Quench
名前変換
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「真田幸村、名無しさん様をお守り致します」
真田幸村は名無しさんの護衛を務める武将である。
彼ほどの猛将が命を張ってまで守ろうとする女性――名無しさん。
彼女は女にして一国の主なのである。
『Quench』
「殿の治世で人々が生き生きと暮らしています」
「なんだか自分がこの国を治めてるなんて、まだ信じられないんだけどね」
「まぎれもなく殿が創られた国です」
名無しさんは幸村と共に天守から城下を見下ろしていた。
少しずつではあるが領土を着実に広げてきた。
国としての力もつき、内政外交共に落ち着いてきたといえる。
命を懸けて尽くしてくれる家臣達がいるからこそ築き上げられたものだ。彼らには本当に感謝している。
だが名無しさんはまず第一に幸村を引き立ててあげたいと思っていた。
旗揚げのときからずっと自分に付き添ってくれている彼のことを。
「私だけじゃない。皆の力があるから今があるんだよ。それに幸村、貴方には特に」
「皆の力があるから……そう思ってくださる殿の御心が我々家臣一同にとって何よりの恩賞です」
自分の言葉が途中で遮られたと感じるのは気のせいだろうか。
幸村は特別な労いを受ける空気になることをよしとしない。
こんな二人きりのときでさえも。
国が拡大するにつれて幸村と話せる時間は減っていった。
配下の将が増えていくたびに幸村の喋り方は堅苦しいものになっていった。
二人きりで過ごす僅かな間くらい名前を呼んで欲しいと思う。
直属護衛や筆頭家臣という言葉では片付けられない特別な存在だということを伝えたい。
でも自分は君主だから誰か一人を贔屓にすることをしてはいけない。常に広い視野を持ち平等な評価をするべきなのだ。人の上に立つとはそういうことなのだと思う。
幸村は自分の甘えが周囲に零れないように接してくれているのだ。
君主の威厳を守るために。
誠実な彼がくれる優しさだと分かっている。
でもこの優しさは自分の女としての心には痛みを刻んでいく。
靄がかかった自分の心とは真反対に天守から見下ろす城下の人々は生き生きと映る。
自分だって本当はもっと晴れやかな気持ちでいられるはずなのに。
「殿」
主を示した呼び方が自分のことだと気づき、幸村へと視線を移した。
見つめた先の幸村は驚くほど心配そうな顔をしていた。
「殿、お疲れですか?」
「え、どうして」
「今、とても淋しそうな、悲しそうなお顔をしていらしたようにお見受けしたので。こんなことを申し上げるのは御無礼だと承知なのですが、つい心配で」
まるで自分の心を覗いたような幸村の言葉に胸の内が揺らいだ。
「ううん、そんなことないよ、大丈夫だよ」
動揺を隠そうと上手く笑みを作りながら言った。
「そんなふうにいつも決して弱さを見せず、気丈に振る舞われる。貴方は主の鏡のような御方です」
「わたしが?」
「はい、貴方は君主としてあるべき姿そのものなのです。でも無理をなさらないで欲しいのです。貴方は皆の理想である前に一人の人間なのですから」
執務以外で幸村がこんなに立ち入った深い話をしてきたのは初めてではないだろうか。
先程の心配そうな表情は徐々に真剣な色へと変わってきている。
「せめてこの幸村の前では肩の力を抜いて頂きたいのです」
次々と溢れる幸村の言葉にただ黙って聞き入っていた。途中で何か口を挟めば幸村の想いを最後まで汲み取ることができない気がするから。
「名無しさん様」
「……はい」
名前を呼ばれて胸に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
「幸村は名無しさん様の全てをお守りしたいのです。主としての貴女も、一人の人間としての貴女も」
幸村の真っ直ぐな想いが心の靄を晴らしていく。
気づかないうちに自分は無理をしていたみたいだ。
君主らしくなければいけない――そうやって自分を追い詰めたのは他でもない自分自身だった。
幸村の態度に隔たりを感じたのも、真面目な彼だからこその振る舞いだったのだろう。
今、こうして主である自分に思っていることを打ち明けるべきか否か、ずっと悩みながら接してくれていたのだ。
幸村を遠い存在に感じていたことを彼のせいにしていた。そんな自分が恥ずかしくて情けない。
「幸村は、いつも私のことを守っていてくれたのに。わたし……」
「名無しさん様、そんな顔をしないでください」
幸村は名無しさんの左手を取り跪いた。
俯きかけた名無しさんへと視線を合わせた。
「真田幸村、名無しさん様の笑顔を守り通すと誓います」
そう告げた幸村は名無しさんの手の甲に優しく口付けを落とした。
『Quench』
―End―
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