Starting Moon

 ドーン。
今現在、勇磨の真情を音に表すならこんな感じだ。
仲良し親友コンビの雛と御影が囚われの身である彼を追い、更に高井達地上班も盗聴器を通し、彼女達を追いかけている。
そんな中、勇磨はターゲットの一人と何処か知れぬ下水道の奥を歩いていた。
…といっても、平等ではない。
犯人が右手に旧式改造リボルバーを持っているのに対し、勇磨は先程填められた手錠が両手首にしっかりとかかっている。
更に、ご丁寧に腰に巻かれたロープの先はこれまた犯人の左手に。
当然確保どころではなく、身動きが取れない。
序でに、苦心作のバズーカーは下水に流された。
しかも『人質と犯人』という関係上、いつ殺されるかも知れない状況。
だが、何を思ったのか犯人は身の上話や世間話を始めたのだから、勇磨は堪らない。
まぁ、ただ黙って聞いているのではないが。
これまでの話で『この犯人は吉本と言う名前で、年齢は二十四、五歳』という事が判明した。

(良く喋るなぁ。こいつ)

相槌を打ちながら思った時である。
今度は、犯人が勇磨に質問をしてきた。

「──って。…あ、そういえばお前、名前何て言うんだ?」
(げ…)

こう云う状態の時、素直に本名を言う人は一体何人居るのだろう。
勇磨は一瞬考えた。
そして、吉本がもう一度その質問を言う前に答えた。

「…『高井』だ」
「そうか、高井って言うのか。俺の友達にも居るぞ、同じ苗字の奴」
「へ…へぇ」

かくして、犯人吉本と人質警察官・偽高井の舞台は幕を開けた。
懐の警察手帳を見られてしまえば、本名なんて直ぐに知れると何故気づかなかったのか。
勇磨が激しくそう後悔するのは、大分後になっての事だ。


 「そう言えばさぁ、雛。今何時?」

相変わらず我道を行くが如く、地図を片手にズンズン歩いていた御影。
体内時計が煩いのに気付いた。
それは昼食の時間を報せている。

「えっとね。今、十五時を少し回ったところだよ」
「もうそんな時間なのね。じゃあ、ちょっと遅いけどお昼にしよっか」
「え、お弁当持ってきてたの!?」
「うん。この中に…」
「え゛っ⁉」

雛が停止するのも無理はない。
御影が「この中」と言ったのは、バズーカーの事だからだ。

「細長い物なら、入れても大丈夫かなーって思ってさ」

間抜けな音を立てて蓋が外れる。
中から、豪勢にフランスパン一本を丸ごと使ったサンドイッチが出てきた。

「匂い、ついてなきゃ良いけどねぇ」
「…何の?」

御影は携帯工具箱から小型ナイフを取り出し、包んであるラップを捲くる。
下水道内に昼食を取れる所なんて、ある訳がない。
雛は諦めて通路に腰を下ろした。

(ココで食べるんだよね。仕方ないとはいえ…)
「うん、新作の銃弾。バズーカー用の」

『新作の銃弾』イコール、『腐ったトマト弾+α』!
咄嗟に脳裏に過ぎった単語が、雛の心に亀裂を入れる。
これもまた、PTSDと呼べる症状だろうか。

「い…、い、いやぁぁ!!」
「?」

実の赤色とヘタの緑色が、脳内でマーブルになった。

「…う。気持ち悪い」
「何、一人芝居してるのよ」

口を手で覆い、青褪めた顔。
それでも「かつての事故を封印した心の扉だけは、絶対に開けてなるものか」と葛藤している。
今は任務遂行中だ。
仲間も救出しなければならない。
御影から見れば、相棒が突然絶叫したかと思うとすぐに視線を伏せ、『姑に苛められている嫁』のような影を纏いだした。
不思議な光景であった事には違いない。
半分に切って、片方を雛に勧める。

「ほら」
「…いい」

頭の中でマーブルがドロドロと円を描きながら混ざり合い、茶色になってもそれが消えてくれない。
ナイーブな雛である。
断るのが精一杯であった。

「今食べないと。今度はいつ食べられるか、解らないわよ?」

確かに御影の言う通りだ。
昨夜一気にシュークリームの食べ過ぎで具合が悪くなった雛は、その日の夕食も今朝の朝食もオレンジジュース一杯しか飲んでいない。
ダイエット中みたいなメニューで、それなりに腹も空いている筈である。

…だが、しかし。

場所は幾ら『いつも綺麗で皆も笑顔』というキャッチフレーズがあっても、下水道である事には変わりない。
頭の中の赤と緑をクリスマスカラーと思えば、気分も変わるだろう。
が残念な事に唸りを上げているのは、混ざって茶色い下水道のイメージでしかないのだ。
益してや、《腐ったトマト弾》なんて代物をこの世に誕生させた生みの親が作った、食べ物なのだろうから。

「食欲無い」
「…ふーん。これが、『さんまるく』の特製サンドだったとしても?」
「え?」

それは、警察学校の近くにあったちょっとリッチなパン屋である。
オーナーが御影の祖父の友人であった為、二人はとても親切にしてもらった。

「それ、さんまるくのなの?」
「そうよ。昨夜ね、ちょっと夜食買いに車飛ばしたのよ。おじさんにも会いたかったし」
「おじさん、元気だった?」
「うん。黒猫のサクラもね」
「そっか」

忘れていた訳ではないが、セピア色の思い出は蘇ると心が温かくなる。
そして、何だか優しい気持ちになれるのだった。

「食べるでしょ?特製サンド」
「勿論」

半分を受け取り、雛はやっと笑った。


 「腹、減ったなぁ」
「そうッスね」

同時刻、吉本と勇磨は互いの腹の音を響かせながら歩いていた。
何処へかは未だ判らないが、上流に向かっている事は確かだ。

「…まぁ、もう少しで終わるし。我慢するか」

吉本との会話をずっと適当に返し、流してきた勇磨。
が、今の言葉には引っ掛かりを感じる。

(もう少しで終わる、だと?)

人質とはいえ、警察官に向かってそんな事言うだろうか。
吉本の言い方からすると、この逃走劇は本当に「もう少しで終わり」のようである。

(──おかしい)

これは現金強盗事件なのだ。
犯人にとっても奪った現金が処理されるまでそれは続くだろうし、心理も落ち着かなく不安定になるものだ。
対して吉本は、肝心のそれを所持している様子が全く見られない。
一体、何に対しての『終わり』なのか。
勇磨は考えを巡らせ、無謀とも取れる質問を投げてみる。

「…あのぉ。それじゃあ、オレは後どれ位経ったら帰れるんスかね?」

この台詞は、タブーだ。
『確実に生還出来る』という確信がなければ言えない。
それに、犯人をある意味侮辱するのと同じである。
彼がわざとそう言ったのには理由があり、賭けでもあった。

(これは賭けだ。さぁ、どう出る?)
「ん?…そうだなぁ、後五時間位じゃないの?」

吉本は欠伸をしながら時間を確かめ、そろそろ夕方だと呟いた。
その言動で勇磨は気付く。

(やっぱりな。…早く気付いてくれ!雛、蔵間!!)


「ねぇ。何かおかしいと思わない?」
「何が?」

遅い昼食の後、その場で地図を広げていた最中である。
御影が引っ掛かりを感じた。

「この地図見ても判ると思うけど。あたし達は今まで、犯人が下流の方へ逃げていると仮定してたでしょ」
「うん」
「で、海に通じる箇所を攻めていったじゃない?」
「そうだね」

冷静な御影の声に、雛は地図から視線を移し彼女の顔を盗み見た。
数時間前。
親友が狙撃された事に逆上して、即席インカム爆弾を作って対抗。
「外部の命令は要らない」と、インカムを下水の中に放り投げた。
明らかに激情していると思われた彼女が、ここまで冷静に分析していたとは。
警察官としては当然なのかも知れないが。
意外としか思えない。

「だけどさ。犯人の足跡どころか、志原の奴何も残してくれてないじゃない?」
「うん。勇磨なら、きっと何か手掛かり残すよね」

しかし、それが今まで無かった。

「って事は、『犯人は下流に逃げていない』って断定しても良いでしょ?」
「そうなったら…」
「そう。上流の方では、ウチの署や桜田署だって網張って待機してるじゃない。なのに、もしこれが当たってるとしたら──」
「ちょっと待って」

雛は、ある事を思い出した。

「ねぇ御影」
「ん?」
「桜田署から電話が来る前に無線機で拾ったあの声って、何処から何処へ送ったものだったんだろう?」

地上だけなら、かなりの確率で検問や警邏で発見出来る筈だ。
彼らが使う無線を、特警隊は傍受出来たのだから。

「関係してるのは確かなのよね」
「うん」

これにもまた、引っ掛かりを感じる。
情報が足りずあやふやな部分に、短気な御影は歯痒さを感じた。
こんなに冷静に分析してるにも関わらず、次に取るべき行動の方向が定まらない。
…これも、普段の勝気で通信を遮断した所為なのだが。
胸元から高井に貰った守り袋を取り出し、八つ当たりする。

「もう!こんなもの持ってたって、やっぱり何の役にも立たないじゃない!!」
「御影、それに当たらなくても…」

雛が苛立っている親友をなだめようとした時、不意にこの場には居ない筈の者の声が聞こえた。

『──悪かったな。役に立たなくて』
「な…、た、高井さん!?」

逸早く反応したのは御影。

『大体、インカム下水に投げ込んだりするからこんな事になるんだぞ。そこを解ってるか?』
「インカム捨てるのも、高井さんの計算に入ってたって訳?」
『俺は何かの弾みで壊すかも知れないからと思って、保険代わりにしてたんだが』
「…って事は。もしかしなくても、今までの行動は全部バレまくり?」

御影の顔から血の気が失せていく。

『勿論。…と言いたい所だが、この事知ってるのは俺と葉月だけだ』
「奢るっ!この事件片付いたら何でも奢るから、隊長だけには!!」
『…考えておく』

冷や汗をかきながらも、拝み倒す勢いの説得が成功し、御影は安堵の溜息を吐く。
やっと、こちらを不思議そうに見つめている雛に、気が付いた。

「それ、会話出来るんだ」
「ん?」


 高井が通信を終えたところへ、葉月が湯飲みを持ってやって来た。

「あれって、盗聴だけじゃなかったんですね」
「あぁ。何たって、志原がこの前改造したって言う盗聴器を兼ねた通信機なんだから」
「成程」

高井は茶を啜ってから席を立ち、葉月に礼を言った。

「葉月。悪いがオフィスへ戻って、隊長に『準備が出来た』って伝えてくれないか?」
「高井さんはどちらへ?」
「俺はこっちに向かってる桜田署の人と合流して、夢の森での逃走ルートを確定してくる。地図はあっても、土地勘とか足りないだろうし」
「それなら、捜査班か情報班を同行させた方が良さそうです。あちこちで広域応援部隊が動いていますから、正式に第五隊の情報網とリンクを張れる人を置かないと」
「支援?広域が動いてるって事は、そんなに重大なのか?」
「はい。一部の情報は錯綜しているんですが、どうやら第二隊も出張っているようです」
「分かった、声をかけてみる。ついでに、夜食も買っておくよ」
「了解です。それじゃあ、集合場所は花林(かりん)中央公園にしますか」
「ん。二人にもそう言ってあるから」

素早く身支度を整える。
後を頼んで、高井は隊員室を出て行った。


 「よしよし、よーしっ!」

走りながら、御影はガッツポーズを決める。
時刻は十六時二十一分。
意外な所から情報を得た二人は、それを力の源に勢い良く走っていた。
…約十分後に、脱落者が出るまでは。

「ま…、待ってよ御影」
「もう、それでも警察官なの!?雛っ」

昼食の直後で、「全力疾走で、そのまま持久走しろ」と言う方が間違っている。
そして雛は短期スピード型なので、持久が必要となる長期戦は苦手だった。
雛は深呼吸で回復してから、屈んでいた体勢を直す。

「ねぇ。マンホール、後いくつ見て回るの?」
「三つ。…なんだけど、何か変なのよね」

御影は首を傾げた。
地上のユニットは盗聴器改め《お守り無線機》で、次のように話していた。


『犯人が、海を目指して逃走していないとなると。もしかしたらまだ主犯格は、地上に居る可能性がある』
『何しろ犯人は、地上と合わせて全部で五人だ。引き続き、追跡と志原救出を頼む』
『地上は心配要りませんよ。広域支援や他の隊からも、沢山出張ってますから』

目撃証言も乏しく、奪われた現金の行方が未だ解らない。
待機中の他隊が出動したなら、今すぐ下水道捜索班も増員して欲しいところだが。
生憎、不満と愚痴を溢す暇はないので、それだけは飲み込んだ。


「変って、何が?」
「『後三つ』ってのが、おかしいのよ」

地図を広げた雛に、御影は現在位置とその残りの三箇所を指差した。

「逃走ルートにしては、距離がないって事?」
「それもあるけど…。良く考えると、これってダミーじゃないかと思わない?」
「陽動って事か!」
「そう。主犯格が逃走し終わるまでの時間を、こっちを囮にして稼ぐみたいな」
「きっとそうに違いない。でも、報告するにも立証する手立てがないよ」

悔しそうに唸る雛。
何故かニヤリと笑う御影。

「──確かめてみる?」
「何を?どうやって?」

突然妙な事を聞かれ、雛は困惑した。

「犯人が、私達がこれまで行ったマンホールには来ていないって事」
「…え?」
「じゃーんっ!」

御影は自信たっぷりに、レインコートのポケットから警察手帳位の大きさのカード状の物を取り出した。
右上の赤いボタンを押す。

「何それ?」
「良くぞ聞いてくれました。こんな時もあろうかと作っておきました、題して『犯人来たら教えてねマシーン』よっ!!」
「は…?」
「ま、要は単なる発信機つきセンサーなんだけどね。これの前を通った人の体温に反応して、報せてくれるのよ」

キョトンとしている雛に、これも優れ物だと豪語する。

「今まで回ってきた箇所には全部付けてきたんだけど、気が付かなかった?」
「全然。知らなかったよ、そんな事…」

雛は首を振る。
今の今まで彼女は、『御影は逆上したまま、キレまくっている』と思い込んでいたのだから。

「だって。御影怒ってると思って…恐かったんだもん」
「ハァ?」
「その、黙って付いていくしかないって」
「あのねぇ…。まぁ、いいわ」

むしろ怒りが最高潮に達し、逆に頭が冴えたパターンなのかも知れない。

「で。もし誰かが通ったら、その番号のランプが点灯して音も鳴ってくれるんだけど」
「どうだった?」
「全く反応は無かったわ」
「壊れてるとかじゃないよね?」
「受信エリアから外れてないし、大丈夫よ。ちなみに、何処が何番かはちゃんと地図に書いてあるわ」

と人差し指を得意そうに立てて、御影はいかにも怪しい笑みを浮かべた。

「ついでに、もしも発信機が作動した時の為に。とっておきのオプションを、付けておきました!」
「…」

ちょっと待て。

「…オプション?」
「それは、作動してからのお楽しみって事で」
(絶対、何か大変なモノ付けたな)

彼女がこんな、魔王クラスの笑みを浮かべた時。
大抵なんてものじゃなく絶対的に開発者本人にはバラ色、周囲と被害者にはドロ色の何かが待っている。
ちっとも尋常じゃない物だというのは、経験上とても良く理解している。

(その何かっていうのが、解らないんだよね。いつも)
「生憎、発信機は後二つしかないんだけど。…何とかなるでしょう!」
「えっ⁉」

…今彼女は、大変な事をサラリと言ってのけた。
しかし、いつも何だかんだ言っても最後は何とかなっている。

「ここまできたら、もう一蓮托生だよね…」
「じゃあ行こうか、雛」
「りょ、了解」

こうして二人は再び走り出した。
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