もう一つの星
「──失礼します」
お辞儀をして隊員室に入ってきたのは、雛と似たような背丈の女性警察官である。
制服も同じ、特警隊の見慣れた形。
初めて見る人物なのに、その声には何処か聞き覚えがあった。
「皆さん、お疲れ様です」
「…会うのは久々だな」
「?」
野原だけは見知っているようだ。
「ここで会うのは初めて」と言っているので、この客は夢の森署へ初来訪したと思われる。
何処で会っていたのだろうか。
一部の隊員に興味が募りだす。
「先週は電話だけでしたからね。届け物はウチの副隊長に任せてしまいましたし」
「…あっ!」
「あぁ!!」
隊員達は思い出した。
先週の銀行強盗と下水道逃走事件で、出動の発端となった電話の声の主だ。
この電話を取らなかったら、要請を受理しなければ──
自分たちの知らない地下(あしのした)で、いつの間にか悪魂討伐軍がウロウロしていた事になる。
夢の森署に、何か良くないモノを仕掛けられていた可能性だってある。
「知らないフリしていれば良かった」と言うには、気味が悪過ぎた。
「確か『桜田署の泉野さん』、でしたっけ」
「あの時はそう名乗ってましたね」
「…どう言う事ですか?」
「それは後で説明します。その前に──」
ショートカットの女性は、スッと背筋を伸ばし皆へ敬礼した。
凛々しい瞳には、雛達のような新任特有のたどたどしさとは真逆の目力がある。
「初めまして。私の本当の名は、和泉光(いずみこう)と申します。階級は警部補、第二特警隊の隊長と突入班長を務めております」
「城南の第二隊?」
「はい。遅ればせながら、先日の事件のお礼に参りました」
「警部補?」
「隊長さん?」
雛達は次々に驚いた。
「よく『らしく見えない』って言われます。でも、これは本物です」
「あっ!」
「巡査じゃない」
和泉が指さした、自分の胸元のピン。
左胸元に『第二特警隊』と書かれた、警部補の階級章。
その上にある、特警隊の隊長章だ。
桜の代紋部分の土台と下のリボンが、青色になっていた。
これが第二隊の識別色で、野原が付けている第五隊仕様は浅黄色。
制服の袖先に縫い付けられた水色の一本線も彼と同じで、これも隊長クラスの証。
「特警隊の女性隊長はコイツだけだ。確かに、らしくない」
「…失礼な」
「統括指揮を佐野課長に押し付けて、自分も突入(エントリー)してるじゃないか。もっと自覚を持て」
「佐野さんと同じ事を…。相変わらず意地悪ですね」
「どうせ天邪鬼さ」
野原は冷ややかである。
すっかり拗ねた和泉は、廊下から買い物袋を持ってきた。
ジロリと野原を一瞥する。
「これは隊員の皆さんと、おやっさんに」
「そりゃどうも。俺の分は?」
「…抹茶味のを。後は、いつもの濃いお茶ですが」
「助かる」
彼女は野原の嗜好を把握していた。
浅い付き合いではなさそうである。
「大した物じゃないんですけど、差し入れです。皆さんでどうぞ」
「おぉ、ジュースだ」
「スイーツもある!」
「有難うございます!」
「ご馳走様です!」
皆が一斉に袋へ群がる中、雛だけは和泉に尋ねた。
「おやっさんって、誰の事ですか?」
「あぁ…つい癖で。貴方のお爺様、友江正之助(せいのすけ)警部ですよ。雛さん」
「私を知ってるんですか!?」
和泉は答える代わりに、少し悲しげに微笑んだ。
雛は首を傾げる。
「改めまして。皆さん、先日は突然の申し出にも関わらず協力していただき、本当に有難うございました」
「ん。こっちも色々世話になった」
「おかげさまで、きちんと解決出来ました」
「いやぁ…」
照れ笑いではなく、苦笑いをしたのは勇磨。
それに釣られた御影も、笑って誤魔化した。
若干、周囲の視線が痛い。
和泉は一同を見渡して、早速説明を始めた。
彼女の穏やかな顔が、少しだけ硬くなる。
「私は桜田署員を名乗っていましたが。向こうで動いてたのは、実は第二隊でした」
「…知らなかった」
「あの電話は犯人に盗聴されている可能性が強くて、こちらの動きを探られない為の策でした」
「そんな訳だ。俺が忙しくて、後で説明するの忘れてただけ」
「野原隊長ぉ…」
「そっか。それで先刻は」
「違和感持たれても、仕方ないですよね。現場で使ってた認識コードも、テンプレごと細工した物でしたから」
「そうなの葉月さん?」
「確か、『桜田署組対課の泉野ひかり巡査』になってました。ログ、拾ってみましょう」
第五隊の長二人は事情を知っていたが、最後まで黙っていたので他の皆は知る由もない。
葉月は管制システムへ着席するとキーボードを操作しながら、事件の資料を呼び出した。
星の宮銀行周辺の活動ログにそれがヒットし、IDデータが表示される。
「本当だ」
「この顔写真は、擬態ログ用に後から足したものです。巡査拝命当時のを引っ張ってきたので、恥ずかしいんですが…」
「可愛らしいです」
「顔、辛気臭くないか?」
「野原隊長、それは失礼ですよ」
「うぅ…。本物は、今出します」
システムのセキュリティスキャナーの前まで移動すると、和泉は取り出した自身の警察手帳をかざす。
手早く認証コードを打ち込み、隊員データを呼び出した。
二つのデータが並んで表示される。
本物の役職欄には、やはり『第二特別警察隊長兼突入班長』の文字があった。
「やっぱり辛気臭いな」
「野原隊長っ」
「野原先輩……」
「しかし和泉隊長。盗聴されているとは言え、何故ここまで?」
差し入れのペットボトルを片手に、高井が質問した。
「最もだ」と、和泉は頷いて答える。
「あの事件。黒幕は本隊の手配犯で、実行犯が討伐軍でした」
「本隊のホシが!?」
「全部討伐軍じゃなかったんですか」
「えぇ。本隊が隠密作戦だったので、私達も内密で出る事になったんです」
「だから、スターシーカーに第二隊の出動が表示されていなかったんですね」
「反対派の目もありますから、こっちの出方がバレると非常に面倒で。討伐軍のメンバーは良く逃げる奴らだし、ちょっと大変でした」
「やっと尻尾を出したんだよな」
「はい。日ノ山隊長が危惧していた、足立エリアで摘発から逃げ果せた連中です」
「両隊長。スターシーカーにステルス細工出来るって、ちょっと危なくないッスか?」
「俺の隊長権限を行使すれば、和泉達の行動も追えるようになっていた。鍵をかけたのは本部の判断だ」
事件のあった日。
野原が持ち出したタブレット端末のみ、ロック解除が適用されていた。
高井達が地下潜入組のフォローに入っている間、長としてオフィスで桜田署からの情報を纏める傍ら、一人で確認していた事になる。
黙っていたのは、雛達の苦心を増やさない為の配慮だ。
第二隊の大変さを目の当たりにしているのに、自分が指揮する第五隊の事で手一杯。
後輩である和泉へフォローが出来ないのをもどかしく思っていた事は、彼の心だけに留め置かれている。
「…危惧って言うより、『捕まえられなくて焦ってた』が正解だ。あの人、捜査指揮執るの下手なんだよ」
「元本隊組ですから。仕方ないかと」
「えっ、本隊だった人まで居るんですか!?」
「第一の風杜隊長、第三の日ノ山隊長がそうです」
「第四の歌さんは、俺達とは逆の元捜査班だもんな」
「和泉隊長は?」
「和泉も、俺と一緒の突入班だ。エンカウントは慣れている」
「な?」と野原に視線を向けられた彼女が、微笑みというには硬い顔で答える。
それは困っているようにも見えた。
「星の宮は、三隊しかなかった頃の合同警備協定を結んだままになっている新減災エリアですから」
「この日、第一は訓練で第三は非番でしたね。第四は八王子ですから…」
「臨場要請出すには遠過ぎるんだよな」
「運が悪かったッスね…」
「当番班も、通常より人数少ないですもんね」
「第五も、警備艇が届けば仲間入りだ。もうちょっと待ってくれ」
「船、早く導入されると良いッスね」
「…そんな裏があったなんて」
あの時、和泉率いる第二隊は銀行内に籠城する討伐軍を安全に確保するので手一杯だった。
桜田署の音信途絶事案も同時発生し、突入班を二手に分けてギリギリ対応していた程。
第五隊への応援要請も、その過程で急遽決まった事柄である。
「地下道逃亡犯の事も背負える程、頭数はこちらに無く。発覚した時には既に、『銀行立て籠もり犯と地上の攪乱犯を押さえる為』と応援部隊を使い切っていたんです」
「そんなに居たの!?」
「私達は、地下の二人だけで精一杯だったよね…」
「オレ達がマンホールから出る頃になって、『他の隊が応援でナントカ~』って話を聞いたくらいだからな。地上の情報、少な過ぎたと思う」
「僕らも、マップ作成とか情報纏めたりするので手一杯でしたよね」
「あぁ。こんな大事(おおごと)、初めてだったからな…」
葉月が更にログを漁ると、現場周辺の所轄や交機までが総動員されていた事が判った。
元が銀行強盗と立て籠もり事件なので、本隊の出動は当然だったとしてもだ。
普通の捕り物なら特警隊と機動隊、非常線管理の所轄で事足りる。
立て籠もり事案でも、これにSITが加わる程度。
和泉は、かなりの大事の中に居た。
「エリア警戒レベルが、こんなに跳ね上がってる…」
「知らなかった」
「私達、どうして気付けなかったんだろう」
「桜田署も黒幕からの襲撃に遭っていて、第二が臨場するまで通信が途絶えていました。本隊との連携が無ければ解決出来ない状況だったんです」
「桜田署の襲撃ぃ!?」
「初耳です!」
「黒幕は二人居ました。桜田署に忍び込んだ対象は通信妨害を仕掛けていて、本隊も無線が使えず解除に苦戦したようです」
「警官に偽装してたんだったな。誰かさんが確保しかけた」
「あ、あれは黒幕の情報が全く無かったからです!偽装しても異質なオーラまでは隠しきれていませんでしたし、対策本部に殺意向けてたので…」
「えぇっ⁉」
「何それ、怖っ!」
「地上も大変だったんですね…」
「いえ。皆さんには大変な役目を押し付けた上、ろくにフォローもせず申し訳ありませんでした」
和泉は、丁重に頭を下げる。
報告として訪れた本当の目的は、ここにあった。
「共有(ユニゾン)した報告書のデータで、隊員の負傷と拉致事案があったのを確認しました。体は大丈夫なんですか?」
「大丈夫ッスよ。オレ、ピンピンしてるッス」
「私も!捻挫はもう治りましたから」
「しかし──」
「違う隊なのに、私達の事心配してくださっていたんですね。有難うございます」
「オレも嬉しいッス」
「そういう事だ。和泉も、もう気にするな」
現場でこの情報を得た時、和泉がどれ程肝を冷やした事か。
他の隊の人間でも、彼女にとっては同じ仲間。
益してや雛は先輩の隊の新任だし、個人的な事情もあった。
彼女たちの笑顔を見ても、和泉の心は完全に晴れない。
そんな心境を察してか、野原が飲み物を差し出す。
「心配をかけた」というお詫びも兼ねている。
「これも仕事だし、友江達だって和泉と同じ警察官だ。それに『大変なのは何処も一緒』、だろ?」
「そうですよ」
「そうッス」
「全員逮捕出来て、一件落着したんだから。《終わり良ければ総て良し》だよな、第五隊の諸君?」
「はい!」
野原はおどけて雛達へ同意を求め、彼女達もノリノリで返した。
隊員達は皆ニッコリ笑っている。
その空気は、和泉の心にある焦りと不安を溶かしていった。
「…そう言ってもらえると、助かります」
「和泉隊長も、第二隊の皆さんも。お疲れ様でした」
「お疲れさん」
「有難うございます」
受け取ったペットボトルを抱きしめて、和泉は優しく微笑んだ。
野原がいつもと違う柔らかな視線で彼女を見ていた事は、皆知らない。
和泉が夢の森へ来ていたのは、一時間足らず。
帰る頃には、隊員達とすっかり仲良くなっていた。
「その『腐ったトマト弾』って、用途も広く使えそうで面白そうですね。ウチでも使ってみたいな」
「良かったら、今度お送りしますよ」
「本当に?嬉しいです」
互いの隊の装備や武器の事を熱く語り、情報交換を盛んに繰り広げていた。
他の隊の人間に褒められて、特に開発メンバー二人組はすっかり舞い上がっている。
「それじゃお礼に、ウチの『辛子ネット弾』をプレゼントしますね。バズーカー用ですが、戦技を保有しない捜査班員でも簡単に扱えます」
「…これまた凄そうだな」
「第二の自慢アイテムなんですよ」
「色んな取り組み方があって、面白いですね」
「そう。隊の識別色と同じ数だけ、チームの個性があるんです」
特警隊の装備は、各隊独自でアレンジや開発を行っている。
五つある隊のそれぞれが《負のしがらみ》を捨てて協力し合えば、より安全で的確な任務が行えるのだ。
「じゃあ、それが全部集まったら…」
「きっと無敵よね、あたし達」
「スゴイ事だよな」
「うん」
「ですよね。凄いだけじゃなく、とても素敵な事だと思うんです」
誇り高いが故の警察特有である、署同士のいがみ合いと温度差のあり過ぎる上下関係は、時として重石になっている。
だからせめて、特殊な扱いとして試されている特警隊の中だけでも、互いに『絆』を深めていこう──と。
準備室時代から変わらないその方針を、その夢を、和泉は雛達へ真っすぐに伝えた。
「でも、最後はその武器や戦術を使う者の『知恵と勇気』にかかっています。その事を忘れないで下さいね」
「はい!」
「…さて、と」
和泉は立ち上がった。
「思ったより長居しちゃいました。そろそろ帰らないと」
「もう帰っちゃうんですか?」
「えーっ…」
「これでも、私は隊長ですから。早めに終わらせないといけない仕事も、色々あるので」
「残念です」
「また機会があれば、寄らせてくださいね」
雛と御影は女性同士という事もあるのか、特に和泉を気に入った様子。
当の本人は、困ったような照れ笑いを浮かべる。
「野原警部補、そこの報告書の事で何かあったら連絡して下さい」
「おう」
「それじゃ、お邪魔しました!」
元気良く敬礼して、隊員室を後にした。
「気さくな人でしたね」
「…まぁな。悪いヤツじゃないんだ、和泉は」
「良い人ッス」
「可愛らしいトコロもあると思うけどなぁ」
「ウチの隊長もそうだけど、『隊長だ』って偉そうにしてないってところが良いよね」
「そうよね」
「でも、何で野原隊長はあんなにぶっきらぼうだったんです?」
「それはノーコメント」
「えーっ!?」
「うーん…」
高井の疑問は、もっともだ。
隊員五人が首を捻って腕組みしたところへ、廊下から小声が聞こえてきた。
どうやら、和泉は署内で迷ったらしい。
『あれ、入ってきた玄関どっちだっけ?車何処停めたんだったかな…』
「アイツは…」
城南の隊舎より、夢の森署は建物が大きいし中も広い。
心配していた雛達が無事と判り、緊張が切れた所為もあるのだろう。
わざとらしい大きな溜息を漏らし、野原はデスクから立ち上がった。
「外まで見送ってくる。何かあったら、携帯鳴らせ」
「あっ!私もっ」
雛も後を追った。
「これだからお前は、隊長の威厳が足りんって言ってるんだ」
「すみません」
「……可愛いんだけどな」
「え?何か言いました?」
「何も」
野原の後を、和泉がトボトボと付いて行く。
その姿は、同じ隊長職には見えそうもない。
「春のポジション決めの時は、署内に入らなかったんですよ。なので、まだグラウンドと駐車場しか判らなくて」
「そうだったか。あの時は茶の一つも出さないで、すまなかったな」
「『心配要らない』と『早く帰れ』ばかりでしたからね、…ウザったく思われるのは覚悟の上だったんですが。本部の人達に第五の事を悪く謂われたくなかったので、ついお節介を」
「…悪かったよ」
「──野原隊長、和泉隊長!」
「雛さん?」
「どうした友江?」
雛が二人に追い着いた。
「私にも、お見送りさせてください」
「ん。良かったな和泉」
「はい。有難うございます、雛さん」
しょぼくれた顔から一転して、にこやかになる和泉の顔。
数秒間何かを考えて、それから少しだけ眉を下げて野原に打ち明けた。
「本当に似てますよね。野原先輩」
「ん?」
「雛さんと、瞬菜(ときな)姉さん」
「そうだな。瓜二つで俺も驚いた」
「母の事も知ってるんですか!?」
自分の母の名前が唐突に出てきて、雛は再び驚いた。
「…えぇ。雛さんのご家族や野原警部補と一緒で、私も先駆隊に居たんです」
「!」
「瞬菜姉さんには、色々親切にしてもらいました。誠太班長や、おやっさん達にも…」
「お前だけにじゃない。友江家の三人は、皆に優しかったからな」
「先輩も、ですけどね」
「そうか?俺はどちらかと言うと…」
「?」
和泉は、雛の母にとても可愛がられていた。
あの事件で、殉職者が出るまでは──
「あれから私達、二人共偉くなっちゃいましたね」
「俺達だけじゃない。創設期の生き残りは、大抵隊長か課長クラスになってる」
「長がそろって残党なのは、夢の森だけです」
「まぁな」
「そうなんだ…。全然知らなかった」
雛は唖然としていた。
「当時の私は新人だったので、野原警部補に先輩として組んでもらったんです」
「瞬菜さんにほとんど奪われてたがな」
「姉さんは指導役でしたし、その…」
「母がどうかしたんですか?まさか、和泉隊長に何かしたとか?」
「…いいえ。とても良くしてもらって、嬉しかったです」
「良かったぁ。母は距離感バグってる人でしたから」
和泉と野原は顔を見合わせる。
「娘も気付いていたのか」と。
「あの事件の後。俺達は、あっと言う間に昇進して今じゃ隊長だもんな。世も末だ」
「最後、ひどい物言いですよ。先輩」
「和泉と同じ境遇になるとは、思いもしなかった」
「私だって。自分でも隊長やるなんて、考えてませんでしたよ」
「どうして隊長になったんですか?」
「私も野原先輩も、じゃんけんで負けたって訳ではないですよ」
「自ら志願した訳でもないがな」
「アハハ」
二人が揃って肩をすくめたのを見て、雛は笑った。
当人達は再び顔を見合わせる。
「あれは準備室から正式に隊になって、今の体制が決定した頃でした。異動とか色々あって、頭数が一気に足りなくなっちゃったんです」
「それで、隊の内情を何も知らない奴よりも『準備室に居た奴の方が良い』って選ばれたのさ」
「ご丁寧に、昇進試験をセットで用意までして。当時の本部もかなり焦っていたんでしょうね」
「だろうな」
「初耳です。お爺ちゃんからも聞いた事なかったな」
「──ほら。着いたぞ」
「あっ」
署の正面玄関前。
外には、フロアから見える位置に警備指揮車が一台停まっている。
『コールサイン・レター』と呼ばれる車両識別表示は、特警2と書かれていた。
「有難うございました、野原先輩。雛さんも」
「気にするな」
「お気をつけて」
「おやっさんにも、宜しく伝えて下さい」
「おう」
「夢の森は施設も人も新しくて、本当に良い環境ですね。ちょっと羨ましいです」
「いいから、早く帰れ。佐野さんに怒られるぞ」
「はーい」
和泉は名残惜しそうに背を向けた。
「──雛さん」
「はい?」
ふと振り返り、雛を呼んだ。
キョトンとしている彼女を、和泉は真っ直ぐな視線で見つめる。
「和泉隊長?」
「雛さん。貴女はこれからも、ご両親の事件で辛くなる事が、沢山あると思います」
「…はい」
「どうか、負けないで下さいね。ご両親にとって貴女は、遺された『新しい星』なんですから」
「星?」
「えぇ。『誇りだ』と慈しんだ二人の、大切な《尊い命の星》です」
そのキーワードに、ハッとなる雛。
胸元のお守りを、ポケットの上からそっと触れた。
「いつか犯人を捕まえる時は、私も全身全霊で貴女に協力します」
「あ、有難うございます!」
「それじゃ。また」
「…ん」
長同士が敬礼を交わし、雛も慌てて加わる。
今度こそ、和泉は帰って行った。
お辞儀をして隊員室に入ってきたのは、雛と似たような背丈の女性警察官である。
制服も同じ、特警隊の見慣れた形。
初めて見る人物なのに、その声には何処か聞き覚えがあった。
「皆さん、お疲れ様です」
「…会うのは久々だな」
「?」
野原だけは見知っているようだ。
「ここで会うのは初めて」と言っているので、この客は夢の森署へ初来訪したと思われる。
何処で会っていたのだろうか。
一部の隊員に興味が募りだす。
「先週は電話だけでしたからね。届け物はウチの副隊長に任せてしまいましたし」
「…あっ!」
「あぁ!!」
隊員達は思い出した。
先週の銀行強盗と下水道逃走事件で、出動の発端となった電話の声の主だ。
この電話を取らなかったら、要請を受理しなければ──
自分たちの知らない地下(あしのした)で、いつの間にか悪魂討伐軍がウロウロしていた事になる。
夢の森署に、何か良くないモノを仕掛けられていた可能性だってある。
「知らないフリしていれば良かった」と言うには、気味が悪過ぎた。
「確か『桜田署の泉野さん』、でしたっけ」
「あの時はそう名乗ってましたね」
「…どう言う事ですか?」
「それは後で説明します。その前に──」
ショートカットの女性は、スッと背筋を伸ばし皆へ敬礼した。
凛々しい瞳には、雛達のような新任特有のたどたどしさとは真逆の目力がある。
「初めまして。私の本当の名は、和泉光(いずみこう)と申します。階級は警部補、第二特警隊の隊長と突入班長を務めております」
「城南の第二隊?」
「はい。遅ればせながら、先日の事件のお礼に参りました」
「警部補?」
「隊長さん?」
雛達は次々に驚いた。
「よく『らしく見えない』って言われます。でも、これは本物です」
「あっ!」
「巡査じゃない」
和泉が指さした、自分の胸元のピン。
左胸元に『第二特警隊』と書かれた、警部補の階級章。
その上にある、特警隊の隊長章だ。
桜の代紋部分の土台と下のリボンが、青色になっていた。
これが第二隊の識別色で、野原が付けている第五隊仕様は浅黄色。
制服の袖先に縫い付けられた水色の一本線も彼と同じで、これも隊長クラスの証。
「特警隊の女性隊長はコイツだけだ。確かに、らしくない」
「…失礼な」
「統括指揮を佐野課長に押し付けて、自分も突入(エントリー)してるじゃないか。もっと自覚を持て」
「佐野さんと同じ事を…。相変わらず意地悪ですね」
「どうせ天邪鬼さ」
野原は冷ややかである。
すっかり拗ねた和泉は、廊下から買い物袋を持ってきた。
ジロリと野原を一瞥する。
「これは隊員の皆さんと、おやっさんに」
「そりゃどうも。俺の分は?」
「…抹茶味のを。後は、いつもの濃いお茶ですが」
「助かる」
彼女は野原の嗜好を把握していた。
浅い付き合いではなさそうである。
「大した物じゃないんですけど、差し入れです。皆さんでどうぞ」
「おぉ、ジュースだ」
「スイーツもある!」
「有難うございます!」
「ご馳走様です!」
皆が一斉に袋へ群がる中、雛だけは和泉に尋ねた。
「おやっさんって、誰の事ですか?」
「あぁ…つい癖で。貴方のお爺様、友江正之助(せいのすけ)警部ですよ。雛さん」
「私を知ってるんですか!?」
和泉は答える代わりに、少し悲しげに微笑んだ。
雛は首を傾げる。
「改めまして。皆さん、先日は突然の申し出にも関わらず協力していただき、本当に有難うございました」
「ん。こっちも色々世話になった」
「おかげさまで、きちんと解決出来ました」
「いやぁ…」
照れ笑いではなく、苦笑いをしたのは勇磨。
それに釣られた御影も、笑って誤魔化した。
若干、周囲の視線が痛い。
和泉は一同を見渡して、早速説明を始めた。
彼女の穏やかな顔が、少しだけ硬くなる。
「私は桜田署員を名乗っていましたが。向こうで動いてたのは、実は第二隊でした」
「…知らなかった」
「あの電話は犯人に盗聴されている可能性が強くて、こちらの動きを探られない為の策でした」
「そんな訳だ。俺が忙しくて、後で説明するの忘れてただけ」
「野原隊長ぉ…」
「そっか。それで先刻は」
「違和感持たれても、仕方ないですよね。現場で使ってた認識コードも、テンプレごと細工した物でしたから」
「そうなの葉月さん?」
「確か、『桜田署組対課の泉野ひかり巡査』になってました。ログ、拾ってみましょう」
第五隊の長二人は事情を知っていたが、最後まで黙っていたので他の皆は知る由もない。
葉月は管制システムへ着席するとキーボードを操作しながら、事件の資料を呼び出した。
星の宮銀行周辺の活動ログにそれがヒットし、IDデータが表示される。
「本当だ」
「この顔写真は、擬態ログ用に後から足したものです。巡査拝命当時のを引っ張ってきたので、恥ずかしいんですが…」
「可愛らしいです」
「顔、辛気臭くないか?」
「野原隊長、それは失礼ですよ」
「うぅ…。本物は、今出します」
システムのセキュリティスキャナーの前まで移動すると、和泉は取り出した自身の警察手帳をかざす。
手早く認証コードを打ち込み、隊員データを呼び出した。
二つのデータが並んで表示される。
本物の役職欄には、やはり『第二特別警察隊長兼突入班長』の文字があった。
「やっぱり辛気臭いな」
「野原隊長っ」
「野原先輩……」
「しかし和泉隊長。盗聴されているとは言え、何故ここまで?」
差し入れのペットボトルを片手に、高井が質問した。
「最もだ」と、和泉は頷いて答える。
「あの事件。黒幕は本隊の手配犯で、実行犯が討伐軍でした」
「本隊のホシが!?」
「全部討伐軍じゃなかったんですか」
「えぇ。本隊が隠密作戦だったので、私達も内密で出る事になったんです」
「だから、スターシーカーに第二隊の出動が表示されていなかったんですね」
「反対派の目もありますから、こっちの出方がバレると非常に面倒で。討伐軍のメンバーは良く逃げる奴らだし、ちょっと大変でした」
「やっと尻尾を出したんだよな」
「はい。日ノ山隊長が危惧していた、足立エリアで摘発から逃げ果せた連中です」
「両隊長。スターシーカーにステルス細工出来るって、ちょっと危なくないッスか?」
「俺の隊長権限を行使すれば、和泉達の行動も追えるようになっていた。鍵をかけたのは本部の判断だ」
事件のあった日。
野原が持ち出したタブレット端末のみ、ロック解除が適用されていた。
高井達が地下潜入組のフォローに入っている間、長としてオフィスで桜田署からの情報を纏める傍ら、一人で確認していた事になる。
黙っていたのは、雛達の苦心を増やさない為の配慮だ。
第二隊の大変さを目の当たりにしているのに、自分が指揮する第五隊の事で手一杯。
後輩である和泉へフォローが出来ないのをもどかしく思っていた事は、彼の心だけに留め置かれている。
「…危惧って言うより、『捕まえられなくて焦ってた』が正解だ。あの人、捜査指揮執るの下手なんだよ」
「元本隊組ですから。仕方ないかと」
「えっ、本隊だった人まで居るんですか!?」
「第一の風杜隊長、第三の日ノ山隊長がそうです」
「第四の歌さんは、俺達とは逆の元捜査班だもんな」
「和泉隊長は?」
「和泉も、俺と一緒の突入班だ。エンカウントは慣れている」
「な?」と野原に視線を向けられた彼女が、微笑みというには硬い顔で答える。
それは困っているようにも見えた。
「星の宮は、三隊しかなかった頃の合同警備協定を結んだままになっている新減災エリアですから」
「この日、第一は訓練で第三は非番でしたね。第四は八王子ですから…」
「臨場要請出すには遠過ぎるんだよな」
「運が悪かったッスね…」
「当番班も、通常より人数少ないですもんね」
「第五も、警備艇が届けば仲間入りだ。もうちょっと待ってくれ」
「船、早く導入されると良いッスね」
「…そんな裏があったなんて」
あの時、和泉率いる第二隊は銀行内に籠城する討伐軍を安全に確保するので手一杯だった。
桜田署の音信途絶事案も同時発生し、突入班を二手に分けてギリギリ対応していた程。
第五隊への応援要請も、その過程で急遽決まった事柄である。
「地下道逃亡犯の事も背負える程、頭数はこちらに無く。発覚した時には既に、『銀行立て籠もり犯と地上の攪乱犯を押さえる為』と応援部隊を使い切っていたんです」
「そんなに居たの!?」
「私達は、地下の二人だけで精一杯だったよね…」
「オレ達がマンホールから出る頃になって、『他の隊が応援でナントカ~』って話を聞いたくらいだからな。地上の情報、少な過ぎたと思う」
「僕らも、マップ作成とか情報纏めたりするので手一杯でしたよね」
「あぁ。こんな大事(おおごと)、初めてだったからな…」
葉月が更にログを漁ると、現場周辺の所轄や交機までが総動員されていた事が判った。
元が銀行強盗と立て籠もり事件なので、本隊の出動は当然だったとしてもだ。
普通の捕り物なら特警隊と機動隊、非常線管理の所轄で事足りる。
立て籠もり事案でも、これにSITが加わる程度。
和泉は、かなりの大事の中に居た。
「エリア警戒レベルが、こんなに跳ね上がってる…」
「知らなかった」
「私達、どうして気付けなかったんだろう」
「桜田署も黒幕からの襲撃に遭っていて、第二が臨場するまで通信が途絶えていました。本隊との連携が無ければ解決出来ない状況だったんです」
「桜田署の襲撃ぃ!?」
「初耳です!」
「黒幕は二人居ました。桜田署に忍び込んだ対象は通信妨害を仕掛けていて、本隊も無線が使えず解除に苦戦したようです」
「警官に偽装してたんだったな。誰かさんが確保しかけた」
「あ、あれは黒幕の情報が全く無かったからです!偽装しても異質なオーラまでは隠しきれていませんでしたし、対策本部に殺意向けてたので…」
「えぇっ⁉」
「何それ、怖っ!」
「地上も大変だったんですね…」
「いえ。皆さんには大変な役目を押し付けた上、ろくにフォローもせず申し訳ありませんでした」
和泉は、丁重に頭を下げる。
報告として訪れた本当の目的は、ここにあった。
「共有(ユニゾン)した報告書のデータで、隊員の負傷と拉致事案があったのを確認しました。体は大丈夫なんですか?」
「大丈夫ッスよ。オレ、ピンピンしてるッス」
「私も!捻挫はもう治りましたから」
「しかし──」
「違う隊なのに、私達の事心配してくださっていたんですね。有難うございます」
「オレも嬉しいッス」
「そういう事だ。和泉も、もう気にするな」
現場でこの情報を得た時、和泉がどれ程肝を冷やした事か。
他の隊の人間でも、彼女にとっては同じ仲間。
益してや雛は先輩の隊の新任だし、個人的な事情もあった。
彼女たちの笑顔を見ても、和泉の心は完全に晴れない。
そんな心境を察してか、野原が飲み物を差し出す。
「心配をかけた」というお詫びも兼ねている。
「これも仕事だし、友江達だって和泉と同じ警察官だ。それに『大変なのは何処も一緒』、だろ?」
「そうですよ」
「そうッス」
「全員逮捕出来て、一件落着したんだから。《終わり良ければ総て良し》だよな、第五隊の諸君?」
「はい!」
野原はおどけて雛達へ同意を求め、彼女達もノリノリで返した。
隊員達は皆ニッコリ笑っている。
その空気は、和泉の心にある焦りと不安を溶かしていった。
「…そう言ってもらえると、助かります」
「和泉隊長も、第二隊の皆さんも。お疲れ様でした」
「お疲れさん」
「有難うございます」
受け取ったペットボトルを抱きしめて、和泉は優しく微笑んだ。
野原がいつもと違う柔らかな視線で彼女を見ていた事は、皆知らない。
和泉が夢の森へ来ていたのは、一時間足らず。
帰る頃には、隊員達とすっかり仲良くなっていた。
「その『腐ったトマト弾』って、用途も広く使えそうで面白そうですね。ウチでも使ってみたいな」
「良かったら、今度お送りしますよ」
「本当に?嬉しいです」
互いの隊の装備や武器の事を熱く語り、情報交換を盛んに繰り広げていた。
他の隊の人間に褒められて、特に開発メンバー二人組はすっかり舞い上がっている。
「それじゃお礼に、ウチの『辛子ネット弾』をプレゼントしますね。バズーカー用ですが、戦技を保有しない捜査班員でも簡単に扱えます」
「…これまた凄そうだな」
「第二の自慢アイテムなんですよ」
「色んな取り組み方があって、面白いですね」
「そう。隊の識別色と同じ数だけ、チームの個性があるんです」
特警隊の装備は、各隊独自でアレンジや開発を行っている。
五つある隊のそれぞれが《負のしがらみ》を捨てて協力し合えば、より安全で的確な任務が行えるのだ。
「じゃあ、それが全部集まったら…」
「きっと無敵よね、あたし達」
「スゴイ事だよな」
「うん」
「ですよね。凄いだけじゃなく、とても素敵な事だと思うんです」
誇り高いが故の警察特有である、署同士のいがみ合いと温度差のあり過ぎる上下関係は、時として重石になっている。
だからせめて、特殊な扱いとして試されている特警隊の中だけでも、互いに『絆』を深めていこう──と。
準備室時代から変わらないその方針を、その夢を、和泉は雛達へ真っすぐに伝えた。
「でも、最後はその武器や戦術を使う者の『知恵と勇気』にかかっています。その事を忘れないで下さいね」
「はい!」
「…さて、と」
和泉は立ち上がった。
「思ったより長居しちゃいました。そろそろ帰らないと」
「もう帰っちゃうんですか?」
「えーっ…」
「これでも、私は隊長ですから。早めに終わらせないといけない仕事も、色々あるので」
「残念です」
「また機会があれば、寄らせてくださいね」
雛と御影は女性同士という事もあるのか、特に和泉を気に入った様子。
当の本人は、困ったような照れ笑いを浮かべる。
「野原警部補、そこの報告書の事で何かあったら連絡して下さい」
「おう」
「それじゃ、お邪魔しました!」
元気良く敬礼して、隊員室を後にした。
「気さくな人でしたね」
「…まぁな。悪いヤツじゃないんだ、和泉は」
「良い人ッス」
「可愛らしいトコロもあると思うけどなぁ」
「ウチの隊長もそうだけど、『隊長だ』って偉そうにしてないってところが良いよね」
「そうよね」
「でも、何で野原隊長はあんなにぶっきらぼうだったんです?」
「それはノーコメント」
「えーっ!?」
「うーん…」
高井の疑問は、もっともだ。
隊員五人が首を捻って腕組みしたところへ、廊下から小声が聞こえてきた。
どうやら、和泉は署内で迷ったらしい。
『あれ、入ってきた玄関どっちだっけ?車何処停めたんだったかな…』
「アイツは…」
城南の隊舎より、夢の森署は建物が大きいし中も広い。
心配していた雛達が無事と判り、緊張が切れた所為もあるのだろう。
わざとらしい大きな溜息を漏らし、野原はデスクから立ち上がった。
「外まで見送ってくる。何かあったら、携帯鳴らせ」
「あっ!私もっ」
雛も後を追った。
「これだからお前は、隊長の威厳が足りんって言ってるんだ」
「すみません」
「……可愛いんだけどな」
「え?何か言いました?」
「何も」
野原の後を、和泉がトボトボと付いて行く。
その姿は、同じ隊長職には見えそうもない。
「春のポジション決めの時は、署内に入らなかったんですよ。なので、まだグラウンドと駐車場しか判らなくて」
「そうだったか。あの時は茶の一つも出さないで、すまなかったな」
「『心配要らない』と『早く帰れ』ばかりでしたからね、…ウザったく思われるのは覚悟の上だったんですが。本部の人達に第五の事を悪く謂われたくなかったので、ついお節介を」
「…悪かったよ」
「──野原隊長、和泉隊長!」
「雛さん?」
「どうした友江?」
雛が二人に追い着いた。
「私にも、お見送りさせてください」
「ん。良かったな和泉」
「はい。有難うございます、雛さん」
しょぼくれた顔から一転して、にこやかになる和泉の顔。
数秒間何かを考えて、それから少しだけ眉を下げて野原に打ち明けた。
「本当に似てますよね。野原先輩」
「ん?」
「雛さんと、瞬菜(ときな)姉さん」
「そうだな。瓜二つで俺も驚いた」
「母の事も知ってるんですか!?」
自分の母の名前が唐突に出てきて、雛は再び驚いた。
「…えぇ。雛さんのご家族や野原警部補と一緒で、私も先駆隊に居たんです」
「!」
「瞬菜姉さんには、色々親切にしてもらいました。誠太班長や、おやっさん達にも…」
「お前だけにじゃない。友江家の三人は、皆に優しかったからな」
「先輩も、ですけどね」
「そうか?俺はどちらかと言うと…」
「?」
和泉は、雛の母にとても可愛がられていた。
あの事件で、殉職者が出るまでは──
「あれから私達、二人共偉くなっちゃいましたね」
「俺達だけじゃない。創設期の生き残りは、大抵隊長か課長クラスになってる」
「長がそろって残党なのは、夢の森だけです」
「まぁな」
「そうなんだ…。全然知らなかった」
雛は唖然としていた。
「当時の私は新人だったので、野原警部補に先輩として組んでもらったんです」
「瞬菜さんにほとんど奪われてたがな」
「姉さんは指導役でしたし、その…」
「母がどうかしたんですか?まさか、和泉隊長に何かしたとか?」
「…いいえ。とても良くしてもらって、嬉しかったです」
「良かったぁ。母は距離感バグってる人でしたから」
和泉と野原は顔を見合わせる。
「娘も気付いていたのか」と。
「あの事件の後。俺達は、あっと言う間に昇進して今じゃ隊長だもんな。世も末だ」
「最後、ひどい物言いですよ。先輩」
「和泉と同じ境遇になるとは、思いもしなかった」
「私だって。自分でも隊長やるなんて、考えてませんでしたよ」
「どうして隊長になったんですか?」
「私も野原先輩も、じゃんけんで負けたって訳ではないですよ」
「自ら志願した訳でもないがな」
「アハハ」
二人が揃って肩をすくめたのを見て、雛は笑った。
当人達は再び顔を見合わせる。
「あれは準備室から正式に隊になって、今の体制が決定した頃でした。異動とか色々あって、頭数が一気に足りなくなっちゃったんです」
「それで、隊の内情を何も知らない奴よりも『準備室に居た奴の方が良い』って選ばれたのさ」
「ご丁寧に、昇進試験をセットで用意までして。当時の本部もかなり焦っていたんでしょうね」
「だろうな」
「初耳です。お爺ちゃんからも聞いた事なかったな」
「──ほら。着いたぞ」
「あっ」
署の正面玄関前。
外には、フロアから見える位置に警備指揮車が一台停まっている。
『コールサイン・レター』と呼ばれる車両識別表示は、特警2と書かれていた。
「有難うございました、野原先輩。雛さんも」
「気にするな」
「お気をつけて」
「おやっさんにも、宜しく伝えて下さい」
「おう」
「夢の森は施設も人も新しくて、本当に良い環境ですね。ちょっと羨ましいです」
「いいから、早く帰れ。佐野さんに怒られるぞ」
「はーい」
和泉は名残惜しそうに背を向けた。
「──雛さん」
「はい?」
ふと振り返り、雛を呼んだ。
キョトンとしている彼女を、和泉は真っ直ぐな視線で見つめる。
「和泉隊長?」
「雛さん。貴女はこれからも、ご両親の事件で辛くなる事が、沢山あると思います」
「…はい」
「どうか、負けないで下さいね。ご両親にとって貴女は、遺された『新しい星』なんですから」
「星?」
「えぇ。『誇りだ』と慈しんだ二人の、大切な《尊い命の星》です」
そのキーワードに、ハッとなる雛。
胸元のお守りを、ポケットの上からそっと触れた。
「いつか犯人を捕まえる時は、私も全身全霊で貴女に協力します」
「あ、有難うございます!」
「それじゃ。また」
「…ん」
長同士が敬礼を交わし、雛も慌てて加わる。
今度こそ、和泉は帰って行った。
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