Starting Moon
絶えず水の音が、下水道の小さなトンネルで響いている。
その情景を横目で見ながら、雛は小さな溜息を吐いた。
「私、下水道って汚い水の中歩くと思ったんだけど。ちゃんと通路付いてるんだね」
「オレも」
「そうね」
「…肝心の犯人は、まだ見つからないけど」
もう、一時間近くなるだろう。
三人はここに入ってから、未だ犯人のはの字も見付ける事無く。
薄暗く狭い道を、ただ歩いているだけだ。
インカムから葉月の声が飛び込んできた。
『桜田署からの情報によると、犯人は男二人なんですが。もう誰かと、遭遇(エンカウント)しました?』
「それが全然、まだなん──」
勇磨が応答しながらふと前方を見たとき、一瞬何かが光った。
その直後、水音に混ざって乾いた音が御影と勇磨の耳元を掠める。
途端に頭を押さえて、しゃがみ込む雛。
「痛っ…」
「雛っ!」
「どうしたの!?」
御影が素早く駆け寄り、雛が被っていたレインコートのフードを脱がせる。
すぐに、インカム本体に穴が開いているのを発見した。
「あ…」
(かなり、銃の扱いに慣れてる奴が居る)
多分これに使った銃は、この破壊力からして普通の銃器ではなく旧式のリボルバータイプの物を改造したものだろう。
弾も然り。
サイレンサーを付けていた所為で、発射音や位置をシッカリ特定出来なかったと思われる。
御影は雛から破損したインカムを外し、そこに座り込んだ。
一方で勇磨は、今起こった状況を本部へ報告している。
雛は自身の怪我のチェックをしながら、破損した物をいじっている御影を不思議そうに見つめた。
「…何してるの?」
「宣戦布告の準備」
「蔵間?」
御影は、いつも持ち歩いている携帯用の工具セットを広げていた。
工具で引き出した線を切り、銅線を接触させてみる。
それが火花を飛ばすのを見て、
「バッテリーはまだ生きてるわね」
「水気の多い所で、そんな物いじるなよ…」
口元だけ笑みを作りながら、ポケットから黒い粉末の入った小袋を取り出し穴の中に入れた。
「よし、完成っ」
「?」
どう見ても、破損箇所を修理したようには見えない。
工具を片付け立ち上がり、インカムの穴から取り出して加工した銃弾をエアガンへ装填する。
「雛は耳塞いでてね」
「?…解かった」
「志原。先刻の犯人がいた方向って、正面?」
「ああ」
「了解。二人共、下がって!」
勇磨の返答の直後に、細工したインカムを思い切り正面へ投げる。
遠く飛んでいったそれを的に、トリガーを引いた。
次の瞬間、爆発が起きた。
「…鬼ごっこの始まりね」
赤々と燃える火玉を睨みながら、御影はほくそ笑んだ。
闘志を滾らす御影の後ろで、勇磨は答えを求めようと相棒へ振り向く。
「アイツ、あんなキャラだったっけ?」
「…」
が、雛は何故か両耳を必死に押さえていた。
銃声を体内へ入れないようにしているかの如く。
その為彼の声は聞こえなかったのだが、何か問いかけているのに気付き、顔を上げた。
「…どうした?」
雛はそれに答えず、寂しげな笑顔を見せただけ。
勇磨が事情を知るのは、もっと後になってからである。
銃器で武装した凶悪犯を相手にするのは、彼らにとって普通の任務。
刻々と進む時につれて事件も凶悪化していく中、試験的に設立された特別警察隊は与えられた特性を駆使し、数々の事件を解決していった。
つまりメリットなのだが、その一例として御影と勇磨が半ば趣味でやっている『武器の改造』がある。
普通の警察官が賄いきれない事件を担当する為、特例として許可されているのだ。
先程御影が犯人に威嚇する為に使用したエアガンや、勇磨が背負っているバズーカーがそれである。
しかしそれだけに留まらず、連携している本庁装備開発課のお陰で、何処よりも早く新製品を使用する事が出来る。
その為か、特警隊を未だにモルモット呼ばわりしている者達も居た。
…兎に角、組織と人員に必要なモノが何処よりも整った上に事件もトントン拍子で解決しているので、『未来(のち)の警察のモデル像』と言えるのかも知れない。
特警隊本部長は、それを売り込んでいる節もあった。
さて、雛達は。
景気付けに犯人へ銃をぶっ放し、もとい雛が犯人の発砲に遭ったのに怒り、破損したインカムで即席爆弾を作り報復した御影。
その後どうしたかと言うと、自分のインカムを下水の中へ落とした。
「あ」
「⁉」
背後で見ていた雛の視線は、水の中へ沈み行くインカムを追っている。
勇磨も水音に気付き、御影へ振り向く。
「蔵間、お前何やって…」
『どうかしたんですか、志原君?何かあったんですか?』
信じられないという顔をした彼は、少しノイズが混ざった葉月の声に答えようとした。
しかし、そのこめかみに冷たい感触と良く知っている物がそっと当たる。
言葉は封じ込まれた。
それは日頃お世話になっている、エアガンの銃口。
「言う訳ないわよねぇ。志原巡査?」
「…はい」
「宜しい」
御影はエアガンを仕舞うと、あろう事か勇磨のインカムも下水の中へダイビングさせた。
下水は、二つのそれを嬉しそうに飲み込んでいく。
「インカムが下水に流れたって、『全損』って書けば良い事だし。…何より、これで上からの命令は聞こえないわ」
そうよね、と御影は楽しそうに雛へ同意を求める。
振り返ったその時、それが合図であったかのようにあらゆる電気がフッと消えた。
ブレーカーが落とされたらしい。
「──っ!?」
「あれっ?」
ただ広がる闇の中、悲劇は始まった。
雛の第一声に続き、御影の声と銃の安全装置が外される音が響く。
「犯人もやるわね」
「どうしたんだろう?…あれ、点いた」
再び雛が声を発した時、電気が点灯する。
消えていたのは一分にも満たなかった。
「ん?」
状況を確認する雛の視界に、先ず御影が映る。
そして…、それで終わり。
「どうやら、志原は拉致されちゃったようね」
「…えぇっ!?」
余りにも御影が普通に述べたので、重大さに驚くのが一瞬遅れてしまった雛。
「うん」なんて頷いてしまったではないか。
怒る親友へ、御影は面倒臭そうに言い放つ。
「まぁ良いじゃん。何か起こるのなんて、いつもの事だし」
「これがいつもの事な訳ないでしょ!」
足元に落ちていた勇磨のエアガンを回収し、雛へ渡した。
「まぁまぁ。これで、雛も遠距離攻撃OKだね」
「私、銃の扱い苦手だって──」
「それじゃあ、行ってみよう!」
「…もう駄目だ。これは」
雛の他にも、同じ事を呟いた者が居る。
黙ってヘッドフォンで、盗聴器から流れる今までの事柄を全て聞いていた高井であった。
「志原が犯人に拉致されたらしい」
「えぇっ!?」
葉月も驚く。
「何か、楽しそうにやってるみたいだ」
「はぁ…?」
やはり、盗聴器を仕込んだ守り袋を渡して正解であった。
眉間に皺を寄せたまま、高井は深い溜息を漏らす。
(全く、人の気も知らずに。…蔵間もやってくれるよな)
一方。
課長室で、友江正之助(ともえせいのすけ)は咳払いをした。
湯飲みに残っている茶を、一気に啜る。
(…暇だ)
窓に映るいかにも平々凡々、事件なんて起こりそうもない平和そうな空。
雲一つなく、明るい日光が注いでいる。
(テレビでも観るか)
正之助はテレビの電源を入れた。
声と映像が次々と部屋を埋めていく中で、彼はニュースに釘付けになる。
一瞬、見覚えのある顔が映った気がした。
「ん?あれって、もしかして…」
『──今から約二時間前に起こった、ここ星の宮銀行での強盗事件ですが』
「!」
『現金を受け取ったかは不明ですが。犯人の仲間は、夢の森埋立地の下水道へと…』
「何ぃっ!?」
何て事だ。
事件は文字通り、足元まで迫っていたのか。
慌ててテレビを消し、隊員室と繋がるドアを開けた。
その向こうではきっと…
「課長。どうかなさいましたか?」
声を掛けてくれたのは、野原のみ。
しかし、何故か正之助はドアを開けたままの姿で停止していた。
「…」
(いや。これは少し、期待し過ぎたのかも知れない)
彼は扉の向こうに何処かのドラマで出てくるような、殺気立った空気を期待していたのだ。
だが、現在の隊員室の状況を言葉にすると
『かぽーん』
この一言なのである。
何故第五特警隊は、所轄範囲内で事件が発生したにも関わらずいつもと変わりないのだ、と。
「…今、テレビで銀行強盗のニュースを観たんだが」
「あぁ、あれですか。それに対しては既に応援要請を受理して、出動させました」
課長宛と書かれた資料と書類をまとめながら、野原は説明する。
「いつもの三人が」と付け加えた。
「何故、私に報せなかった?」
「いえ。課長室へ報告に伺ったのですが、お手洗いへ行っているようだったのでメモを残しておきました」
「…」
その時、正之助の脳裏にある映像が再生された。
あれは確か、今朝と言うには少し遅いかと思う位の時間。
トイレで用を足して帰ってきたのは良いがハンカチを忘れて、困って部屋に戻りたまたま卓上にあった白い物で手を拭いた。
そのまま確かめもせず、ゴミ箱へ捨てたのを思い出したのだ。
「…そうか」
正之助はその中には入ろうとはせず、課長室へと戻る。
野原は集めた資料のコピーを抱え、すっかり意気消沈した上司を慌てて追った。
「待って下さい課長。桜田署からこんなに資料が」
「…」
「ですから。話を聞いてくださいって」
「ちょっと待ってよ!」
その頃。
意気揚々と先頭きって突っ走る御影の右腕を、雛は思い切り掴んでいた。
「どしたのよ。何か質問でもあるの、雛?」
「勇磨が拉致されたって…」
「何?志原の事、そんなに心配なんだ?」
と、「好きだからでしょ」という意地悪なニュアンスたっぷりで言った。
「私は相棒として、当然の事をしてるだけで。そんなんじゃ…」
「ほぉぉ?」
当然、その答えに雛は否定すると予め睨んでいた。
志原には気の毒な事だが。
優しい親友の為に、御影は即行で組み立てた台詞を言う。
「大丈夫よ、志原は馬鹿だけど簡単に死んだりしないって。そんなに大事(おおごと)に考えないの」
どこだかの御曹司でもないし、と敢えて言わなかったのは
一、親友の為
ニ、もし勇磨がそうだったらと想像して吹き出しそうになった為
なのか、正解は秘密にしておこう。
ちなみに彼の実家は、とある輸入商品を扱う会社を営んでいるらしい。
一家経営なので、当たっているのではないだろうか。
「それじゃ、行こうか」
その情景を横目で見ながら、雛は小さな溜息を吐いた。
「私、下水道って汚い水の中歩くと思ったんだけど。ちゃんと通路付いてるんだね」
「オレも」
「そうね」
「…肝心の犯人は、まだ見つからないけど」
もう、一時間近くなるだろう。
三人はここに入ってから、未だ犯人のはの字も見付ける事無く。
薄暗く狭い道を、ただ歩いているだけだ。
インカムから葉月の声が飛び込んできた。
『桜田署からの情報によると、犯人は男二人なんですが。もう誰かと、遭遇(エンカウント)しました?』
「それが全然、まだなん──」
勇磨が応答しながらふと前方を見たとき、一瞬何かが光った。
その直後、水音に混ざって乾いた音が御影と勇磨の耳元を掠める。
途端に頭を押さえて、しゃがみ込む雛。
「痛っ…」
「雛っ!」
「どうしたの!?」
御影が素早く駆け寄り、雛が被っていたレインコートのフードを脱がせる。
すぐに、インカム本体に穴が開いているのを発見した。
「あ…」
(かなり、銃の扱いに慣れてる奴が居る)
多分これに使った銃は、この破壊力からして普通の銃器ではなく旧式のリボルバータイプの物を改造したものだろう。
弾も然り。
サイレンサーを付けていた所為で、発射音や位置をシッカリ特定出来なかったと思われる。
御影は雛から破損したインカムを外し、そこに座り込んだ。
一方で勇磨は、今起こった状況を本部へ報告している。
雛は自身の怪我のチェックをしながら、破損した物をいじっている御影を不思議そうに見つめた。
「…何してるの?」
「宣戦布告の準備」
「蔵間?」
御影は、いつも持ち歩いている携帯用の工具セットを広げていた。
工具で引き出した線を切り、銅線を接触させてみる。
それが火花を飛ばすのを見て、
「バッテリーはまだ生きてるわね」
「水気の多い所で、そんな物いじるなよ…」
口元だけ笑みを作りながら、ポケットから黒い粉末の入った小袋を取り出し穴の中に入れた。
「よし、完成っ」
「?」
どう見ても、破損箇所を修理したようには見えない。
工具を片付け立ち上がり、インカムの穴から取り出して加工した銃弾をエアガンへ装填する。
「雛は耳塞いでてね」
「?…解かった」
「志原。先刻の犯人がいた方向って、正面?」
「ああ」
「了解。二人共、下がって!」
勇磨の返答の直後に、細工したインカムを思い切り正面へ投げる。
遠く飛んでいったそれを的に、トリガーを引いた。
次の瞬間、爆発が起きた。
「…鬼ごっこの始まりね」
赤々と燃える火玉を睨みながら、御影はほくそ笑んだ。
闘志を滾らす御影の後ろで、勇磨は答えを求めようと相棒へ振り向く。
「アイツ、あんなキャラだったっけ?」
「…」
が、雛は何故か両耳を必死に押さえていた。
銃声を体内へ入れないようにしているかの如く。
その為彼の声は聞こえなかったのだが、何か問いかけているのに気付き、顔を上げた。
「…どうした?」
雛はそれに答えず、寂しげな笑顔を見せただけ。
勇磨が事情を知るのは、もっと後になってからである。
銃器で武装した凶悪犯を相手にするのは、彼らにとって普通の任務。
刻々と進む時につれて事件も凶悪化していく中、試験的に設立された特別警察隊は与えられた特性を駆使し、数々の事件を解決していった。
つまりメリットなのだが、その一例として御影と勇磨が半ば趣味でやっている『武器の改造』がある。
普通の警察官が賄いきれない事件を担当する為、特例として許可されているのだ。
先程御影が犯人に威嚇する為に使用したエアガンや、勇磨が背負っているバズーカーがそれである。
しかしそれだけに留まらず、連携している本庁装備開発課のお陰で、何処よりも早く新製品を使用する事が出来る。
その為か、特警隊を未だにモルモット呼ばわりしている者達も居た。
…兎に角、組織と人員に必要なモノが何処よりも整った上に事件もトントン拍子で解決しているので、『未来(のち)の警察のモデル像』と言えるのかも知れない。
特警隊本部長は、それを売り込んでいる節もあった。
さて、雛達は。
景気付けに犯人へ銃をぶっ放し、もとい雛が犯人の発砲に遭ったのに怒り、破損したインカムで即席爆弾を作り報復した御影。
その後どうしたかと言うと、自分のインカムを下水の中へ落とした。
「あ」
「⁉」
背後で見ていた雛の視線は、水の中へ沈み行くインカムを追っている。
勇磨も水音に気付き、御影へ振り向く。
「蔵間、お前何やって…」
『どうかしたんですか、志原君?何かあったんですか?』
信じられないという顔をした彼は、少しノイズが混ざった葉月の声に答えようとした。
しかし、そのこめかみに冷たい感触と良く知っている物がそっと当たる。
言葉は封じ込まれた。
それは日頃お世話になっている、エアガンの銃口。
「言う訳ないわよねぇ。志原巡査?」
「…はい」
「宜しい」
御影はエアガンを仕舞うと、あろう事か勇磨のインカムも下水の中へダイビングさせた。
下水は、二つのそれを嬉しそうに飲み込んでいく。
「インカムが下水に流れたって、『全損』って書けば良い事だし。…何より、これで上からの命令は聞こえないわ」
そうよね、と御影は楽しそうに雛へ同意を求める。
振り返ったその時、それが合図であったかのようにあらゆる電気がフッと消えた。
ブレーカーが落とされたらしい。
「──っ!?」
「あれっ?」
ただ広がる闇の中、悲劇は始まった。
雛の第一声に続き、御影の声と銃の安全装置が外される音が響く。
「犯人もやるわね」
「どうしたんだろう?…あれ、点いた」
再び雛が声を発した時、電気が点灯する。
消えていたのは一分にも満たなかった。
「ん?」
状況を確認する雛の視界に、先ず御影が映る。
そして…、それで終わり。
「どうやら、志原は拉致されちゃったようね」
「…えぇっ!?」
余りにも御影が普通に述べたので、重大さに驚くのが一瞬遅れてしまった雛。
「うん」なんて頷いてしまったではないか。
怒る親友へ、御影は面倒臭そうに言い放つ。
「まぁ良いじゃん。何か起こるのなんて、いつもの事だし」
「これがいつもの事な訳ないでしょ!」
足元に落ちていた勇磨のエアガンを回収し、雛へ渡した。
「まぁまぁ。これで、雛も遠距離攻撃OKだね」
「私、銃の扱い苦手だって──」
「それじゃあ、行ってみよう!」
「…もう駄目だ。これは」
雛の他にも、同じ事を呟いた者が居る。
黙ってヘッドフォンで、盗聴器から流れる今までの事柄を全て聞いていた高井であった。
「志原が犯人に拉致されたらしい」
「えぇっ!?」
葉月も驚く。
「何か、楽しそうにやってるみたいだ」
「はぁ…?」
やはり、盗聴器を仕込んだ守り袋を渡して正解であった。
眉間に皺を寄せたまま、高井は深い溜息を漏らす。
(全く、人の気も知らずに。…蔵間もやってくれるよな)
一方。
課長室で、友江正之助(ともえせいのすけ)は咳払いをした。
湯飲みに残っている茶を、一気に啜る。
(…暇だ)
窓に映るいかにも平々凡々、事件なんて起こりそうもない平和そうな空。
雲一つなく、明るい日光が注いでいる。
(テレビでも観るか)
正之助はテレビの電源を入れた。
声と映像が次々と部屋を埋めていく中で、彼はニュースに釘付けになる。
一瞬、見覚えのある顔が映った気がした。
「ん?あれって、もしかして…」
『──今から約二時間前に起こった、ここ星の宮銀行での強盗事件ですが』
「!」
『現金を受け取ったかは不明ですが。犯人の仲間は、夢の森埋立地の下水道へと…』
「何ぃっ!?」
何て事だ。
事件は文字通り、足元まで迫っていたのか。
慌ててテレビを消し、隊員室と繋がるドアを開けた。
その向こうではきっと…
「課長。どうかなさいましたか?」
声を掛けてくれたのは、野原のみ。
しかし、何故か正之助はドアを開けたままの姿で停止していた。
「…」
(いや。これは少し、期待し過ぎたのかも知れない)
彼は扉の向こうに何処かのドラマで出てくるような、殺気立った空気を期待していたのだ。
だが、現在の隊員室の状況を言葉にすると
『かぽーん』
この一言なのである。
何故第五特警隊は、所轄範囲内で事件が発生したにも関わらずいつもと変わりないのだ、と。
「…今、テレビで銀行強盗のニュースを観たんだが」
「あぁ、あれですか。それに対しては既に応援要請を受理して、出動させました」
課長宛と書かれた資料と書類をまとめながら、野原は説明する。
「いつもの三人が」と付け加えた。
「何故、私に報せなかった?」
「いえ。課長室へ報告に伺ったのですが、お手洗いへ行っているようだったのでメモを残しておきました」
「…」
その時、正之助の脳裏にある映像が再生された。
あれは確か、今朝と言うには少し遅いかと思う位の時間。
トイレで用を足して帰ってきたのは良いがハンカチを忘れて、困って部屋に戻りたまたま卓上にあった白い物で手を拭いた。
そのまま確かめもせず、ゴミ箱へ捨てたのを思い出したのだ。
「…そうか」
正之助はその中には入ろうとはせず、課長室へと戻る。
野原は集めた資料のコピーを抱え、すっかり意気消沈した上司を慌てて追った。
「待って下さい課長。桜田署からこんなに資料が」
「…」
「ですから。話を聞いてくださいって」
「ちょっと待ってよ!」
その頃。
意気揚々と先頭きって突っ走る御影の右腕を、雛は思い切り掴んでいた。
「どしたのよ。何か質問でもあるの、雛?」
「勇磨が拉致されたって…」
「何?志原の事、そんなに心配なんだ?」
と、「好きだからでしょ」という意地悪なニュアンスたっぷりで言った。
「私は相棒として、当然の事をしてるだけで。そんなんじゃ…」
「ほぉぉ?」
当然、その答えに雛は否定すると予め睨んでいた。
志原には気の毒な事だが。
優しい親友の為に、御影は即行で組み立てた台詞を言う。
「大丈夫よ、志原は馬鹿だけど簡単に死んだりしないって。そんなに大事(おおごと)に考えないの」
どこだかの御曹司でもないし、と敢えて言わなかったのは
一、親友の為
ニ、もし勇磨がそうだったらと想像して吹き出しそうになった為
なのか、正解は秘密にしておこう。
ちなみに彼の実家は、とある輸入商品を扱う会社を営んでいるらしい。
一家経営なので、当たっているのではないだろうか。
「それじゃ、行こうか」
3/6ページ