日陰の冒険者
酒場に来た者たちの話だが、どうやら王都ヤイダールに行き王に直談判した者たちが居たらしい。それもたった二人だが、そのうちの一人にハイム家の生き残りの娘らしい。もう一人はかなり腕の立つ者らしく、護衛なのだろうか。そのような話が聞こえてきた。
するとその話を聞いた者たちは、自分たちもヤイダールに行けば良いのではないのかと話し合う。しかしヤイダールにまで行くのには鬼門があり、それは広大な砂漠があることだ。そこを渡り切るには食料や水がかなり必要なうえに、砂漠で迷った末に餓死などをする可能性も高い。つまりは、砂漠を渡るのに、リスクをかなり要することだ。
フェルンも行くことを考えたが、まだ傷は癒えていない。なのでその話をただひたすらに聞いていた。
「あんたも、ヤイダールに行く話が気になるのかい?」
するとジャックが横になっているフェルンに話しかけて来る。どうやら、盗み聞きしているのに気付いていたらしい。
ぎくりと体を硬直させたフェルンだが、次第に体が弛緩していくと返事をする。
「聞こえたので……」
「だが、私たちにそんな、人間離れしたことはできない。それに今の冒険者たちにはここに居て貰わないと、次はここが襲われてしまう。ハイムやクゥルのようになってしまう。この国の残りのヤイダールしか無くなる。私は、それを避けたいんだ。だが、王様の妙な行動も気になるがね……」
ジャックの言う通りである。自分たちはここに残って、騎士の侵攻を食い止めなければならない。フィアが襲われてしまったら。ここに住んでいる人たちは皆殺しにされてしまう。それに王は未だに何も行動を起こさないので、ここを見捨てたのではないかと思えてきた。
フェルンはふと、ここに縁が無いというのに使命感に溢れてくる。すると自然とジャックへの言葉が出てきた。
「回復したら、僕も戦います。いえ、戦わせて下さい!」
「勿論、そのつもりだよ。治療費をきちんと返して貰わないといけないからね。あとこれ、うちの倉庫にあったものだ。使ってくれ
ジャックがそう言って渡してきたのは剣である。大きさはフェルンが以前持っていたものとほぼ同じであり、重さも変わらない。まるで、この剣はフェルンの為に用意されたかと思ってしまう。
フェルンの剣が折れたことを、ジャックは知っているらしい。恐らくは、他の冒険者に聞いたのだろう。フェルンはそれに礼を述べると、鞘から剣を少し抜いて確認してみる。状態は良い。
すると周囲はその二人の話題がまだ続きがあるようだ。何でも、王の反感を買ったので隣の国であるガインに逃走したらしい。つまりはヤイダールの後ろにあるらしい険しい森を、たった二人で越えたことになる。フェルンは化け物かと思い、驚いていた。
するとジャックも同じ意見だったらしく、目が合うと小さく笑ってくれた。
「この世には。凄い奴も居たもんだねぇ。でも、それくらい強いと、誰も頼る人が居なくて、心細く思えるよ。まぁ、実際には本人たちは、何も悩んではいないかもしれないけど」
やれやれと肩をすくめたジャックは、酒場の仕事に戻った。他の冒険者たちが食事の為に来たらしい。
そこで一人になったフェルンは考えるが、やはりここに留まった方が正解なのかもしれない。もしもヤイダールに行く者たちが現れても、フェルンは着いて行くべきではないと思った。今は弱いうえに、まだフェルン個人としての復讐を果たせていないからだ。兄であるウェルを殺す復讐を。
息を一つ吐くと、フェルンは目を閉じる。
ジャックから一日に二回は食事を渡されているので、今はそれを食べて寝るしかない。回復を待つしかない。その思考に追われながら、フェルンは日々を過ごしていく。
腹の傷の具合は貫通していないものの、体に穴が開いている状態である。このままでは塞がるので何日も掛かるだろう。なので勿論、少なくとも焦りはあった。
※
するとある日、酒場が騒がしかった。いつもならば騎士を殺した者が金貨を持って帰り、大賑わいの筈である。しかし今日はやけに皆が静かだ。フェルンがそれを気になっていると、食事を持って来たジャックが話しかけてくる。
「……仲間が、大勢死んだんだ。仲間が死ぬのはいつものことだが、今日はやけに多くてな……」
ジャックの言葉を聞いて唖然とした。
いつもより死人が多いのは勿論だが、それよりも死人が毎日出ていることを把握していることだ。やはり、死因がどうあれ毎日冒険者たちが命を落としていることを知っていたらしい。すかさずフェルンは睨んでしまうが、ジャックの様子は変わらない。
「同士討ちで死ぬことも、騎士に殺されてしまうことも分かっている。騎士を殺した奴らからそういう話を聞くからね」
ジャックは冷静なのに対して、フェルンの中で怒りがどんどん込み上げていく。しかし、この怒りをフェルンはどうすることもできない。怒りをジャックにぶつけてもどうにもならないし、ましてや当の冒険者たちに注意してもフェルンには止められない。自身が、弱い存在が故に。
もしもジャックや他の者が言う「強い者」であれば、フェルンはその下らない同士討ちを止められた筈だ。騎士たちの反乱も、被害を最小限にして鎮められた筈だ。それなのに、とフェルンは歯を食いしばる。この世界は、あまりにも残酷過ぎると。フェルンは目を細める。
「もしも自分が強ければ、って思ったかい? 私だって、そう思ったことは何回もあるさ。でも結局は私たちは弱い人間さ。でも、人間は力を合わせることはできる。そうだろう? そうだ、中にはね、他の奴と協力して騎士を殺してる奴らも居る。報酬は半分ずつでね。あんたもそうしたらどうだい? 一人で討伐するよりも、楽だろう?」
一気に視界が開けたような気がした。その言葉を聞き、フェルンの見えるもの全てが明るくなったような気がする。
開いていた手を握ると、伸びた爪が皮膚に当たり痛い。そう感じながら、ジャックの言葉を何度も何度も反芻していく。
「明日から、少しずつ動けるようにするよ。今使うには勿体無いけど……」
すると意を決したフェルンは、懐から回復薬の瓶を一本取り出した。黄色の液体に満たされた瓶を見るなり、ジャックは「あっ」と声を上げながら、回復薬を指差す。
「あんた、それを隠していたのかい! ……それなら早く、お代を返してもらうよ」
「はい、分かっています」
瓶の封を開けると、薬品独特の匂いが辺りを漂う。初めて嗅ぐので、余計にだ。それに顔をしかめながら、フェルンは回復薬を一気飲みした。口腔内に初めて味わった回復薬の味が広がる。
回復薬は不思議な味がした。苦いようでもあるがどこか甘く酸っぱい。辛みや渋みは無く、まだ飲みやすい方である。フェルンは何かあればこれを飲まなければならないのかと、内心で溜め息とついた。
そして全て胃の中に入れると、体に早速変化が起きた。体中に活力が巡ると思うと、体に空いていた傷穴が塞がり始めたのだ。だがその感覚は何とも言いようがない。これが二度目でもだ。例えるならば、体から肉が急激に生えてきて、元の姿に戻ろうとしていた。肌同士が繋がる、その感覚がとても違和感を覚える。これを他の冒険者たちは経験をしているのかと思った。
服を捲れば、腹にあった傷は塞がっていた。どう見ても、健康的な肌をしている。フェルンは回復薬の凄さを知る。
「治ったようだね」
ジャックの声がいつもより弾む。フェルンの傷が癒えて嬉しいのだろう。するとつられてフェルンも嬉しくなると、大きく頷いた。後にゆっくりと立ち上がってから礼を述べる。次はとても素直に言うことができ、フェルンの心が晴れていく。
「あの……ありがとうございました。金貨を手に入れたら、必ずお返しします」
「あぁ」
そして体の筋などを入念に様々な方向に伸ばしたりしたが、特に問題は無いようだ。完全に肉体が回復している。フェルンはそれに安堵しながら、鞘に収められた剣を手に持つ。薄い筋肉は腹に怪我をする前と変わらず、握る感覚も同じであった。それには感動し、回復薬の効能を改めて凄いと実感する。
これならばすぐに戦える。そう思いながら、フェルンはジャックに「行って来ます」と言うと、酒場を出た。外に出ればもうじき陽が暮れる時間帯だが、アンデッドの出る夜までにはまだ時間がある。なのでフェルンは、まずは街に出てすぐそこの場所で、何度か素振りをしようと思った。
街に出ると、フェルンは早速に鞘から剣を抜いた。初めて握るものだが、錆びたり欠けてはいないようだ。それを確認したフェルンは、まずは動きが小さく簡単な素振りを始める。
ふと、生まれ育った村で騎士になる為に木製の剣で素振りをしていたことが懐かしいと思えた。だが今は皮肉にも騎士になれなかったうえに、騎士を殺す側にある。少しだけ内心で笑いながら、軽い素振りをしていった。
すると気付けば夜になっていたので、フェルンは酒場に帰ろうとした。そこで、何か近付いて来るような気がした。そう思った頃にはもう遅い。
背後には、一体のアンデッドが居た。フェルンは驚きながら咄嗟に剣を構えるが、幸いにもアンデッドの動きはかなり遅い。なので一先ずは距離を置いて体勢を整えられるが、アンデッドと戦うのはこれが初めてである。それに実際に見たのも初めてであるので、どのように戦えば良いのか分からなかった。フェルンは何度も足踏みをしながらアンデッドの様子を窺う。
確かに、アンデッドはこちらを見ている。しかしこちらに攻撃してくる様子は見られないが、アンデッドは倒さなければならない。アンデッドに襲われた報告を何度も聞いているうえに、何と言っても存在そのものが気持ち悪い。
呼吸を整えたフェルンは、どう斬ろうか考えた。アンデッドが動かないのであれば、このまま正面から斬るのが一番確実だろう。なのでフェルンは前へと進んでから斬りつけた。アンデッドは大人しく斬られたらしく、腐敗した体がどさりと地面に倒れた。そこで止めにと頭を剣先で何度も突くと、ようやくアンデッドの動きが止まった。そしてアンデッドの体が粉々になったかと思うと、そのまま消えていく。
それを確認した直後に、フェルンは街に急いで戻った。アンデッドは光のある場所には来ないらしいからだ。街に着いた瞬間に疲れが押し寄せる。久しぶりに剣を握り、そして振るったせいなのかもしれない。いずれにせよ酒場で休憩しなければならないと思い、戻っていく。
「フェルン!」
酒場に入った瞬間に、ジャックが出迎えてくれた。眉を下げ、とても心配そうにしていた。もしかしたら、ジャックは自身の帰りを待っていたのかもしれない。そう思ってしまうと、自然と「ごめんなさい……」と口にしていた。直後にジャックが頭を撫でてくれた。
「心配したんだよ……でも、無事でよかった」
「ごめんなさい。もう、夜には出歩きません」
そう言って頭を深く下げると、ジャックがカウンター席に座るように促してくれた。時間帯は既に夜なので、酒を飲みながら食っている冒険者がたくさん居る。その中で、フェルンが静かにカウンター席に座る。
「はいこれ、とりあえずは食べてから寝な」
出されたのはいつものパンと干し肉である。それでもフェルンは礼を述べながら食べていった。
「……実はさっき、アンデッドと戦いました」
「アンデッド……!?」
客の対応を一通り終えたジャックがカウンター越しに戻るので、フェルンはそう話しかけた。勿論、ジャックは驚いている。
「でも、倒しましたが、騎士を殺せば殺す程に、アンデッドが増える訳ですが……」
フェルンはふと誰でも思いつくような疑問を口にすると、ジャックは「分かっているよ」と返事をした。
「でも今は、騎士を殺すのが先だ。だがしかしねぇ、国から兵を少しはくれてもいいと思うんだけどね。まぁ……砂漠を越えないといけないから、無理があるか」
ジャックは肩をすくめた後に「そういえば怪我は?」と聞いてきたので、フェルンは無傷であったと言う。次にくれた剣を見せると、ジャックは目を細めた。
「それは良かった。もう使えないと思っていたところだよ。それより、明日からはあんたも騎士討伐を再開させるんだろう? もう寝な」
コップに並々と注がれた水を差し出したジャックは、まるで母のように言う。フェルンは何だかそれが懐かしく思えると、つい「まだ起きていたい」と返しかけた。だが目の前に居るのは母ではない。ジャックという名前しか知らない女だ。フェルンは内心で現実に一瞬だけ帰ると「はい」と、短く頷いた。
怪我を治療していた時のように酒場の隅で横になると、すぐに眠気が来た。周りは相変わらず酒盛りなどで騒がしいが、不思議とである。なのでフェルンはその睡魔を受け入れると、そのまま眠っていった。
目を覚ますと、いつの間にか朝を迎えていた。フェルンはすぐに起き上がると、早速に他の冒険者が二人酒場に来ている。フェルンは体を軽く伸ばすと、来た冒険者たちに話しかけられた。
「……報酬を分ける代わりに、協力して騎士を討伐しないか?」
そう聞かれると、フェルンは一つ返事で承諾した。なので報酬である金貨一枚を三人で分割することになるが、フェルンはそれで良いと思えたからだ。まずは、少しずつ自身への投資の為に稼がなければならないからだ。
ジャックが「おはよう」と眠たそうな顔をしながら厨房の奥から出て来た。そういえば厨房の奥がジャックの部屋らしいが、冒険者たちとの会話が聞こえてしまったのだろうか。そう思ったが、他の者たちは気にしていない。なのでフェルンはジャックに挨拶を返すと、早速に冒険者たちと騎士討伐に向かうことにした。未だに眠たげな顔をしているジャックに見送られながら、酒場を出る。
「そういえば名前は?」
冒険者がそう訊ねて来くるので、フェルンは自身の名を名乗った。すると冒険者たちもそれぞれの名を告げると「よろしく」と言い合う。
いつの間にか街から出ると、街の中ではあった人混みが無くなる。閑散としているが、視界が開けていた。三人はそれぞれ、様々な方向を確認していく。どうやら騎士か、あるいは魔獣の気配は無さそうである。冒険者曰く、この辺りは魔獣は少ないが、出ないとは限らないらしい。
「このあたりはロップーや、それにスライムも出る」
「スライム!?」
驚いたフェルンは大声を出してしまうと、冒険者がどうしたのかと聞いてきた。なので「洞窟でどうしても倒せなかった」と理由を話すと、冒険者たちは大笑いする。思わず、フェルンの頭に血が上りかけた。
「スライムはね、どこでもいいから攻撃を与えた瞬間に、赤色のコアが出るんだよ。それが弱点でね、そこを攻撃すれば一瞬で死ぬ。簡単だろう?」
知らなかったフェルンは何度も頷いてから、脳内に完全に記憶した。また今度、スライムと戦う機会があればそうやって倒そうと。
そうしていると、遠くからスライムがやってきた。いいタイミングだと冒険者が言うと、手本の為にと武器である剣を抜いてからスライムの方へと歩いて行く。そして一度剣でスライムの体を斬るなり、冒険者の言う通りに赤色のコアが出てきた。フェルンはそれを凝視していると、冒険者がスライムのコアを叩き割る。するとスライムは溶けるように、消えていった。
「ほら、簡単だろう?」
「はい、そうですね。またスライムを見かけたら、次は僕が倒してもいいですか?」
「勿論だよ」
会話をした後に、冒険者たちは騎士を探すついでにスライムも探す。視界は開けているものの、なかなかどちらも見つからない。次第に太陽が真上に昇るが、三人は飽きもせず辺りを見回し続ける。
「あっ!」
するとフェルンがスライムを見つけた。なので早速剣を抜いてから、一度斬りかかる。スライムの体が割れて赤色のコアが露出すると、それを剣で砕いた。スライムを倒すことができた。
「よかったね」
冒険者たちに褒められ、フェルンはつい照れてしまう。そしてふと、かつて生まれ育った村でのことを思い出す。その時は、木製の剣を模した棒を降り続けて褒められていた。「よく頑張ってるねぇ」と。
「ありがとうございます」
アルデンに来てから、フェルンの心が次第に晴れてきた気がする。自身でもそう思いながら、後頭部を軽く掻く。
「じゃあまた見つけたら、スライムを倒してくれる?」
「はい!」
フェルンは元気よく返事をすると、三人は再び騎士を探し始める。
かなり歩いたところで、ようやく騎士を見つけた。一人で居るようだが、こちらは三人である。今のところは有利な状況である。
すると一人の冒険者が「囮になる」と言うので、残りの冒険者とフェルンが頷く。なのでまずは囮役の冒険者が、騎士の元に向かって行く。交戦を始めたところで、フェルンたちは騎士たちの元へ走って行った。そして二人で騎士に斬りかかると、騎士はあっけなく死ぬ。三人が歓喜をしてから騎士の首を剣で取ろうとすると、こちらに向かって来る足音が聞こえた。なのでその方を向いてみると、騎士ではなく冒険者であった。それも、こちらへ急ぐように走っている。
どうしたのだろうかと三人は様子を窺っていると、囮役をしていた冒険者に、斬りかかった。どうやらフェルンたちの手柄を奪いに来たらしい。
幸運にも囮役であった冒険者の傷は浅かったものの、それでも出血をしてしまっていた。流れる血を手の平で掬うように、押さえている。
「お前……!」
フェルンの頭に完全に血が上った。すると足も手も止まらなくなる。一心不乱に剣を振るが、襲ってきた冒険者は簡単そうに避けていく。
悔しくなったフェルンは襲ってきた冒険者の足を蹴る。さすがにそれは予想してなかったらしく、その場でつまずいて転んでしまった。今が好機だと、フェルンは思いっきり剣を振り上げてから下ろす。刀身は見事に甲冑を貫き、そして体の皮膚を裂いていく。
「ぐわあああああ!」
悲鳴が聞こえたが、フェルンは手を止めるという思考が無かった。もう一度、もう一度と同じ動作を繰り返していると、襲ってきた冒険者の息が止まる。それでも、とフェルンは剣を振り続け、辺りや自身の体を血塗れにしていく。それに臓器や肉片、さらには脳の欠片を飛ばしていく。
「……フェルン! もうやめないか!」
無傷の方の冒険者がそう言って、フェルンの腕を掴む。そこで冷静になったフェルンは、この状況に気付いた後に深く後悔をする。
「ごめんなさい。でも……僕は、悪くない……」
「そうだけど! やりすぎだ! もう充分だ!」
見れば浅い傷を追った冒険者が縮こまって怯えていた。フェルンのやり過ぎた殺し方が、とても怖く見えたのだろう。
「……この首を持って、早く帰ろう」
無傷の冒険者が騎士の死体の元に向かうと、剣で首を切っていく。皮膚は簡単に切れるものの、骨まではなかなか切ることができない。一つの舌打ちが聞こえた後に次は体重を掛けると、ようやくごきっと骨まで切ることができた。小さな鈍い音が聞こえる。
「ほら、アルデンに帰ろう」
首を取って見せると、騎士からはまだ新鮮な血が流れていた。辺りは鉄の匂いが充満しているが、ここは外だ。次第に薄れていくだろう。
「はい」
頷いたフェルンは冒険者二人と街に向かおうとする。そこで、無傷の冒険者に異変が起きた。見れば首が飛んでいたからだ。フェルンは咄嗟に振り返り、背後を見る。
「騎士……!」
騎士が一人居たが、歩き方に見覚えしか無かった。なので顔を凝視すると、あれは兄のウェルであることが分かる。途端に傷の浅い冒険者の注意の声を無視しながら、剣を持って走って向かう。
「ウェル!」
そう叫ぶと、剣を振るった。当然のように受け止められてから、後ろに引き下がる。
「まだ生きていたのか」
ウェルは呆れたように剣を持つと、血が流れていた。先程、冒険者の首を斬ったからだろう。刀身から刃先にまで血が伝うと、地面にぽたぽたと落ちていく。それが小さな赤い円となっていく。
だが傷の浅い冒険者には、この戦いは関係ない。なので「首を持って先に帰って欲しい」と言おうとしたところで、フェルンは目を見開いた。傷の浅い冒険者の首が無いのだ。だがもう気付いた時には何もできず、フェルンはそれをただ見るだけしかできない。
「あとはお前、一人だなぁ……」
ウェルは不気味に笑うが、以前まではこのような性格ではないと思った。やはり、騎士の実力主義の世界にさらされて変わってしまったのだろう。ならば、とフェルンは剣を構える。ジャックがくれた剣は、自身のもののように馴染むと思いながら。
しかし悔しいことに勝てる見込みなど無い。せめてできるとしたら、逃げることくらいだろう。だがフェルンはウェルにどうしても聞きたいことがあった。なので剣を構えながらウェルに質問をする。最初は詰まってしまっていたが、後はすんなりと喋ることができた。
「……き、騎士になって、後悔はあるのか?」
「無いな」
今や騎士の存在が憎いフェルンは、その答えがどうしても怒るしかなかった。なのでウェルに斬りかかるが、それも簡単に受け止められてしまう。
「どうした?」
「僕は……俺は、騎士が憎い! 俺の、全部を奪った! 家族も、帰る場所でさえも!」
声に荒さが混じる中でそう言うが、ウェルにはそのような言葉は全く効果が無い。寧ろ喜ばせる燃料にしかならなかったようだ。ゲラゲラと笑う。
「笑うな! くそ!」
大声を出しながら斬りかかるが、これも受け止められた。今度は強く弾かれたので、フェルンは尻餅をついてしまう。
「どうした? ほら、掛かってこい」
そう挑発しながら、ウェルは何かブツブツと言い始める。体がぼんやりと、青色に光る。これは身体能力を一時的に高める魔法なのだろう。だがそうはさせないとフェルンがウェルに剣を振るうと、浅い傷を作ることができた。ようやく、ウェルに攻撃が通用したのだ。
「フン、魔法詠唱中にか。まぁいい」
ウェルが鼻で笑いながら、次は攻撃を仕掛けていく。しかしどれも寸止めを繰り返されており、攻撃が次第に読めなくなっていった。フェルンは太刀筋を追いかけるのが精一杯であり、焦らされている気分になる。するとフェルンから攻撃をしようとすると、剣で受け流された。そしてウェルが直後に剣先をフェルンの眉間の直前でぴたりと止められる。
「ほら、これでお前は死んだ」
そう言うが、剣先を進める気は無いようだ。手の平で命を転がされている気分になり、そして冷や汗が止まらなくなる。心臓はいつもよりもバクバクと体の中を強く打っており、気持ちが悪い。
自身が今まで作っていた復讐への道がここで途絶える。そう観念するしかなかった。今まで泥を被ってでも、血に塗れても必死に追いかけていた復讐。人を何人も殺していき、人を殺しながら育てていた復讐心。それが今、全てフェルンの中で無駄になるのだ。粉々に砕け散ってしまうのだ。
「……殺すなら、殺せ。お前は、他の冒険者が殺す筈だ」
最後の抵抗として笑って見せるが、自身でも分かるくらいに笑顔がぎこちない。ウェルは眉間に皺を寄せると、剣先を離した。眉間から、どんどん離れていく。驚いたフェルンはウェルの方を見ると、呆れているように思えた。
「どうして……!?」
「お前が弱すぎるんだよ。殺す気にもなれねぇよ。他の奴らに殺されていろ」
ウェルは息を吐きながら離れて行こうとする。腹が立ったフェルンは起き上がり、そしてウェルの背中を追いかけようとした。そこで、ウェルの首が飛ぶ。一瞬のことであった。
「えっ……?」
地面を見ればウェルの首が転がっており、体はまだ立っている。それを見ているとようやくウェルの体がどさりと倒れた。
本当に、フェルンの復讐への道が途絶えた。それもフェルンがウェルに募らせる復讐心を知らない、他の誰かに。
フェルンはその場で膝を落とすと、ウェルの首から血が流れていく様をずっと見ていたのであった。深く、深く絶望をしながら。
するとその話を聞いた者たちは、自分たちもヤイダールに行けば良いのではないのかと話し合う。しかしヤイダールにまで行くのには鬼門があり、それは広大な砂漠があることだ。そこを渡り切るには食料や水がかなり必要なうえに、砂漠で迷った末に餓死などをする可能性も高い。つまりは、砂漠を渡るのに、リスクをかなり要することだ。
フェルンも行くことを考えたが、まだ傷は癒えていない。なのでその話をただひたすらに聞いていた。
「あんたも、ヤイダールに行く話が気になるのかい?」
するとジャックが横になっているフェルンに話しかけて来る。どうやら、盗み聞きしているのに気付いていたらしい。
ぎくりと体を硬直させたフェルンだが、次第に体が弛緩していくと返事をする。
「聞こえたので……」
「だが、私たちにそんな、人間離れしたことはできない。それに今の冒険者たちにはここに居て貰わないと、次はここが襲われてしまう。ハイムやクゥルのようになってしまう。この国の残りのヤイダールしか無くなる。私は、それを避けたいんだ。だが、王様の妙な行動も気になるがね……」
ジャックの言う通りである。自分たちはここに残って、騎士の侵攻を食い止めなければならない。フィアが襲われてしまったら。ここに住んでいる人たちは皆殺しにされてしまう。それに王は未だに何も行動を起こさないので、ここを見捨てたのではないかと思えてきた。
フェルンはふと、ここに縁が無いというのに使命感に溢れてくる。すると自然とジャックへの言葉が出てきた。
「回復したら、僕も戦います。いえ、戦わせて下さい!」
「勿論、そのつもりだよ。治療費をきちんと返して貰わないといけないからね。あとこれ、うちの倉庫にあったものだ。使ってくれ
ジャックがそう言って渡してきたのは剣である。大きさはフェルンが以前持っていたものとほぼ同じであり、重さも変わらない。まるで、この剣はフェルンの為に用意されたかと思ってしまう。
フェルンの剣が折れたことを、ジャックは知っているらしい。恐らくは、他の冒険者に聞いたのだろう。フェルンはそれに礼を述べると、鞘から剣を少し抜いて確認してみる。状態は良い。
すると周囲はその二人の話題がまだ続きがあるようだ。何でも、王の反感を買ったので隣の国であるガインに逃走したらしい。つまりはヤイダールの後ろにあるらしい険しい森を、たった二人で越えたことになる。フェルンは化け物かと思い、驚いていた。
するとジャックも同じ意見だったらしく、目が合うと小さく笑ってくれた。
「この世には。凄い奴も居たもんだねぇ。でも、それくらい強いと、誰も頼る人が居なくて、心細く思えるよ。まぁ、実際には本人たちは、何も悩んではいないかもしれないけど」
やれやれと肩をすくめたジャックは、酒場の仕事に戻った。他の冒険者たちが食事の為に来たらしい。
そこで一人になったフェルンは考えるが、やはりここに留まった方が正解なのかもしれない。もしもヤイダールに行く者たちが現れても、フェルンは着いて行くべきではないと思った。今は弱いうえに、まだフェルン個人としての復讐を果たせていないからだ。兄であるウェルを殺す復讐を。
息を一つ吐くと、フェルンは目を閉じる。
ジャックから一日に二回は食事を渡されているので、今はそれを食べて寝るしかない。回復を待つしかない。その思考に追われながら、フェルンは日々を過ごしていく。
腹の傷の具合は貫通していないものの、体に穴が開いている状態である。このままでは塞がるので何日も掛かるだろう。なので勿論、少なくとも焦りはあった。
※
するとある日、酒場が騒がしかった。いつもならば騎士を殺した者が金貨を持って帰り、大賑わいの筈である。しかし今日はやけに皆が静かだ。フェルンがそれを気になっていると、食事を持って来たジャックが話しかけてくる。
「……仲間が、大勢死んだんだ。仲間が死ぬのはいつものことだが、今日はやけに多くてな……」
ジャックの言葉を聞いて唖然とした。
いつもより死人が多いのは勿論だが、それよりも死人が毎日出ていることを把握していることだ。やはり、死因がどうあれ毎日冒険者たちが命を落としていることを知っていたらしい。すかさずフェルンは睨んでしまうが、ジャックの様子は変わらない。
「同士討ちで死ぬことも、騎士に殺されてしまうことも分かっている。騎士を殺した奴らからそういう話を聞くからね」
ジャックは冷静なのに対して、フェルンの中で怒りがどんどん込み上げていく。しかし、この怒りをフェルンはどうすることもできない。怒りをジャックにぶつけてもどうにもならないし、ましてや当の冒険者たちに注意してもフェルンには止められない。自身が、弱い存在が故に。
もしもジャックや他の者が言う「強い者」であれば、フェルンはその下らない同士討ちを止められた筈だ。騎士たちの反乱も、被害を最小限にして鎮められた筈だ。それなのに、とフェルンは歯を食いしばる。この世界は、あまりにも残酷過ぎると。フェルンは目を細める。
「もしも自分が強ければ、って思ったかい? 私だって、そう思ったことは何回もあるさ。でも結局は私たちは弱い人間さ。でも、人間は力を合わせることはできる。そうだろう? そうだ、中にはね、他の奴と協力して騎士を殺してる奴らも居る。報酬は半分ずつでね。あんたもそうしたらどうだい? 一人で討伐するよりも、楽だろう?」
一気に視界が開けたような気がした。その言葉を聞き、フェルンの見えるもの全てが明るくなったような気がする。
開いていた手を握ると、伸びた爪が皮膚に当たり痛い。そう感じながら、ジャックの言葉を何度も何度も反芻していく。
「明日から、少しずつ動けるようにするよ。今使うには勿体無いけど……」
すると意を決したフェルンは、懐から回復薬の瓶を一本取り出した。黄色の液体に満たされた瓶を見るなり、ジャックは「あっ」と声を上げながら、回復薬を指差す。
「あんた、それを隠していたのかい! ……それなら早く、お代を返してもらうよ」
「はい、分かっています」
瓶の封を開けると、薬品独特の匂いが辺りを漂う。初めて嗅ぐので、余計にだ。それに顔をしかめながら、フェルンは回復薬を一気飲みした。口腔内に初めて味わった回復薬の味が広がる。
回復薬は不思議な味がした。苦いようでもあるがどこか甘く酸っぱい。辛みや渋みは無く、まだ飲みやすい方である。フェルンは何かあればこれを飲まなければならないのかと、内心で溜め息とついた。
そして全て胃の中に入れると、体に早速変化が起きた。体中に活力が巡ると思うと、体に空いていた傷穴が塞がり始めたのだ。だがその感覚は何とも言いようがない。これが二度目でもだ。例えるならば、体から肉が急激に生えてきて、元の姿に戻ろうとしていた。肌同士が繋がる、その感覚がとても違和感を覚える。これを他の冒険者たちは経験をしているのかと思った。
服を捲れば、腹にあった傷は塞がっていた。どう見ても、健康的な肌をしている。フェルンは回復薬の凄さを知る。
「治ったようだね」
ジャックの声がいつもより弾む。フェルンの傷が癒えて嬉しいのだろう。するとつられてフェルンも嬉しくなると、大きく頷いた。後にゆっくりと立ち上がってから礼を述べる。次はとても素直に言うことができ、フェルンの心が晴れていく。
「あの……ありがとうございました。金貨を手に入れたら、必ずお返しします」
「あぁ」
そして体の筋などを入念に様々な方向に伸ばしたりしたが、特に問題は無いようだ。完全に肉体が回復している。フェルンはそれに安堵しながら、鞘に収められた剣を手に持つ。薄い筋肉は腹に怪我をする前と変わらず、握る感覚も同じであった。それには感動し、回復薬の効能を改めて凄いと実感する。
これならばすぐに戦える。そう思いながら、フェルンはジャックに「行って来ます」と言うと、酒場を出た。外に出ればもうじき陽が暮れる時間帯だが、アンデッドの出る夜までにはまだ時間がある。なのでフェルンは、まずは街に出てすぐそこの場所で、何度か素振りをしようと思った。
街に出ると、フェルンは早速に鞘から剣を抜いた。初めて握るものだが、錆びたり欠けてはいないようだ。それを確認したフェルンは、まずは動きが小さく簡単な素振りを始める。
ふと、生まれ育った村で騎士になる為に木製の剣で素振りをしていたことが懐かしいと思えた。だが今は皮肉にも騎士になれなかったうえに、騎士を殺す側にある。少しだけ内心で笑いながら、軽い素振りをしていった。
すると気付けば夜になっていたので、フェルンは酒場に帰ろうとした。そこで、何か近付いて来るような気がした。そう思った頃にはもう遅い。
背後には、一体のアンデッドが居た。フェルンは驚きながら咄嗟に剣を構えるが、幸いにもアンデッドの動きはかなり遅い。なので一先ずは距離を置いて体勢を整えられるが、アンデッドと戦うのはこれが初めてである。それに実際に見たのも初めてであるので、どのように戦えば良いのか分からなかった。フェルンは何度も足踏みをしながらアンデッドの様子を窺う。
確かに、アンデッドはこちらを見ている。しかしこちらに攻撃してくる様子は見られないが、アンデッドは倒さなければならない。アンデッドに襲われた報告を何度も聞いているうえに、何と言っても存在そのものが気持ち悪い。
呼吸を整えたフェルンは、どう斬ろうか考えた。アンデッドが動かないのであれば、このまま正面から斬るのが一番確実だろう。なのでフェルンは前へと進んでから斬りつけた。アンデッドは大人しく斬られたらしく、腐敗した体がどさりと地面に倒れた。そこで止めにと頭を剣先で何度も突くと、ようやくアンデッドの動きが止まった。そしてアンデッドの体が粉々になったかと思うと、そのまま消えていく。
それを確認した直後に、フェルンは街に急いで戻った。アンデッドは光のある場所には来ないらしいからだ。街に着いた瞬間に疲れが押し寄せる。久しぶりに剣を握り、そして振るったせいなのかもしれない。いずれにせよ酒場で休憩しなければならないと思い、戻っていく。
「フェルン!」
酒場に入った瞬間に、ジャックが出迎えてくれた。眉を下げ、とても心配そうにしていた。もしかしたら、ジャックは自身の帰りを待っていたのかもしれない。そう思ってしまうと、自然と「ごめんなさい……」と口にしていた。直後にジャックが頭を撫でてくれた。
「心配したんだよ……でも、無事でよかった」
「ごめんなさい。もう、夜には出歩きません」
そう言って頭を深く下げると、ジャックがカウンター席に座るように促してくれた。時間帯は既に夜なので、酒を飲みながら食っている冒険者がたくさん居る。その中で、フェルンが静かにカウンター席に座る。
「はいこれ、とりあえずは食べてから寝な」
出されたのはいつものパンと干し肉である。それでもフェルンは礼を述べながら食べていった。
「……実はさっき、アンデッドと戦いました」
「アンデッド……!?」
客の対応を一通り終えたジャックがカウンター越しに戻るので、フェルンはそう話しかけた。勿論、ジャックは驚いている。
「でも、倒しましたが、騎士を殺せば殺す程に、アンデッドが増える訳ですが……」
フェルンはふと誰でも思いつくような疑問を口にすると、ジャックは「分かっているよ」と返事をした。
「でも今は、騎士を殺すのが先だ。だがしかしねぇ、国から兵を少しはくれてもいいと思うんだけどね。まぁ……砂漠を越えないといけないから、無理があるか」
ジャックは肩をすくめた後に「そういえば怪我は?」と聞いてきたので、フェルンは無傷であったと言う。次にくれた剣を見せると、ジャックは目を細めた。
「それは良かった。もう使えないと思っていたところだよ。それより、明日からはあんたも騎士討伐を再開させるんだろう? もう寝な」
コップに並々と注がれた水を差し出したジャックは、まるで母のように言う。フェルンは何だかそれが懐かしく思えると、つい「まだ起きていたい」と返しかけた。だが目の前に居るのは母ではない。ジャックという名前しか知らない女だ。フェルンは内心で現実に一瞬だけ帰ると「はい」と、短く頷いた。
怪我を治療していた時のように酒場の隅で横になると、すぐに眠気が来た。周りは相変わらず酒盛りなどで騒がしいが、不思議とである。なのでフェルンはその睡魔を受け入れると、そのまま眠っていった。
目を覚ますと、いつの間にか朝を迎えていた。フェルンはすぐに起き上がると、早速に他の冒険者が二人酒場に来ている。フェルンは体を軽く伸ばすと、来た冒険者たちに話しかけられた。
「……報酬を分ける代わりに、協力して騎士を討伐しないか?」
そう聞かれると、フェルンは一つ返事で承諾した。なので報酬である金貨一枚を三人で分割することになるが、フェルンはそれで良いと思えたからだ。まずは、少しずつ自身への投資の為に稼がなければならないからだ。
ジャックが「おはよう」と眠たそうな顔をしながら厨房の奥から出て来た。そういえば厨房の奥がジャックの部屋らしいが、冒険者たちとの会話が聞こえてしまったのだろうか。そう思ったが、他の者たちは気にしていない。なのでフェルンはジャックに挨拶を返すと、早速に冒険者たちと騎士討伐に向かうことにした。未だに眠たげな顔をしているジャックに見送られながら、酒場を出る。
「そういえば名前は?」
冒険者がそう訊ねて来くるので、フェルンは自身の名を名乗った。すると冒険者たちもそれぞれの名を告げると「よろしく」と言い合う。
いつの間にか街から出ると、街の中ではあった人混みが無くなる。閑散としているが、視界が開けていた。三人はそれぞれ、様々な方向を確認していく。どうやら騎士か、あるいは魔獣の気配は無さそうである。冒険者曰く、この辺りは魔獣は少ないが、出ないとは限らないらしい。
「このあたりはロップーや、それにスライムも出る」
「スライム!?」
驚いたフェルンは大声を出してしまうと、冒険者がどうしたのかと聞いてきた。なので「洞窟でどうしても倒せなかった」と理由を話すと、冒険者たちは大笑いする。思わず、フェルンの頭に血が上りかけた。
「スライムはね、どこでもいいから攻撃を与えた瞬間に、赤色のコアが出るんだよ。それが弱点でね、そこを攻撃すれば一瞬で死ぬ。簡単だろう?」
知らなかったフェルンは何度も頷いてから、脳内に完全に記憶した。また今度、スライムと戦う機会があればそうやって倒そうと。
そうしていると、遠くからスライムがやってきた。いいタイミングだと冒険者が言うと、手本の為にと武器である剣を抜いてからスライムの方へと歩いて行く。そして一度剣でスライムの体を斬るなり、冒険者の言う通りに赤色のコアが出てきた。フェルンはそれを凝視していると、冒険者がスライムのコアを叩き割る。するとスライムは溶けるように、消えていった。
「ほら、簡単だろう?」
「はい、そうですね。またスライムを見かけたら、次は僕が倒してもいいですか?」
「勿論だよ」
会話をした後に、冒険者たちは騎士を探すついでにスライムも探す。視界は開けているものの、なかなかどちらも見つからない。次第に太陽が真上に昇るが、三人は飽きもせず辺りを見回し続ける。
「あっ!」
するとフェルンがスライムを見つけた。なので早速剣を抜いてから、一度斬りかかる。スライムの体が割れて赤色のコアが露出すると、それを剣で砕いた。スライムを倒すことができた。
「よかったね」
冒険者たちに褒められ、フェルンはつい照れてしまう。そしてふと、かつて生まれ育った村でのことを思い出す。その時は、木製の剣を模した棒を降り続けて褒められていた。「よく頑張ってるねぇ」と。
「ありがとうございます」
アルデンに来てから、フェルンの心が次第に晴れてきた気がする。自身でもそう思いながら、後頭部を軽く掻く。
「じゃあまた見つけたら、スライムを倒してくれる?」
「はい!」
フェルンは元気よく返事をすると、三人は再び騎士を探し始める。
かなり歩いたところで、ようやく騎士を見つけた。一人で居るようだが、こちらは三人である。今のところは有利な状況である。
すると一人の冒険者が「囮になる」と言うので、残りの冒険者とフェルンが頷く。なのでまずは囮役の冒険者が、騎士の元に向かって行く。交戦を始めたところで、フェルンたちは騎士たちの元へ走って行った。そして二人で騎士に斬りかかると、騎士はあっけなく死ぬ。三人が歓喜をしてから騎士の首を剣で取ろうとすると、こちらに向かって来る足音が聞こえた。なのでその方を向いてみると、騎士ではなく冒険者であった。それも、こちらへ急ぐように走っている。
どうしたのだろうかと三人は様子を窺っていると、囮役をしていた冒険者に、斬りかかった。どうやらフェルンたちの手柄を奪いに来たらしい。
幸運にも囮役であった冒険者の傷は浅かったものの、それでも出血をしてしまっていた。流れる血を手の平で掬うように、押さえている。
「お前……!」
フェルンの頭に完全に血が上った。すると足も手も止まらなくなる。一心不乱に剣を振るが、襲ってきた冒険者は簡単そうに避けていく。
悔しくなったフェルンは襲ってきた冒険者の足を蹴る。さすがにそれは予想してなかったらしく、その場でつまずいて転んでしまった。今が好機だと、フェルンは思いっきり剣を振り上げてから下ろす。刀身は見事に甲冑を貫き、そして体の皮膚を裂いていく。
「ぐわあああああ!」
悲鳴が聞こえたが、フェルンは手を止めるという思考が無かった。もう一度、もう一度と同じ動作を繰り返していると、襲ってきた冒険者の息が止まる。それでも、とフェルンは剣を振り続け、辺りや自身の体を血塗れにしていく。それに臓器や肉片、さらには脳の欠片を飛ばしていく。
「……フェルン! もうやめないか!」
無傷の方の冒険者がそう言って、フェルンの腕を掴む。そこで冷静になったフェルンは、この状況に気付いた後に深く後悔をする。
「ごめんなさい。でも……僕は、悪くない……」
「そうだけど! やりすぎだ! もう充分だ!」
見れば浅い傷を追った冒険者が縮こまって怯えていた。フェルンのやり過ぎた殺し方が、とても怖く見えたのだろう。
「……この首を持って、早く帰ろう」
無傷の冒険者が騎士の死体の元に向かうと、剣で首を切っていく。皮膚は簡単に切れるものの、骨まではなかなか切ることができない。一つの舌打ちが聞こえた後に次は体重を掛けると、ようやくごきっと骨まで切ることができた。小さな鈍い音が聞こえる。
「ほら、アルデンに帰ろう」
首を取って見せると、騎士からはまだ新鮮な血が流れていた。辺りは鉄の匂いが充満しているが、ここは外だ。次第に薄れていくだろう。
「はい」
頷いたフェルンは冒険者二人と街に向かおうとする。そこで、無傷の冒険者に異変が起きた。見れば首が飛んでいたからだ。フェルンは咄嗟に振り返り、背後を見る。
「騎士……!」
騎士が一人居たが、歩き方に見覚えしか無かった。なので顔を凝視すると、あれは兄のウェルであることが分かる。途端に傷の浅い冒険者の注意の声を無視しながら、剣を持って走って向かう。
「ウェル!」
そう叫ぶと、剣を振るった。当然のように受け止められてから、後ろに引き下がる。
「まだ生きていたのか」
ウェルは呆れたように剣を持つと、血が流れていた。先程、冒険者の首を斬ったからだろう。刀身から刃先にまで血が伝うと、地面にぽたぽたと落ちていく。それが小さな赤い円となっていく。
だが傷の浅い冒険者には、この戦いは関係ない。なので「首を持って先に帰って欲しい」と言おうとしたところで、フェルンは目を見開いた。傷の浅い冒険者の首が無いのだ。だがもう気付いた時には何もできず、フェルンはそれをただ見るだけしかできない。
「あとはお前、一人だなぁ……」
ウェルは不気味に笑うが、以前まではこのような性格ではないと思った。やはり、騎士の実力主義の世界にさらされて変わってしまったのだろう。ならば、とフェルンは剣を構える。ジャックがくれた剣は、自身のもののように馴染むと思いながら。
しかし悔しいことに勝てる見込みなど無い。せめてできるとしたら、逃げることくらいだろう。だがフェルンはウェルにどうしても聞きたいことがあった。なので剣を構えながらウェルに質問をする。最初は詰まってしまっていたが、後はすんなりと喋ることができた。
「……き、騎士になって、後悔はあるのか?」
「無いな」
今や騎士の存在が憎いフェルンは、その答えがどうしても怒るしかなかった。なのでウェルに斬りかかるが、それも簡単に受け止められてしまう。
「どうした?」
「僕は……俺は、騎士が憎い! 俺の、全部を奪った! 家族も、帰る場所でさえも!」
声に荒さが混じる中でそう言うが、ウェルにはそのような言葉は全く効果が無い。寧ろ喜ばせる燃料にしかならなかったようだ。ゲラゲラと笑う。
「笑うな! くそ!」
大声を出しながら斬りかかるが、これも受け止められた。今度は強く弾かれたので、フェルンは尻餅をついてしまう。
「どうした? ほら、掛かってこい」
そう挑発しながら、ウェルは何かブツブツと言い始める。体がぼんやりと、青色に光る。これは身体能力を一時的に高める魔法なのだろう。だがそうはさせないとフェルンがウェルに剣を振るうと、浅い傷を作ることができた。ようやく、ウェルに攻撃が通用したのだ。
「フン、魔法詠唱中にか。まぁいい」
ウェルが鼻で笑いながら、次は攻撃を仕掛けていく。しかしどれも寸止めを繰り返されており、攻撃が次第に読めなくなっていった。フェルンは太刀筋を追いかけるのが精一杯であり、焦らされている気分になる。するとフェルンから攻撃をしようとすると、剣で受け流された。そしてウェルが直後に剣先をフェルンの眉間の直前でぴたりと止められる。
「ほら、これでお前は死んだ」
そう言うが、剣先を進める気は無いようだ。手の平で命を転がされている気分になり、そして冷や汗が止まらなくなる。心臓はいつもよりもバクバクと体の中を強く打っており、気持ちが悪い。
自身が今まで作っていた復讐への道がここで途絶える。そう観念するしかなかった。今まで泥を被ってでも、血に塗れても必死に追いかけていた復讐。人を何人も殺していき、人を殺しながら育てていた復讐心。それが今、全てフェルンの中で無駄になるのだ。粉々に砕け散ってしまうのだ。
「……殺すなら、殺せ。お前は、他の冒険者が殺す筈だ」
最後の抵抗として笑って見せるが、自身でも分かるくらいに笑顔がぎこちない。ウェルは眉間に皺を寄せると、剣先を離した。眉間から、どんどん離れていく。驚いたフェルンはウェルの方を見ると、呆れているように思えた。
「どうして……!?」
「お前が弱すぎるんだよ。殺す気にもなれねぇよ。他の奴らに殺されていろ」
ウェルは息を吐きながら離れて行こうとする。腹が立ったフェルンは起き上がり、そしてウェルの背中を追いかけようとした。そこで、ウェルの首が飛ぶ。一瞬のことであった。
「えっ……?」
地面を見ればウェルの首が転がっており、体はまだ立っている。それを見ているとようやくウェルの体がどさりと倒れた。
本当に、フェルンの復讐への道が途絶えた。それもフェルンがウェルに募らせる復讐心を知らない、他の誰かに。
フェルンはその場で膝を落とすと、ウェルの首から血が流れていく様をずっと見ていたのであった。深く、深く絶望をしながら。
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