噂とモヤモヤ

 開発室内がキレイに片付き、三人は何度目かの夜食に手を伸ばし一服している。
雛は一つの出来事を思い出す。
忘れていた記憶の復活は、何故かここで二人と戯れている時が一番活発だ。
開発室の居心地が良い訳ではない。
きっと一番気を許す人と、緊張が解れた空気を共有している為なのだろう。

「…そう言えばさ」
「ん?」
「どした?」
「昨日、和泉隊長が初めて第五隊(ウチ)に来たでしょ?」
「そうね」
「すっかり忘れてたんだけどね。私、前に和泉隊長を見かけた事あったんだよ」
「本当!?」
「何処で!?」

御影と勇磨、この二人の顔から眠気が完全に吹っ飛んだ。

「ほら、前にココで話したじゃない。野原隊長と親しげに話してた、女性隊員の事」
「あぁ!あれね」
「謎の女性隊員の話か」
「その人がね、和泉隊長だったんだよ」
「なーんだ。先輩と後輩の関係じゃ、仲が良いのも当たり前だよな」

一体、勇磨は何を期待していたのだろうか。
つい先刻雛が話し出すまで、すっかり忘れてたようだが。

「それとさ。野原隊長は初出動から時々、お爺ちゃんと無線とかで和泉隊長の事を話していたんだよ」
「そうなの?気付かなかった」
「オレも知らなかった」
「『アイツ』って呼んでたから、誰の事か判らなくて。ずっとモヤモヤしてたんだよ」

モヤモヤは、心配や不安を含んでいた。
こんな事で特警隊は、第五は大丈夫なのかと何度思ったか。

「いつ、何で判ったの?」
「和泉隊長が来た日だよ。野原隊長と見送った後も話したんだけど、照れて『アイツ』って呼ぶの聞いて『同じだな』って」
「ほぉ。興味深いな」
「最初は仲悪いのかなって思ってたんだけど、照れとか心配の裏返しなんだなぁって。『やっぱり絆はあるんだ』って思ったら安心しちゃった」
「絆かぁ。ちょっと羨ましいぜ」
「えっ、どうして?」
「ん?…いや、気持ちが通じ合ってるんじゃないかと思って…だな」
「だよね。仲良いって事だよね」

勇磨の「羨ましい」は、長同士がもっと親密な関係に思えたからである。
気付いていない雛が、「ね?」とちょっとズレた共感への同意を親友に求めた。

「──そうかしら?」
「へ?」

意見した御影。

「他の班にも野原隊長の同僚とか居るみたいだけど、仲良さそうにしてるトコなんて見た事ないわ」
「それって、ほとんど男だからだろ?」
「そうかな?フランクに話してるように見えるけど」
「社交辞令よ。機動隊程じゃないにしろ、組織内の規律とか色々あるでしょ」
「反対派じゃないんだから。同じ隊の人に、警戒心なんて持ってないっつーの」
「…あっ、お爺ちゃんには親しげだよ?」
「課長は昔も今も上司だからでしょ。…って、そうじゃなくて」
「?」
「何だよ」

ここで、御影が二人に顔を近づけた。

「野原隊長ってさ、『女嫌い』って噂あるの知ってる?」
「何それ」
「初耳だぞ、おい!?」

一人は「そんな馬鹿な」と苦笑し、もう一人は「本当なのか」と目を丸くした。

「こないだ材料受け取りに行った時ね、本庁の装備開発課で研修してる同期に会ったのよ」
「うん」
「でね、こう言われたのよ。『アンタの上司は、女嫌いって噂があるから気を付けた方がいい』って」

御影は真面目に話していたのだが、雛だけは苦笑を浮かべている。

「噂は所詮、噂だよ。野原隊長は全然、そんなんじゃないって」
「何か知ってるの、雛?」
「だって。私達にはおろか、和泉隊長にもそんな素振り見せてなかったじゃない?」
「そう言われれば。そうだよな」
「もしかしたらさ。それは立場上の芝居なのかも知れないじゃない?」
「うーん。そうきたか」

勇磨にとって雛と御影の言い分は、双方共にもっともらしく聞こえる。
しかし、どっちが正しいのかは解らない。

「野原隊長は、誰にも優しい人だよ。お爺ちゃんもそう言ってるし」
「まぁ…課長は野原隊長の事、色々知ってるよな。なら、間違いないだろうけど」

雛は相棒の同意に、「でしょ?」と自信ありげに頷いて、話を続ける。

「それにね。私達が隊長の事信頼してないと、現場じゃもっと危なくなるんじゃないかな」
「信頼……」
「自分の相方だけじゃなくて、上下関係の絆も大切だと思うよ?」
「そうだな。オレ達は特警隊っていう組織で動いてるんだから、指揮執ってる上司を信頼出来てなきゃマズイ…か」
「でもさ。その上司の事ちゃんと知ってないと、信頼も出来ないじゃない?」

雛の言う事は真っ当なのだが、と御影が口を挟む。

「あたしは、上司が素性の知れない人なんて御免だわ。気味悪くない?」
「そこまでオーバーではないと思うんだけど」
「うん。そこまでいかないけど、不思議な人ではあるな」
「そう?確かにクールでポーカーフェイスだけどさ、余りにも謎が多いじゃない」
「え?そうかなぁ…」
「SATに比べりゃ、ずっとマシだろ。あっちは完全秘匿の世界なんだし」
「前に自己紹介してくれた事、あったもんね」

彼の後輩である和泉が現れた事で、一気に明らかになった面は少なくない。
しかし、何故か野原は御影の知りたがりな一面をくすぐる人物なのであった。

「ところで。何で御影はそんなに、野原隊長の事知りたがるの?」
「そうだよな。他にも素性の知れない人間なんてのは、沢山居るだろうに」

疑問は最もである。
御影は顔を上げた。

「まさか、高井さんが居ながら隊長にうつつ抜かしたんじゃねーだろうな!?」
「ハァ?…志原、何でそんな風にしか考えられないのかしら」
「うるせー!お約束の質問パターンってヤツだろ⁉」
「だから言ったでしょ、上司が素性の知れない人間じゃイヤだって。万が一って時に、アッサリ冷たく捨てられそうなんだもん」
「捨て駒扱いしてるかも、ってか?」
「えぇっ⁉」
「そうよ。シャイなのかも知れないのは解かったけど、一向に笑わないし」
「確かにオレ達は、第一隊とかと違って『落ちこぼれのヒヨっ子』だもんな。笑えるわけないか」
「だから、野原隊長はそんな人じゃないって!もっともっと現場を重ねていけば、御影も隊長が優しい人だってきっと解るよ」
「そうかしら?」
「雛がそう言うなら、きっとそうだな。蔵間も、そんなに詮索しない方が良いんじゃないか?」
「うーん。そうなのかも…、ねぇ」

雛は慌てて訂正を入れ、自分で激しく頷いていた。
勇磨は相棒の態度を見て、楽観的意見へ戻る。
一方で御影は納得がいかないのか、頭を掻いて唸っている。

「でもさ、特警隊って組織は良く分からない事が多いって感じしない?それこそ、SATみたいな秘匿性があるって言うか」
「そうか?実験とはいえ一応は特別部隊なんだし、そんなトコがあってもおかしくないと思うけどな」
「調べ物してても、所々で閲覧制限かかった記録に出くわすのよ。怪しいったらないわ」
「怪しいとまでは思わないけど、オレも時々遭遇するな。雛はどう思う?」
「え?」

御影の勘が冴えている事に面食らった雛は、少々慌てた。

「そうだね…。その辺って、段々解って来るんじゃないかな」
「段々ねぇ」
「だってさ、私達が配属になって未だ一年も経ってないんだし」
「ほら見ろ。時期尚早ってヤツじゃねーか」
「そういや、そうよね。ちょっと気が早かったかしら」

なんて言って、アハハと無邪気に笑う御影。
つられて勇磨も笑っている。
雛は心の中で、やっと胸を撫で下ろした。

(…もし『御影達が詮索しだした』なんて事が、お爺ちゃんや本部の人達に知られたら)

再編成か、もしかして人手が足りなくて解隊が決定してしまいそう、なんて考えてしまう。
雛にとって居心地が良い今の環境が壊れるのは、絶対に嫌だ。
…取り敢えず、その事態だけは回避出来たと思う。

──この先。
例の事件関連の話が公開された、その時が来たら。
この二人はどう思い、どうするのだろう。
関係は、居場所は、どうなってしまうのか。
事件直後の準備室のように、存続の危機になってしまうのか。
皆は離れていくだろうか──

雛は芽生えてしまった一抹の不安(モヤモヤ)を、心の隅に強く押しやった。

■『噂とモヤモヤ』終■
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