遠い空の半月
この日も、空は青く遠かった。
警視庁夢の森署の屋上では、宵闇へ傾いた日差しが訪れた人を照らしている。
そこで雛は一人竹刀を握り、素振り稽古をやっていた。
最近は出動続きで忙しかったが、時折ここではその姿が見える。
相棒の勇磨は、離れた場所で黙って見ている。
まだ彼女は気付いていない。
勇磨も声もかけず、まるで気配を消しているかのようだ。
…声をかけないのは、雛がこうして一人で居る『理由』を解ろうとしているからだ。
とは言っても、勇磨が勝手に「そうなのだろう」と思っているだけなのだが。
パートナーとしての勘なのか、それとも警察官としての職務経験が培った洞察力か。
実際それは当たっていた。
一人稽古は、終わったようだ。
隊員室へ戻ろうとした雛が、入口で立ち止まっている。
そこに立っていた人物へ、キョトンと眼差しを向けて。
「勇磨?どうしたの?」
「いや、眠気覚ましに上がってきたんだ。邪魔しちゃったな」
本当は心配していて、ずっと見ていた。
でも、そんな事は言わない。
いつものように彼女は微笑んだ。
それが少しばかり硬いのも、相棒はちゃんと気付いている。
「ううん、そんな事ないよ。もう終わったし」
「…そっか。相変わらず、雛の動きは機敏だな」
「全然、隊長や高井さんには適わないよ。あの二人は迫力あるもん」
「んなモンまで雛に有ったら、オレの立場が全然ないって」
確かに、最近の二人の戦闘スタイルは初期と大きく異なっている。
コンビネーションは変わらず良いが、勇磨のポジションは雛のフォローから『全体のフォロー』へ変わった。
今朝方の出動でも確保対象をそれぞれ一人ずつ、アシスト無しで捕まえている。
特警隊の活動は《常時二人一組(ツーマンセル)》が基本だが、確保時に人手が足りないとこうなる事が圧倒的に多い。
雛は武道に精通している為、新任特有の心配事が少ない方である。
それは勇磨にとって、少し寂しいようだ。
「最近は全体で動く事が多いから、イイトコは蔵間に持っていかれるし」
「何言ってるの。今朝は勇磨の大活躍だったじゃない」
「…あれは、ジャンケンで蔵間に勝ったからだ」
「またジャンケンで決めたの!?」
何気ない会話で、雛の笑顔が若干解れた。
親友である御影の話が出てきたからだろうか。
勇磨は胸を撫で下ろす。
「ところで、御影は?」
「また開発室。『大発明を思いついた』だかって、喜び勇んでた」
「御影の大発明……」
「ロクなもんじゃねーよ」
「……うん」
やる気満々の本人には悪いけど、と二人は揃って溜息を吐く。
「そろそろ夜間巡回の開始時間だね。戻ろうか」
「おう」
「今日は何処が当たるかなぁ。スイーツ沢山置いてるコンビニ、寄れるかな?」
「気にすべきトコ、そこじゃないだろ…」
「警察官だって楽しみがなきゃ、心折れちゃうんだよ?」
「それ、課長が言ってた話じゃないか」
(心が折れる、か……)
それまでもが意味深なキーワードに聞こえてしまうのは、気にし過ぎなのだろうか。
勇磨は真剣に考えているが、己の馬鹿正直さで顔に出さないように努める。
外はいつしか日も沈み、暗くなり始めていた。
先に雛が歩き出し、後を付いて行く。
彼女の一つに結ばれた髪をただ見つめながら、一人で居た理由も問わない。
雛もまた、それには触れない。
彼女が黙っていたのは、勇磨が知らない事だから。
「もしかしたら、このままずっと知らないままの方が良いのかも」と感じる事だから。
(勇磨は優しい人だから……)
彼は自分のパートナーだし、信頼もしている。
不器用な優しさも幾度と触れ、知っている。
だが、この《背負っている悲しみ》を打ち明ける機会はまだ得られない。
事件の被害を直接被っていないものの、遺族として関わっている以上、心に傷を負った事も記録が残された。
但し。
反対派からの『余計な追及』と『捜査への妨害』を危惧して、事件に関する内容は口止めされている。
本当は「それ以上に卑劣な企てがあった」という話だが、詳細は聞かされていない。
それでもいずれは解かってしまうだろうし、そうなれば自分でも打ち明けるつもりでもある。
一部の内容は閲覧制限がかかっているので、自力で調べられる範囲にも限界があるが……、それでも。
──しかし。
これ以上、共に背負う人を増やしたくない気持ちもある。
誰も巻き込みたくない。
それに彼が気付いたら、辛気臭い面倒事だと思うだろうか。
関わる事も、ただの仕事と割り切るのだろうか。
そんな不安もあるし、彼は優しいからと甘えてしまう自分も嫌だ。
こうやって考えている内にも、再度訪れるであろう《根源》に対峙する時は迫ってきている。
乗り越える事は、きっと出来るだろうし自信もある。
それが一人なのか、関係者だけなのか──
(勇磨は一緒なのかな。御影は、皆は……?)
夢に出てきた両親の事が、こんなにも心に波紋を広げている。
その細波(さざなみ)を、相棒が気付く前に消したかった。
だから、一人で竹刀を振るって忘れようとしていたのだ。
これが勇磨ではなく野原が相手なら、こんな風にウジウジ考えずに打ち明けただろうか。
それとも御影だったら、あるいは和泉だったらどうだろう。
雛は自分でも解らない。
「今日の夜食は、何にしようかなー」
「甘い物は程々にしとけよ?」
「解ってるよぅ。それだけでお腹一杯にしちゃったら、太るもん」
「そんなに毎日食べてたら、非番の日に食いたいスイーツが無くなるだろ?」
「パフェは別腹だし、星の数ほど種類があるんだよ?大丈夫だよ」
「……どれだけ食うつもりなんだ?」
カラ元気で、明るく振舞う。
果たして、相棒は気付いているのだろうか?
その本心は分からない。
開発室に立ち寄り、親友を誘う。
「御影、そろそろ巡回(パトロール)の時間だよ」
「はいはーい。今行くわ」
親友には、過去に僅かながらも話したのに。
それを知ったら、相棒は怒るだろうか。
今の距離感は、間柄の空気は、どう変わってしまうのだろうか……
警視庁夢の森署の屋上では、宵闇へ傾いた日差しが訪れた人を照らしている。
そこで雛は一人竹刀を握り、素振り稽古をやっていた。
最近は出動続きで忙しかったが、時折ここではその姿が見える。
相棒の勇磨は、離れた場所で黙って見ている。
まだ彼女は気付いていない。
勇磨も声もかけず、まるで気配を消しているかのようだ。
…声をかけないのは、雛がこうして一人で居る『理由』を解ろうとしているからだ。
とは言っても、勇磨が勝手に「そうなのだろう」と思っているだけなのだが。
パートナーとしての勘なのか、それとも警察官としての職務経験が培った洞察力か。
実際それは当たっていた。
一人稽古は、終わったようだ。
隊員室へ戻ろうとした雛が、入口で立ち止まっている。
そこに立っていた人物へ、キョトンと眼差しを向けて。
「勇磨?どうしたの?」
「いや、眠気覚ましに上がってきたんだ。邪魔しちゃったな」
本当は心配していて、ずっと見ていた。
でも、そんな事は言わない。
いつものように彼女は微笑んだ。
それが少しばかり硬いのも、相棒はちゃんと気付いている。
「ううん、そんな事ないよ。もう終わったし」
「…そっか。相変わらず、雛の動きは機敏だな」
「全然、隊長や高井さんには適わないよ。あの二人は迫力あるもん」
「んなモンまで雛に有ったら、オレの立場が全然ないって」
確かに、最近の二人の戦闘スタイルは初期と大きく異なっている。
コンビネーションは変わらず良いが、勇磨のポジションは雛のフォローから『全体のフォロー』へ変わった。
今朝方の出動でも確保対象をそれぞれ一人ずつ、アシスト無しで捕まえている。
特警隊の活動は《常時二人一組(ツーマンセル)》が基本だが、確保時に人手が足りないとこうなる事が圧倒的に多い。
雛は武道に精通している為、新任特有の心配事が少ない方である。
それは勇磨にとって、少し寂しいようだ。
「最近は全体で動く事が多いから、イイトコは蔵間に持っていかれるし」
「何言ってるの。今朝は勇磨の大活躍だったじゃない」
「…あれは、ジャンケンで蔵間に勝ったからだ」
「またジャンケンで決めたの!?」
何気ない会話で、雛の笑顔が若干解れた。
親友である御影の話が出てきたからだろうか。
勇磨は胸を撫で下ろす。
「ところで、御影は?」
「また開発室。『大発明を思いついた』だかって、喜び勇んでた」
「御影の大発明……」
「ロクなもんじゃねーよ」
「……うん」
やる気満々の本人には悪いけど、と二人は揃って溜息を吐く。
「そろそろ夜間巡回の開始時間だね。戻ろうか」
「おう」
「今日は何処が当たるかなぁ。スイーツ沢山置いてるコンビニ、寄れるかな?」
「気にすべきトコ、そこじゃないだろ…」
「警察官だって楽しみがなきゃ、心折れちゃうんだよ?」
「それ、課長が言ってた話じゃないか」
(心が折れる、か……)
それまでもが意味深なキーワードに聞こえてしまうのは、気にし過ぎなのだろうか。
勇磨は真剣に考えているが、己の馬鹿正直さで顔に出さないように努める。
外はいつしか日も沈み、暗くなり始めていた。
先に雛が歩き出し、後を付いて行く。
彼女の一つに結ばれた髪をただ見つめながら、一人で居た理由も問わない。
雛もまた、それには触れない。
彼女が黙っていたのは、勇磨が知らない事だから。
「もしかしたら、このままずっと知らないままの方が良いのかも」と感じる事だから。
(勇磨は優しい人だから……)
彼は自分のパートナーだし、信頼もしている。
不器用な優しさも幾度と触れ、知っている。
だが、この《背負っている悲しみ》を打ち明ける機会はまだ得られない。
事件の被害を直接被っていないものの、遺族として関わっている以上、心に傷を負った事も記録が残された。
但し。
反対派からの『余計な追及』と『捜査への妨害』を危惧して、事件に関する内容は口止めされている。
本当は「それ以上に卑劣な企てがあった」という話だが、詳細は聞かされていない。
それでもいずれは解かってしまうだろうし、そうなれば自分でも打ち明けるつもりでもある。
一部の内容は閲覧制限がかかっているので、自力で調べられる範囲にも限界があるが……、それでも。
──しかし。
これ以上、共に背負う人を増やしたくない気持ちもある。
誰も巻き込みたくない。
それに彼が気付いたら、辛気臭い面倒事だと思うだろうか。
関わる事も、ただの仕事と割り切るのだろうか。
そんな不安もあるし、彼は優しいからと甘えてしまう自分も嫌だ。
こうやって考えている内にも、再度訪れるであろう《根源》に対峙する時は迫ってきている。
乗り越える事は、きっと出来るだろうし自信もある。
それが一人なのか、関係者だけなのか──
(勇磨は一緒なのかな。御影は、皆は……?)
夢に出てきた両親の事が、こんなにも心に波紋を広げている。
その細波(さざなみ)を、相棒が気付く前に消したかった。
だから、一人で竹刀を振るって忘れようとしていたのだ。
これが勇磨ではなく野原が相手なら、こんな風にウジウジ考えずに打ち明けただろうか。
それとも御影だったら、あるいは和泉だったらどうだろう。
雛は自分でも解らない。
「今日の夜食は、何にしようかなー」
「甘い物は程々にしとけよ?」
「解ってるよぅ。それだけでお腹一杯にしちゃったら、太るもん」
「そんなに毎日食べてたら、非番の日に食いたいスイーツが無くなるだろ?」
「パフェは別腹だし、星の数ほど種類があるんだよ?大丈夫だよ」
「……どれだけ食うつもりなんだ?」
カラ元気で、明るく振舞う。
果たして、相棒は気付いているのだろうか?
その本心は分からない。
開発室に立ち寄り、親友を誘う。
「御影、そろそろ巡回(パトロール)の時間だよ」
「はいはーい。今行くわ」
親友には、過去に僅かながらも話したのに。
それを知ったら、相棒は怒るだろうか。
今の距離感は、間柄の空気は、どう変わってしまうのだろうか……
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