Sweetest Thing

 ここ最近、降谷は、ちょっとばかり浮かれていた。
 珍しく、休日に予定を入れていたからだ。
 それは、特別な予定だった。一月前から休みを申請して、それに向けて仕事を調整して、万全の態勢で迎えるほどに。
 洒落ているが気張りすぎて無い服を新調したし、散髪もした。気合いを入れようと、下着まで新しい物を用意した。
 一緒に出かける相手にも予定を空けてもらった。
「楽しみだ」
 と、いつもは無愛想な相手が可愛げを見せてもくれた。
 俄然、ヤル気になった。降谷は、徹底して下調べを行った。
 今回は都外まで苺狩りに行くつもりだ。道中の寄り道も考えて、最後には夜景の綺麗なイタリアンで食事。そこで、降谷は、愛を告げるつもりなのだった。
 先月のバレンタインには、彼から誘ってくれた。キスも彼から。
 なら、自分は、言葉を尽くして、恋人同士になりたいと申し込もう。
「赤井、いい返事をくれるかな」
 今でも悪く無い関係だが、それを一歩進みたいと言葉にしたら、彼は、どうするだろう。
「嬉しいよ」
 そう答えてくれることを願うのだった。

 そして、三月十四日、降谷は赤井を迎えに行こうと愛車に乗り込んだところで、電話を受けた。
「ごめん、降谷さん」
 表示されたのは赤井の番号だった。だが、電話の向こうから聞こえたのは、彼の妹の真純の声だった。
「ごめん、兄貴は急用で行けなくなった。本当にごめん。また本人から連絡するから」
 ブッ
 無慈悲に電話は切られた。
 こちらからは、何を言うこともできなかった。
「え?」
 呆然と呟いたが、答えてくれる者はない。
 なんとなく分かったのは、自分は振られたらしいということだけだった。
 出かける用事は無くなった。
 怒りは湧かなかった。でも、ちょっとホッとしたような、変な諦めが心に生じた。
 降谷は、予約したあれこれにキャンセルの電話を入れた。
 それは、なんだか、自分の気持ちを巻き戻すような行為だった。
 いや、約束がポシャるなんてよくある事だ。
 だが、今回のデートが特別だということは、赤井も気付いていた筈。
 降谷に恥をかかせまいと、あらかじめ告白の機会を潰したのかもしれない。
 あれで、優しい男だから…。
 いやいや、用ができただけだ。仕方ない。
 でも、きっと、縁が無かったんだな。
 積もり積もった恋心が、少しずつ剥がれ落ちて軽くなって行く。最後に、夜景が綺麗なイタリアンに断りの電話を入れた。人気の店で、予約を取るのは大変だったから、一人でも行きたいくらいだ。
 嘘だ。そんな惨めなことはできない。
 そこで言う筈だった言葉は、もう忘れることにする。
「僕と、この先ずっと共に生きて欲しい」
 今考えると、それは愛の告白というよりプロポーズだ。
 言わなくて良かった。戸惑わせてしまうところだった。
 さぁ、これで、何の予定もない休日になった。実に身軽だ。
 降谷は思うままに、車を走らせたのだった。

 
 降谷が自宅に戻ったのは、夕方になった頃だった。久々に愛車を目一杯走らせ、洗車して、ガソリンを満タンにした。それから、一人で飲むために酒を買い込んで帰ってきた。
 真純が言っていた「本人からの連絡」は、結局来なかった。
 普段、家では飲まないのだが、今日くらいは酔っ払いたい気分だ。
 そうして、自宅マンションの五階にエレベーターで辿り着いたところで、思いがけない人影を見たのだった。
 赤井?
「やぁ」 
 人影は、降谷を確かめると、手を挙げた。
「あ、あの」
 降谷は何を言うべきか言い淀み、まだ生々しい傷が痛んで彼から目を逸らした。
「すまなかった。まさか、こんなことになるなんて」
「いえ、良いんです」
「いや、言い訳をさせてくれ」
「本当に!」
 赤井の言葉を遮った。聞きたくないのだ、降谷より大事な事があったのだとは。
「もう、いいんです」
「よくないっ」
 珍しく赤井が怒鳴った。
 少し驚いた。この男が声を張り上げるなんて、大事件の現場だけだと思っていたからだ。
「大事な約束だったのに、破った。俺が悪い。その後、連絡もできなかった。これも俺が悪い。スマホが大破したんだ」
「大破っ⁉︎」
 降谷も大きな声を出してしまった。慌てて口を押さえたが、フロアに声が響いていた。
「と、とにかく、上がってください」
 降谷は、赤井を玄関に押し込んだ。
 集合住宅でご近所迷惑は御法度である。
「いいのか?家に上がっても」
「えぇ、どうぞ」
 立ち話をするのが玄関の外か中かの違いだと、そう思った。
 だが、赤井は、ズカズカと上がり込み、リビングのソファに座ったのだった。
 え?座る?しかも、ソファの真ん中に?
 降谷は隣に座るべきか悩んだ。
「では、今朝、何があったかを聞いてくれ」
 赤井は迷う降谷の手を引いて、横に座らせた。
「長い話ではないが、呆れる話ではある」
 そして、降谷が聞きたいと言う前に、妹の真純が起こした事件について話し始めたのだった。
 要約すると、真純は探偵として、人探しの依頼を受けた。だが、それがマフィアの関係者だとは知らなかった。案の定、彼女はいざこざに巻き込まれ、どうしようもなくなって、兄に助けを求めたのだと。
「早朝に呼び出されて、大暴れだ」
 赤井のところは、兄妹二人とも武闘派だ。きっと派手にやったのだろう。
 なるほど、本当に、用事、というか事件があって、約束に間に合わなかったのか。
「真純さん、要領の得ない電話をくれました。あれは、警察に知られたくなかったのかな」
「だろうな」
「その後、スマホが大破したんでね、連絡はできなかった。今時は、公衆電話も見つからん。それに、君は、知らない番号には警戒するだろう?」
 だから、電話も寄越さなかった。
 その代わりに、ここで、降谷の帰りを待っていたのだ。
 いつから?もしかして、もう何時間も?
「一人で苺狩には行かないだろうと」
 そう考えて、部屋の前で待ちぼうけ?
 あんまりにも不器用だ。降谷は、なんだか、馬鹿らしくなってしまった。
「ドライブして、洗車してきました」
 正直に。他の誰かを誘うことはしないと、白状した。
「そうか」
「貴方が待ってると知ってたら、どこにも行か無かった」
 ちょっと拗ねた声が出てしまった。赤井は困ったような笑顔を浮かべた。
「こういう時、気の利かない男でね」
「本当に。もっと、やり様があったでしょうに。誰かに伝言を頼むとか」
 もう、怒る気にもならなかった。自分を惨めに思う気持ちも、無くなった。
 約束と、妹と、天秤にかけられた訳でもない。助けて欲しいと言われれば、放っておける人じゃない、それだけ。
 冷たい表面に熱い内面を持つ男なのだ。
 そんな男だから、惚れたのだ。
「確かに、誰かを頼る事は考えなかったな」
 赤井が言った。
「僕との事、秘密にしたいんですか?」
「いや、そうじゃないが、君との仲に他の誰かを関わらせたくない」
「はぁ…」
「この関係を二人だけで始めたい。誰かに立ち入らせずに、お互いだけで」
 ぎゅっと赤井が降谷の手を取った。
「独占欲なんてものには、縁がなかったんだが」
「そんな、理由?」
 勝手な男だ。その不器用な独占欲が、降谷を振り回したのに。
「僕、もう、諦めてしまいましたよ」
「俺のことを?それは、駄目だ」
 赤井は大袈裟なくらいに慌てて、握った手に力を込めた。
「跪いて君に謝る。許してくれないか?」
「怒ってないです」
 跪こうとするのは、引き留めた。その拍子に、二人の隙間がぐっと縮まった。
「こんなことになってしまってすまなかった」
「怒ってないですってば」
 赤井が距離を詰める。ソファの上では、逃げ場はない。自然に肩を抱かれた。
「台無しにしたデートはやり直させてくれないか?」
 至近距離で目が合う。
 恥ずかしい、嬉しい。触れたい、離れたい。心は複雑に揺れた。
 赤井の目が、意図を持って伏せられた。肌が触れ合うほどに近い。
 鼻と鼻が触れ合う。唇も…。
「駄目です。キスしないで」
「ダメ?」
「駄目です」
 キスするのは初めてじゃなかった。でも、あの時は、何が何だか分からなくなって、キスしたかどうかも朧げなくらいに曖昧な記憶しかない。
 言葉だけの制止は、なんの効力もなく、降谷がぎゅっと目を閉じた瞬間に唇が重なった。
「ダメって言ったのに」
 口先だけの抗議には、笑っていた。嫌だなんて言いながら、降谷の手は赤井のシャツを縋るように掴んできたのだから、当然だ。
 赤井の指が降谷の顎を撫でながら持ち上げた。
「なぁ、教えてくれ、今日の予定はどんな風だった?」
 うっとりするようなハンサムが、目の前で囁く。
「く、車で、苺狩りに向かう予定でした。途中で、カフェお茶して」
「ほぉ。それから」
「苺狩りして」
「君の手で、食べさせてくれる筈だった」
「あ、ダメってば」
 赤井は止めるのも聞かずに降谷の唇を吸った。
「それから?」
「海沿いを走って」
「良い天気だったから、きっと気持ちいいドライブになっただろう」
「最後は、ディナーを」
「完璧だ。君は、俺をお姫様みたいに扱ってくれる」
 何度目かのキスで、降谷の頭はぼんやりと霞みだした。
「それで終わりか?」
「ん、何?」
「その後、二人で部屋に泊まる予定は?」
「そんな、まさか」
 衝撃的な問いかけに、とろとろの頭がはっきりした。
 体目当てだと思われては困る。
「そんな事になる前に、ちゃんと、恋人になりたいと、申し込むつもりでした」
 誤解されまいと、思わずそう言ってしまったのだった。
 あぁ、ここは夜景の綺麗なレストランではないのに。
 特別なシチュエーションを用意できずに告白してしまった。なんと、手際の悪いことだ。
 だが、赤井は、にこっと笑ったのだった。
 降谷が想像した「嬉しいよ」と受け入れてくれる時の笑顔より、ずっと可愛い笑顔だった。
「イエスだ。勿論。恋人にしてくれて嬉しいよ」
 大袈裟なくらいに喜んで、飛びかかられた。降谷は受け止めきれずにソファに倒れ込んだ。
 覆い被さる赤井からは、長く甘いキスと「嬉しい」「ありがとう」の繰り返しだ。
 自分では、器用な方だと思っていたのにな。
 降谷はこっそり溜息を吐いた。
 事、恋となると、何も思い通りに進まない。
 それでも、甘ったるく自分を見つめる赤井に、そんな事はどうでも良くなるのだった。
「こんな男でも構わないのか?」
 赤井は甘えて、そんなことを言った。
「君が考えた素敵なことを一つも叶えてあげられなかったのに?」
 ちょっと不安そうな顔が可愛い。降谷は初めて自分から赤井に口付けた。
「だって、今、最高に素敵な事が起きてるから」
 だから、全部を許すのだ。
「貴方が僕の恋人になってくれたなんて、それって、一番、素敵なことだから」
 だから、デートには行けなくても、やっぱり今日は、降谷にとって特別な休日になったのだった。
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