もう一つの星

 星の宮銀行強盗事件から、一週間後の事。
野原は、あまり見せない不機嫌顔でデスクに着席していた。
…といっても、いつものポーカーフェイスに眉間の皺が一、二本増えただけなのだが。
声音と言動は何も変わらない。
雛は小声で、隣で新聞を読んでいる勇磨に声をかけた。

「ねぇ勇磨。野原隊長、何かあったのかな」
「へ?」
「普段のポーカーフェイスが、何か違うんだよ」
「…そういや」

勇磨が新聞から顔を上げた。
雛の向かいの席で、御影も小声で参加する。

「朝のミーティングやった時は、普通にしてたね」
「いつからだっけ?」
「オレが気付いた頃には、既にあんな顔してた」
「あたしもよ」
「俺達が巡回から戻った後。電話の後だ」

それまで一人黙々と報告書を作成していた高井までもが、助け舟と称して話に乗ってきた。
上司の落ち着かないオーラに、「何か良からぬ事があったのか」と心配している。

「そうそう。何の電話だったのかな?」
「まさか事件とか?」
「それじゃ、俺達にも報告するだろう」
「ひょっとして、奥さん?」
「隊長は独身だ」
「じゃあ彼女とか?」
「前は居なかったぞ」
「出来たっておかしくないわよ。ね?」

真面目な顔で頷くのは御影と勇磨。
「それもそうか」と、高井と雛も相槌を打つ。

「隊長の私生活って、謎ね」
「俺も。半年程一緒に捜査したが、全然知らない」
「高井さんでもそうなんだ」

野原のプライベートは誰も知らない。
それでも、最近になって判明した事はある。

「独身って事以外で、知ってるのは?」
「好きな色がモスグリーン」
「へぇ。他には?」
「タバコは、準備室入った時に止めたんだって。コーヒーより濃い目の緑茶派で、和菓子は『塩大福が良い』だったかな」
「渋めなんだな」
「雛、それ初耳よ」

新たな素性だ。
しかし、話題の当人は冷めた目で見ている。
何がそんなに楽しいのか、と。

「全部聞こえてるぞ」
「…あっ」
「あちゃぁ」
「俺と付き合える物好きは、そうそう居ない」
「あ、アハハ」
「そんなに知りたいか?…そういや、ちゃんとした自己紹介してなかったな」

四人は揃って、固い苦笑いを浮かべている。
野原は手元のタブレット端末から自分の隊員データを呼び出して、壁に備え付けられたモニターに映した。
他人事のように淡々と読み上げる。

「野原竜太。三十二歳独身、階級は警部補」
「おぉーっ」
「写真が不機嫌顔なのは気にしないでくれ。証明写真撮る時に良くあるヤツだ」
「…」
「警察手帳もこの写真だから、出来れば見せたくないんだよ。撮り直したい」

隊員達が口元を押さえ、笑いを何とか鎮めた。
肩の震えで、野原は気付いている。

「役職は第五特別警察隊長兼、突入班長。旧特警隊準備室、通称・先駆隊経験者。当時の担当は突入班で、ポジションはFA(フロントアタッカー)役だった」
「隊長のデータ、ちゃんと見たの初めてかも!」
「ちゃんとというか、まじまじというか…」
「現場じゃ、隊員アイコンをタッチするだけで誰か解るもんな」
「いつも哲君が、誰が何処に居るか教えてくれるのよね」

現場でもシステムを通じて確認出来る、特警隊員の顔写真付きIDデータだ。
その下に表示されるのは氏名と年齢、階級及び役職、性別と血液型。
後のデータは、パスコードを打ち込まないと見られない仕組みである。

「元は八王子署刑事課・強行犯係だ。城南署の組対課へテロ対策の臨時招集で異動したら、何故か準備室にスカウトされた」
「何故かって…」
「友江の父親が準備室と行き来してて、仲良くしてもらってたんだ。そうしたら、いつの間にか俺が準備室入りする事で話が纏まっていてな」
「…父さんってば、もう。恥ずかしいよ……」
「雛のパパさんって面白いのね」
「荷物持ち手伝って準備室へ行ったら、室長に呼ばれていきなりスカウトされた。断れなかった」
「あの人相手じゃ、そりゃ無理ッスね」
「才能無いとスカウトなんてされませんよ」
「そうか?確かに捜査は慣れているが、犯人確保の方が良い」
「カッコイイッス!」
「どっちも出来るんだ…。羨ましいです」

隊長職に選ばれるだけはある。
新任の雛には、眩しい経歴なのかも知れない。

「神奈川県出身。家族構成は官舎で独居、実家に父と母、妹が居る。俺以外は教師だ」
「何故、教師じゃなく警察官に?」
「まぁ色々だ。これも初耳だろう?」
「…すみません」
「自分は、お見かけした事あります」

高井が小さく挙手する。

「あぁ、実家に間違って届いた書類持ってきてもらった時か。妹、俺と似てなかっただろ?」
「隊長はお母さん似だとお聞きました」
「良く言われる。妹は父親似だ」
「おぉーっ!」

高井は、雛達の知らない話を引き出すのが上手だ。
また一つ、好奇心旺盛の声があがった。

「高井には旧八王子エリアのアジト摘発で、色々手伝ってもらったな。助かったよ」
「いえ、生安で抱えてたのと被ってただけですし。色々勉強になりました」
「高井さんも格好良いなぁ。羨ましいだらけだよぉ…」
「雛だってカワイイぞ?」
「あのぉ。隊長」

御影がついに焦れた。
やはり、野原には思いきりバレバレである。

「ん。『どうして不機嫌な顔してた』、だろう?」
「はい」
「今に解かる」

そう言って野原はクルリと背を向け、前髪をかき上げた。
四人が再び、顔を見合わせた時である。

「──ただいま戻りました」
「葉月さん!おかえりなさい」
「おかえりなさい。オレも手伝うッス」
「助かります」

隊員室のドアが開き、買出しで不在だった葉月が帰ってきた。
入り口に近い席の雛と勇磨が、荷物を入れるのに手を貸すが…

「そうだ!野原隊長、お客さんです」
「?」
「……遂に来たか」
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