腐赤(ふせき)と絆の始まりは
日付が変わり、深夜一時。
勇磨と交代し、雛は仮眠の前に夜食を取ろうと考えた。
此処で立ち止まったのは、これで何度目になるのか…
もう分からない、そんな開発室前。
静寂に包まれた、何人をも拒むドアを見つめる。
(作業終わった、って言ってたよね。確か)
隊員四人が帰ってきて出くわしたのは、御影が隊長に説教されていた場景。
そのままトボトボと、片付けに戻って行った後姿を見たのが最後である。
(勇磨は先に食べちゃったし、一人で夜食は寂しいもんね)
それもあるのだが、やはり一番は親友の心配。
立入禁止の貼り紙を気にしながら、勇気を出してノックしてみる。
返事はない。
「…御影?」
ここで諦めていれば、誰もが激しく何度も後悔する事はなかったであろうに──
雛は、とうとうドアを開けてしまう。
「夜食、一緒に食べようよ──」
これが、意識が途切れる前の最後の台詞である。
一方で御影も、こうなるとは微塵にも思わなかった。
そう言えば、人生には《三つの坂》が存在すると聞いたのを思い出す。
その全てが、己自身の手に因って一気に起きた。
思いがけない材料を思い付いて発明が出来た、《上り坂》。
途中で勇磨がリタイアして作業が遅れた上に、警邏業務をすっぽかして隊長に怒られた、《下り坂》。
そして──
ドアに貼り付けた簡易の的に、試し撃ちしようとトリガーを引いた。
そんなところを、親友が開けてしまうなんて。
大の親友の顔面へヒットするなんて。
己が加害者となった、《まさか》。
(…こんな事が起こるなんて)
コントのお約束シーンみたいな事を実際にやらかして、現在二度目のお説教中。
しかも今回は、隊長の隣にもれなく相棒もセット。
更に仮眠を取っていた課長の寝ぼけ眼が、かっ開いているではないか。
親友が運び込まれた署内医務室前の廊下で、御影は人生で一番激しい後悔を抱いていた。
やはり、ドアに的は間違いであったか。
面倒でもちゃんと外に出て試し撃ちしていれば、後片付けも楽だったかも知れない。
それなら親友を巻き込む事も無く、今頃平穏無事に完成を喜んでいただろうに。
…でも、きちんとビニールを敷いていたのは我ながら正解だった。
「──聞いてるか、蔵間?」
「はい。ちゃんと聞いてます」
そう答えてはいるものの、お詫びに連れて行くスイーツの店とメニューの事まで考えている御影。
先ず、何といって謝れば良いのか。
ちゃんと言葉は出てくるだろうか。
いっその事、潔く嫁に貰って責任を取ろうか?
その方が、悪い虫も付かないし一石二鳥かも知れない。
雛は可愛い親友だし、生涯独占出来れば一石三鳥かオマケで五鳥くらいになりそうだ。
考えがおかしな方向へ傾いたのも気付かない程、彼女の脳はいつも以上に懸命な働きぶりで思案を巡らせる。
お説教が終わった後の医務室。
室内は、昼のメロドラマのようである。
カーテンで仕切られたベッドでは、被害者の雛が中々目を覚まさない。
その手を、傍らできつく握る勇磨。
カーテンの外には、祈りながら成り行きを見守っている葉月。
腕組みしながら眉間に皺を寄せ、黙って立ち尽くす野原。
「う…、うぅん…」
雛がうなされ始めた。
父さん、母さん、貴方がたが遺した娘も不幸に遭いました。
ひょんな事ですが、会いに逝くのは予定より早いかも知れません。
敵も取れないみたいです、ごめんなさい。
「雛っ!?」
勇磨は、やっと相棒を名前で呼んでいた。
その前に、一目惚れの彼女をお姫様だっこで抱えてここまで爆走してきた。
未だ告白の『こ』の字も伝えてないのに。
が、そんな事意識もしてないし、していられるような状態でもない。
葉月も現場で命辛々撤退するが如く、全力疾走で付いてきた。
当番警察医が戻ってくるまでの、応急処置を担う為である。
…息が切れて目が回り、暫し動けなかったが。
「しっかりしろ、雛!」
普段の勇磨なら、今頃御影に食って掛かっているだろう。
事故直後、御影の悲鳴で驚いて廊下に出なければ。
あろう事か、御影に抱かれ倒れたまま動かない相棒が被弾していたのは、忌々しいあの例の物。
格闘が強いのに可愛いし、誰よりも優しい彼女が地獄絵図そのものをぶつけられる謂われは、ほんの少しもありゃしない。
分厚いビニール一枚隔てていたが、それでも。
「…うぅ…ん?」
「雛っ!」
やっと、相棒の意識が戻った。
自分でもオーバーだと思う程、勇磨は泣きそうになっている。
「あれ…勇磨?ここは?」
「医務室だ。オレが運んだ」
「勇磨が?」
頷いて、起きようとした雛を優しく制する。
「まだ起きちゃダメだ。脳震盪起こしてるんだから」
「脳震盪…、私が?」
朧気な記憶を引き出そうとした雛は、直ぐに固まった。
惨事の光景が、思い出されたようだ。
「──っ!!」
「あ…、お、思い出すな雛っ!」
「あれ?制服汚れてない」
「ん?」
ワタワタと勇磨も慌てだすが、聞こえる筈の悲鳴はなかった。
彼女は思ったよりも冷静で、やや拍子抜けする。
「実はな、蔵間がドアにビニールシート貼ってたんだ。それが開けた時に外れて、辛うじて被弾を防いでくれたらしい」
「…そうなの?」
直撃には変わりないが、と勇磨は付け足した。
雛はそこまで記憶がない。
鉄板並ならともかく、何重に巻いていても元が薄いそれでは衝撃を防ぎようがない。
倒れて更に頭を軽く打った所為もあり、脳震盪とショックで雛は失神してしまったのだ。
「やだなぁ。恥ずかしいよ、もう」
「そんな事気にするなって。雛は被害者なんだから」
「…ありがとう」
握り締められた手を見て、雛が頬を染める。
家族以外の異性にこんな事してもらった経験は無く、どう対応すれば良いか分からない。
「え、──あ゛っ!」
「…」
勇磨はようやく自分でもそれに気付いて、慌てて手を離す。
まるで熱い物に触れていたかのようにブンブンと振りだしたり、挙動がおかしくなった。
「いや、あの!ご、ゴメン!!」
「え…!?」
「めめめ、迷惑だったよな」
「そ、そんなんじゃないの!わ、私、全然迷惑なんかじゃないよ!?」
雛まで声が上ずっている。
二人とも顔が真っ赤だ。
恋愛モノの王道パターンだと、カーテンの外で苦笑されている事を二人は知らない。
それから暫くして、親友同士の再会は果たされた。
被害者の嘆願により、彼女の家族である課長からのお咎めも免れた。
本部からは注意だけで沙汰は無かったが、雛を知る人間達は事情を聴き一様に目を丸くした後、肝を冷やしたという。
こうして散々問題を巻き起こしたものの、それでも正式に『腐ったトマト弾』は第五特警隊で使用される事が決まった。
彼らがトマト料理を避ける日々があったのは、言うまでも無い。
その後──
夢の森署には口コミで都内中のトマト農家から集まった、栽培失敗物満載の密閉容器が届けられるようになった。
警視庁の新たな七不思議の一つである。
■『腐赤と絆の始まりは』 終 『青空に飛ぶ赤』へ続く■
勇磨と交代し、雛は仮眠の前に夜食を取ろうと考えた。
此処で立ち止まったのは、これで何度目になるのか…
もう分からない、そんな開発室前。
静寂に包まれた、何人をも拒むドアを見つめる。
(作業終わった、って言ってたよね。確か)
隊員四人が帰ってきて出くわしたのは、御影が隊長に説教されていた場景。
そのままトボトボと、片付けに戻って行った後姿を見たのが最後である。
(勇磨は先に食べちゃったし、一人で夜食は寂しいもんね)
それもあるのだが、やはり一番は親友の心配。
立入禁止の貼り紙を気にしながら、勇気を出してノックしてみる。
返事はない。
「…御影?」
ここで諦めていれば、誰もが激しく何度も後悔する事はなかったであろうに──
雛は、とうとうドアを開けてしまう。
「夜食、一緒に食べようよ──」
これが、意識が途切れる前の最後の台詞である。
一方で御影も、こうなるとは微塵にも思わなかった。
そう言えば、人生には《三つの坂》が存在すると聞いたのを思い出す。
その全てが、己自身の手に因って一気に起きた。
思いがけない材料を思い付いて発明が出来た、《上り坂》。
途中で勇磨がリタイアして作業が遅れた上に、警邏業務をすっぽかして隊長に怒られた、《下り坂》。
そして──
ドアに貼り付けた簡易の的に、試し撃ちしようとトリガーを引いた。
そんなところを、親友が開けてしまうなんて。
大の親友の顔面へヒットするなんて。
己が加害者となった、《まさか》。
(…こんな事が起こるなんて)
コントのお約束シーンみたいな事を実際にやらかして、現在二度目のお説教中。
しかも今回は、隊長の隣にもれなく相棒もセット。
更に仮眠を取っていた課長の寝ぼけ眼が、かっ開いているではないか。
親友が運び込まれた署内医務室前の廊下で、御影は人生で一番激しい後悔を抱いていた。
やはり、ドアに的は間違いであったか。
面倒でもちゃんと外に出て試し撃ちしていれば、後片付けも楽だったかも知れない。
それなら親友を巻き込む事も無く、今頃平穏無事に完成を喜んでいただろうに。
…でも、きちんとビニールを敷いていたのは我ながら正解だった。
「──聞いてるか、蔵間?」
「はい。ちゃんと聞いてます」
そう答えてはいるものの、お詫びに連れて行くスイーツの店とメニューの事まで考えている御影。
先ず、何といって謝れば良いのか。
ちゃんと言葉は出てくるだろうか。
いっその事、潔く嫁に貰って責任を取ろうか?
その方が、悪い虫も付かないし一石二鳥かも知れない。
雛は可愛い親友だし、生涯独占出来れば一石三鳥かオマケで五鳥くらいになりそうだ。
考えがおかしな方向へ傾いたのも気付かない程、彼女の脳はいつも以上に懸命な働きぶりで思案を巡らせる。
お説教が終わった後の医務室。
室内は、昼のメロドラマのようである。
カーテンで仕切られたベッドでは、被害者の雛が中々目を覚まさない。
その手を、傍らできつく握る勇磨。
カーテンの外には、祈りながら成り行きを見守っている葉月。
腕組みしながら眉間に皺を寄せ、黙って立ち尽くす野原。
「う…、うぅん…」
雛がうなされ始めた。
父さん、母さん、貴方がたが遺した娘も不幸に遭いました。
ひょんな事ですが、会いに逝くのは予定より早いかも知れません。
敵も取れないみたいです、ごめんなさい。
「雛っ!?」
勇磨は、やっと相棒を名前で呼んでいた。
その前に、一目惚れの彼女をお姫様だっこで抱えてここまで爆走してきた。
未だ告白の『こ』の字も伝えてないのに。
が、そんな事意識もしてないし、していられるような状態でもない。
葉月も現場で命辛々撤退するが如く、全力疾走で付いてきた。
当番警察医が戻ってくるまでの、応急処置を担う為である。
…息が切れて目が回り、暫し動けなかったが。
「しっかりしろ、雛!」
普段の勇磨なら、今頃御影に食って掛かっているだろう。
事故直後、御影の悲鳴で驚いて廊下に出なければ。
あろう事か、御影に抱かれ倒れたまま動かない相棒が被弾していたのは、忌々しいあの例の物。
格闘が強いのに可愛いし、誰よりも優しい彼女が地獄絵図そのものをぶつけられる謂われは、ほんの少しもありゃしない。
分厚いビニール一枚隔てていたが、それでも。
「…うぅ…ん?」
「雛っ!」
やっと、相棒の意識が戻った。
自分でもオーバーだと思う程、勇磨は泣きそうになっている。
「あれ…勇磨?ここは?」
「医務室だ。オレが運んだ」
「勇磨が?」
頷いて、起きようとした雛を優しく制する。
「まだ起きちゃダメだ。脳震盪起こしてるんだから」
「脳震盪…、私が?」
朧気な記憶を引き出そうとした雛は、直ぐに固まった。
惨事の光景が、思い出されたようだ。
「──っ!!」
「あ…、お、思い出すな雛っ!」
「あれ?制服汚れてない」
「ん?」
ワタワタと勇磨も慌てだすが、聞こえる筈の悲鳴はなかった。
彼女は思ったよりも冷静で、やや拍子抜けする。
「実はな、蔵間がドアにビニールシート貼ってたんだ。それが開けた時に外れて、辛うじて被弾を防いでくれたらしい」
「…そうなの?」
直撃には変わりないが、と勇磨は付け足した。
雛はそこまで記憶がない。
鉄板並ならともかく、何重に巻いていても元が薄いそれでは衝撃を防ぎようがない。
倒れて更に頭を軽く打った所為もあり、脳震盪とショックで雛は失神してしまったのだ。
「やだなぁ。恥ずかしいよ、もう」
「そんな事気にするなって。雛は被害者なんだから」
「…ありがとう」
握り締められた手を見て、雛が頬を染める。
家族以外の異性にこんな事してもらった経験は無く、どう対応すれば良いか分からない。
「え、──あ゛っ!」
「…」
勇磨はようやく自分でもそれに気付いて、慌てて手を離す。
まるで熱い物に触れていたかのようにブンブンと振りだしたり、挙動がおかしくなった。
「いや、あの!ご、ゴメン!!」
「え…!?」
「めめめ、迷惑だったよな」
「そ、そんなんじゃないの!わ、私、全然迷惑なんかじゃないよ!?」
雛まで声が上ずっている。
二人とも顔が真っ赤だ。
恋愛モノの王道パターンだと、カーテンの外で苦笑されている事を二人は知らない。
それから暫くして、親友同士の再会は果たされた。
被害者の嘆願により、彼女の家族である課長からのお咎めも免れた。
本部からは注意だけで沙汰は無かったが、雛を知る人間達は事情を聴き一様に目を丸くした後、肝を冷やしたという。
こうして散々問題を巻き起こしたものの、それでも正式に『腐ったトマト弾』は第五特警隊で使用される事が決まった。
彼らがトマト料理を避ける日々があったのは、言うまでも無い。
その後──
夢の森署には口コミで都内中のトマト農家から集まった、栽培失敗物満載の密閉容器が届けられるようになった。
警視庁の新たな七不思議の一つである。
■『腐赤と絆の始まりは』 終 『青空に飛ぶ赤』へ続く■
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