共有-ユニゾン-
「もう。私がどれだけ心配した事か、本当に分かってる?お爺ちゃん」
「…分かっとる」
夢の森埋立地内、とある総合病院の個室病棟。
ベッドには、気難しい顔をして寝ている正之助の姿がある。
只今、孫で部下の雛からお説教中。
「だから『ちゃんと休んで』って言ったじゃない!こないだの風邪も、それで拗らせたばかりだったのに」
「仕方ないだろう。特別警戒で、ずっと連勤だったんだし」
「お爺ちゃんの場合は、それだけじゃないでしょ?私、ちゃんと知ってるんだからね」
病院食では足りなかったので、正之助はお見舞いの食べ物に手をつけていた。
今開けたのはカットデザートのパックで、「メロンだ」と子供のように喜んでいる。
雛は溜息を吐いて、お茶を淹れた。
「本部へ寄ったついでに、いつもの調べ物しただけだよ。このメロンデカイねぇ、『北海道産』って書いてあるだけでもう美味しそうだ」
「だけ、って。最近はずっと家にも帰らないで、そればっかりだったでしょ」
「…ん」
「先生も言ってたよ。睡眠と栄養が足りないから、倒れたんだって」
そうなのだ。
先日正之助は課長室で突然倒れ、ここへ運び込まれた。
意識を取り戻したのは今朝の事で、それまでずっと昏睡状態だったらしい。
その間、本人に代わり入院の手続きや労災申請を行う為に、野原や本部の管理官が忙しく出たり入ったり。
雛は「傍に居なさい」と指示された事もあり、ずっと付き添っていた。
「過労だって、バカに出来ないの知ってるでしょ?隊長達だって心配してたんだからね」
「反省はしてる」
「本部長まで来たんだから!私ビックリしたよ、…すぐ帰ったけど」
「だがなぁ──」
何かを続けようとして、正之助は口を閉ざす。
残りのフルーツを、バクバクと頬張って誤魔化した。
『例の事件』に関する内容は、出来るだけ雛へ漏らしたくない。
しかし孫娘も、警察官らしい洞察力はちゃんと持っていた。
「父さん達の事件、進展あったんでしょ」
「…少しだけだ。このフルーツ美味いな、何処の店のだ?」
「いつものコンビニ」
「そうなのか。我々には捜査権限があるんだから、越権行為ではない」
「確かにそうだけど。そうじゃなくて」
そこまで言って、雛は俯いて寂しげな顔を隠す。
気付いた正之助も、空になったパックをサイドテーブルへ置いて、傍らに座る彼女の髪を撫でた。
「分かってる。雛を一人ぼっちにはしない」
「…うん」
雛は正之助の肩に、顔を埋めた。
「雛。非番を潰した上に心配までかけて、すまなかったな」
「いいの。もう元気になったみたいだし」
顔を上げた彼女は、もう微笑んでいる。
しかし…
「たっぷり寝かせてもらったから、後はたらふく食うだけだ。すぐ復帰するぞ」
「一週間はおとなしくしてなさい、って言ってたでしょ?」
「そんなに寝てたら体が鈍る。三日もあれば十分だ」
「駄目だってば!」
「何を言っとる。今日で非番は終わりなんだぞ?」
「お爺ちゃんには、今までの有給が沢山あるでしょ!?」
「それに、課長不在じゃ色々と面倒だろう。人手も足りないんだ」
「それは『何とかなる』って、隊長言ってた。だから、ちゃんと休んでもらわないと」
祖父と孫の、言い聞かせ対決が展開されたところへ、新たな見舞客が訪れた。
「──課長、すっかり元気そうですね」
「おやっさんが倒れたって聞いて、ビックリして飛んできたんですけど」
「おう、野原君とお嬢か。入りなさい」
「え、和泉隊長も!?」
野原と和泉は、入口に立ったまま目を丸くしていた。
「過労だって聞いたんですけど。おやっさん、タフですね」
雛が淹れた茶を啜りながら、和泉は苦笑いした。
それに正之助は、「んん?」と意味ありげに答える。
「事件解決が大切なのは解りますが、無理し過ぎです」
「それはお嬢も同じじゃないか。今日は待機シフトだろう、抜け出して大丈夫なのか?」
「長居は出来ませんが、問題ありません。課長より優秀な副隊長が二人も居ますから」
「お嬢。もっと大長を信用してあげなさい」
「ですが、間違ったサポートばかりでは私も困りますし。やる気に欠けています」
「和泉隊長、やる気あり過ぎも大変ですよ?お爺ちゃんみたいに倒れちゃうから」
「だな。和泉だって、人の事言えない」
「前に現場で倒れかけたって、佐野さんに聞いたぞ」
「えっ!?」
「何だそれ、俺は聞いてないぞ!?」
「いや…。その、あれはただの立ち眩みですよ」
先日の課長会議で会った時、佐野との世間話で聞きだしたらしい。
シュークリーム片手に、ニヤリと笑いながら指摘する正之助。
和泉は頭が上がらない。
「佐野さん心配させるなって、言ってるだろうが」
「先輩まで。ですからあれは、ただの軽い酸欠ですって」
「その所為で、高所から落ちたって話だったろう。光榊さんも心配してたんだぞぉ?」
「和泉!⁉」
「大丈夫だったんですか⁉」
「えぇ。大した事無かったんですよ、本当に」
佐野には、「心配するから第五隊には漏らさないでくれ」と頼んでおいたのだが。
最悪な事に、その課長会議には野原が付き添っていた。
彼が聞いたのは、過去に第二隊が担当した事件で新たに判明した内容と、そこで和泉が何をしていたかという事。
誤作動を起こしたフォグガードの所為で和泉が落ちた顛末は、佐野が正之助に詰め寄られて話した内容だ。
本部長宛の報告書には渋々書いたが、システム《シュテルンビルド》が管理する共有データには上げていなかった。
当然、野原は知らない。
挙句の果てには雛にまで驚かれて、和泉はバツが悪そうに頭を掻く。
「いつの話だよそれ⁉」
「それも星の宮銀行の事件です。誤作動起こした防犯装置の煙吸い込んで眩んだら、足元踏み外してしまって」
「えぇっ…」
「今心配すべきは、おやっさんの事でしょう。私の事なんてどうでも良いじゃないですか」
「良くないよなぁ。特に野原君は」
「はい」
「?」
「ほら、即行で二回頷いた。野原君には充分『重要な内容』って事だ」
「そうなんですか野原隊長?」
「…ん」
「先輩、真面目に答えない。おやっさんも、話逸らすのに私の失敗談を持ち出さないでください」
「だってさぁ。差し入れのメロンとかフルーツの話で誤魔化しても、雛がノってくれなかったもんだから」
「やっぱり誤魔化そうとしてたんだ!」
「……ほら、な?」
自分の話へ皆の興味が移ってしまい、和泉は怒って訂正した。
正之助を心配して見舞っているのだと、改めて言い聞かせようと説諭を考える。
「最近だって、光榊さんと徹夜で調べ物してるそうじゃないか。隊長の仕事も忙しいのに、大変だろう」
「例のテロ集団にいる指名手配犯の尻尾が、もうちょっとで掴めそうだったんです」
「社さんが困ってたぞ。『ご飯を目の前に広げてやらないと、二人共全く食べないんだ』って」
「そ、それは。ほんのちょっと張切り過ぎただけです」
「ほら見ろ。やっぱり私と同じじゃないか」
「…にはは」
来たる最終決戦に備え、和泉は急ピッチで組織の連携プランを完成形へと進めていたのだ。
正之助と同様、ほぼ不眠不休である。
「課長。和泉が持ってきた最新資料と報告書は、課長室のデスクに置いておきました」
「持ってきてくれても良かったんだが」
「それじゃ静養になりませんよ。『復帰してから』見て下さいね」
野原は念を押す。
正之助が拗ねてみても、普段と変わらない顔で茶を啜っていた。
「そうだ。友江」
「はい?」
「お前さんは、そろそろ署に戻りなさい」
「え?」
それは、予期せぬ帰還命令だった。
雛はキョトンとしている。
「俺は課長に頼まれて、迎えにきたんだよ。志原も一緒だ」
「勇磨が?」
「そ。裏口に車止めてあるから、先に行ってなさい」
「でも…」
「雛、私ならもう大丈夫だ。ちゃんとおとなしくしてるから、安心して帰りなさい」
「…はい」
完全に心配が払拭された訳ではなかったが、雛は掛けてあった制服の上着を手に取った。
二人の隊長に礼を言い、病室を後にする。
静かに閉められたドアを見つめ、三人は一息吐いた。
「警察病院じゃないと、何かと面倒ですね」
「制服姿だと、事件かと勘違いされますし」
「そうだな」
一転して、三人は真面目な顔になる。
「…さて。話、聞こうか」
「はい」
正之助は、持っていた湯呑みを置いた。
和泉が頷いて、懐から折り畳んだ紙を出す。
「実は──」
病院の裏口の駐車場に、特警隊のミニパトが二台並んで止まっていた。
その内の一台の運転席で、勇磨は相棒を待っている。
昨日は非番だったにも関わらず、開発室でお得意の工作をやっていた
あれは、窓の外から差し込む陽光の傾き加減で、夕方だと知った頃。
正之助の手伝いに来ていた雛を「晩飯にでも誘おうか」と思い、隊員室へ戻った時の事だ。
隣の課長室から何かが倒れる音がして、彼女の声がした。
野原と一緒に覗いたら、雛の傍らで正之助が倒れていて…
(雛、ずっと泣きそうな顔してたっけ。大丈夫かな)
野原に言われ署で留守番していた勇磨だったが、雛の事がずっと気がかりだった。
救急車に乗り込む時の、彼女の青褪めた半泣きの顔が頭から離れられない。
それに、野原の心配振りも引っかかっている。
(デスクの書類見て、怖い顔してたし。かと思えば、雛に何か言ってたし)
考え込みながら、窓の外を見る。
丁度雛が制服の上着を羽織りながら、裏口から出てきたところであった。
窓を開けて手招きする。
「おーい。こっちこっち」
「勇磨!」
雛が助手席へ乗り込む。
窓を閉めるスイッチをわざわざ確かめるフリをしながら押し、勇磨は隣の表情をチラリと伺う。
「勇磨も迎えに来てくれたんだね。有難う」
「いや、オレはただの運転役だよ。暇だったから」
隣で微笑む彼女の顔に、やっと安心した。
この様子だと、正之助も大丈夫なのだろう。
「開発室で作業してたんだよね?」
「それが…。蔵間が来たから」
「御影が?高井さんと一緒じゃなかったのかな」
「そう、一緒で。葉月さんも来てる」
「まだ非番なのに、皆揃ってるの!?」
「うん」
そう言う二人も制服姿だが。
「課長が過労で倒れたって聞いて、皆心配してる」
「そっか…。それなら早く教えてあげなくちゃね、『もう元気になったよ!』って」
勇磨は耳を疑った。
過労で倒れてから一日も経ってない人が、『もう元気になった』だなんて。
しかも本人には悪いが、正之助は退官間近の年齢だ。
「課長、もう大丈夫なのか?」
「うん。検査も、特に変なものは出てこなかったって言われたし」
「良かったな。んで、課長はもう起きてるのか?」
「そうなの。今朝意識が戻ったんだけど、『自分は爆睡してただけだ』って言うんだよ」
「マジかよ!?」
信じられないと思いつつも、このシーンは容易に想像がついてしまった。
「もう、皆で目丸くしちゃった。今はお腹一杯食べてるトコ」
「…すげー、タフだな」
「和泉隊長もそう言ってたよ。多分、明日には帰ってくると思う」
雛は肩をすくませ、苦笑している。
勇磨も釣られて笑った。
「それって、『静養』って言わないんじゃないか?」
「そうなんだよね。でも、言っても利かないんだよ。お爺ちゃんは」
「雛も大変だな」
「えへへ」
「──あ、そうだ」
何かを思い出したようで、懐をごそごそと探る。
ポケットから取り出したのは、雛の《お守り》。
「これ、課長室に落ちてた。隊長が『雛のだ』って言ってたから」
「あ!!」
正之助が倒れる前に見せていた、例の遺品。
その後の事で頭が一杯になり、手元を離れていたのを忘れていた。
大事そうに受け取って、懐に仕舞う。
「有難う」
「手作りのお守りだろ、それ。何か重そうな物、入ってるみたいだけど」
「うん。勇磨は中身、見た?」
「いや」
勇磨は「とんでもない」と首を振った。
預かってる間中、確かに気になっていたのだが。
「お守りは、勝手に開けたらバチ当たるからな。雛が大事にしてる物だって、蔵間にも聞いたし」
「そっか…」
この中身を知っているのは、事件の関係者以外では御影だけだ。
その彼女ですら、勇磨には言わなかったようである。
やはり、『自分で打ち明けろ』と言う事なのか。
「蔵間のヤツ、最初それをオレが持ってるのに驚いてた。でも、次の瞬間にはエアガン向けてきやがって、怒ってた」
「エアガン向けられたの!?」
「酷いんだぜ?『勝手に開けたら地獄へ流す』って、オレを脅しやがった」
「ごめんね、勇磨」
御影らしいとは思いつつも、雛は頭を下げる。
勇磨は焦った。
「え?いや、雛が謝る事ないよ」
「──気になるでしょ。中身」
「へ?」
雛が聞いた事は唐突だった。
一呼吸置いて、勇磨は答える。
気取るでもなく、しっかりと真面目に。
「雛が大事にしてる物なんだ。言いたくない事ならオレも聞かないし、詮索もしない」
「本当に優しいね。勇磨は」
「い、いや。オレは、これからも勝手に開けたりしないし、詮索とか絶対しない。約束する」
「うん」
「勿論、話してくれる時はちゃんと聞く。いつでも良いから」
「ありがとう」
雛はふんわりと笑った。
そして、隠していた全てを打ち明ける時期が、そこまで差し迫ってきている事を悟る。
やがて、野原も戻ってきた。
和泉も少し話をしてから、自分のミニパトに乗って帰っていった。
「さぁ、署に戻るぞ。志原、帰りも頼んだ」
「了解ッス!」
野原に言われ、勇磨はシートベルトを着けた。
三人が隊員室へ帰ってきた。
ドアが開いた音に、葉月が茶を淹れる手を止める。
「戻ったぞ」
「おかえりなさい!」
「あっ、雛!!」
「た、ただいま…って。御影、苦しいよ」
御影は雛に抱きついていた。
他の二人も、御影と共に安堵する。
「勇磨の言ってた通りだね。非番なのに、皆揃ってる」
「あれ、和泉隊長は?」
高井が、「メンバーがこれだけか」と見渡す。
「病院から、真っ直ぐ帰っちゃったッス」
「そうか。忙しいんだな」
「帰っちゃったの?いろんな話聞きたかったのに、残念ね」
「第二隊は待機中だからな。抜け出す程でもなかったんだが」
「…とか言って。本当は心強かったくせにね」
「かもね」
「聞こえてるぞ、蔵間と友江」
「えっ!?」
勇磨はどっこいしょ、とデスクについた。
それをジロリと睨む御影。
「勝手に開けないで、ちゃんと雛に渡したんでしょうね?」
「当たり前だろ」
「御影、エアガンで脅したんだって?駄目だよそんな事しちゃ」
「だって。いつも雛が肌身離さず持ってる物なのに、バカ志原が持ってんだもん。何事かと思っちゃったわよ!」
「バカは余計だろ」
「勇磨は、そんな無神経な人じゃないよ」
「…ですってよ~、志原巡査♪」
「雛が優しいのは、今に始まった事じゃないだろーが!」
「もう!からかわないでよ、御影っ」
御影は茶化す為だけに、わざと雛にフォローさせたのだ。
高井も葉月も、今の今まで深刻な顔で親友の帰りを待っていた御影の変わり様に安心した。
「課長は軽い過労だけで、もう大丈夫だ。検査の結果も悪くない」
「もう起きてるんですか?」
「ん。『食事が足りない』って、色々頬張ってた」
「えぇっ!?」
「課長もタフですね」
「そうだよな。流石に、俺も驚いた」
──正之助の過労とお守り騒動の件は、これで沈着するかのように思えた。
「…分かっとる」
夢の森埋立地内、とある総合病院の個室病棟。
ベッドには、気難しい顔をして寝ている正之助の姿がある。
只今、孫で部下の雛からお説教中。
「だから『ちゃんと休んで』って言ったじゃない!こないだの風邪も、それで拗らせたばかりだったのに」
「仕方ないだろう。特別警戒で、ずっと連勤だったんだし」
「お爺ちゃんの場合は、それだけじゃないでしょ?私、ちゃんと知ってるんだからね」
病院食では足りなかったので、正之助はお見舞いの食べ物に手をつけていた。
今開けたのはカットデザートのパックで、「メロンだ」と子供のように喜んでいる。
雛は溜息を吐いて、お茶を淹れた。
「本部へ寄ったついでに、いつもの調べ物しただけだよ。このメロンデカイねぇ、『北海道産』って書いてあるだけでもう美味しそうだ」
「だけ、って。最近はずっと家にも帰らないで、そればっかりだったでしょ」
「…ん」
「先生も言ってたよ。睡眠と栄養が足りないから、倒れたんだって」
そうなのだ。
先日正之助は課長室で突然倒れ、ここへ運び込まれた。
意識を取り戻したのは今朝の事で、それまでずっと昏睡状態だったらしい。
その間、本人に代わり入院の手続きや労災申請を行う為に、野原や本部の管理官が忙しく出たり入ったり。
雛は「傍に居なさい」と指示された事もあり、ずっと付き添っていた。
「過労だって、バカに出来ないの知ってるでしょ?隊長達だって心配してたんだからね」
「反省はしてる」
「本部長まで来たんだから!私ビックリしたよ、…すぐ帰ったけど」
「だがなぁ──」
何かを続けようとして、正之助は口を閉ざす。
残りのフルーツを、バクバクと頬張って誤魔化した。
『例の事件』に関する内容は、出来るだけ雛へ漏らしたくない。
しかし孫娘も、警察官らしい洞察力はちゃんと持っていた。
「父さん達の事件、進展あったんでしょ」
「…少しだけだ。このフルーツ美味いな、何処の店のだ?」
「いつものコンビニ」
「そうなのか。我々には捜査権限があるんだから、越権行為ではない」
「確かにそうだけど。そうじゃなくて」
そこまで言って、雛は俯いて寂しげな顔を隠す。
気付いた正之助も、空になったパックをサイドテーブルへ置いて、傍らに座る彼女の髪を撫でた。
「分かってる。雛を一人ぼっちにはしない」
「…うん」
雛は正之助の肩に、顔を埋めた。
「雛。非番を潰した上に心配までかけて、すまなかったな」
「いいの。もう元気になったみたいだし」
顔を上げた彼女は、もう微笑んでいる。
しかし…
「たっぷり寝かせてもらったから、後はたらふく食うだけだ。すぐ復帰するぞ」
「一週間はおとなしくしてなさい、って言ってたでしょ?」
「そんなに寝てたら体が鈍る。三日もあれば十分だ」
「駄目だってば!」
「何を言っとる。今日で非番は終わりなんだぞ?」
「お爺ちゃんには、今までの有給が沢山あるでしょ!?」
「それに、課長不在じゃ色々と面倒だろう。人手も足りないんだ」
「それは『何とかなる』って、隊長言ってた。だから、ちゃんと休んでもらわないと」
祖父と孫の、言い聞かせ対決が展開されたところへ、新たな見舞客が訪れた。
「──課長、すっかり元気そうですね」
「おやっさんが倒れたって聞いて、ビックリして飛んできたんですけど」
「おう、野原君とお嬢か。入りなさい」
「え、和泉隊長も!?」
野原と和泉は、入口に立ったまま目を丸くしていた。
「過労だって聞いたんですけど。おやっさん、タフですね」
雛が淹れた茶を啜りながら、和泉は苦笑いした。
それに正之助は、「んん?」と意味ありげに答える。
「事件解決が大切なのは解りますが、無理し過ぎです」
「それはお嬢も同じじゃないか。今日は待機シフトだろう、抜け出して大丈夫なのか?」
「長居は出来ませんが、問題ありません。課長より優秀な副隊長が二人も居ますから」
「お嬢。もっと大長を信用してあげなさい」
「ですが、間違ったサポートばかりでは私も困りますし。やる気に欠けています」
「和泉隊長、やる気あり過ぎも大変ですよ?お爺ちゃんみたいに倒れちゃうから」
「だな。和泉だって、人の事言えない」
「前に現場で倒れかけたって、佐野さんに聞いたぞ」
「えっ!?」
「何だそれ、俺は聞いてないぞ!?」
「いや…。その、あれはただの立ち眩みですよ」
先日の課長会議で会った時、佐野との世間話で聞きだしたらしい。
シュークリーム片手に、ニヤリと笑いながら指摘する正之助。
和泉は頭が上がらない。
「佐野さん心配させるなって、言ってるだろうが」
「先輩まで。ですからあれは、ただの軽い酸欠ですって」
「その所為で、高所から落ちたって話だったろう。光榊さんも心配してたんだぞぉ?」
「和泉!⁉」
「大丈夫だったんですか⁉」
「えぇ。大した事無かったんですよ、本当に」
佐野には、「心配するから第五隊には漏らさないでくれ」と頼んでおいたのだが。
最悪な事に、その課長会議には野原が付き添っていた。
彼が聞いたのは、過去に第二隊が担当した事件で新たに判明した内容と、そこで和泉が何をしていたかという事。
誤作動を起こしたフォグガードの所為で和泉が落ちた顛末は、佐野が正之助に詰め寄られて話した内容だ。
本部長宛の報告書には渋々書いたが、システム《シュテルンビルド》が管理する共有データには上げていなかった。
当然、野原は知らない。
挙句の果てには雛にまで驚かれて、和泉はバツが悪そうに頭を掻く。
「いつの話だよそれ⁉」
「それも星の宮銀行の事件です。誤作動起こした防犯装置の煙吸い込んで眩んだら、足元踏み外してしまって」
「えぇっ…」
「今心配すべきは、おやっさんの事でしょう。私の事なんてどうでも良いじゃないですか」
「良くないよなぁ。特に野原君は」
「はい」
「?」
「ほら、即行で二回頷いた。野原君には充分『重要な内容』って事だ」
「そうなんですか野原隊長?」
「…ん」
「先輩、真面目に答えない。おやっさんも、話逸らすのに私の失敗談を持ち出さないでください」
「だってさぁ。差し入れのメロンとかフルーツの話で誤魔化しても、雛がノってくれなかったもんだから」
「やっぱり誤魔化そうとしてたんだ!」
「……ほら、な?」
自分の話へ皆の興味が移ってしまい、和泉は怒って訂正した。
正之助を心配して見舞っているのだと、改めて言い聞かせようと説諭を考える。
「最近だって、光榊さんと徹夜で調べ物してるそうじゃないか。隊長の仕事も忙しいのに、大変だろう」
「例のテロ集団にいる指名手配犯の尻尾が、もうちょっとで掴めそうだったんです」
「社さんが困ってたぞ。『ご飯を目の前に広げてやらないと、二人共全く食べないんだ』って」
「そ、それは。ほんのちょっと張切り過ぎただけです」
「ほら見ろ。やっぱり私と同じじゃないか」
「…にはは」
来たる最終決戦に備え、和泉は急ピッチで組織の連携プランを完成形へと進めていたのだ。
正之助と同様、ほぼ不眠不休である。
「課長。和泉が持ってきた最新資料と報告書は、課長室のデスクに置いておきました」
「持ってきてくれても良かったんだが」
「それじゃ静養になりませんよ。『復帰してから』見て下さいね」
野原は念を押す。
正之助が拗ねてみても、普段と変わらない顔で茶を啜っていた。
「そうだ。友江」
「はい?」
「お前さんは、そろそろ署に戻りなさい」
「え?」
それは、予期せぬ帰還命令だった。
雛はキョトンとしている。
「俺は課長に頼まれて、迎えにきたんだよ。志原も一緒だ」
「勇磨が?」
「そ。裏口に車止めてあるから、先に行ってなさい」
「でも…」
「雛、私ならもう大丈夫だ。ちゃんとおとなしくしてるから、安心して帰りなさい」
「…はい」
完全に心配が払拭された訳ではなかったが、雛は掛けてあった制服の上着を手に取った。
二人の隊長に礼を言い、病室を後にする。
静かに閉められたドアを見つめ、三人は一息吐いた。
「警察病院じゃないと、何かと面倒ですね」
「制服姿だと、事件かと勘違いされますし」
「そうだな」
一転して、三人は真面目な顔になる。
「…さて。話、聞こうか」
「はい」
正之助は、持っていた湯呑みを置いた。
和泉が頷いて、懐から折り畳んだ紙を出す。
「実は──」
病院の裏口の駐車場に、特警隊のミニパトが二台並んで止まっていた。
その内の一台の運転席で、勇磨は相棒を待っている。
昨日は非番だったにも関わらず、開発室でお得意の工作をやっていた
あれは、窓の外から差し込む陽光の傾き加減で、夕方だと知った頃。
正之助の手伝いに来ていた雛を「晩飯にでも誘おうか」と思い、隊員室へ戻った時の事だ。
隣の課長室から何かが倒れる音がして、彼女の声がした。
野原と一緒に覗いたら、雛の傍らで正之助が倒れていて…
(雛、ずっと泣きそうな顔してたっけ。大丈夫かな)
野原に言われ署で留守番していた勇磨だったが、雛の事がずっと気がかりだった。
救急車に乗り込む時の、彼女の青褪めた半泣きの顔が頭から離れられない。
それに、野原の心配振りも引っかかっている。
(デスクの書類見て、怖い顔してたし。かと思えば、雛に何か言ってたし)
考え込みながら、窓の外を見る。
丁度雛が制服の上着を羽織りながら、裏口から出てきたところであった。
窓を開けて手招きする。
「おーい。こっちこっち」
「勇磨!」
雛が助手席へ乗り込む。
窓を閉めるスイッチをわざわざ確かめるフリをしながら押し、勇磨は隣の表情をチラリと伺う。
「勇磨も迎えに来てくれたんだね。有難う」
「いや、オレはただの運転役だよ。暇だったから」
隣で微笑む彼女の顔に、やっと安心した。
この様子だと、正之助も大丈夫なのだろう。
「開発室で作業してたんだよね?」
「それが…。蔵間が来たから」
「御影が?高井さんと一緒じゃなかったのかな」
「そう、一緒で。葉月さんも来てる」
「まだ非番なのに、皆揃ってるの!?」
「うん」
そう言う二人も制服姿だが。
「課長が過労で倒れたって聞いて、皆心配してる」
「そっか…。それなら早く教えてあげなくちゃね、『もう元気になったよ!』って」
勇磨は耳を疑った。
過労で倒れてから一日も経ってない人が、『もう元気になった』だなんて。
しかも本人には悪いが、正之助は退官間近の年齢だ。
「課長、もう大丈夫なのか?」
「うん。検査も、特に変なものは出てこなかったって言われたし」
「良かったな。んで、課長はもう起きてるのか?」
「そうなの。今朝意識が戻ったんだけど、『自分は爆睡してただけだ』って言うんだよ」
「マジかよ!?」
信じられないと思いつつも、このシーンは容易に想像がついてしまった。
「もう、皆で目丸くしちゃった。今はお腹一杯食べてるトコ」
「…すげー、タフだな」
「和泉隊長もそう言ってたよ。多分、明日には帰ってくると思う」
雛は肩をすくませ、苦笑している。
勇磨も釣られて笑った。
「それって、『静養』って言わないんじゃないか?」
「そうなんだよね。でも、言っても利かないんだよ。お爺ちゃんは」
「雛も大変だな」
「えへへ」
「──あ、そうだ」
何かを思い出したようで、懐をごそごそと探る。
ポケットから取り出したのは、雛の《お守り》。
「これ、課長室に落ちてた。隊長が『雛のだ』って言ってたから」
「あ!!」
正之助が倒れる前に見せていた、例の遺品。
その後の事で頭が一杯になり、手元を離れていたのを忘れていた。
大事そうに受け取って、懐に仕舞う。
「有難う」
「手作りのお守りだろ、それ。何か重そうな物、入ってるみたいだけど」
「うん。勇磨は中身、見た?」
「いや」
勇磨は「とんでもない」と首を振った。
預かってる間中、確かに気になっていたのだが。
「お守りは、勝手に開けたらバチ当たるからな。雛が大事にしてる物だって、蔵間にも聞いたし」
「そっか…」
この中身を知っているのは、事件の関係者以外では御影だけだ。
その彼女ですら、勇磨には言わなかったようである。
やはり、『自分で打ち明けろ』と言う事なのか。
「蔵間のヤツ、最初それをオレが持ってるのに驚いてた。でも、次の瞬間にはエアガン向けてきやがって、怒ってた」
「エアガン向けられたの!?」
「酷いんだぜ?『勝手に開けたら地獄へ流す』って、オレを脅しやがった」
「ごめんね、勇磨」
御影らしいとは思いつつも、雛は頭を下げる。
勇磨は焦った。
「え?いや、雛が謝る事ないよ」
「──気になるでしょ。中身」
「へ?」
雛が聞いた事は唐突だった。
一呼吸置いて、勇磨は答える。
気取るでもなく、しっかりと真面目に。
「雛が大事にしてる物なんだ。言いたくない事ならオレも聞かないし、詮索もしない」
「本当に優しいね。勇磨は」
「い、いや。オレは、これからも勝手に開けたりしないし、詮索とか絶対しない。約束する」
「うん」
「勿論、話してくれる時はちゃんと聞く。いつでも良いから」
「ありがとう」
雛はふんわりと笑った。
そして、隠していた全てを打ち明ける時期が、そこまで差し迫ってきている事を悟る。
やがて、野原も戻ってきた。
和泉も少し話をしてから、自分のミニパトに乗って帰っていった。
「さぁ、署に戻るぞ。志原、帰りも頼んだ」
「了解ッス!」
野原に言われ、勇磨はシートベルトを着けた。
三人が隊員室へ帰ってきた。
ドアが開いた音に、葉月が茶を淹れる手を止める。
「戻ったぞ」
「おかえりなさい!」
「あっ、雛!!」
「た、ただいま…って。御影、苦しいよ」
御影は雛に抱きついていた。
他の二人も、御影と共に安堵する。
「勇磨の言ってた通りだね。非番なのに、皆揃ってる」
「あれ、和泉隊長は?」
高井が、「メンバーがこれだけか」と見渡す。
「病院から、真っ直ぐ帰っちゃったッス」
「そうか。忙しいんだな」
「帰っちゃったの?いろんな話聞きたかったのに、残念ね」
「第二隊は待機中だからな。抜け出す程でもなかったんだが」
「…とか言って。本当は心強かったくせにね」
「かもね」
「聞こえてるぞ、蔵間と友江」
「えっ!?」
勇磨はどっこいしょ、とデスクについた。
それをジロリと睨む御影。
「勝手に開けないで、ちゃんと雛に渡したんでしょうね?」
「当たり前だろ」
「御影、エアガンで脅したんだって?駄目だよそんな事しちゃ」
「だって。いつも雛が肌身離さず持ってる物なのに、バカ志原が持ってんだもん。何事かと思っちゃったわよ!」
「バカは余計だろ」
「勇磨は、そんな無神経な人じゃないよ」
「…ですってよ~、志原巡査♪」
「雛が優しいのは、今に始まった事じゃないだろーが!」
「もう!からかわないでよ、御影っ」
御影は茶化す為だけに、わざと雛にフォローさせたのだ。
高井も葉月も、今の今まで深刻な顔で親友の帰りを待っていた御影の変わり様に安心した。
「課長は軽い過労だけで、もう大丈夫だ。検査の結果も悪くない」
「もう起きてるんですか?」
「ん。『食事が足りない』って、色々頬張ってた」
「えぇっ!?」
「課長もタフですね」
「そうだよな。流石に、俺も驚いた」
──正之助の過労とお守り騒動の件は、これで沈着するかのように思えた。
2/5ページ