冬の夜の話

 とても静かな夜だった。
 外は雪だ。
 人里離れた別荘には、何の音も届かない。ただ、暖炉の薪が燃える音がパチパチと囁くだけ。
「寒いか?」
 赤井は一つ毛布に包まる恋人をぎゅっと抱き寄せた。
「ん」
 恋人はとろりとした声で答え、甘えるようにすり寄ってきた。
 散々抱いた後だ。二人の間には気怠く甘い空気が残っていた。
 毛布の下は二人とも一糸纏わぬ姿のままだ。もうずっと服なんて着ていない。
 流石に冷える。服を着せなくてはと考えては、赤井は、恋人の滑らかな肌に溺れるのを繰り返していた。
 艶めいていて、しっとりと吸い付いてくるような肌だ。滑らかで、甘い肌だ。
「あ…」
 知らず知らずのうちに撫でていると、恋人はあえかな声を出した。だが、荒淫の為に掠れた声だった。
「疲れてるだろう。ベッドで休もうか?」
 そう問いかけると、恋人の降谷は緩慢に首を振った。
「ここに居たい」
 それから、離れたくないと赤井にしがみついた。
「どこにも行かないよ」
「嘘」
「君を離さない」
「嘘だ」
 聞き分けない子どもみたいに、降谷は全てを否定した。
「本当だ。もう、君と離れては生きていけない」
 赤井は何度でもそれを言い聞かせるのだった。
「僕のせいで全てを失っても?」
「君さえいれば、それでいい」
 二人の恋は、許されない物だった。密かに愛し合うだけ。誰にも言えず、誰からも祝福されない恋だった。
 慎重に、それが露見しないように、表向きはまるで憎み合ってるように振る舞って、人の目を誤魔化してきた。それでも、恋心というのは、滲み出てしまう物なのだ。
「君こそ、後悔してないか?」
 赤井は引き裂かれる前にと、恋人を攫った。これは、愛のための逃避行だった。
「雪が止んだら、ここを出る」
 そうしたら、もう戻れない。この日本には、二度と帰れない。
 降谷は何も言わず、じっと暖炉の火を見つめていた。
 あぁ、もしかしたら、この逃避行を終わらせて、元の居場所に帰ろうと言うだろうか。仕方ない。彼の愛国心は、彼そのものだ。それを捨てるというのは、自身の生きて来た証を捨てるようなものだろう。
 攫ってきておいて、赤井は、降谷を手放す覚悟もしていた。
 パチパチ
 火が燃える。
 ふうっと、降谷が溜息をついた。
 猫みたいに甘えて、何度抱いても飽きない蟲惑的な体を擦り付けては、赤井の理性を崩そうとする。
 まるで、悪魔に魅入られたような気分だ。
 まさか、自分が、恋に溺れて、こんなリスキーな真似をするなんて。
 飽きずにキスを交わす。もう、ここに来て何千回もキスして、それでも、何度でもそうしたい。
「零、愛している」
 例え、この先、別々にしか生きられないとしても。
「僕も。貴方を愛してる」
 それは、降谷が初めて口にした愛の言葉だった。
 暖炉の火に照らされた降谷の顔は、どこか達観したような安らかな顔をしていた。
「…睫毛が」
 赤井はその頬に抜けた睫毛を見つけて、手に取った。
「ほら、願い事を」
「え?」
 降谷は不思議そうに首を傾げた。これは彼の知らないおまじないだったらしい。
「目を閉じて、願い事をして吹き飛ばすんだ」
「何回?」
 降谷は真剣にそう言った。
「願い事は何回してもいい?」
 その言葉は赤井の胸をぎゅうっとしめつけた。
 たくさんの不安があるのか?たくさん、願わないと叶わないのか?
「何回でも、全部の願い事をしたらいい」
 その全てを叶えてあげよう。赤井は心に誓う。
 降谷は目を閉じる。そして、口に出して願い事を唱えた。
「貴方と、死ぬまで一緒に居たい」
 一つ目の願い。
「ずっと、ずっと、死んじゃうまで、一緒にいたい」
 二つ目。
「貴方を取り巻く全部の困難から守ってあげたい」
 三つ目を聞いたら、赤井の胸は張り裂けそうになった。
「だから、お願いだから、後悔しないでください、僕を選んでしまったこと」
 ふっ
 降谷は息を吹きかけて睫毛を飛ばした。その行方は確かめなかった。きっと、願いを叶えて神様が持っていってしまったからだ。
「馬鹿だな。悔やむわけがないだろう」
 降谷が目を開ける。涙で潤んだ瞳が煌めいていた。
「ほら、いい子だから、泣かないでくれ。ちっとも怖いことなんてないから」
 涙が溢れる前に、拭ってやる。
「君を幸せにする。必ず」
「うん」
 降谷は甘えて赤井の首筋に鼻を擦り付ける。動物みたいな愛情表現だった。だが、それは赤井も同じだ。降谷の淡い体臭の中に、酷く落ち着く匂いを感じる。
「っ」
 チリっと痛みが走った。
「こらっ」
 降谷が頸筋を仔犬みたいに噛んだのだ。
「ふふ」
「疲れてるんだろ?」
「…もう一回だけ。ダメ?」
 毛布の中で降谷がしっとりと湿った部分を赤井に押し付けてきた。
「だが、さっき、もうできないって泣いてただろ?」
「うん」
 今夜は激情のままに抱いてしまった。降谷は最後には泣いて、もうしないと拗ねていたのに。 
「また、怒られるんだろ、俺は」
「怒らないから、して」
 降谷は腰を揺らめかせて赤井に性器を擦り付けて慰めだした。
 息が荒くなる。不意に高く声にならない吐息を漏らす。赤井の気を引きたくて仕方ないと、誘惑している。懸命な媚態は、健気で哀れで、とても愛らしい。
「可愛い」
 先ほど、今夜はもう寝かせてやろうと決めたのに、柔な理性が崩れてしまう。
「一回で止められないぞ」
「うん。いっぱい。たくさん、欲しい」
 降谷がキスを求めてちらりと舌を覗かせた。
 ちゃんと経緯を覚えているのはそこまでだった。
 そこからは、赤井も情熱に翻弄され、全てが有耶無耶になってしまったからだ。
 抱いても抱いても、飽き足らない。抱いても抱いても飢える。
 愛しさは、砂漠の泉ように湧き出ては乾く。心を満たすにはまだ足りない。
「馬鹿だな。きっと、後悔するのは君の方だ」
 こんなにも飢えた男に奪い尽くされるなんて、可哀想な子だ。
 だが、降谷の耳にはそれは届かなかった。彼はもう、ただ、赤井の下でひっきりなしに甘く囀るしかできなかったからだ。
 奪いたい、与えたい。壊したい、指一本触れずに崇めたい。
 もうこんな風に心が乱れることなんて、無いと思っていたのに。
 もう、誰かを愛するなんてないと思っていたのに。
 これは、どちらの心の内か…。
 二人は荒波の中の小舟みたいに、ずっとゆらゆらと、夜の中を彷徨うのだった。
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