一目惚れ
どうして…
降谷は横たわる男の手をそっと撫でた。その逞しい腕には二本の点滴とバイタルの線が繋げられている。それが痛々しい。
「呼吸も安定してるので、酸素投与は必要なさそうですね」
看護師が意識のない男から酸素マスクを外した。
「大丈夫ですよ。数値、安定してますので」
余程、降谷が不安げに見えたのだろう。看護師は何度か大丈夫ですと繰り返して、病室を出ていった。
「はぁ」
降谷はどっと安堵の息を吐いた。それから、男のベットの名札をちらっと見る。
沖矢昴。男の名だ。だが、本当の名前じゃない。
横たわる男は降谷の因縁の相手である、赤井秀一であった。
この男は、腹と足に二発の銃弾を受け、緊急搬送されたのだった。降谷は側にいた。いや、赤井に庇われた。犯人の狙いは降谷の方だったが、沖矢が代わりに撃たれた。
「なんで、僕を庇ったんだよ」
たまたまそこに居合わせただけのくせに、躊躇いなく犯人の前に立ちはだかるなんて、本当に、馬鹿だ。
「赤井」
力無い手を握る。
「…馬鹿だな」
赤井は身分を偽って潜伏している身だ。常から目立たぬように、尻尾を出さぬよう、細心の注意を払っている筈だ。それをこんな風に手術を受けるハメになるとは。
下手をしたら、全てが水の泡になってしまうのに。
降谷は沖矢の身元保証人として書類にサインした。本当は身内でないと書けない書類だったが、そこは蛇の道は蛇である。降谷は、雑多な煩わしい手続きを省くことができる立場の人間だ。
だが、まさか、この男の為にそれをする事になるとは。
目を閉じた顔は整い過ぎていて、作り物めいて見えた。それが恐ろしくて手を握る。反応はない。だが、温かい。
生きているのだ。
ブブブ
懐で電話が震えた。確かめると、赤井の同僚の番号だった。
手術前に電話を入れた。繋がらなかったのでメッセージを残したのだが、それへの返答だろう。時間が掛かったのは、相手が降谷だということへの警戒。それは理解できた。
「降谷です」
「私です」
電話の相手は赤井の上司だった。
「さきほどのメッセージ、確認させていただいた」
その確認に時間が掛かったのだろう。それは理解できた。
「手術は成功しました。今はまだ目を覚ましてませんが」
会話で赤井を起こさぬよう、窓際へと移動する。念の為、カーテンは閉じておいた。
「二発、銃弾を撃ち込まれました。腹と足です。上手く急所は外しましたが…」
降谷はことのあらましと、手術の内容と、経過は良好だと伝えた。
「私を庇っての怪我です。すみませんでした」
こうなった原因も包み隠さずに全てを話した。
手術を受けさせるために、力技も使ったこと。家族の了承を受ける前に勝手をしたことは申し訳ないと思っている。だが、どうしても助けたいという思いからしたことだ。許して欲しい。
状態は安定しているので面会もできるが、降谷は付きっきりで世話を焼くつもりである。とにかく、申し訳なく思っていると。
「なるほど…」
電話の向こうはどこだろうか。東都内ではなさそうだ。だが、今は、他国の捜査官が何をしているかなんぞどうでもいい。
「ご家族は、彼と面会ができない状況でしてね。そして、我々も沖矢とは接触するべきでない」
「理解しております」
「赤井くんの事をお任せてしてもよろしいですか?」
「も、勿論ですっ」
「お願いします。できれば、こまめに状況の連絡をください」
「わかりました。お任せください」
降谷は警官の習い性で、ピシッと背筋を伸ばし承ったのだった。
全く駆け引きなく通話が終わる。
赤井の上司は、なかなかの人物だ。脅しのようなことは一切言わず、それでいて降谷に責任を取らせると初めから決めていたような言い方だった。
懐にスマホをしまい、降谷は詰めていた息を吐いた。柄にもなく緊張していたらしい。
「ん…」
「あ、気が付いた?」
ベッドの上で、赤井の目が開いていた。だが、焦点がふわふわしている。
慌てて駆け寄り、顔を覗き込む。
赤井はこれまで見せたことがないような、顔をしていた。
「赤井?」
まるで夢を見ているような、ぼんやりした顔だ。
「とんでもなく可愛い子がいる」
ぽつっと呟いた言葉は意味が分からない。
「ん?」
「可愛い子が俺を見てる」
「赤井?」
「やぁ」
赤井は英語で挨拶を寄越した。
「…おはようございます」
降谷は日本語で返した。
「返事した。幻じゃない」
「何言ってんだ。僕ですよ、降谷です」
意識が混濁しているのか。
降谷も合わせて英語を使った。
「喋ったぞ。驚きだ」
今度は日本語だ。
「あ、あの」
これは、おかしい。赤井は記憶喪失になったのか。
「お茶に誘っても?」
「ナンパすんな!」
思わず突っ込む。
「お茶は、つまらないか」
赤井はむくりと体を起こした。
「わーっ、起き上がるなっ」
降谷は慌てて赤井の肩を掴んで止めた。
「安静にしていてください。えーっと、貴方は手術を受けたので、寝てなくてはいけないんです」
「可愛い子が何か言ってる」
「んん…」
緊急手術だったので、降谷も慌てていたのだが、確か、術後に記憶の混濁状態になるかもしれないとは聞かされた気がする。全身麻酔では、稀にあることらしいのだが、だが、そうだとしても、これは想像と違った。
普段は愛想の欠片も無いくせに、やけに人懐っこい。人格が変わるとか、あり得ないだろう。
いや、麻酔の影響だ。言ってみれば降谷のせいである。
こんな、軟派野郎になったことは、他言しまい。
降谷はやんわりと赤井をベッドに押し戻し、布団をかけてやった。
「とにかく、僕が側にいますから、ベッドに寝ていてください。まだ、動いてはいけないんです。せっかくふさいだ傷口が開いてしまうので」
点滴が外れてないか、腕を確かめる。針はちゃんと刺さったままだ。
良かった。
「もう少し眠ってもいいですよ」
だが、刺された針が痛々しい。その鍛えられた腕をひと撫でして、降谷は子どもに言い聞かせるように優しく言った。
「眠ったら、君はどこかへ行くだろう」
「いえ、僕はずっと側に居ます。お世話しますから、安心して」
「ここに居て。次に目を覚ましたら、今度こそ、デートしよう」
「あはは。まず怪我を治してください」
降谷は笑った。赤井は再び目を閉じた。
次に目を覚ましたら、きっと、赤井はいつもの彼に戻っている。愛想のない、皮肉っぽい、可愛く無い男に。
「さっきの貴方、デートしてみたいくらい可愛かったですよ」
でも、もし、目が覚めても降谷を可愛いと思ってくれるなら、今度はこちらからデートに誘ってみようかな。
そんなことを考えながら、降谷は掴まれたままの手をそっと撫でたのだった。
降谷は横たわる男の手をそっと撫でた。その逞しい腕には二本の点滴とバイタルの線が繋げられている。それが痛々しい。
「呼吸も安定してるので、酸素投与は必要なさそうですね」
看護師が意識のない男から酸素マスクを外した。
「大丈夫ですよ。数値、安定してますので」
余程、降谷が不安げに見えたのだろう。看護師は何度か大丈夫ですと繰り返して、病室を出ていった。
「はぁ」
降谷はどっと安堵の息を吐いた。それから、男のベットの名札をちらっと見る。
沖矢昴。男の名だ。だが、本当の名前じゃない。
横たわる男は降谷の因縁の相手である、赤井秀一であった。
この男は、腹と足に二発の銃弾を受け、緊急搬送されたのだった。降谷は側にいた。いや、赤井に庇われた。犯人の狙いは降谷の方だったが、沖矢が代わりに撃たれた。
「なんで、僕を庇ったんだよ」
たまたまそこに居合わせただけのくせに、躊躇いなく犯人の前に立ちはだかるなんて、本当に、馬鹿だ。
「赤井」
力無い手を握る。
「…馬鹿だな」
赤井は身分を偽って潜伏している身だ。常から目立たぬように、尻尾を出さぬよう、細心の注意を払っている筈だ。それをこんな風に手術を受けるハメになるとは。
下手をしたら、全てが水の泡になってしまうのに。
降谷は沖矢の身元保証人として書類にサインした。本当は身内でないと書けない書類だったが、そこは蛇の道は蛇である。降谷は、雑多な煩わしい手続きを省くことができる立場の人間だ。
だが、まさか、この男の為にそれをする事になるとは。
目を閉じた顔は整い過ぎていて、作り物めいて見えた。それが恐ろしくて手を握る。反応はない。だが、温かい。
生きているのだ。
ブブブ
懐で電話が震えた。確かめると、赤井の同僚の番号だった。
手術前に電話を入れた。繋がらなかったのでメッセージを残したのだが、それへの返答だろう。時間が掛かったのは、相手が降谷だということへの警戒。それは理解できた。
「降谷です」
「私です」
電話の相手は赤井の上司だった。
「さきほどのメッセージ、確認させていただいた」
その確認に時間が掛かったのだろう。それは理解できた。
「手術は成功しました。今はまだ目を覚ましてませんが」
会話で赤井を起こさぬよう、窓際へと移動する。念の為、カーテンは閉じておいた。
「二発、銃弾を撃ち込まれました。腹と足です。上手く急所は外しましたが…」
降谷はことのあらましと、手術の内容と、経過は良好だと伝えた。
「私を庇っての怪我です。すみませんでした」
こうなった原因も包み隠さずに全てを話した。
手術を受けさせるために、力技も使ったこと。家族の了承を受ける前に勝手をしたことは申し訳ないと思っている。だが、どうしても助けたいという思いからしたことだ。許して欲しい。
状態は安定しているので面会もできるが、降谷は付きっきりで世話を焼くつもりである。とにかく、申し訳なく思っていると。
「なるほど…」
電話の向こうはどこだろうか。東都内ではなさそうだ。だが、今は、他国の捜査官が何をしているかなんぞどうでもいい。
「ご家族は、彼と面会ができない状況でしてね。そして、我々も沖矢とは接触するべきでない」
「理解しております」
「赤井くんの事をお任せてしてもよろしいですか?」
「も、勿論ですっ」
「お願いします。できれば、こまめに状況の連絡をください」
「わかりました。お任せください」
降谷は警官の習い性で、ピシッと背筋を伸ばし承ったのだった。
全く駆け引きなく通話が終わる。
赤井の上司は、なかなかの人物だ。脅しのようなことは一切言わず、それでいて降谷に責任を取らせると初めから決めていたような言い方だった。
懐にスマホをしまい、降谷は詰めていた息を吐いた。柄にもなく緊張していたらしい。
「ん…」
「あ、気が付いた?」
ベッドの上で、赤井の目が開いていた。だが、焦点がふわふわしている。
慌てて駆け寄り、顔を覗き込む。
赤井はこれまで見せたことがないような、顔をしていた。
「赤井?」
まるで夢を見ているような、ぼんやりした顔だ。
「とんでもなく可愛い子がいる」
ぽつっと呟いた言葉は意味が分からない。
「ん?」
「可愛い子が俺を見てる」
「赤井?」
「やぁ」
赤井は英語で挨拶を寄越した。
「…おはようございます」
降谷は日本語で返した。
「返事した。幻じゃない」
「何言ってんだ。僕ですよ、降谷です」
意識が混濁しているのか。
降谷も合わせて英語を使った。
「喋ったぞ。驚きだ」
今度は日本語だ。
「あ、あの」
これは、おかしい。赤井は記憶喪失になったのか。
「お茶に誘っても?」
「ナンパすんな!」
思わず突っ込む。
「お茶は、つまらないか」
赤井はむくりと体を起こした。
「わーっ、起き上がるなっ」
降谷は慌てて赤井の肩を掴んで止めた。
「安静にしていてください。えーっと、貴方は手術を受けたので、寝てなくてはいけないんです」
「可愛い子が何か言ってる」
「んん…」
緊急手術だったので、降谷も慌てていたのだが、確か、術後に記憶の混濁状態になるかもしれないとは聞かされた気がする。全身麻酔では、稀にあることらしいのだが、だが、そうだとしても、これは想像と違った。
普段は愛想の欠片も無いくせに、やけに人懐っこい。人格が変わるとか、あり得ないだろう。
いや、麻酔の影響だ。言ってみれば降谷のせいである。
こんな、軟派野郎になったことは、他言しまい。
降谷はやんわりと赤井をベッドに押し戻し、布団をかけてやった。
「とにかく、僕が側にいますから、ベッドに寝ていてください。まだ、動いてはいけないんです。せっかくふさいだ傷口が開いてしまうので」
点滴が外れてないか、腕を確かめる。針はちゃんと刺さったままだ。
良かった。
「もう少し眠ってもいいですよ」
だが、刺された針が痛々しい。その鍛えられた腕をひと撫でして、降谷は子どもに言い聞かせるように優しく言った。
「眠ったら、君はどこかへ行くだろう」
「いえ、僕はずっと側に居ます。お世話しますから、安心して」
「ここに居て。次に目を覚ましたら、今度こそ、デートしよう」
「あはは。まず怪我を治してください」
降谷は笑った。赤井は再び目を閉じた。
次に目を覚ましたら、きっと、赤井はいつもの彼に戻っている。愛想のない、皮肉っぽい、可愛く無い男に。
「さっきの貴方、デートしてみたいくらい可愛かったですよ」
でも、もし、目が覚めても降谷を可愛いと思ってくれるなら、今度はこちらからデートに誘ってみようかな。
そんなことを考えながら、降谷は掴まれたままの手をそっと撫でたのだった。
1/1ページ