迷想

 「入隊式なんて、あっという間に過ぎ去ったわね」

夢の森署内のカオス…
もとい、特警隊装備開発室。
新緑の時期に突入する防風林を窓辺に見やり、溜息混じりで呟いたのは御影。

「一ヶ月も前になるんだけど」

それに、紅茶片手に冷静な訂正(ツッコミ)を入れたのは雛だ。
彼女の親友は窓辺に頬杖をつき、アンニュイに黄昏ている。
が、実はそんな場合ではない。
雛の目前にあるのは、溜まった報告書の山。
隣にはファイルに整理しきれていない事件資料の、これまた山。
更に、背後にもある。
装備開発の為に取り寄せられたと云う、片付けられていない材料達の群れが。

「そうだっけ?…あはは」
「笑ってる場合じゃないでしょ。報告書は?」
「対応事案の事務処理なら、もう終わってるわよ」

雛は既に報告書を提出済である上に、相棒に代わって日報まで仕上げた。
お礼のクレープも、とうに食べ終わっている。
本来なら、調べ物や自主トレを始めている時間。

「おい蔵間。こっちのデータ打ち込み終わったぞ」
「んあ?」
「だから。そっちの山と一緒に、資料室へ戻しに行けっつーの」
「後でやるわよ。それより志原の分の事後報告、纏まってないでしょ」
「同時進行でやってたっつーの。後はデータ送信だけだ」

ようやく、憂いの世界から御影が帰還したようだ。
勇磨は相棒の雛と顔を合わせ、深い溜息を吐いた。
が、すぐに赤面し何故か一人そっぽを向く。
雛が「?」となったのは言うまでも無い。

「じゃ、次はあっちの資材片しといてよ。雛はそのまま、ゆっくりくつろいでてねー」
「こんな状況じゃ、お茶淹れるだけで精一杯だろうが。せめて、ここの山退けてから言えよ」
「私も手伝うよ。このままじゃ、出動かかってもすぐに準備出来ないもん」
「やっぱり雛は優しいわね。恩に着るわ」

三人は立ち上がり、ガサガサと作業を始める。
本来、雛は隊員室に戻ってこない二人を気遣って顔を出しに来ただけ。
結局足止めを食って、失敗してしまう。
これを繰り返している毎日である。
どんなに学習しても、結果は後の業務に差し支えるか否かのギリギリライン。
来ない訳にいかなかった。
いつになったら落ち着くのだろうか…

そして。
彼女と同じく、やっぱり顔を出しに来たのは隊長だ。

「おい、三人組…って。何だこりゃ」
「──野原隊長!?」
「え。高井さんじゃなくて、隊長来たの?」
「あちゃぁ…」

ノックをしてドアを開けた途端。
一転した目前の世界は、雑然とした書類のジャングル。
いつ崩壊してもおかしくないし、謎の大爆発を起こしても「だろうな」と思えてしまう情景。
ポーカーフェイスが標準装備の野原とて、流石に眉間に皺が寄る。

「昨日よりレベルアップしてるな。成長は大事だが、して欲しい方向が違う」
「…そうですよね」
「ここだって、れっきとした警察署の一部屋なんだが。こんなんじゃ、不審者が潜んでも判らない」
「申し訳ありません」
「謝るべきなのは、友江じゃないだろう…」

彼だって、小言の為にわざわざ出向くような人物ではない。
捜査班のオフィスへ用事を済ませに行くついでにと、ちょっと寄ってみただけ。
そのつもりだった。

「抜き打ちで本部の視察が来ようもんなら、一発でアウトだ。火元責任者が俺じゃなくなれば、もう使えなくなるぞ?」
「それは困るッス!」
「すみません隊長。報告書なら、これから届けに行こうと思ってて」

ガリガリと頭を掻きながら弁解しつつ、御影はあちこちの山から報告書の束を抜き出していく。
野原が手渡されたそれを一つ一つ捲って、頷きながら確認する。
ドアに一番近い作業台の一角で、たった今新しい山が築かれた。

「蔵間も志原も、新しいデスクワークは慣れたんだろう?」
「勿論です」
「頑張って覚えたッス」
「さっさと提出して、仲間をこき使うなよ」
「えっと…。その」
「こき使うなんてとんでもない!これは友江巡査の厚意によるものです」
「…どーだか」

雛はフォローに困り、微笑んで誤魔化していた。
勇磨も小さく呟いただけだったのに、作業台を隔てた御影から冷ややかな視線というお礼が飛んでくる。

「何か言ったかしら、志原巡査?」
「いや!別に何も!!」

その状況に野原は笑ったようにも見えたのだが、表情はいつものポーカーフェイスのままだった。
本人しか分からない事なのだが、これは笑うのに失敗したのだ。

「とにかく、早めに片付けて戻ってくれ。今夜は第五隊(おれら)が当直だ、申し送りが結構ある」
「了解!」

幸いなのか、失敗した笑みには誰も気付かれずに済んだようだ。
野原は持ち上げた山を抱え、隊員室に戻って行った。


 「怒られちゃったね」
「ずっとバタバタしてたんだもん、しょうがないわよ。出動続きがやっと収まったのだって、つい最近じゃない」
「開設したての警察署に、出来立てホヤホヤの部隊。たった一か月で落ち着けってのも、難しいよ」
「うーん…」

勇磨の言う通りかも知れない。
夢の森署と共に第五特別警察隊は、四月にスタートしたばかりだ。
それなのに、隊が追っているテロ組織は挑発と抵抗を止めない。
只でさえこの季節柄、日々の巡回警邏で発見する不審事案は多いというのに。
…しかし、とも思う。

「でも高井さんや葉月さんは、きちんと仕事こなしてるよ?」
「そりゃ、高井さんはベテランだからよ」
「葉月さんって、元々科警研の人だろ?細かいの色々調べて書類やデータ作成なんて、手馴れたもんだろうし」
「そう考えたら、ウチの隊って凄いトコ揃いなんだよね」

特警隊は各部署より様々な経験を積んだ人物を、隊員や職員として集めている。
バックヤードの捜査本部でさえ、優秀な刑事から管理官までが勢揃いなのだ。
この落ちこぼれ、もといニューフェイスの夢の森第五隊も然り。

「課長からして、捜査一課やSITなんてトコに居たツワモノなんだってね」
「お爺ちゃんは昔、潮(うしお)の機動隊にも研修に行ったらしいよ」
「潮って、勝島の第六じゃないか!?」
「って事は、やっぱりSATと絡んだのかしらね」
「父さんも準備室起ち上げで、警備部参りしたって話だし。刑事と警備両方の部には、関わり強いみたいだよ」
「ママさんは?」
「準備室の前は、交番勤務の指導役みたいな事して都内回ってたみたい。影武者がナントカって言ってたけど、良く分からないんだ」
「何だそりゃ?」
「母さんの説明は、ちょっと独特だったから…」
「守秘義務でもあったのかしらね?」
「公安なら解かるけど。地域課の分野でそんな事ってあるのかな?」
「分からないぞ雛?『警察社会の闇は深い』って謂われてるし」
「うーん…」

天井を見上げながら、御影はふと思った。
家族が上司ってだけでも凄いのに、更にそんな過去を持ち合わせていたとは。
そんな事をサラリと打ち明けた親友は、予想以上にエライトコロの孫だったらしい。
勇磨も相棒について、同じ事を考えては冷汗をかく。

「野原隊長や他の人も、やっぱり何かしらの強い得意分野を持った人ばかりだったって」
「厳選されてるじゃないの。準備室メンバーは豪華だったのね」
「スゴイ部隊の候補生やら元本隊の人が集まってるっていう第一隊は、オレ達よりずっとツワモノ揃いだな」
「うん、第一と第三の隊長は元本隊だよ。第二が何処か解らないけど元警備部で、第四とウチが元刑事畑だって」
「他の隊長達って、まだ会った事無いよな。課長情報か?」
「うん。聞いたばかりなんだ」
「へぇ…」
「始動式の日に全員集合してたらしいんだけど、忙しいからすぐ帰っちゃったんだって。腕章してたらしいけど、二人は誰か見た?」
「制服組もスーツ組も沢山出入りしてて、ゴチャゴチャしてたのよ。分かる訳ないじゃない」
「ワケ判んない役職とかワンサカいたもんな。話は眠くなるだけだし」
「私。あの日は本庁で人事の手続きしてたから、出てないんだよね…」
「苗字取違いだっけ。『一度きりの門出に何してくれたのよ』って感じよねぇ」
「そうなんだよぅ!私も御影や勇磨と一緒に、並びたかったー!!」

初日の事を思い出し、気怠そうにする二人と地団太を踏む一人。
集合記念写真は後日に撮ったので、当然雛も含まれている。
それでも彼女にとっては、「それで良し」とはいかないようだ。
御影は親友の頭を撫でて宥めた。

「お爺ちゃんの話だと、前日がすごく忙しかったらしいよ。何か事件があったみたいで、徹夜でバタバタしてたんだって」
「隊長も眠そうにしてたもんな」
「アンタが一番眠そうだったじゃない。遅刻ギリギリで」
「断じて違うっ!あれは人身事故の所為で、バスのダイヤがおかしくなってたからだ!」
「…でも、事件が起きてたって感じは全然しなかったわよ?捜査や検分とかなかったし」
「オレ達も出動は無かった。二日目の管理事務所の事件が最初だよ」
「野原隊長も?元刑事なら捜査の事とか詳しいから、動いていそうなのに」
「『挨拶回りがどうとか』って言ってたけど。事件っぽい動き方じゃなかったと思う」
「そうなんだ」
「野原隊長は、強行犯係だったらしいね」
「確かに、そう見えなくもないわね」
「元刑事か……」

何か思う節でもあるのか、ここで勇磨が「うーん」と腕組みをした。

「どうしたの、勇磨?」
「いや。隊長にはちょっと気になるトコがあってさ」
「…え、志原もなの?」
「何だよ、蔵間もか?」
「?」

どうやら、御影も同じだったらしい。
雛一人だけがついていけず、不思議そうに首を傾げた。

「そんな。二人して」
「ここだけの話だからな」
「うん」
「あのさ。野原隊長って、いつも全然笑わないと思わないか?」
「そうそう、それよ!あたしも気になってたのよね」
「そう…なのかな?」

片付けが一段落した三人の会話は、一転して上司の噂話となった。
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