腐赤(ふせき)と絆の始まりは
御影が手応え満々で帰ってきてから、約一時間後の装備開発室前。
いつもと変わらないのに、不気味に感じる程静まり返っている。
廊下であるにも関わらず、勇磨がドアにもたれ掛かり座り込んでいるのを雛が見つけた。
尋常じゃない様子に、驚かずにはいられない。
同時に、担架は何処だとか医務室は何階だったかと思案する。
「どうしたの勇磨!?」
「あ゛?…ああ」
右手で口にタオルを当てて、いかにも気分が悪そうだ。
その瞳は完徹の時より最悪で、覇気が無い。
腐乱系のグロテスク遺体(ホトケ)に直面した人も、多分こんな感じだろうと雛は思った。
話を聞いた事はあるものの実際に遭遇した事が無いのは、実務経験が浅い所為だけではない。
警察官一家としての生い立ちとか、環境が色々と恵まれている証拠である。
…彼女に全く自覚はないが。
「大丈夫?顔色悪いよ」
何があったの、と尋ねる言葉は制止される。
必死の形相で手を振る勇磨は、まるで扉に触れる事自体が禁忌みたいな態度。
「いいか。この扉は、絶っ対に開けるな」
「でも、中に御影居るんでしょ?」
「此処には、明日まで近づかない方が良い…」
「明日まで!?」
勇磨はフラフラな身で、何とか立ち上がった。
オロオロする雛が愛らしく見えた上に、恥ずかしく肩を借りれなかった所為もある。
「何処か、外でやってもらえば良かったぜ」
「先刻から一体、何の事なの?」
「アレを言葉にしたら、次は絶対吐いちまう」
「??」
彼はブツクサ言いながら、用意した張り紙をドアに貼っている。
雛は一歩離れて見ていたが、その文章に唖然とする。
「立入禁止!?」
「命にかかわる」
「それじゃ、御影は?」
「アイツもろとも、永久に封印しときたい」
「そんな…」
「非常線用のテープで目張りした方が良いかな。何処に仕舞ってあるっけ?」
「…あの。もしかして、この状況って」
「うん。『密閉容器の中で更に発酵したんじゃねーか?』って位で。それ以上、もう思い出したくない」
「えぇっ!?」
勇磨の大袈裟にも取れる反応の元凶は、御影の持ち帰った《例のモノ》。
彼女は大漁で帰港した漁師のように誇らしげであったが、透明の密閉容器の中身は全くそぐわない禍々しい色と形状である。
「トマトでーす」と元気良く説明しても、果たして何人が理解してくれるのか。
開封の儀から有無を言わさず手伝わされたが、どんな有罪を喰らったらこんな極刑を受ける羽目になるのだろう。
彼は混乱した。
容器開封の時点までは、まだ心身が正常を保っていたのを覚えている。
「一時間が限界だった」
「修羅場、なんだね」
「そう」
「うわぁ…」
雛は複雑な心境になる。
折角、お土産にもらったシュークリーム持参でやって来たというのに。
それを素っ気無く渡した親友は、現在とんでもない所に居るらしい。
奮発して買った高級茶葉は、開発室(ここ)ではなく給湯室に仕舞っておくべきだったか。
密かに夢見ていた、大変な公務の合間に過ごす親友達との優雅なティータイム計画は潰えた。
「オレ、着替えてくる」
「う、うん」
「ここは危険だ、早く戻った方が良い」
「…」
ヨタヨタと憔悴しきったように歩き出し、勇磨は開発室を後にした。
《トンデモナイモノ》には違いないのだろう。
が、その現物と破壊力が何となくしか推測しきれない。
御影がどの位それを持ち帰ったのか、そしてそれをどのように使用しているのか。
サッパリ分からない。
…だが。
完全防備で望むと言っていた相棒が、あの調子だ。
ここは勇磨の言う通りにしよう、と雛は紙袋を抱いたまま隊員室へと戻った。
──この時はまだ、それで良かった。
親友の安否が気遣われる時は、再度やってくる。
事件だけではなく、巡回警邏の仕事も状況は選ばない。
行ったら大抵面倒な公務(とりもの)が待っているが、行かない事も問題となる。
特警隊の仕事は、実験部隊であろうと実は大変だ。
「事件が無ければ、俺達はただの“金食い虫”だ。せめてパトロール位は、ちゃんと行ってくれ」
「マスコミにまた何書かれるか。分かったもんじゃない」
「だろ?高井、相棒を呼び出せ」
「はい」
「ただでさえ『モルモット部隊』だとか言われて、批判の標的にされてますからね」
「そういう悪いトコばっかり、外に漏れるんだよね」
「だよな。何処から嗅ぎつけてくるんだか」
最初の被害者である勇磨の証言からすると、もう試作品は出来上がってる頃。
しかし。
「…出ないな」
高井が内線で開発室を呼び出しているが、御影の応答が無い。
受話器を置いて、相棒を心配する。
「まさか、中で倒れているんじゃないだろうな?」
「ええっ!!?どうしよう、高井さん!」
雛の顔が青褪める。
高井も些か不安そうであった。
「謂わんこっちゃない…」
「高井さん、エントリーするならNBCテロ用の防毒装備借りてこないとヤバイッスよ」
「え、化学防護だけじゃ駄目なレベルなのか?」
「そんなにヒドイの!?」
「どっちにしろ、簡単には借りれませんよ。どうします?」
「酸素ボンベは医務室にあったな。汚染覚悟で挑むしかないか」
「葉月さんの古巣って、そういうの無いッスか?」
「えっ?どうだったかなぁ…」
「…」
野原は、いずれこんな得体の知れない事が起こるだろうと予測していた。
初日にして抱いた不安が、もはや的中するとは。
勇磨が挙げた装備は、多分城南の第二隊に頼めば警備部経由で借りられるだろう。
長自ら危険に挑んでも良いが、最悪な事態となった時の後継者をどうするかが問題である。
嗚呼、全ては深刻な人材不足が原因だ。
(何故だ。どうしてこんな事になる?)
……これ以上ぼやいても、状況は変わりそうにない。
野原は整列の号令をかけ、並んだ四人に変更したプランを伝える。
「葉月、蔵間の代わりに高井と組んでくれ。それでユニット2とする」
「解かりました」
「ユニット1は通常通り。各ルートは変更なし」
「了解」
「隊長はどなたと?」
「残って、広域支援網に厳重警戒地区への応援巡回を頼んでみる。ユニットが一つ足りない以上、仕方ない」
「真っ先に応えてくれるの、いつも第二隊ですよね」
「アイツか…」
「?」
野原は、「仕方ない」と言いつつも溜息を吐く。
まだ他隊との連携が、巧くいっていないのだろうか。
雛は初出動の無線を思い出して不安が過るものの、押し黙るしかない。
代わりに自分がどうにか出来る訳ではないのだから。
他の三人は気付いていないのか、別の事情を知っているのかは分からなかった。
「後はいつもの通り。以上、安全運転で気を付けて」
「第五特警隊員四名、これより巡回警邏に出発します!」
「ん。各自、くれぐれも無理するなよ」
高井の号令で一同は敬礼し、日課のパトロールへ出発した。
「あぁ、友江」
「はい?」
雛は、廊下で野原に呼び止められた。
一緒に歩いていた勇磨達も振り返る。
「蔵間に会ったら言っとけ。『隊長が説教だ』って」
「…すみません」
「すみません」
「申し訳ありません隊長。第二隊にも、ですね」
勇磨と雛が詫びる。
高井までもが頭を下げた。
「お前さん達が謝る事じゃないだろう。さぁ、早く行きなさい」
「…はい」
この後、野原も雛へ謝る事になるとは誰も予測出来ない。
いつもと変わらないのに、不気味に感じる程静まり返っている。
廊下であるにも関わらず、勇磨がドアにもたれ掛かり座り込んでいるのを雛が見つけた。
尋常じゃない様子に、驚かずにはいられない。
同時に、担架は何処だとか医務室は何階だったかと思案する。
「どうしたの勇磨!?」
「あ゛?…ああ」
右手で口にタオルを当てて、いかにも気分が悪そうだ。
その瞳は完徹の時より最悪で、覇気が無い。
腐乱系のグロテスク遺体(ホトケ)に直面した人も、多分こんな感じだろうと雛は思った。
話を聞いた事はあるものの実際に遭遇した事が無いのは、実務経験が浅い所為だけではない。
警察官一家としての生い立ちとか、環境が色々と恵まれている証拠である。
…彼女に全く自覚はないが。
「大丈夫?顔色悪いよ」
何があったの、と尋ねる言葉は制止される。
必死の形相で手を振る勇磨は、まるで扉に触れる事自体が禁忌みたいな態度。
「いいか。この扉は、絶っ対に開けるな」
「でも、中に御影居るんでしょ?」
「此処には、明日まで近づかない方が良い…」
「明日まで!?」
勇磨はフラフラな身で、何とか立ち上がった。
オロオロする雛が愛らしく見えた上に、恥ずかしく肩を借りれなかった所為もある。
「何処か、外でやってもらえば良かったぜ」
「先刻から一体、何の事なの?」
「アレを言葉にしたら、次は絶対吐いちまう」
「??」
彼はブツクサ言いながら、用意した張り紙をドアに貼っている。
雛は一歩離れて見ていたが、その文章に唖然とする。
「立入禁止!?」
「命にかかわる」
「それじゃ、御影は?」
「アイツもろとも、永久に封印しときたい」
「そんな…」
「非常線用のテープで目張りした方が良いかな。何処に仕舞ってあるっけ?」
「…あの。もしかして、この状況って」
「うん。『密閉容器の中で更に発酵したんじゃねーか?』って位で。それ以上、もう思い出したくない」
「えぇっ!?」
勇磨の大袈裟にも取れる反応の元凶は、御影の持ち帰った《例のモノ》。
彼女は大漁で帰港した漁師のように誇らしげであったが、透明の密閉容器の中身は全くそぐわない禍々しい色と形状である。
「トマトでーす」と元気良く説明しても、果たして何人が理解してくれるのか。
開封の儀から有無を言わさず手伝わされたが、どんな有罪を喰らったらこんな極刑を受ける羽目になるのだろう。
彼は混乱した。
容器開封の時点までは、まだ心身が正常を保っていたのを覚えている。
「一時間が限界だった」
「修羅場、なんだね」
「そう」
「うわぁ…」
雛は複雑な心境になる。
折角、お土産にもらったシュークリーム持参でやって来たというのに。
それを素っ気無く渡した親友は、現在とんでもない所に居るらしい。
奮発して買った高級茶葉は、開発室(ここ)ではなく給湯室に仕舞っておくべきだったか。
密かに夢見ていた、大変な公務の合間に過ごす親友達との優雅なティータイム計画は潰えた。
「オレ、着替えてくる」
「う、うん」
「ここは危険だ、早く戻った方が良い」
「…」
ヨタヨタと憔悴しきったように歩き出し、勇磨は開発室を後にした。
《トンデモナイモノ》には違いないのだろう。
が、その現物と破壊力が何となくしか推測しきれない。
御影がどの位それを持ち帰ったのか、そしてそれをどのように使用しているのか。
サッパリ分からない。
…だが。
完全防備で望むと言っていた相棒が、あの調子だ。
ここは勇磨の言う通りにしよう、と雛は紙袋を抱いたまま隊員室へと戻った。
──この時はまだ、それで良かった。
親友の安否が気遣われる時は、再度やってくる。
事件だけではなく、巡回警邏の仕事も状況は選ばない。
行ったら大抵面倒な公務(とりもの)が待っているが、行かない事も問題となる。
特警隊の仕事は、実験部隊であろうと実は大変だ。
「事件が無ければ、俺達はただの“金食い虫”だ。せめてパトロール位は、ちゃんと行ってくれ」
「マスコミにまた何書かれるか。分かったもんじゃない」
「だろ?高井、相棒を呼び出せ」
「はい」
「ただでさえ『モルモット部隊』だとか言われて、批判の標的にされてますからね」
「そういう悪いトコばっかり、外に漏れるんだよね」
「だよな。何処から嗅ぎつけてくるんだか」
最初の被害者である勇磨の証言からすると、もう試作品は出来上がってる頃。
しかし。
「…出ないな」
高井が内線で開発室を呼び出しているが、御影の応答が無い。
受話器を置いて、相棒を心配する。
「まさか、中で倒れているんじゃないだろうな?」
「ええっ!!?どうしよう、高井さん!」
雛の顔が青褪める。
高井も些か不安そうであった。
「謂わんこっちゃない…」
「高井さん、エントリーするならNBCテロ用の防毒装備借りてこないとヤバイッスよ」
「え、化学防護だけじゃ駄目なレベルなのか?」
「そんなにヒドイの!?」
「どっちにしろ、簡単には借りれませんよ。どうします?」
「酸素ボンベは医務室にあったな。汚染覚悟で挑むしかないか」
「葉月さんの古巣って、そういうの無いッスか?」
「えっ?どうだったかなぁ…」
「…」
野原は、いずれこんな得体の知れない事が起こるだろうと予測していた。
初日にして抱いた不安が、もはや的中するとは。
勇磨が挙げた装備は、多分城南の第二隊に頼めば警備部経由で借りられるだろう。
長自ら危険に挑んでも良いが、最悪な事態となった時の後継者をどうするかが問題である。
嗚呼、全ては深刻な人材不足が原因だ。
(何故だ。どうしてこんな事になる?)
……これ以上ぼやいても、状況は変わりそうにない。
野原は整列の号令をかけ、並んだ四人に変更したプランを伝える。
「葉月、蔵間の代わりに高井と組んでくれ。それでユニット2とする」
「解かりました」
「ユニット1は通常通り。各ルートは変更なし」
「了解」
「隊長はどなたと?」
「残って、広域支援網に厳重警戒地区への応援巡回を頼んでみる。ユニットが一つ足りない以上、仕方ない」
「真っ先に応えてくれるの、いつも第二隊ですよね」
「アイツか…」
「?」
野原は、「仕方ない」と言いつつも溜息を吐く。
まだ他隊との連携が、巧くいっていないのだろうか。
雛は初出動の無線を思い出して不安が過るものの、押し黙るしかない。
代わりに自分がどうにか出来る訳ではないのだから。
他の三人は気付いていないのか、別の事情を知っているのかは分からなかった。
「後はいつもの通り。以上、安全運転で気を付けて」
「第五特警隊員四名、これより巡回警邏に出発します!」
「ん。各自、くれぐれも無理するなよ」
高井の号令で一同は敬礼し、日課のパトロールへ出発した。
「あぁ、友江」
「はい?」
雛は、廊下で野原に呼び止められた。
一緒に歩いていた勇磨達も振り返る。
「蔵間に会ったら言っとけ。『隊長が説教だ』って」
「…すみません」
「すみません」
「申し訳ありません隊長。第二隊にも、ですね」
勇磨と雛が詫びる。
高井までもが頭を下げた。
「お前さん達が謝る事じゃないだろう。さぁ、早く行きなさい」
「…はい」
この後、野原も雛へ謝る事になるとは誰も予測出来ない。
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