくは夜になった頃に到着するのだろうと思いながら、優美は歩いていく。すると後ろから声がした。優美は顔を左の方向へと振り向かせる。
「おーい、あんた」
初めてこの世界の人間に話しかけられた。その者は、農家らしい姿をしている。証拠として簡素な服装の所々に泥が付着しており、鎌のような物を持っているからだ。その者は壮年の男性と推測できる。
「はい!」
優美ははっきりと返事をした。だが体内で響く声の音は相変わらず低く、慣れない。なので少し顔が歪んでいたのだろう。農民は「大丈夫か?」と尋ねてきた。
「大丈夫です」
「本当か? だってそれ、大型の魔獣だぞ? そんなもんを、一人で抱えてどうしたんだ? 旅の奴か?」
「は、はい……」
驚いた顔をした農民の男は「一人で大丈夫なのか!?」と驚いていた。しかし優美としては特に何も思わなかったので、こくりと頷いた後に返事をする。
「大丈夫です」
「そんな訳があるか! だってそいつは……男八人くらいで、ようやく運べる代物だぞ! それを一人で運ぶだなんて、あり得ない!」
「えぇ……」
優美は自身に引いてしまう。この世界での正しい法則を知ってしまったが、そこまでだとは。それに、このまま街に入れば注目の的になるだろう。また来たことのない街が夜になっても、人々の喧騒が止まない気がしたからだ。
「と、とりあえず、大丈夫です……では!」
優美はそう言うと、農民の男の前から急いで立ち去った。死んだ魔獣を抱えながら、走り去ったのだ。遠くから農民の「ば、化け物だ!」という声が聞こえたが、気のせいではないのだろう。優美は溜め息をつきながら、街へと走って行く。
さすがに魔獣の重さもあり、どすんどすんという足音が鳴っていた。現在は、筋肉に包まれた中年の男性の姿をしているが、優美だって年頃の女である。それが、酷く恥ずかしかったのだ。頬が熱く感じ始めていると、街へと入れる門へと到着した。
そこにはかなりの数の馬車を携えた商人などが並んでおり、兵たちが入門の許可を下しているところである。列の最後尾に優美が並ぶが、前に並んでいた商人などが優美の姿を見る度に、怯えの目を向けていた。やはり、先程の農民の男の言う通りに、他の者としては有り得ない光景かもしれない。
優美が俯いてしまっていると、それに気が付いた一人の兵がこちらに近付いてきた。赤くなっていた顔が、青ざめていくように感じる。
「おい、そこのお前……えっ……?」
右肩に抱えている物を見るなり、兵は絶句をした。周囲の人々のように、この世の者ではないような目で見ている。それに少しショックを受けた優美だが、思い切って兵に話し掛けた。
「あ、あの……! 街に、入らせて下さい!」
「……あ、あぁ、ちょっと……待っていて、くれ……いや、下さい……」
兵は優美と視線を合わせることなく、他の兵たちの元に戻ってから、何やら話し合いをしている様子だ。なので優美が首を傾げていると、先程の兵が戻って来た。
「も、目的は?」
声に乗っている怯えた色が、取り払えていなかった。優美は更にショックを重ねながらも、兵の質問に答える。
「この魔獣を売って、武器屋で武器を買う為です」
「ハハ……そうだよな、そいつと戦って武器が壊れちまったんだな……よし、お前は入っていいぞ」
許可を待つ人々の列があったというのに、割り込みをしてしまう。さすがにそれはよくないと優美は断ろうとしたが、兵や他の人々の怯えた目に耐えられなかった。背中に複数の視線を浴びながら、優美は街へと入って行く。
門を潜ると、そこには賑やかさが広がっていた。優美からしたら「中世ヨーロッパ街並み」そのものだったからだ。石造りの舗装された道に、レンガや木でできた建物たち。それに奥には、小さな白い城が見える。ここを納める主のものなのだろうか。
目の前には人々が歩き、それぞれの目的地へと向かっている。しかし優美の存在を見た者がおり、皆揃って二度見をしていた。門の前と同様に、優美が一人で大型の魔獣を抱えているのが、とても恐ろしく見えたのだろう。それを見て、右肩に抱えているものを何とかしなければならない。
だが一つ、問題がある。優美はどこで換金すればいいのか分からないからだ。支配者からは街のある方向と、それに倒した魔獣をどうするか教えてくれた。しかし街の中にどこに何があるのか分からないのだ。優美は頭を抱えたくなった。
「ど、どこで……ん……?」
しばらく呆然としていると、目の前に「ギルド換金所はあちら」と矢印まで丁寧に書いてある看板があった。支配が言っていた場所だ。
冒険者ギルド、そのような組織がファンタジーの世界にあったことを思い出す。なので優美はそこで右肩に抱えている物を換金してもらおうと思った。看板にある矢印に通りに歩き出していく。
看板によれば、まっすぐ行ってから右に曲がるとあるという。まずはまっすぐ進んで行くが、途中で他の人々も同じ方向に歩いていることが分かった。優美の知るファンタジー世界のように、甲冑やローブなどを着た者たちを見かける。
次に右へと曲がると、そこには大きな建物があった。一階建てで多くの人々が出入りしている。なので扉付近では小さな混雑が生まれていた。その行き交う人々が優美のことを見ていく。やはりはやこの状況を何とかしなければ、と建物に入った。
「あの……」
そこで背後から話しかけられた、気がした。だがやはり気のせいだろうと、歩き進めようとする。
「あなたです! 肩に大型魔獣を抱えてる方!」
これは優美のことだろう、と振り返る。見れば正面に金髪の女が立っていた。今の優美とは頭一つくらい低い身長で、メイド服のようなものを着ている。容姿はとてもよく、優美ほ思わず「可愛い……」と言いかけた。
「そこのあなた! 換金所はここではなく、ギルドを出て裏に回ったところですわ!」
「あ、そうでしたか。どうもありが……」
「まったくもう!」
礼を述べる前に、金髪の女がくるりと体の向きを変えてどこかに行ってしまった。優美は追いかけようとしたが、周囲の視線は相変わらずである。このまま注目を浴び続けるのは嫌なので、優美は言われた通りにギルドを出た。街の喧騒を再び聞きながら、建物の裏へと回る。すぐそこに「換金所」と書いてある看板があり、優美はふうと息を吐いた。
ギルドの建物の壁に屋根が作ってあり、その軒下に大きな机が幾つも並んでいる。冒険者たちの列ができており、建物側には恐らくは鑑定をする者が何人も居た。
並んでいる者たちは皆、革製の袋を片手に持っているだけだ。優美のように、魔獣の体自体を持っている者は居ない。なのでここでもまた「すげぇ……」という声が聞こえた。
視線を浴びる中で優美は列に並ぶが、鑑定から換金まではとてもスムーズに行われていた。ギルド側も側も、手慣れた様子で流れ作業をしていく。優美はそれを見てぽかんとしていると、いつの間にか机の前に立っていた。
「冒険者証は?」
「冒険者証?」
ギルドの者が机を見ながらそう尋ねてきたが、優美はそのようなものは持っていない。なので首を横に振ってから答えた。
「どうして冒険者証を持っていない? 無くしたのか?」
「いえ、私は冒険者ではありません」
「じゃあ何で先に魔獣を狩ってここに来た? ……って、これをあんたが一人で狩ったのか!?」
ギルドの者はどうやら基本的には冒険者の顔をほぼ見ていなかったらしい。なので顔を上げて優美こ顔見るなり驚いていた。
「お、お前……! い、いや、すまん。なんでもない。あんたが狩ったそれは預かっておくから、冒険者登録してからここに戻ってくるといい。しかし、あんたくらい強い奴が、どうして今まで冒険者にならなかったんだ?」
「こ、これには事情がありまして……ありがとうございます!」
優美はそう言いながら、右肩に抱えていた魔獣を机の上に置こうとした。しかしギルドの者が「机が壊れるから地面に置いてくれ」と言うので、優美は地面に置いた。ようやく、右肩にあった獣臭さが無くなる。
他の冒険者たちは形をどうにか保っている魔獣を見て、物珍しそうにしていた。注目を浴びるのが嫌な優美は、ギルドの建物に立つ。その際に木製の扉に、ギルドのシンボルマークのようなものが刻まれているのを見かける。剣を持った手のようなものだが、やはり魔獣などと戦うところから取ったのだろうか。優美はそう思いながら、扉を開けた。
入ると正面に女二人が見えたが、腰より上くらいの高さのカウンターがあった。後ろには扉のような物がある。両側には掲示板があり、何枚もの白い紙が貼り出されている。記載してある内容は、優美からでも見えた。しかし優美の知っている日本語ではないが、自然と読み取れてしまう。
「魔獣の討伐に、薬草の採取……本当にファンタジーそのままね」
ぼそっと一人で呟いてから、冒険者登録の仕方を聞く為に受付へと向かった。
「あの、冒険者登録をしたいのですが……」
「はい! 冒険者登録ですね! お名前を教えて頂けますか?」
一人の受付の女が元気よく返事をしてくれた。その返事通りに、とても活発そうな外見をしており、身長は小さめである。優美は「小動物みたいでかわいい」と言いかけたが抑える。今の優美がそう言ったならば、不審者だと通報されるに違いないと思ったからだ。
名前、そういえばこのまま優美でいいのかと思った。だが今の姿は女子高生ではなく、中年のおじさんだ。名前はおろか、性別にまで釣り合っていない。
これではよくないが、ここでずっと考える訳にはいかない。無難な名前と言ったら、あとは名字くらいしかない。なので一つ咳払いをしてから、優美は答える。
「ナグモ、です」
「はい、ナグモさんですね。少々お待ち下さい!」
女が踵を返して後ろの扉を開ける。その瞬間に部屋のようなものが見えたが、棚などが沢山並んでいた。物置のような部屋なのだろうか。
すると後ろから、他の冒険者が受付に用があるようなので優美は端に寄った。もう一人の受付の女が対応をする。
「すいません、この依頼受けたいです」
冒険者が紙を受付の女に渡していた。掲示板から紙を取り、渡してから依頼を受けられるのだろうか。優美はそう察しながら、二人の会話を聞いていく。
「分かりました……それでは、頑張って下さいね」
受付の女が羽ペンにインクをちょんちょんとつけ、依頼の紙の隅にサインを書く。そして赤いインクを染み込ませたスタンプを軽く押すが、柄は入口にあったシンボルマークと同じである。そして依頼の内容を冒険者に確認をすると、依頼の紙を受け取った冒険者はカウンターから離れた。
そして受付の女が後の扉を開けようとすると、先程の小さな受付の女が扉を開いていた。
「お待たせ致しました」
次は受付の女が部屋に入り、小さな受付の女が目の前に立つ。手に何か持っていると思ったら、優美に差し出してきた。銅色のプレートのネックレスである。
「これが冒険者証ですナグモさん。依頼を受けたいのであれば、こちらと、こちらの掲示板に貼ってあるものから選んで、ここに持ってきて下さい」
「は、はい」
優美は返事をしてから受け取ると、小さな受付の女が「それでは頑張って下さい」とにっこりと微笑んできた。それもまた可愛らしいのだが、優美は我慢しながら頷いた。
とりあえずは、退治した魔獣を換金できるようになった。優美は冒険者証を首に提げてから、ギルドから出る。そして裏にある換金所へと再び向かった。
「おお、来たか」
「すいません、冒険者証、頂きました」
首に提げたばかりの冒険者証を、ギルドの者に見せる。まだしっかりと輝いている銅色をギルドの者が確認をすると、うんうんと頷いた。
「冒険者証を発行してもらってる間に、査定を済ませておいた。こいつは知ってると思うが、ボーカゥと言ってな、よく畑などを荒らす魔獣として有名なんだ。それも、巨大サイズだ。状態は皮や角はとても綺麗だが、全身の骨が粉々になっているが……どうやって倒したんだ? まぁ、いい。ほら、報酬だ。よくやったな」
ギルドの者はそう説明しながら、硬貨の入った袋を差し出してきた。
「金貨三十枚だ」
袋を受け取った優美だが、そもそもこの世界の硬貨の価値など分からない。支配者が居るときに、そのような疑問が起こらなかったからだ。そのときは、それどころではなかったのだが。
「ありがとうございます」
ギルドの者からの言葉の全てを、分かったように聞いてから報酬を受け取る。きちんと、涼しい顔でいられているのだろうか。内心では、冷や汗塗れである。
「あんたは強いんだ。きっと良い冒険者になる。頑張れよ」
「はい」
まずい、かなり期待をされている。そもそも、優美はこの世界の理も分からなかった。しかし唯一、支配者が強くしてくれたのが救いである。それさえあれば、何かあった時に身を守れるからだ。
それに強さといえばこの世界の人間から見れば、優美は相当なものらしい。証拠として先程持ち込んだボーカゥと呼ばれている魔獣は、素早い上に剛力らしい。それを素手で倒してしまったからだ。相手が人間でも、素手であっても余裕で倒すことができるだろう。
だが他の魔獣も居るに違いない。例えば、エルフやドラゴンなどが出てきたときはどうするのだろうか。
悩み事ばかりが頭を巡らせていると、ふとギルドの者が話しかけてきた。
「そういやあんた、武具はどうするんだ? このまま、素手で倒すのか? いくら強いあんたでも、さすがにそれはいつか危ない目に遭うんじゃないか? ここに良い武具屋があるから、紹介してやるよ。レイシオ武具屋といってな……」
「は、はぁ……」
そう言って、ギルドの者がこの街のおすすめの武具屋を教えてくれた。場所はここからとても近いので、口頭での説明になる。
説明によると、ここから大通りを直進し、十字路を二回通った場所にあるらしい。後は、看板があるので分かるという。優美はとても分かりやすい説明に、うんうんと頷いてから礼を述べた。なので早速、その武具屋に行く。少しでも早く、この世界を救って元の世界に戻りたいからだ。
ギルドから離れると、説明通りに進んでいった。徒歩でおおよそ十分くらいの距離である。すぐに、案内の看板が見えた。
「ここか……」
武具屋には看板が掲げてあり「レイシオ武具屋」と書かれていた。異世界の文字であるが、優美はそれも自然に読めてしまう。
店の外観は、古い煉瓦造りをしている。扉は木製で新しいが、最近できたのだろうか。しかし外壁の煉瓦はかなりの経年劣化が見受けられた。優美は首を傾げながら、ドアノブに手をかけ、扉を開く。
「いらっしゃい」
聞こえてきたのは、男の無愛想な声だ。本当にここがギルドの者がすすめてくれた武具屋なのだろうか。優美は居心地悪そうにしながら「お邪魔します……」と控えめに呟き、店内を見回す。
無愛想な声の主、恐らくは名前はレイシオと呼ぶのだろう。その店主は長机に肘をつけ、気怠げに座っている。机の上には羽根ペンとインク、それに紙があるのみ。
そして肝心の商品なのだが、壁には様々な武器や防具が丁寧に飾ってあった。それらのうちの一つである剣を近くで見てみると、埃一つない。他の物も見てみたが、同様である。
優美はこれを見て、すぐにかなりの腕を持つ職人だと思った。このレイシオという店主は、商品を大切にしているからだ。ようやく安堵をした優美は、他の商品を見て回る。
するととある一つの商品が気になってしまう。他の武器は壁に飾ってあるのだが、それは壁に立てかけてあるだげである。
「あの、これは……」
優美が指差すが、それはとても分厚く長い剣としか言いようがなかった。刀身は磨かれて手入れされているとはいえ、現在の優美の身長くらいはあった。抱き枕に最適なサイズと思ってしまったが、これは武器である。
デザインは無骨な刀身に、控えめなデザインの持ち手がついていた。これは言い換えれば、シンプルという言葉が相応しい。優美はただ重そうだと思っていると、ふと店主が話しかけてくる。
「これを持てれば、タダでくれてやる。そんな鉄塊、邪魔なんでね」
「タダで? いや、持てるはずが無いじゃないですかぁ。ほら……えっ……」
冗談のように笑った優美は、その剣を持つ。
するとどうだろうか、剣を軽々しく持つことができた。それも、優美にとってはあまり力を要さない。見た店主が驚いていたが、もっと驚いているのは優美の方である。このような重いものを持つことができるなどと。
しばらくは何も言えなかった様子の店主だが、次第に小さな笑い声が聞こえてきた。どうしたのだろうかと、優美は顔をしかめる。
「ククク……ハッハッハッハ! 本当にに持てるとはな! いいぞ、タダでやる! 大事にしろよ!」
「えっ……? いいんですか?」
「いいんだよ! 俺がタダでくれてやるっつたんだからよ! それにしても、ふざけ半分で作った物の持ち主が現れるなんてなぁ。本当は、俺がこの店を畳むときは溶かしてやろうと思ってたんだ」
店主は突然に饒舌になり、そう語る。優美はうんうんと頷くしかなくなったので、そのまま話を聞いていく。
「分かるだろ? 男にしては、こういうでけぇ剣ってのは、ロマンだ。憧れだ。一度くらい、見るくらいはしたいだろ?」
優美は店主の言っていることが分からなかった。姿は筋肉隆々の男だが、中身は十七才の女子高生である。男のロマンなど、分かる筈がない。
顔が引きつってしまっていたが、店主の視線は剣の方へと向いている。まるで、我が子を見ている父親のようだ。そのような優美のことなど知らずに、店主は更に続ける。
「剣を持てるか、挑戦した奴は何人、いや何百人もいた。だが持てる奴がいなかった。俺は、そんな状況でこいつを作って良かったのかとも考えていた。剣は人に使われてなんぼだからな。でもやっぱり、ロマンを捨てきれなかったんだ。そのロマンを、今まで捨てなくてよかったぜ。ありがとうな」
店主がゴツゴツとした手を差し出し、握手を求めてきた。優美はおずおずと手を差し出すと、店主がしっかりと手を握ってくる。力強い握手である。思わず「あっ」と声を漏らした優美だが、今はおじさんである。このような場面で違和感のある様子を見せてはいけない。なのでその声の後に続けていく。
「あぁ、こちらこそ」
おじさんらしく返事ができたのだろうか。声は恐らくは外見通りのはずなのだが。
「それと、防具はどうする? ここでも扱っているが買っていくか? すまんが、防具は金を取らせてもらうからな」
「そうでした。防具を……これで一番強いものをお願いできますか?」
優美は金貨三十枚の入った袋を店主に渡す。その際にじゃらじゃら音がしており、店主は眉を寄せた。しかし硬貨の金色を見るなり口をあんぐりと開ける。見たことのないものを見ているような顔をしていた。優美は顔を引きつらせる。
「こ……こんなに!?」
「えっ」
「金貨をこんなに!? おい、これだけありやぁ……」
店主はすぐに顔を上げると、素早く立ち上がった。そしてズンズンとどこかへ歩いていくと、防具のある場所へと向かっていった。立派な防具があるが、その中でも特に厳めしい外見の防具を指差す。
「本当はな、こいつは金貨四十枚なんだ。だけどな、足りない分は後でもいいからくれてやる」
「いいんですか!?」
優美は店主の顔を凝視するが、二言は無いらしい。しっかりとうんうんと頷くので、次は優美が口をあんぐりと開けてしまう。
だが武器や防具を揃えた後のことを、何も考えてはいない。この後は、ギルドで依頼を受けるのか、それとも他のことをするのか。少し考えた優美は「ちょっと待って下さい」と、考える時間を店主に求める。
「いいぞ。だが、どうした?」
「私は、この後どうするのか考えていません。先程冒険者になった新人でして、まずは小さな依頼を受けていくべきか、少し休憩をするべきか迷っていまして……」
「えっ!? あんた、まだブロンズ階級の冒険者なのかい!? 俺はてっきり、プラチナ階級の冒険者様だと思っていたよ!」
そこまでそうに見えるのか。それにプラチナ階級とは、初めて聞く言葉だ。プラチナと言えばゴールドやシルバーのような金属の名だが、それらよりも高い冒険者の階級のことなのだろうか。訊ねようともしたが、優美はそれを止めた。この場所、というよりこの世界に来た経緯まで説明すると、不審に思われる可能性があるからだ。
不思議そうに店主が優美の顔をじろじろと見て「確かに、見たことない顔だな……」と呟く。
「そういや、名前は?」
「ナグモです」
店主は「ナグモ、ねぇ……」と考える仕草として、太い顎に手を添える。しかし記憶の中では、該当するような人物が見つからなかったらしい。首を横に振った後に、言葉を続ける。
「じゃあ、本当に新人の冒険者なんだな。分かった。まずは宿屋かどこかで少し休憩していけ。無理をすると、いくら強いあんたでも、元も子もないからな。うーん、今は金貨二十枚で譲ろう。だがあと二十枚は後で払って欲しい」
「いいんですか……? では、お言葉に甘えて……」
優美は袋から金貨を二十枚取り出し、店主に渡した。そして甲冑の方を見ると、やはり重厚感のあるデザインをしている。それに、かなり重そうだ。しかし今の優美としては、装備しても問題なく動けるのだろう。そう思った優美は、甲冑に触れる。
色は灰に近い黒色をしており、全体的に屋根瓦のように金属製の板が重なりあっている。しかし関節や胴、それに甲以外は剥き出しになっていた。店主曰く、全体的に重量のある甲冑なので最低限の部分をカバーしている、とのこと。
「ここで、もう装備していくか?」
「はい、そうします」
店主が購入した甲冑を指差してそう言うので、優美は頷いた。なので早速、優美は甲冑に手をかける。
装備の仕方は正直分からないのだが、まずは脚パーツから装備していった。脚に固定していく毎に、バチンバチンと大きな音が鳴る。そして気が付いたのだが、履き心地がかなり良かった。まるでジャージやスニーカー姿で居るような感覚である。
驚きのあまりに、感嘆の声を漏らしてしまう。
「すげぇだろ? これも、俺が作ったんだぜ?」
ギルドの者からの紹介を受けて、どうやら大正解だったようだ。優美は店主の言葉に「はい!」と返事をする。
次は胴に装備した後に、最後に肩や腕、甲と装備していった。ようやく全ての部分を装備するが、やはり軽く心地が良い。
「重くはないか?」
「はい、大丈夫です」
優美は肩や腕を上げ、更に膝を上げた。見ての通りだと、店主にアピールをする。
「それはよかった。じゃあ、ナグモ、あとの金貨二十枚、ちゃんと払ってくれよ」
「勿論です」
二人はそう約束すると、ナグモは深い礼を述べて、武具屋を出た。空を見れば、太陽は真上にある。そこで、ここに来てから食事をしていないことに気付く。自覚した瞬間に、腹の虫が騒ぐ。
それに思わず笑ってしまった優美は立派な甲冑を纏いながら、まずは宿屋を探した。
よくは分からないのだが、異世界であるここの言語の文字を日本語のように自然と読めてしまう。もしかして、支配者がそうできるように「してくれた」のだろうか。優美は少しは支配者に感謝をしながら、街中を歩いて宿屋を探していった。
しかしすれ違う人々に「あいつすげぇ……」や「プラチナか?」とヒソヒソと、優美を指差して言っていた。明らかに、本人に聞こえているというのに。だが優美はそれに睨んだり、威圧を与える勇気などない。なので聞こえないふりをした。
しばらく歩いて優美が見つけたのは、まだ小綺麗な外観の宿屋である。三階建てになっており、どうやら一階部分は酒場で二階と三階は宿屋という構造らしい。優美の想像するファンタジーの世界の酒場とは、食事ができるうえに情報収集ができる場所という認識をしている。それが、優美にとってちょうど良いと思えたのだ。合理的に行動できると思ったからだ。なのでその建物に入った。
「いらっしゃい、ヒュウ! すげぇ装備だな!」
酒場で店番をしているらしい若い男が優美を見て軽く、そして機嫌良くそう言う。男はカウンターに肘をついて暇そうにしているが、店内を見れば周囲に客は全く居ない。
男は相変わらず優美のことを見ているが、やはりこの世界の人間から見ても立派な装備なのだろうか。
「あの……いや、何か食う物を作れるか?」
今の外見らしい威厳を持たなければならない。なのでこれまでとは別の口調に変えた。これで、おじさんらしいものになったのだろうかと。
「できるぜ」
店の者らしく、丁寧な接客態度ではない。現に未だに男が肘をついていたからだ。優美はそれを少し不満げに見ていると、男がスッと立ち上がり口を開いた。
「冒険者たちは、確か反乱を起こした国の騎士団の制圧に向かってるはずなんだけど」
「……反乱?」
男の言うことは初耳である。そもそも国に騎士団という組織があることもだ。なので首を傾げてから詳しい内容を聞こうとした。だがその前にまずは自身が冒険者になりたての、ブロンズ階級の冒険者であることを示さなければならない。そうすれば、ある程度のことを理解してくれるだろう。
優美は首に提げている銅色の小さなプレートを見せた。
「こういう者だが」
「えぇ!? ブロンズ!? プラチナかと思ったんだけどなぁ……」
男は落胆していた。優美は何もしていないのにそれにショックを受けると、男からの続きの言葉を待つ。
「そうかぁ、まぁいいや。知ってると思うけど、実力主義で有名なあの騎士団が、王に不満があるからって昨夜反乱を起こしたんだ。それでまずは近くの村を襲って焼き、罪も無い村人たちを全員逃がさず虐殺したらしい。むごいよなぁ」
言葉の最後は、男の声はとても低くなっていた。それくらいに、重い出来事だということがよく分かる。
優美は何も言葉を返せなくなった。この世界を、支配者は平和にしたいのか。真面目にそう考えた後に、ふととあることを思いつく。優美自身も、騎士団の反乱の制圧を少しは手伝えるのではないのかと。
「だったら……」
そう言いかけたところで、優美の腹の虫が再び鳴く。それも男に聞こえるくらいに、音が大きい。
男は途端に大笑いすると「何がいい?」と聞いてくれた。なので優美は「何か適当に」と頼む。この世界の食文化は分からないが、同じ人間としての形であるので大丈夫だろうと。
すると男は厨房に入り、何か切るような音が規則的に聞こえ始める。調理を始めたのだろう。何もすることがない優美は近くの椅子に座ると、食事の完成を待った。
十数分が経過したところで、食事が完成した。空腹に限界がきていた優美は、目の前に並べられた食事を涎を垂らしながら眺める。あるのは動物の肉をスパイスのようなもので味付けして焼いたもの、丸いパン、コーンのような色のスープ。どれも美味しそうで、優美は垂れてくる涎が更に止まらなくなりそうであった。
それを見た男はおかしそうに笑いながら「食べてもいいよ」と促してくる。それを聞いた優美は「分かった」と一つ返事をした後に、手を合わせてから食事に手をつけていった。
「いただきます……」
まずは動物の肉のような肉を添えられているナイフとフォークで切ってから口に運ぶ。味は豚肉のような味がして、塩胡椒と似たような味を舌で受け取る。ここの世界としては異世界人の優美でも、とても美味しく食べることができた。次に添えてあるスプーンでパンやコーンのようなスープを食べる。それらもまた優美の知っている味がした。
「美味しい!」
「それはよかった」
男はニコニコとしながら優美が食べている様子を、いつの間にか向かいの席に座って眺めていた。それに気付いた優美は恥ずかしくなるが、やはり空腹には負けられない。ちらりと男の方を見ながらも、出された食事を完食していった。
「ごちそうさまでした! 美味しかった」
優美は元気よく男にそう言い、ナイフとフォークを何も残っていない食器の上に置く。そういえば男のような口調を忘れていたが、今はそのようなことを忘れていた。満腹になった優美の顔には、笑顔が浮かんでいる。
「綺麗に食べてくれてありがとう」
男は立ち上がり、空になった食器を下げようとした。だがそこで優美は手を止めさせる。食事代を、まずは払わなければならないからだ。後払いだとしても、少し冷静になった優美は訊ねる。
「美味しいご飯をありがとう。あの……全部でいくらだ?」
「ん? お金? いいよ、なんかいい食べっぷりを見てたらお代とかどうでもよくなってきちゃって」
「え、えぇ……」
それでも優美は金貨一枚でも取り出そうとしたが、男に止められる。本当に、食事代はいらないらしい。
「それより、名前は?」
「名前? ナグモだ」
優美は若干慣れてきた、ここでの名前を口にする。男はふむふむと言いながら視線を天井に向ける。これは男なりの、考える仕草なのだろうか。
「俺の名前はジョンだよ。よろしくね」
ジョンは食器を下げる手を再び動かす。一方で優美は金貨を取り出す手を止めた。そしてそれなら、とここの宿屋で一泊したいと申し出る。
「ここは宿屋なんだろ? 一泊してもいいか?」
「ん? いいよ。食事ありなら一泊銀貨三枚だよ。うちは少し高めだけど、それが嫌なら他行ってね」
銀貨、そのような硬貨もあるらしい。恐らくは銀貨よりも価値が高いものが金貨となるが、銀貨何枚分に相当するのだろうか。優美は少し考えるが、何も見当がつかない。なので面倒になり、金貨を一枚差し出した。
「これで、何泊できる?」
「おおっ、金貨じゃん。金貨での支払いなら、四泊でいいよ」
ジョンの言葉からして、銀貨十枚で金貨一枚に相当するらしい。それを覚えた優美は四泊したいと言った。勿論、ジョンはそれを承諾する。
「いいよ。じゃあ、これがナグモの部屋の鍵ね。場所は二階の奥の部屋だよ。今はほとんどの冒険者たちか反乱した騎士団の制圧に向かってて、街に半分以上はいないから、暇なんだよね。角部屋だよ」
「助かる」
優美は鍵を受け取ると、鍵が使える部屋に入る為に二階へと上がっていった。木製のまだ新しい階段を登ると、二階へと到着する。奥の部屋らしいが廊下の左右にそれぞれ二つずつ扉があり、その奥に扉が一つあった。あれが。優美が泊まる部屋なのだろう。優美はその扉の前までゆっくりと歩く。
廊下を歩くと、床が軋む音が聞こえた。それを聞きながら目的の扉の前に辿り着くと、受け取った鍵を鍵穴に差し込んだ。そして捻ると、がちゃりと小さな音が鳴る。解錠ができた。
ドアノブに手をかけると、扉を開いた。部屋に入ってまず見えたのは、大きなベッドである。そしてその近くに机と椅子があるので、まずはその椅子に座った。
「ふぅ……」
一つ溜め息をつくと、ようやく一人きりで休むことができた。この世界に来てから、約二日経過しようとしている。まだ分からないことがあるが、少しずつ分かったことを増やせば良いのだろう。だがその中で、優美は分かっていても分からないことがあった。それは、優美自身の強さである。
支配者曰く「強く調整した」らしいが、その強さはこの世界ではあり得ないレベルだと推測できる。それに外見はその強さに応じた外見をしているが、そういえば優美はこの世界での姿を見たことがない。なので立ち上がってから、鏡を探すとすぐに見つかった。細長い姿見があったからだ。優美はその前に立ち、鏡で自身の今の姿を見る。するとすぐに驚愕の感情が沸き起こる。
「本当に……お……おじさんだ……」
鏡には逞しい体をした男が立っており、外見年齢は二十代後半から三十代後半くらいだろう。灰がかった黒い髪を後ろに撫で上げてあり、もみあげから顎まで髭をたくわえている。それに、髭は鼻の下にもあった。見るからに、おじさんである。
「これが今の私って……」
優美は自身の今の姿を見て絶望をすると、支配者がどこかから現れないのかと周囲を見渡した。しかし現れる気配など、一切無い。
今まで女として生きていたが、まさか男になるとは思ってもいなかった。いや、そのようなことなどあり得ない。
「戻りたい!」
そう叫んだが、今まで夢であったということはなかった。優美はこの世界の現実を、しっかりと生きてしまっているからだ。やはり夢ではなかったと、優美は大きく項垂れる。
「そんな……」
肩をがっくりと落とすと扉の向こう、廊下から人の声が聞こえた。他の冒険者もこの宿屋を利用している。なので自然と口を押さえると溜め息を大きく吐いた。
外はもうじき日が暮れる。夜になれば休息の為に眠らなければならない。甲冑を外してから静かに床に置き、ベッドの縁にどすりと座る。甲冑の下は黒いインナーを着ているが、腹が見事に縦に割れていた。
「すご……」
かつては腹には少しの脂肪がついているくらいで、もうじき腹は横に割れる寸前であった。なので自身の腹を触り、初めて触れる、筋肉の硬い感触に感動してしまう。シックスパック、それに指で触れると改めて「すご……」と呟く。
それに腕も、見事な筋肉がついている。特に上腕二頭筋は、惚れ惚れとしてしまいそうだ。優美の好きなタイプというのは、同じ年代の細身の男子だというのに。
そう考えてからハッと気付くと、すぐにその思考と取り払う為に首を横に振った。そして天井を見上げていると、自然とベッドに仰向けに転がってしまう。
「はぁ……」
木製の天井の模様を視線でなぞると、この世界でも木は同じだと思った。ふと魔法は使えるのかと思ったが、出し方など分からない。呪文を唱えるのだろうかと予想してみるが、その肝心の呪文が分からない。いや、魔法は使えるのだろうか。これくらいの筋肉があれば、魔法を使う必要があるのか。
魔法といえば、優美が想像するものは二つある。まずは戦闘時に使う魔法だ。これは炎や氷や雷などを魔力を使って出すもの。そして次に日常生活で使う魔法だが、飛ぶくらいしか思いつかない。元々の世界でファンタジーのことについての知識は、アニメやスマートフォンでのゲームで得たものである。
今の優美の場合何が使えるのだろうか。例えば、攻撃力や防御力を上げるものは使えるのだろうか。手を上げてから少しは見慣れてきた、ごつごつとした手の平を見つめる。
「うーん……分かんないや……」
手をだらりとベッドに落とすと目を閉じる。そして気が付いた時には、優美は眠っていたのであった。