日陰の冒険者
フェルンは今の街、クゥルにしばらく滞在することに決めた。相変わらず野宿であるが、小さな魔獣の討伐の依頼を細々と受けていれば、少なくとも衣食住のうちの食だけは確保できた。体の清潔のことについては、近くの川で体を洗えば大丈夫だ。フェルンは銅貨を一枚でも多く貯めていくが、この街は治安がそれなりに良い。なので盗難などの被害には遭わなかった。幸運、或いは偶然に過ぎなかったのか。
そのおかげでフェルンは剣を新調できた。以前のものと大きさは同じだが、刃こぼれなどはしていない。切れ味だって、段違いに良い。フェルンは切れ味を確かめる為に、早速討伐の依頼を受けた。今や手慣れている、ボーカゥの幼体を探す。前は逃がしてしまったり、毛皮の品質が悪い状態で討伐してしまっていた。しかし次第に品質の良い状態を保ったまま討伐し、換金所で換金できるようになっていった。
そしてある日、フェルンの元に嬉しい知らせが入った。騎士団討伐隊が冒険者内で正式に結成されるようで、まずはプラチナとゴールドランクの一部の冒険者に声を掛けているようだ。これは国が懸賞金をかけたことで、ギルドが動いたのだった。当然、フェルンにはそのような資格は無いが、いつかゴールドランクに近付くことができれば。そう思いながらフェルンはこの日も討伐の依頼をこなしていく。
しかしその道中に、事は起きた。今日は街から少し離れたところで討伐依頼があった。いつもは街がすぐそこに見える場所で討伐依頼をこなしているが、この日はたまたまそうであった。いつものように太陽の下でボーカゥの幼体を探していると、一つの旗が遠くから見えた。槍のマークがついている、騎士団のものである。するとフェルンの中で、今まで封じ込めていた怒りが一気に噴出した。
「騎士団……!」
フェルンは旗を鋭く睨むと、草むらに入りながら旗の元へと近付いていった。見れば一人しか居ないが、それでもフェルンにとっては復讐の対象となる。赤の他人だろうと、そして身内だろうと。
なるべく足音を立てないように、静かに静かに旗を持っている人間をまずは見た。やはり騎士団の甲冑を着ており、片手には綺麗に光るソードを持っている。対してフェルンの手にはまだ新品の剣があるが、まともにやりあうのは不可能だろう。なのでずっと息を潜めていると、甲冑の人間が空を見上げた。顔がちらりと見えたが、フェルンにとっては見覚えしかなかった。
あれは少し年の離れたフェルンの兄である。名前はウェルといい、フェルンとよく容姿が似ている。
「兄さん……!」
憎しみ、怒り、悲しみ、全ての負の感情に包まれたフェルンは、歩いている兄の背後に慎重に回った。そして剣をそっと抜くと、草むらから出てから剣を首に向ける。
「兄さん、死んでくれ」
久しぶりに再開した兄への言葉がそれであった。そしてすぐに気付いたらしいウェルは、降参の意味で両手を上げる。
「久しぶりだな、フェルン」
声の調子は軽めである。舐められていると思ったフェルンは、剣を握る力を強めた。目の前に居るウェルを殺せば、フェルンのほとんどの復讐は果たされる。そうであるのに、フェルンは剣を動かせないでいる。今更になって、また人間を殺すことに怖じ気ついてるのか。
そのような自身に凄まじく怒ったが、それを鎮めるにはウェルを早く殺すことである。手を少しでも動かせば、ウェルの首の皮膚が切れてしまう。なので剣を後は押し込むだけでいいのだ。骨までは切れるのかは分からないのだが。
「ん? 切らねぇのか?」
するとウェルは挑発をするようにそう訊ねてきた。怒りにより心拍数が上がっていくと、次第に手が震える。どうして、どうして目の前に復讐となる人間が居るのに。
「いや……今から……うッ!」
そこでウェルが振り向くと同時に、フェルンの腹を蹴った。咄嗟のことに何も対応ができなかったフェルンは、地面に情けなく仰向けに倒れてしまう。そして無抵抗の状態になったところで、ウェルが剣先を首に向ける。
「俺を殺すんじゃなかったのか?」
「くっ……!」
苦渋の声を漏らしながらウェルの顔を見上げるが、とても余裕たっぷりの表情をしていた。まことに腹立だしい。それでも抵抗を見せる為に睨むと少し笑われた後にウェルが口を開く。
「俺は生まれ育った村を壊したよ。上からの指示でね。でも、嫌だとは思わなかったんだ。寧ろ当然と思えた。父さんが山賊に襲われたのは、この村が貧乏なせいだ。お前だって分かっていただろう。山賊に襲われた原因だって、この周辺を整備していなかった。それに……父さんが襲われたとき、村の人たちは見て見ぬ振りをしたんだ……! だから、この村なんてどうでもいい」
「そんな訳……」
「本当のことだ」
ウェルの表情はいつの間にか真剣になっていた。なのでそれを見て真実なのだと悟ってしまったフェルンは、何も返せないでいる。ウェルの言う根拠など、どこにも無いというのに。じっと黙っていると、ウェルが剣を引かせた。
「今回だけは、見逃してやろう」
ウェルもまた、フェルンを殺すつもりだったのだろう。立場だけ見れば、当然なのだろう。騎士団で村を燃やす一つの手になった兄を殺せなかった、またはやはり己の弱さ故に見逃されてフェルンは悔しくて堪らなかった。
そしてウェルが踵を返すと、颯爽と歩いていった。フェルンの方へと、一度も振り返ることなく。フェルンは声にならない叫びを吐き、泣く。そしてフェルンの復讐心が更に増していくと、涙がぴたりと止む。
「僕は……きちんと復讐者にならないといけない……復讐の、鬼にならないといけない」
自己暗示をするように復唱をすると、フェルンは体を起こした。そしてまだ何かを切っていない剣を見る。これが使い物にならなくなるまで、魔獣や勿論のことだが人を殺さなければ復讐への道はすぐに崩壊してしまう。
目を閉じると空気を吸い込んでから、ゆっくりと息を吐く。そして立ち上がるとウェルが残した足跡が見える。それを強く蹴った後に、フェルンは街へと戻る。依頼を破棄する為だ。ギルドへと戻ってからキャンセルの手続きをすると、掲示板を見た。
今まで復讐への轍を作っていただけだ。しっかりと基礎を作り、その道を歩かなければならない。そう思ったフェルンは、とある依頼を見た。それは簡単に言えば逃走中の犯罪者を殺すというものである。国からの依頼だが、通常は犯罪者を裁くのは国や司法である。冒険者が介入すべきものではない。しかし中々捕まらない犯罪者をどうにもできず、ギルドに頼むことがある。魔獣を相手にしているのだから当然、人間でさえも相手できると見込んで。しかしこの依頼は、冒険者からは「汚れ仕事」と呼ばれていた。人を殺すなど、誰もがやりたがらないことだからだ。
報酬だって魔獣討伐よりも高く、そしてただ強くなりたいフェルンにとってはちょうどよかった。だがその代わりに、相当な危険が伴うのだが。
見ている依頼の内容は「街で逃走中の犯罪者の捕獲、生死は問わない」と書いてある。対象は連続強盗犯なので、フェルンでもできるだろう。そう思いながら依頼の紙を剥がしてから受付に持って行った。
「これを、よろしくお願いします」
「フェルンさん、ブロンズ階級ですが大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
二つ返事で頷いたフェルンは、受付にて受注完了するまでを待った。すぐに終わるのだが、今だけはやけに長く感じられた。何故ならば、他人に「できるのか」と聞かれて、ふと冷静になりかけたからだ。先程まで、自分の考えだけで行動していたが故に。
「はいできます」
復讐への道を完成させるには、やらなければならない。それもなるべく早く、確実にだ。まずは見ず知らずの人間を殺すことに慣れようと、フェルンは依頼をこなす為にギルドを出た。依頼の紙を懐にぐしゃりと突っ込みながら。
依頼に向かう前に人相が描かれている紙を渡されていた。それには特徴も書かれており、身長は小さめ、魚介類のようなギョロギョロとした目、顎には大きな傷痕。かなり分かりやすいものである。
フェルンはいわゆる処刑対象の人間の特徴をしっかりと覚えるなり、まずは街の裏道を隅々まで探した。基本的には、そのような人間は大通りという人目につく場所にはいないと思ったからだ。しかし虱潰しに全ての裏道を探しきるには時間がかかる。それにすれ違ってしまっている可能性があった。
なので一旦大通りへと出てから人混みの中に紛れる。この人の量では見つかる訳がないので、時間帯を変えようと思った。夜ならば、この人混みは多少は解消するだろう。そう思ったフェルンは、再び裏道に入り、人が来ないであろう場所を探す。
ここは基本的には建物の裏であり、どうにも太陽の光が入らない。まるで、自身が日陰そのものの人間になったようだった。現在の目的も含めて。フェルンは自嘲した後に建物の壁にすがると、そのまま腰を下ろした。
一旦、依頼のことを頭から追い出す。すると昼間の兄であるウェルとのことを思い出してしまい、激しい怒りに包まれかける。嘘だ、ウェルの言っていることは嘘だと自己暗示しながら。ウェルの言葉は全て妄言、あるいは騎士団に入ってからおかしくなったのだと言い聞かせると、目を閉じた。
すると怒り疲れてしまったのか、フェルンはその場で短い眠りについた。
目を覚ますと、辺りは真っ暗になっていた。フェルンは慌てて周囲を見回すが、人の気配は無い。それに手持ちの武器を持っていることから、寝ている間に何かを盗まれている様子は無かった。安堵をしたフェルンは、ゆっくりと立ち上がる。
そうだ、夜ならば追いかけている連続強盗犯を見つけることができるのであろう。夜は暗く、強盗するにはうってつけだと思ったからだ。フェルンは早速に行動に移す。
まずは昼間同様に、人気のない裏道を虱潰しに探していく。裏道と言えどたくさんあるが、いつかは見つかるのだろう。フェルンは物陰は勿論、建物の壁などを見ていく。強盗犯と言えば、どこかの民家などの壁を伝っている可能性も考えられたからだ。
幾つも幾つも見ていき、フェルンはようやく不審な人物の後ろ姿だが見つけることができた。その者は裏道から大通りの様子を覗っていた。服装はボロ布を纏ったような衣服を着ており、手には大きな袋を持っていた。
フェルンはその者にゆっくりと近付くと、まずは追いかけている人物との特徴を照らし合わせていく。まずは身長だが、見たところでは小さい。そして顔だが横顔だけは確認できる。見れば魚介類のように目がギョロギョロとしており、フェルンは間違いないと思った。
更にゆっくりと近付いていくと、顎の大きな傷痕までも確認できた。間違いないから確実に変わると、フェルンはまだ何も斬っていない剣を静かに引き抜いた。刀身が月明かりで輝き、とても綺麗だ。フェルンは少しだけうっとりとしながら、処刑対象に近付いた。
確実に始末するには、背後から心臓を貫くのが手っ取り早い。フェルンは処刑対象にどんどん近付くと、刃先を心臓のあたりに向けた。そしてすぐに刃先を処刑対象に突き刺す。
「うがぁ!?」
驚きが混じった悲鳴を上げながら、処刑対象の膝が崩れ落ちる。フェルンはそのまま更に奥深くへと差し込んでいくと、処刑対象が倒れた。そして顔をフェルンの方へと震えながら向けると「ガキが……」と、挑発するように笑う。
まだそのような余裕があったのかと、フェルンは眉間に皺を寄せながら口を開く。
「ゴミは死ね」
剣を引き抜くが、処刑対象の服が赤く染まっていく。このまま観察していれば、すぐに死ぬのだろう。しかしフェルンはそのようなことは考えていない。刀身に付着した血を払った後に鞘にしまうと、近くに落ちていた石ころを拾う。そして処刑対象の髪を引っ張って持ち上げると、その石で目を潰し始めた。処刑対象は大きな悲鳴を上げる。苦しげな悲鳴を上げる。
両目を潰すと「助けてくれ……助けてくれ……」と小さな声で言っている。しかしフェルンにそのような気は無く、持っている石ころで顔を殴り始めた。面白いように、顔の皮膚が破れて血が噴き出す。
それでもまだ処刑対象が生きているので、フェルンは内心で舌打ちをした。そして石を持っている手で喉を思いっきり殴ると、そこでよう処刑対象の息が途絶えた。体の力が抜け、ぐったりとしている。
フェルンはその処刑対象であった者の姿を見ると、大きく笑ってしまう。無抵抗状態となった人を殺す楽しさに目覚めてしまったのだ。以前の心には戻れないとは、微塵も思うことなどなく。
「もっとだ……もっと人を殺せば、僕は……!」
復讐への道の基礎が作れた気がした。なのでフェルンは無邪気に喜ぶと、死体を持ち、衛兵を探すとすぐに見つかった。どうやら悲鳴が聞こえ、民間人が衛兵に通報したらしい。
「き、君……!」
「冒険者のフェルンです。連続強盗犯を捕らえました」
衛兵に死体をそれに冒険者証を見せるが、視線を逸らされた。どうやら、そのような状態の死体を見せられるとは思わなかったらしい。しかしフェルンは淡々と、衛兵に話しかける。
「あなたに引き渡せば、大丈夫ですよね」
「あ、あぁ……そうだが……」
死体を渡すと、衛兵の顔色が悪くなった。
「とりあえず、上司に報告するから、君も着いて来てくれ」
「はい」
大通りに出たせいで、フェルンたちは大いに目立っているようだ。無残な姿の死体と衛兵、それに剣を持っている少年だ。注目をされない訳がない。フェルンは衛兵に着いていくと、とある建物に到着した。中に入ると机と椅子が一つずつと、それに数人の衛兵が長椅子に座って談笑していた。どうやらここは、交代で街を見回っている衛兵たちの休憩所兼、詰所のようだ。
他の衛兵たちがこちらを見るなり、急激に室内が静寂に包まれる。その中で衛兵は死体を床に横たわらせると、まずは他の衛兵に話をした。会話の内容が聞こえたが、簡単に「あの冒険者の少年が、連続強盗犯を捕らえた」と。他の衛兵のうちの一人が返事をすると、フェルンの方を向いてからこちらに向かってくる。
「君がやったのか?」
「はい。なので完了のサインを下さい」
「わ、分かった……」
フェルンがくしゃくしゃになった依頼の紙を見せながらそう言う。衛兵が言葉を詰まらせながらもそう返すと、紙を受け取ってから机に向かう。そして素早くサインを書いた後にスタンプを押すと、フェルンに渡した。
「今回は助かった。だが、その……ここまでしなくてもいいだろう?」
「どうしてですか? ここに住んでいる人たちと、それにあなたたちも困っていたのでしょう?」
「それはそうだが……」
どう返事をすれば良いのか分からなくなってきたらしい衛兵は視線を逸らすが、すぐにこちらを向いた。
「いくらこの世の法に背いたとしても、まだこの人には更生する権利だってあった筈だ。法とは人を縛ると同時に、そのような余地を与えることだってできるからだ。確かに、上は生死を問わないという条件をつけていたが……」
今のフェルンには、その言葉が響かなかった。すでに心を黒く、そして鬼にしているからだ。
「では、ありがとうございました。次は、なるべく気をつけます」
フェルンが一方的にそう述べると、建物から出た。そして先程の衛兵からの言葉ではなく、処刑対象を痛めつけていたことを思い出す。あのように騎士団は勿論、兄であるウェルを殺すことができれば理想である。だが今回はたまたまかもしれない。
そう思い起こしながら、フェルンはギルドに戻っていく。その道中にすれ違う人々の会話が聞こえた。
「おい、さっきこのへんで、人殺しがあったらしいぜ」
「俺は死体を見たぞ……! 顔が、潰れていた……」
「なんだそれ!? 人間がやることじゃねぇよ……悪魔かよ」
人から見ても、鬼と思えたらしい。フェルンはそれを聞き流しながらも、ギルドに到着すると、早速に受付に依頼完了の紙を渡す。
「終わりました」
「ありがとうございます。お疲れ様でした。あの……フェルンさん、大丈夫ですか? このような依頼を受けた人たちは、大抵はもうやりたくないと仰るのですが……もしもこの依頼のせいで何かあれば、いつでも言って下さいね」
「いえ、大丈夫です」
受付の女は心配をしていたが、フェルンは素っ気なく返事をすると、まずは報酬を受け取った。あまり人がやりたがらない為か、報酬は多めである。それも、フェルンが以前受け続けていた依頼よりもかなり多い。銀貨十枚だ。
「ありがとうございます」
フェルンは報酬を受け取るがこのような大金ではなく、やはり人をい殺せたことに喜んでいた。そしてこのような依頼をまた受けたいと、受付の女に聞く。
「他に似たような依頼は出ていますか?」
「えっ……まぁ、出てはいますが……フェルンさん、少し休んだ方がいいのでは? そのような大金を報酬で得ることができましたし、どこか宿屋で休まれた方が……」
「大丈夫です」
フェルンは受付の女の助言を無視すると、掲示板を見た。人を殺すような内容の依頼は、現在は二つある。まず一つ目が連続殺人鬼で、二つ目が先程と同じく連続強盗犯だ。
前者は今のフェルンでは分が悪いと思った。なので後者の依頼の紙を剥がすと、受付に持って行く。
「無理はしないで下さいね」
「はい」
受付の女が受注の手続きを済ませると、依頼の紙と処刑対象の人物の人相をそっと渡した。フェルンはそれを受け取ると、すぐにギルドを出る。夜は深まっており、幾ら人の多い街でも静まりかけていた。人通りはまばらである。
フェルンのような子供はおらず、酔っ払った大人しかいない。時折にその酔っ払いがフェルンに絡んでくるが、無視をした。邪魔でしかないからだ。
人相の書いてある紙を見れば、これといった特徴はない。何故ならば、とても一般的な顔立ちをしているらしいからだ。それに身長も同様である。
舌打ちをしたフェルンは溜め息をつくと、受付の女の助言の通りにすることにした。適当な宿屋に入ると、銀貨一枚で宿泊することができた。フェルンは久しぶりに、雨風を凌げる場所で寝ることになる。
銀貨一枚を渡すとぼろぼろの鍵を渡された。そして部屋の場所を告げられると、フェルンはその扉の前に立つ。鍵を取り出して解錠をすると、部屋に入る。真っ暗の中で扉閉めてから施錠をすると、暗がりの中でベッドを探すがすぐに見つかった。部屋自体が、かなり狭かったからだ。
そしてベッドにすぐに横たわると、フェルンは意識を失ったかのように眠る。
フェルンはそこで夢を見たが、内容は地獄そのものであった。死んだ母と弟妹が、夢に出てきたからだ。フェルンにとっては夢は、自身の叶いもしない願望を見るための幻覚だと思っていた。
「フェルン、おかえり」
「お兄ちゃん!おかえり」
フェルンは陽の当たるどこか分からない場所にいる一方で、三人は日陰にいた。そしてフェルンの腕を掴み、引っ張ってくる。その力は意外と強く、フェルンはその日陰の中に入りそうであった。
「待って、僕は……!」
抵抗をするが、三人の手を引く力が強まっていく。そして母が更にぐいぐいと引っ張っていきながら、フェルンへと言葉を向けた。
「フェルン、あなたはもうそこに、戻れないのでしょう? そこから離れることにしたのでしょう? だったら、私たちと四人で楽しく過ごしましょう」
「いやだ! 僕は……! 僕は……?」
そこでフェルンは母の言葉に気付いたのだが、自身の心だけはもう死んだも同然なのかもしれない。闇へと、堕ちてしまったのだから。
フェルンはそう考えると、抵抗の力を弱める。すると途端に体が日陰の方へと入っていった。
「おかえり、フェルン」
母がそう言って笑うと、フェルンを抱きしめた。自然と暖かい気がして、フェルンは頷いた。そこで、夢は途絶える。
瞼を上げれば、見覚えのない天井が見えた。素早く起き上がってから周囲を確認すると、ようやく現在の場所を思い出すことができた。ここは、宿屋の一室である。先程のは夢であったが、どうしてなのか感じる体の暖かさが不気味に思える。これは自身の熱なのか、或いは。
フェルンは気味が悪くなっていくと、胸を押さえてから息を何度も吐いた。やはりここは現実である。汗をだらだらとかくと、再び横になった。そして発作のように息が苦しくなると、ベッドの上でのたうち回る。まるで、釣り上げられた滑稽な魚のようだった。
一人で訳の分からない苦しみに襲われていると、ようやくそれが止んだ。ゆっくりと深呼吸をするとベッドの縁に座る。未だに高鳴る心臓音を聞きながら、フェルンは思った。人をまたしても殺してしまったから、あのような夢を見たのか。そして先程の苦しみが起きたのか。自身の奥底に眠る善意が、今のフェルンを懲らしめているように思えた。
だがフェルンは人を殺し続けなければ、復讐は果たせない。兄を殺し騎士たちも殺すことでフェルンの復讐は終わる。
そこでふと、どうして復讐に追われなければならないのかと思った。フェルンの中の正気がそう問いかけてくるようだった。頭を抱えてから正気の言葉を無視すると、フェルンは立ち上がった。外は既に朝を迎えているので、支度をし始めた。復讐へと辿り着くために。
剣を携えるが、この剣であと何人殺すことができるのだろうか。それはフェルン次第ではあるが、そう考えながら宿屋を出た。向かう先はまだ決まっていないが、昨日受注した処刑対象を見つけなければならない。まずは街を歩いてみることがいいのだろう。そう思ったフェルンは、街中を歩いていく。
「どこだ……」
見かけは駆け出しの少年の冒険者かもしれないが、心は復讐に塗れた人間である。それも。自らを鬼としていた。そのようなことを周囲の人々は知らないまま、フェルンとすれ違う。
人々の顔をなるべくフェルンは確認するが、一向に見つからない。陽が昇っているのは勿論のことだが、ターゲットとなる相手があまりにも特徴が無いからだ。このままでは埒があかないと、フェルンは踵を返してから来た道を戻る。更に人通りが増えると思ったからだ。
宿屋の近くに戻ると、まずは人気の少ない場所から探していった。すると近くには小さな酒場があることに気付き、フェルンはそこに入った。酒場に行けば何かしらの情報を得ることができると思ったからだ。
入れば、カウンターに店主らしき中年の男が居た。髭をぼうぼうに生やしており、ふくよかな体型をしている。まるで熊のような男だ。
「いらっしゃい……ここはガキの来る場所じゃない」
「分かっています。ですが……この人を探していますが、見かけたことはありますか?」
フェルンは懐から処刑対象の人相が描いてある紙を見せた。酒場の店主は黙ってそれに顔を近付けると、少し考えたような素振りを見せた後に口を再びを開く。
「なんか見たことがあるな……」
「本当ですか? そうであれば、どこで見かけたなどを教えてもらえますか?」
「教えることはできるが……こいつはたまにうちに来る奴でな。ただ、不定期的なんだ。いつ来るかは分からねぇ。そいつと俺は顔馴染みくらいにはなったが……そいつが何かをしたのか?」
フェルンの心に希望の花が芽生えると、人相の紙を相変わらず見せたままで答えた。
「連続強盗犯です」
「なるほどなぁ……おいガキ、今夜ここに来い。そいつが来たら知らせてやるから。だがタダとは言わせねぇ。ちょっと酒を運ぶのを手伝え」
フェルンにとっては好条件でしか無かった。確実ではないが、もしかしたら探している人物が見つかる可能性がある。その見返が酒場の仕事の手伝いだけでいいのだ。拒否をするわけがない。
その条件にフェルンは頷くと、交渉が成立した。すると店主が早速「こっちに来てくれ」と言うので、言うとおりに着いてきた。外に出る。そこには幾つかの酒樽があり、これを店内に運びたいとのことだ。
店主と共に酒樽を持ち上げるが、二人でもかなり重かった。店主もフェルンも、呻き声を上げながら店内に入れていく。
「これを、一人で運んでいるのですか?」
「当たり前だろ」
即答をされるとフェルンはただ「凄い」としか言いようがなかった。
時折に店主と他愛もない会話を交えながら、ようやく全ての酒樽を運び終えた。その頃にはちょうど昼時になっていたらしい。店主の腹の虫が鳴る。一方でフェルンは空腹を通り過ぎているのか、空腹感など無い。
「腹が減ったな。飯にするぞ。ほらガキ、お前もだ」
口調は乱暴だが、この店主は優しいように思えた。なのでフェルンは素直に頷くと、カウンター席に座っていて欲しいと促される。その言葉に甘えて座っていると、店主が籠一杯にまで入ったパンと水差しを持って来た。
「ほら、お前も食え」
フェルンは本当に良いのかと店主の顔を見ると、ただ頷かれた。なのでフェルンはそっと取ってから一口食べる。すると脳が急激に空腹感を思い出したようだ。咀嚼とパンを取る手が止まらない。
横で店主が「喉につまるぞ」と笑いながら言っているのが聞こえた。そこで冷静になると、咀嚼を終えてからフェルンが小さく謝る。
「ごめんさない……」
「いや、いいんだ。それよりそこまで腹が減っていたのか? だったらもっと食え。ガキが遠慮なんてするな」
「はい……」
店主がぐりぐりと頭を撫でてきた。フェルンは久しぶりに撫でられた感覚により、死んだ父のことを思い出す。今もなお生きていれば、このように頭を撫でられたりする場面もあったのかもしれないと。
ふと視界が涙で滲むが、兄のことが心にちらついたのですぐに涙が引いていった。そして目の周りが乾くと、再びパンを囓ってから店主に話しかける。他にすることはあるのかと。
「他にすることはありますか?」
「いや、無いぞ。夜になったらまた来い。冒険者なんだろ?」
そうだった。自身は復讐者である前に冒険者であった。今のフェルンでは戦いの技術など、ほとんどない。強くならなければと店主に向かって頷いた。
「はい。では、また夜に来ます」
「おう、待ってるぞ」
二人はそうして一時的に別れると、フェルンはギルドに向かった。しかし入るなり妙に騒がしかった。
「おい聞いたか? 隣の街に、すげぇ強い奴がいるんだってよ。強化魔法も無しに、素手で地面を割ったらしいぜ。それに、ブロンズ階級の冒険者らしいぜ!」
「まじかよ! もう化け物じゃねぇか!」
聞けば隣の街にそのような人物が居るという。フェルンはそんな人間が居てたまるかと、内心で舌打ちした後に掲示板を見る。しかし貼り出されてある依頼はフェルンが確認したときと変わらない。なのでギルドから出ると、夜までは暇なので処刑対象となる男を探すことにした。
まずは街中の市場を探す。ここは特に人が多く、すれ違うのが困難な場合もある。フェルンは人々の間を必死にかき分けながら、ひたすら前を進んでいく。だがここで探したことは失敗したと反省する。歩くことで精一杯で一人一人の顔を見ることなど、不可能に近いからだ。
なるべく市場から出ようとすると、そこで女の悲鳴が聞こえた。人々は何だと周囲を見回し、フェルンも同様の行動を取る。しばらくしてから女も悲鳴のあった地点を把握したが、どうやらすれ違いざまに誰かに刃物で切りつけられたらしい。腹部が服の上からでも赤く染まっていた。それを見るなり、人々はパニック状態に陥った。
「おい! 逃げろ! どこかに切りつけた奴がいるぞ! くそ! 誰だ!」
ある男が騒ぐと、人々のパニックが更に増幅する。このままでは、フェルンまでも切りつけられる可能性だってあった。周りは大の大人ばかりだが、背の低いフェルンは屈めば視界が少しは確保できる。なのでどこかに刃物を持っている者が居ないか必死に探す。
人々の脚やそれに赤い血が見える。誰か、切られた者が二人に増えたのだろう。フェルンは自身もその被害者になる訳にはいかないと、身をよじる。
すると刃物が見えた気がしたので、フェルンは人々を力一杯押しのけた後にその元へと向かっていく。途中で蹴るなどの行為をされたが、フェルンはそれに耐えながら足を進める。
「お前か!」
そう言いながらフェルンが剣を抜くと、刃物を持っている人物にそれを見せた。人々からは悲鳴が聞こえると、フェルンの周りから人が居なくなっていく。目の前には、先程騒いでいた男が立っており、血に塗れたナイフを持っていた。表情は笑っている。
「お前かぁ……俺を探しているガキってのは。あいつから聞いたぜ」
「えっ……?」
男の言うあいつが分からず、フェルンは首を傾げる。そして該当する人物など居ないので「どういうことだ」と訊ねると、男はおかしそうに笑う。
「知ってるだろ? 酒場を経営してる熊の野郎だよ」
ようやく該当する人物が現れたが、それは男の言う通りに酒場の男であった。情報の対価として店の手伝いをし、パンを食わせてくれた男。フェルンは途端に頭に血が上る。
最初から酒場の男と目の前に居る男は通じており、フェルンが処刑対象として探していることを伝えたのか。そして酒場の男に頭をガシガシと撫でられて、父のことを思い出してしまった自身にも腹を立てた。怒りがどんどんと増幅していくと、瞬く間に爆発したかのようにフェルンは男を切りつけようとした。しかし簡単に避けられてしまう。
「おおっと、最近のガキはあぶねぇなぁ」
「うるさい!」
フェルンは無我夢中で剣を振うが、全て空振りで終わってしまっていた。悔しさに男を罵ろうとしたが、怒りのあまりに言葉が浮かばない。すると男がひょいと近付いてきて、ナイフで腕を切りつけてきた。それも、切られたのは右腕である。
熱い痛みが走り、剣を持つことができなくなりそうであった。しかしこれを手放せば、今のフェルンにとっては即ち死しか待ち受けていない。なので右腕をぐっと力を込め、さらなる痛みを浴びながら剣を構えた。
目の前の男のことは絶対に許さないと思った。罪も関係も無い人を切りつけては遊んでいるからだ。連続強盗犯であるというのに。
「おっと……怖いねぇ、最近のガキは」
呑気に男が笑うと、次は男から攻撃を仕掛けてきた。こちらにまっすぐと走ってくるが、ナイフが描く軌跡はどうなるのかはフェルンにとっては予測できない。いや、まだ素人であるが故に予測するという思考がほとんど無い。
このままでは危ないが、一か八かとフェルンは剣で突くように刃先を向けた。そして目を閉じてしまう。
するとキィンと金属同士がぶつかる音がしたが、長く響くようなものではなかった。ほんの一瞬だけ、それが聞こえただけだ。なのでフェルンは何が起きたのかと恐る恐る目を開けてみると、そこには衝撃の光景があった。男のナイフの刃先と、フェルンの剣先同士がぶつかっていたのだ。運が良かったに違いないが、フェルンはその奇跡に鼓舞されたかのように剣を振るった。
太刀筋は極普通の、上から下へと下ろすものだった。男にとっては逆にしてこないのだろうと思い、ナイフの刃先を再び向けている。剣の刀身はナイフの刃先を綺麗に逸れると、そのまま男の肩へと下りていった。血が噴き出し、男から悲鳴が上がる。
「ああああぁあぁぁ!」
その場で崩れ、持っていたナイフを落としてしまう。そこでフェルンは、処刑の為にともう一度剣を振るった。頭を落とそうと、首を狙ったのだ。
さくりと綺麗な音が聞こえたと同時に肩と同様に血が噴き出すが、骨を断てなかったようだ。そして男の首が骨によりしっかりと支えられたまま、息を絶やす。
そこでフェルンの処刑対象を殺したところで、剣を鞘に収めながら死体へと近付く。体は血に汚れており、鉄の匂いが充満している。あまり触れたくはないが、詰所にこれを持っていかなければ依頼は達成できない。なので仕方なく死体を持ち上げると、死体の足を引きずりながら目的の場所へと連れて行った。
いつの間にかあった、周囲の野次馬からの視線を幾つも幾つも浴びながら。
依頼を終えるが、フェルンの怒りは収まらない。原因は酒場の店主の存在である。自身は勿論だが、関係の無い人々までも巻き込んだことは腹立だしいことほかにない。なのでフェルンは処刑対象に加担したとして、酒場に向かう。
「おい」
「……生きてやがったか」
店主は平然としていた。殺した男とはどれくらいの信頼関係があったのかは謎だが、善し悪しのどちらかがあってもこれくらい淡白だったのだろうか。フェルンはそう思いながら、剣を抜いた。剣先は店主の方を向いている。
「お前も、あの男みたいになりたいか?」
「なりたくはないな」
「普通ならそう思うだろうが……」
フェルンにとっての当然の摂理を語ろうとしたところで、店主が口を挟む。正直、フェルンはそれに苛立ったが発言権を譲った。どうせ、この後殺そうと思っているのだから。
「復讐は、一つに絞っておいた方がいいぞ。中途半端な復讐をしても、お前が苦しむだけだ。分かるだろ?」
最初は聞かないつもりであったが、最後まで聞いてしまっていた。そしてフェルンは呼吸を一つ置いてから考える。これが中途半端な復讐に該当するのかと。
確かに店主の男はフェルンに直接的ではないが、危害を加えてきた。それも言葉を吐いたのではなく、他の者に情報を渡しただけだ。フェルンの目的とは外れてしまう。
「…………」
フェルンが押し黙ると、店主は「そうだろ?」と必死に言う。やはり剣を向けられているのが怖いらしく、声が震えてきた。一世一代とは言えないが、勇気を出して述べたのだろう。
「だから、もう落ち着け。それに……許して欲しい代わりに、俺はお前とはもう関わらない。それでいいか?」
店主は意を決したように、フェルンにどんどん近付いてくる。対してフェルンは微動だにせず、剣先がどんどん店主に近付いてくるだけであった。このまま進んでいれば、いつかは店主の体を貫いていくだろう。
それを見たフェルンはようやく剣を下ろすと「分かった」と言って鞘に収めた。踵を返すと、振り返ることなく店主に言った。
「……二度と、俺と会うなよ」
「約束する」
「絶対にだ」
「あぁ、分かっている」
二人の間で契約が成立すると、フェルンはすぐに酒場を出た。まだ空は青く、陽が照っている。
フェルンはその光を受けながら途中に濃い影を作り、酒場を離れていったのであった。
そのおかげでフェルンは剣を新調できた。以前のものと大きさは同じだが、刃こぼれなどはしていない。切れ味だって、段違いに良い。フェルンは切れ味を確かめる為に、早速討伐の依頼を受けた。今や手慣れている、ボーカゥの幼体を探す。前は逃がしてしまったり、毛皮の品質が悪い状態で討伐してしまっていた。しかし次第に品質の良い状態を保ったまま討伐し、換金所で換金できるようになっていった。
そしてある日、フェルンの元に嬉しい知らせが入った。騎士団討伐隊が冒険者内で正式に結成されるようで、まずはプラチナとゴールドランクの一部の冒険者に声を掛けているようだ。これは国が懸賞金をかけたことで、ギルドが動いたのだった。当然、フェルンにはそのような資格は無いが、いつかゴールドランクに近付くことができれば。そう思いながらフェルンはこの日も討伐の依頼をこなしていく。
しかしその道中に、事は起きた。今日は街から少し離れたところで討伐依頼があった。いつもは街がすぐそこに見える場所で討伐依頼をこなしているが、この日はたまたまそうであった。いつものように太陽の下でボーカゥの幼体を探していると、一つの旗が遠くから見えた。槍のマークがついている、騎士団のものである。するとフェルンの中で、今まで封じ込めていた怒りが一気に噴出した。
「騎士団……!」
フェルンは旗を鋭く睨むと、草むらに入りながら旗の元へと近付いていった。見れば一人しか居ないが、それでもフェルンにとっては復讐の対象となる。赤の他人だろうと、そして身内だろうと。
なるべく足音を立てないように、静かに静かに旗を持っている人間をまずは見た。やはり騎士団の甲冑を着ており、片手には綺麗に光るソードを持っている。対してフェルンの手にはまだ新品の剣があるが、まともにやりあうのは不可能だろう。なのでずっと息を潜めていると、甲冑の人間が空を見上げた。顔がちらりと見えたが、フェルンにとっては見覚えしかなかった。
あれは少し年の離れたフェルンの兄である。名前はウェルといい、フェルンとよく容姿が似ている。
「兄さん……!」
憎しみ、怒り、悲しみ、全ての負の感情に包まれたフェルンは、歩いている兄の背後に慎重に回った。そして剣をそっと抜くと、草むらから出てから剣を首に向ける。
「兄さん、死んでくれ」
久しぶりに再開した兄への言葉がそれであった。そしてすぐに気付いたらしいウェルは、降参の意味で両手を上げる。
「久しぶりだな、フェルン」
声の調子は軽めである。舐められていると思ったフェルンは、剣を握る力を強めた。目の前に居るウェルを殺せば、フェルンのほとんどの復讐は果たされる。そうであるのに、フェルンは剣を動かせないでいる。今更になって、また人間を殺すことに怖じ気ついてるのか。
そのような自身に凄まじく怒ったが、それを鎮めるにはウェルを早く殺すことである。手を少しでも動かせば、ウェルの首の皮膚が切れてしまう。なので剣を後は押し込むだけでいいのだ。骨までは切れるのかは分からないのだが。
「ん? 切らねぇのか?」
するとウェルは挑発をするようにそう訊ねてきた。怒りにより心拍数が上がっていくと、次第に手が震える。どうして、どうして目の前に復讐となる人間が居るのに。
「いや……今から……うッ!」
そこでウェルが振り向くと同時に、フェルンの腹を蹴った。咄嗟のことに何も対応ができなかったフェルンは、地面に情けなく仰向けに倒れてしまう。そして無抵抗の状態になったところで、ウェルが剣先を首に向ける。
「俺を殺すんじゃなかったのか?」
「くっ……!」
苦渋の声を漏らしながらウェルの顔を見上げるが、とても余裕たっぷりの表情をしていた。まことに腹立だしい。それでも抵抗を見せる為に睨むと少し笑われた後にウェルが口を開く。
「俺は生まれ育った村を壊したよ。上からの指示でね。でも、嫌だとは思わなかったんだ。寧ろ当然と思えた。父さんが山賊に襲われたのは、この村が貧乏なせいだ。お前だって分かっていただろう。山賊に襲われた原因だって、この周辺を整備していなかった。それに……父さんが襲われたとき、村の人たちは見て見ぬ振りをしたんだ……! だから、この村なんてどうでもいい」
「そんな訳……」
「本当のことだ」
ウェルの表情はいつの間にか真剣になっていた。なのでそれを見て真実なのだと悟ってしまったフェルンは、何も返せないでいる。ウェルの言う根拠など、どこにも無いというのに。じっと黙っていると、ウェルが剣を引かせた。
「今回だけは、見逃してやろう」
ウェルもまた、フェルンを殺すつもりだったのだろう。立場だけ見れば、当然なのだろう。騎士団で村を燃やす一つの手になった兄を殺せなかった、またはやはり己の弱さ故に見逃されてフェルンは悔しくて堪らなかった。
そしてウェルが踵を返すと、颯爽と歩いていった。フェルンの方へと、一度も振り返ることなく。フェルンは声にならない叫びを吐き、泣く。そしてフェルンの復讐心が更に増していくと、涙がぴたりと止む。
「僕は……きちんと復讐者にならないといけない……復讐の、鬼にならないといけない」
自己暗示をするように復唱をすると、フェルンは体を起こした。そしてまだ何かを切っていない剣を見る。これが使い物にならなくなるまで、魔獣や勿論のことだが人を殺さなければ復讐への道はすぐに崩壊してしまう。
目を閉じると空気を吸い込んでから、ゆっくりと息を吐く。そして立ち上がるとウェルが残した足跡が見える。それを強く蹴った後に、フェルンは街へと戻る。依頼を破棄する為だ。ギルドへと戻ってからキャンセルの手続きをすると、掲示板を見た。
今まで復讐への轍を作っていただけだ。しっかりと基礎を作り、その道を歩かなければならない。そう思ったフェルンは、とある依頼を見た。それは簡単に言えば逃走中の犯罪者を殺すというものである。国からの依頼だが、通常は犯罪者を裁くのは国や司法である。冒険者が介入すべきものではない。しかし中々捕まらない犯罪者をどうにもできず、ギルドに頼むことがある。魔獣を相手にしているのだから当然、人間でさえも相手できると見込んで。しかしこの依頼は、冒険者からは「汚れ仕事」と呼ばれていた。人を殺すなど、誰もがやりたがらないことだからだ。
報酬だって魔獣討伐よりも高く、そしてただ強くなりたいフェルンにとってはちょうどよかった。だがその代わりに、相当な危険が伴うのだが。
見ている依頼の内容は「街で逃走中の犯罪者の捕獲、生死は問わない」と書いてある。対象は連続強盗犯なので、フェルンでもできるだろう。そう思いながら依頼の紙を剥がしてから受付に持って行った。
「これを、よろしくお願いします」
「フェルンさん、ブロンズ階級ですが大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
二つ返事で頷いたフェルンは、受付にて受注完了するまでを待った。すぐに終わるのだが、今だけはやけに長く感じられた。何故ならば、他人に「できるのか」と聞かれて、ふと冷静になりかけたからだ。先程まで、自分の考えだけで行動していたが故に。
「はいできます」
復讐への道を完成させるには、やらなければならない。それもなるべく早く、確実にだ。まずは見ず知らずの人間を殺すことに慣れようと、フェルンは依頼をこなす為にギルドを出た。依頼の紙を懐にぐしゃりと突っ込みながら。
依頼に向かう前に人相が描かれている紙を渡されていた。それには特徴も書かれており、身長は小さめ、魚介類のようなギョロギョロとした目、顎には大きな傷痕。かなり分かりやすいものである。
フェルンはいわゆる処刑対象の人間の特徴をしっかりと覚えるなり、まずは街の裏道を隅々まで探した。基本的には、そのような人間は大通りという人目につく場所にはいないと思ったからだ。しかし虱潰しに全ての裏道を探しきるには時間がかかる。それにすれ違ってしまっている可能性があった。
なので一旦大通りへと出てから人混みの中に紛れる。この人の量では見つかる訳がないので、時間帯を変えようと思った。夜ならば、この人混みは多少は解消するだろう。そう思ったフェルンは、再び裏道に入り、人が来ないであろう場所を探す。
ここは基本的には建物の裏であり、どうにも太陽の光が入らない。まるで、自身が日陰そのものの人間になったようだった。現在の目的も含めて。フェルンは自嘲した後に建物の壁にすがると、そのまま腰を下ろした。
一旦、依頼のことを頭から追い出す。すると昼間の兄であるウェルとのことを思い出してしまい、激しい怒りに包まれかける。嘘だ、ウェルの言っていることは嘘だと自己暗示しながら。ウェルの言葉は全て妄言、あるいは騎士団に入ってからおかしくなったのだと言い聞かせると、目を閉じた。
すると怒り疲れてしまったのか、フェルンはその場で短い眠りについた。
目を覚ますと、辺りは真っ暗になっていた。フェルンは慌てて周囲を見回すが、人の気配は無い。それに手持ちの武器を持っていることから、寝ている間に何かを盗まれている様子は無かった。安堵をしたフェルンは、ゆっくりと立ち上がる。
そうだ、夜ならば追いかけている連続強盗犯を見つけることができるのであろう。夜は暗く、強盗するにはうってつけだと思ったからだ。フェルンは早速に行動に移す。
まずは昼間同様に、人気のない裏道を虱潰しに探していく。裏道と言えどたくさんあるが、いつかは見つかるのだろう。フェルンは物陰は勿論、建物の壁などを見ていく。強盗犯と言えば、どこかの民家などの壁を伝っている可能性も考えられたからだ。
幾つも幾つも見ていき、フェルンはようやく不審な人物の後ろ姿だが見つけることができた。その者は裏道から大通りの様子を覗っていた。服装はボロ布を纏ったような衣服を着ており、手には大きな袋を持っていた。
フェルンはその者にゆっくりと近付くと、まずは追いかけている人物との特徴を照らし合わせていく。まずは身長だが、見たところでは小さい。そして顔だが横顔だけは確認できる。見れば魚介類のように目がギョロギョロとしており、フェルンは間違いないと思った。
更にゆっくりと近付いていくと、顎の大きな傷痕までも確認できた。間違いないから確実に変わると、フェルンはまだ何も斬っていない剣を静かに引き抜いた。刀身が月明かりで輝き、とても綺麗だ。フェルンは少しだけうっとりとしながら、処刑対象に近付いた。
確実に始末するには、背後から心臓を貫くのが手っ取り早い。フェルンは処刑対象にどんどん近付くと、刃先を心臓のあたりに向けた。そしてすぐに刃先を処刑対象に突き刺す。
「うがぁ!?」
驚きが混じった悲鳴を上げながら、処刑対象の膝が崩れ落ちる。フェルンはそのまま更に奥深くへと差し込んでいくと、処刑対象が倒れた。そして顔をフェルンの方へと震えながら向けると「ガキが……」と、挑発するように笑う。
まだそのような余裕があったのかと、フェルンは眉間に皺を寄せながら口を開く。
「ゴミは死ね」
剣を引き抜くが、処刑対象の服が赤く染まっていく。このまま観察していれば、すぐに死ぬのだろう。しかしフェルンはそのようなことは考えていない。刀身に付着した血を払った後に鞘にしまうと、近くに落ちていた石ころを拾う。そして処刑対象の髪を引っ張って持ち上げると、その石で目を潰し始めた。処刑対象は大きな悲鳴を上げる。苦しげな悲鳴を上げる。
両目を潰すと「助けてくれ……助けてくれ……」と小さな声で言っている。しかしフェルンにそのような気は無く、持っている石ころで顔を殴り始めた。面白いように、顔の皮膚が破れて血が噴き出す。
それでもまだ処刑対象が生きているので、フェルンは内心で舌打ちをした。そして石を持っている手で喉を思いっきり殴ると、そこでよう処刑対象の息が途絶えた。体の力が抜け、ぐったりとしている。
フェルンはその処刑対象であった者の姿を見ると、大きく笑ってしまう。無抵抗状態となった人を殺す楽しさに目覚めてしまったのだ。以前の心には戻れないとは、微塵も思うことなどなく。
「もっとだ……もっと人を殺せば、僕は……!」
復讐への道の基礎が作れた気がした。なのでフェルンは無邪気に喜ぶと、死体を持ち、衛兵を探すとすぐに見つかった。どうやら悲鳴が聞こえ、民間人が衛兵に通報したらしい。
「き、君……!」
「冒険者のフェルンです。連続強盗犯を捕らえました」
衛兵に死体をそれに冒険者証を見せるが、視線を逸らされた。どうやら、そのような状態の死体を見せられるとは思わなかったらしい。しかしフェルンは淡々と、衛兵に話しかける。
「あなたに引き渡せば、大丈夫ですよね」
「あ、あぁ……そうだが……」
死体を渡すと、衛兵の顔色が悪くなった。
「とりあえず、上司に報告するから、君も着いて来てくれ」
「はい」
大通りに出たせいで、フェルンたちは大いに目立っているようだ。無残な姿の死体と衛兵、それに剣を持っている少年だ。注目をされない訳がない。フェルンは衛兵に着いていくと、とある建物に到着した。中に入ると机と椅子が一つずつと、それに数人の衛兵が長椅子に座って談笑していた。どうやらここは、交代で街を見回っている衛兵たちの休憩所兼、詰所のようだ。
他の衛兵たちがこちらを見るなり、急激に室内が静寂に包まれる。その中で衛兵は死体を床に横たわらせると、まずは他の衛兵に話をした。会話の内容が聞こえたが、簡単に「あの冒険者の少年が、連続強盗犯を捕らえた」と。他の衛兵のうちの一人が返事をすると、フェルンの方を向いてからこちらに向かってくる。
「君がやったのか?」
「はい。なので完了のサインを下さい」
「わ、分かった……」
フェルンがくしゃくしゃになった依頼の紙を見せながらそう言う。衛兵が言葉を詰まらせながらもそう返すと、紙を受け取ってから机に向かう。そして素早くサインを書いた後にスタンプを押すと、フェルンに渡した。
「今回は助かった。だが、その……ここまでしなくてもいいだろう?」
「どうしてですか? ここに住んでいる人たちと、それにあなたたちも困っていたのでしょう?」
「それはそうだが……」
どう返事をすれば良いのか分からなくなってきたらしい衛兵は視線を逸らすが、すぐにこちらを向いた。
「いくらこの世の法に背いたとしても、まだこの人には更生する権利だってあった筈だ。法とは人を縛ると同時に、そのような余地を与えることだってできるからだ。確かに、上は生死を問わないという条件をつけていたが……」
今のフェルンには、その言葉が響かなかった。すでに心を黒く、そして鬼にしているからだ。
「では、ありがとうございました。次は、なるべく気をつけます」
フェルンが一方的にそう述べると、建物から出た。そして先程の衛兵からの言葉ではなく、処刑対象を痛めつけていたことを思い出す。あのように騎士団は勿論、兄であるウェルを殺すことができれば理想である。だが今回はたまたまかもしれない。
そう思い起こしながら、フェルンはギルドに戻っていく。その道中にすれ違う人々の会話が聞こえた。
「おい、さっきこのへんで、人殺しがあったらしいぜ」
「俺は死体を見たぞ……! 顔が、潰れていた……」
「なんだそれ!? 人間がやることじゃねぇよ……悪魔かよ」
人から見ても、鬼と思えたらしい。フェルンはそれを聞き流しながらも、ギルドに到着すると、早速に受付に依頼完了の紙を渡す。
「終わりました」
「ありがとうございます。お疲れ様でした。あの……フェルンさん、大丈夫ですか? このような依頼を受けた人たちは、大抵はもうやりたくないと仰るのですが……もしもこの依頼のせいで何かあれば、いつでも言って下さいね」
「いえ、大丈夫です」
受付の女は心配をしていたが、フェルンは素っ気なく返事をすると、まずは報酬を受け取った。あまり人がやりたがらない為か、報酬は多めである。それも、フェルンが以前受け続けていた依頼よりもかなり多い。銀貨十枚だ。
「ありがとうございます」
フェルンは報酬を受け取るがこのような大金ではなく、やはり人をい殺せたことに喜んでいた。そしてこのような依頼をまた受けたいと、受付の女に聞く。
「他に似たような依頼は出ていますか?」
「えっ……まぁ、出てはいますが……フェルンさん、少し休んだ方がいいのでは? そのような大金を報酬で得ることができましたし、どこか宿屋で休まれた方が……」
「大丈夫です」
フェルンは受付の女の助言を無視すると、掲示板を見た。人を殺すような内容の依頼は、現在は二つある。まず一つ目が連続殺人鬼で、二つ目が先程と同じく連続強盗犯だ。
前者は今のフェルンでは分が悪いと思った。なので後者の依頼の紙を剥がすと、受付に持って行く。
「無理はしないで下さいね」
「はい」
受付の女が受注の手続きを済ませると、依頼の紙と処刑対象の人物の人相をそっと渡した。フェルンはそれを受け取ると、すぐにギルドを出る。夜は深まっており、幾ら人の多い街でも静まりかけていた。人通りはまばらである。
フェルンのような子供はおらず、酔っ払った大人しかいない。時折にその酔っ払いがフェルンに絡んでくるが、無視をした。邪魔でしかないからだ。
人相の書いてある紙を見れば、これといった特徴はない。何故ならば、とても一般的な顔立ちをしているらしいからだ。それに身長も同様である。
舌打ちをしたフェルンは溜め息をつくと、受付の女の助言の通りにすることにした。適当な宿屋に入ると、銀貨一枚で宿泊することができた。フェルンは久しぶりに、雨風を凌げる場所で寝ることになる。
銀貨一枚を渡すとぼろぼろの鍵を渡された。そして部屋の場所を告げられると、フェルンはその扉の前に立つ。鍵を取り出して解錠をすると、部屋に入る。真っ暗の中で扉閉めてから施錠をすると、暗がりの中でベッドを探すがすぐに見つかった。部屋自体が、かなり狭かったからだ。
そしてベッドにすぐに横たわると、フェルンは意識を失ったかのように眠る。
フェルンはそこで夢を見たが、内容は地獄そのものであった。死んだ母と弟妹が、夢に出てきたからだ。フェルンにとっては夢は、自身の叶いもしない願望を見るための幻覚だと思っていた。
「フェルン、おかえり」
「お兄ちゃん!おかえり」
フェルンは陽の当たるどこか分からない場所にいる一方で、三人は日陰にいた。そしてフェルンの腕を掴み、引っ張ってくる。その力は意外と強く、フェルンはその日陰の中に入りそうであった。
「待って、僕は……!」
抵抗をするが、三人の手を引く力が強まっていく。そして母が更にぐいぐいと引っ張っていきながら、フェルンへと言葉を向けた。
「フェルン、あなたはもうそこに、戻れないのでしょう? そこから離れることにしたのでしょう? だったら、私たちと四人で楽しく過ごしましょう」
「いやだ! 僕は……! 僕は……?」
そこでフェルンは母の言葉に気付いたのだが、自身の心だけはもう死んだも同然なのかもしれない。闇へと、堕ちてしまったのだから。
フェルンはそう考えると、抵抗の力を弱める。すると途端に体が日陰の方へと入っていった。
「おかえり、フェルン」
母がそう言って笑うと、フェルンを抱きしめた。自然と暖かい気がして、フェルンは頷いた。そこで、夢は途絶える。
瞼を上げれば、見覚えのない天井が見えた。素早く起き上がってから周囲を確認すると、ようやく現在の場所を思い出すことができた。ここは、宿屋の一室である。先程のは夢であったが、どうしてなのか感じる体の暖かさが不気味に思える。これは自身の熱なのか、或いは。
フェルンは気味が悪くなっていくと、胸を押さえてから息を何度も吐いた。やはりここは現実である。汗をだらだらとかくと、再び横になった。そして発作のように息が苦しくなると、ベッドの上でのたうち回る。まるで、釣り上げられた滑稽な魚のようだった。
一人で訳の分からない苦しみに襲われていると、ようやくそれが止んだ。ゆっくりと深呼吸をするとベッドの縁に座る。未だに高鳴る心臓音を聞きながら、フェルンは思った。人をまたしても殺してしまったから、あのような夢を見たのか。そして先程の苦しみが起きたのか。自身の奥底に眠る善意が、今のフェルンを懲らしめているように思えた。
だがフェルンは人を殺し続けなければ、復讐は果たせない。兄を殺し騎士たちも殺すことでフェルンの復讐は終わる。
そこでふと、どうして復讐に追われなければならないのかと思った。フェルンの中の正気がそう問いかけてくるようだった。頭を抱えてから正気の言葉を無視すると、フェルンは立ち上がった。外は既に朝を迎えているので、支度をし始めた。復讐へと辿り着くために。
剣を携えるが、この剣であと何人殺すことができるのだろうか。それはフェルン次第ではあるが、そう考えながら宿屋を出た。向かう先はまだ決まっていないが、昨日受注した処刑対象を見つけなければならない。まずは街を歩いてみることがいいのだろう。そう思ったフェルンは、街中を歩いていく。
「どこだ……」
見かけは駆け出しの少年の冒険者かもしれないが、心は復讐に塗れた人間である。それも。自らを鬼としていた。そのようなことを周囲の人々は知らないまま、フェルンとすれ違う。
人々の顔をなるべくフェルンは確認するが、一向に見つからない。陽が昇っているのは勿論のことだが、ターゲットとなる相手があまりにも特徴が無いからだ。このままでは埒があかないと、フェルンは踵を返してから来た道を戻る。更に人通りが増えると思ったからだ。
宿屋の近くに戻ると、まずは人気の少ない場所から探していった。すると近くには小さな酒場があることに気付き、フェルンはそこに入った。酒場に行けば何かしらの情報を得ることができると思ったからだ。
入れば、カウンターに店主らしき中年の男が居た。髭をぼうぼうに生やしており、ふくよかな体型をしている。まるで熊のような男だ。
「いらっしゃい……ここはガキの来る場所じゃない」
「分かっています。ですが……この人を探していますが、見かけたことはありますか?」
フェルンは懐から処刑対象の人相が描いてある紙を見せた。酒場の店主は黙ってそれに顔を近付けると、少し考えたような素振りを見せた後に口を再びを開く。
「なんか見たことがあるな……」
「本当ですか? そうであれば、どこで見かけたなどを教えてもらえますか?」
「教えることはできるが……こいつはたまにうちに来る奴でな。ただ、不定期的なんだ。いつ来るかは分からねぇ。そいつと俺は顔馴染みくらいにはなったが……そいつが何かをしたのか?」
フェルンの心に希望の花が芽生えると、人相の紙を相変わらず見せたままで答えた。
「連続強盗犯です」
「なるほどなぁ……おいガキ、今夜ここに来い。そいつが来たら知らせてやるから。だがタダとは言わせねぇ。ちょっと酒を運ぶのを手伝え」
フェルンにとっては好条件でしか無かった。確実ではないが、もしかしたら探している人物が見つかる可能性がある。その見返が酒場の仕事の手伝いだけでいいのだ。拒否をするわけがない。
その条件にフェルンは頷くと、交渉が成立した。すると店主が早速「こっちに来てくれ」と言うので、言うとおりに着いてきた。外に出る。そこには幾つかの酒樽があり、これを店内に運びたいとのことだ。
店主と共に酒樽を持ち上げるが、二人でもかなり重かった。店主もフェルンも、呻き声を上げながら店内に入れていく。
「これを、一人で運んでいるのですか?」
「当たり前だろ」
即答をされるとフェルンはただ「凄い」としか言いようがなかった。
時折に店主と他愛もない会話を交えながら、ようやく全ての酒樽を運び終えた。その頃にはちょうど昼時になっていたらしい。店主の腹の虫が鳴る。一方でフェルンは空腹を通り過ぎているのか、空腹感など無い。
「腹が減ったな。飯にするぞ。ほらガキ、お前もだ」
口調は乱暴だが、この店主は優しいように思えた。なのでフェルンは素直に頷くと、カウンター席に座っていて欲しいと促される。その言葉に甘えて座っていると、店主が籠一杯にまで入ったパンと水差しを持って来た。
「ほら、お前も食え」
フェルンは本当に良いのかと店主の顔を見ると、ただ頷かれた。なのでフェルンはそっと取ってから一口食べる。すると脳が急激に空腹感を思い出したようだ。咀嚼とパンを取る手が止まらない。
横で店主が「喉につまるぞ」と笑いながら言っているのが聞こえた。そこで冷静になると、咀嚼を終えてからフェルンが小さく謝る。
「ごめんさない……」
「いや、いいんだ。それよりそこまで腹が減っていたのか? だったらもっと食え。ガキが遠慮なんてするな」
「はい……」
店主がぐりぐりと頭を撫でてきた。フェルンは久しぶりに撫でられた感覚により、死んだ父のことを思い出す。今もなお生きていれば、このように頭を撫でられたりする場面もあったのかもしれないと。
ふと視界が涙で滲むが、兄のことが心にちらついたのですぐに涙が引いていった。そして目の周りが乾くと、再びパンを囓ってから店主に話しかける。他にすることはあるのかと。
「他にすることはありますか?」
「いや、無いぞ。夜になったらまた来い。冒険者なんだろ?」
そうだった。自身は復讐者である前に冒険者であった。今のフェルンでは戦いの技術など、ほとんどない。強くならなければと店主に向かって頷いた。
「はい。では、また夜に来ます」
「おう、待ってるぞ」
二人はそうして一時的に別れると、フェルンはギルドに向かった。しかし入るなり妙に騒がしかった。
「おい聞いたか? 隣の街に、すげぇ強い奴がいるんだってよ。強化魔法も無しに、素手で地面を割ったらしいぜ。それに、ブロンズ階級の冒険者らしいぜ!」
「まじかよ! もう化け物じゃねぇか!」
聞けば隣の街にそのような人物が居るという。フェルンはそんな人間が居てたまるかと、内心で舌打ちした後に掲示板を見る。しかし貼り出されてある依頼はフェルンが確認したときと変わらない。なのでギルドから出ると、夜までは暇なので処刑対象となる男を探すことにした。
まずは街中の市場を探す。ここは特に人が多く、すれ違うのが困難な場合もある。フェルンは人々の間を必死にかき分けながら、ひたすら前を進んでいく。だがここで探したことは失敗したと反省する。歩くことで精一杯で一人一人の顔を見ることなど、不可能に近いからだ。
なるべく市場から出ようとすると、そこで女の悲鳴が聞こえた。人々は何だと周囲を見回し、フェルンも同様の行動を取る。しばらくしてから女も悲鳴のあった地点を把握したが、どうやらすれ違いざまに誰かに刃物で切りつけられたらしい。腹部が服の上からでも赤く染まっていた。それを見るなり、人々はパニック状態に陥った。
「おい! 逃げろ! どこかに切りつけた奴がいるぞ! くそ! 誰だ!」
ある男が騒ぐと、人々のパニックが更に増幅する。このままでは、フェルンまでも切りつけられる可能性だってあった。周りは大の大人ばかりだが、背の低いフェルンは屈めば視界が少しは確保できる。なのでどこかに刃物を持っている者が居ないか必死に探す。
人々の脚やそれに赤い血が見える。誰か、切られた者が二人に増えたのだろう。フェルンは自身もその被害者になる訳にはいかないと、身をよじる。
すると刃物が見えた気がしたので、フェルンは人々を力一杯押しのけた後にその元へと向かっていく。途中で蹴るなどの行為をされたが、フェルンはそれに耐えながら足を進める。
「お前か!」
そう言いながらフェルンが剣を抜くと、刃物を持っている人物にそれを見せた。人々からは悲鳴が聞こえると、フェルンの周りから人が居なくなっていく。目の前には、先程騒いでいた男が立っており、血に塗れたナイフを持っていた。表情は笑っている。
「お前かぁ……俺を探しているガキってのは。あいつから聞いたぜ」
「えっ……?」
男の言うあいつが分からず、フェルンは首を傾げる。そして該当する人物など居ないので「どういうことだ」と訊ねると、男はおかしそうに笑う。
「知ってるだろ? 酒場を経営してる熊の野郎だよ」
ようやく該当する人物が現れたが、それは男の言う通りに酒場の男であった。情報の対価として店の手伝いをし、パンを食わせてくれた男。フェルンは途端に頭に血が上る。
最初から酒場の男と目の前に居る男は通じており、フェルンが処刑対象として探していることを伝えたのか。そして酒場の男に頭をガシガシと撫でられて、父のことを思い出してしまった自身にも腹を立てた。怒りがどんどんと増幅していくと、瞬く間に爆発したかのようにフェルンは男を切りつけようとした。しかし簡単に避けられてしまう。
「おおっと、最近のガキはあぶねぇなぁ」
「うるさい!」
フェルンは無我夢中で剣を振うが、全て空振りで終わってしまっていた。悔しさに男を罵ろうとしたが、怒りのあまりに言葉が浮かばない。すると男がひょいと近付いてきて、ナイフで腕を切りつけてきた。それも、切られたのは右腕である。
熱い痛みが走り、剣を持つことができなくなりそうであった。しかしこれを手放せば、今のフェルンにとっては即ち死しか待ち受けていない。なので右腕をぐっと力を込め、さらなる痛みを浴びながら剣を構えた。
目の前の男のことは絶対に許さないと思った。罪も関係も無い人を切りつけては遊んでいるからだ。連続強盗犯であるというのに。
「おっと……怖いねぇ、最近のガキは」
呑気に男が笑うと、次は男から攻撃を仕掛けてきた。こちらにまっすぐと走ってくるが、ナイフが描く軌跡はどうなるのかはフェルンにとっては予測できない。いや、まだ素人であるが故に予測するという思考がほとんど無い。
このままでは危ないが、一か八かとフェルンは剣で突くように刃先を向けた。そして目を閉じてしまう。
するとキィンと金属同士がぶつかる音がしたが、長く響くようなものではなかった。ほんの一瞬だけ、それが聞こえただけだ。なのでフェルンは何が起きたのかと恐る恐る目を開けてみると、そこには衝撃の光景があった。男のナイフの刃先と、フェルンの剣先同士がぶつかっていたのだ。運が良かったに違いないが、フェルンはその奇跡に鼓舞されたかのように剣を振るった。
太刀筋は極普通の、上から下へと下ろすものだった。男にとっては逆にしてこないのだろうと思い、ナイフの刃先を再び向けている。剣の刀身はナイフの刃先を綺麗に逸れると、そのまま男の肩へと下りていった。血が噴き出し、男から悲鳴が上がる。
「ああああぁあぁぁ!」
その場で崩れ、持っていたナイフを落としてしまう。そこでフェルンは、処刑の為にともう一度剣を振るった。頭を落とそうと、首を狙ったのだ。
さくりと綺麗な音が聞こえたと同時に肩と同様に血が噴き出すが、骨を断てなかったようだ。そして男の首が骨によりしっかりと支えられたまま、息を絶やす。
そこでフェルンの処刑対象を殺したところで、剣を鞘に収めながら死体へと近付く。体は血に汚れており、鉄の匂いが充満している。あまり触れたくはないが、詰所にこれを持っていかなければ依頼は達成できない。なので仕方なく死体を持ち上げると、死体の足を引きずりながら目的の場所へと連れて行った。
いつの間にかあった、周囲の野次馬からの視線を幾つも幾つも浴びながら。
依頼を終えるが、フェルンの怒りは収まらない。原因は酒場の店主の存在である。自身は勿論だが、関係の無い人々までも巻き込んだことは腹立だしいことほかにない。なのでフェルンは処刑対象に加担したとして、酒場に向かう。
「おい」
「……生きてやがったか」
店主は平然としていた。殺した男とはどれくらいの信頼関係があったのかは謎だが、善し悪しのどちらかがあってもこれくらい淡白だったのだろうか。フェルンはそう思いながら、剣を抜いた。剣先は店主の方を向いている。
「お前も、あの男みたいになりたいか?」
「なりたくはないな」
「普通ならそう思うだろうが……」
フェルンにとっての当然の摂理を語ろうとしたところで、店主が口を挟む。正直、フェルンはそれに苛立ったが発言権を譲った。どうせ、この後殺そうと思っているのだから。
「復讐は、一つに絞っておいた方がいいぞ。中途半端な復讐をしても、お前が苦しむだけだ。分かるだろ?」
最初は聞かないつもりであったが、最後まで聞いてしまっていた。そしてフェルンは呼吸を一つ置いてから考える。これが中途半端な復讐に該当するのかと。
確かに店主の男はフェルンに直接的ではないが、危害を加えてきた。それも言葉を吐いたのではなく、他の者に情報を渡しただけだ。フェルンの目的とは外れてしまう。
「…………」
フェルンが押し黙ると、店主は「そうだろ?」と必死に言う。やはり剣を向けられているのが怖いらしく、声が震えてきた。一世一代とは言えないが、勇気を出して述べたのだろう。
「だから、もう落ち着け。それに……許して欲しい代わりに、俺はお前とはもう関わらない。それでいいか?」
店主は意を決したように、フェルンにどんどん近付いてくる。対してフェルンは微動だにせず、剣先がどんどん店主に近付いてくるだけであった。このまま進んでいれば、いつかは店主の体を貫いていくだろう。
それを見たフェルンはようやく剣を下ろすと「分かった」と言って鞘に収めた。踵を返すと、振り返ることなく店主に言った。
「……二度と、俺と会うなよ」
「約束する」
「絶対にだ」
「あぁ、分かっている」
二人の間で契約が成立すると、フェルンはすぐに酒場を出た。まだ空は青く、陽が照っている。
フェルンはその光を受けながら途中に濃い影を作り、酒場を離れていったのであった。