懊悩
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落胆、後悔、情けなさ等々が一緒くたになって、気分は酷く沈んでいた。
「本当に申し訳ございません」
「幸村、ほんっとに気にしないでって」
彼女を安全に奥州まで送り届けると宣言したのに命に関わる危険な目に遭わせてしまった。
武芸にまったく嗜みのない女性が刃物を突き付けられる経験をしたのだ。外傷はないにしろ心の傷は一生残るのではないか。
考えれば考えるほど胸が痛み申し訳ない。
それなのに彼女は「大丈夫、気にしないで」と朗らかに笑い飛ばすから、いっそう己れが不甲斐なくて頭が上がらない。
「あーもう、兼続にされたことは暫く許せない。とんでもなく恥をかいた」
「兼続の愛ってやっぱり濃厚で重厚だな」
話題は、例の兼続の所業に対する不満へと変わっていた。
「義とか愛とか尊いものを笠に着て、犯罪に等しい行為をしてるんだよ。義と愛に謝るべきだよ。慶次も、こんなとんでもないことする変質者とよく友達やってるよね」
きつめの一言に慶次が声高らかに笑った。
「確かにその通りだよな。俺にしてみれば兼続は面白い男なんだよ。こうして端から見てる分にはな。だがやられた名無しさんにしてみりゃ堪ったもんじゃねぇよな」
「そうだよー、実際やられてみればすんごく迷惑な話なんだから。もうあの変なお札取るのにめちゃ時間かかるよ。ほんとに兼続ムカつく」
二人の間で兼続に対するあれやこれや、主に名無しさんが怒りと愚痴を散々こぼしているが、己れの失態のほうが気になって仕方なかった。
ふと名無しさんが両手で顔半分くらいを覆っていた。欠伸をしたようだ。
「名無しさん、俺らに付き合って起きてなくていい。もう寝な」
「うん、そうする、ありがとう慶次」
名無しさんはすっと立ち上がった。
「二人とも今日はおつかれさま。おやすみなさい」
飲み過ぎと夜更かしはほどほどにね、と冗談っぽく注意をくれた彼女がそっと戸を開けて出ていった。
戸の向こう側で開け閉めする音がもう一度聞こえた。
彼女が自室へと引っ込んだのだ。
女性ということと防犯上に配慮して名無しさんは廊下を挟んですぐ向かいの一人用の部屋だ。
対して自分と慶次はここで相部屋。
これまでも職務上、長距離移動に宿泊を伴う機会があれば大体同室だったし野営することもあったので、お互いに細かいこだわりはなく今回も当たり前のように相部屋なのだ。
反射的につい溜め息を吐けば、慶次が不思議そうにした。
「幸村、どうした。気にするのもわかるが随分気にしすぎじゃないか」
「はい、そうです。もっとちゃんと名無しさんから目を離さずにいればあんなことにならなかったと反省しています」
「まあそうだよな。俺自身注意が足らなかったと思ってる。いつもみたいに俺と幸村二人で移動する感覚でいてな、気が緩んでた。
けどあんまり謝りすぎると名無しさんが気を遣い続ける。だから次は同じ真似はしねえって、自分の中で消化するしかないよな」
誰を責めるでもない慶次の言い方は巧みだなと思う。
きっと自分の見てないところで既に慶次は、危ない目に遭わせて悪かった、と名無しさんに気を揉ませぬような上手い詫びを済ませていそうだ。
普段は豪快な風なのに稀に見せる繊細さを使い分けられる絶妙さ、相変わらず達観している男だと唸りたくなる。
「幸村って、もしかして名無しさんのこと特別に思ってるか?」
「ええ、まあ……どうでしょうかね」
慶次の不意打ちの一言に曖昧な返しをしてしまった。
「そんな深く勘ぐるつもりはないんだ。俺はな名無しさんには何かしてやりたいっていう気持ちがある。
なんつうかな、俺は基本的に自分のためだけに自由にやってきたけど、武将でもない主君でもない名無しさんにあわせて旅をするのが何だか楽しい」
「ああ、なるほど」
慶次のいうことは理解できる。
主君への奉公、つまり仕事とは違う私的な事情で、一般人の名無しさんを気にかけながら進む旅は歩調こそ普段と比べゆったりとしているが、それが却って新鮮で刺激的だと言いたいのだ。
「幸村も似たような考えなんかなと勝手に思ってた」
「いえ、私もそんな感じです。今回こうして名無しさんと長距離移動出来るなんて思っていませんで。今までにない体験なので楽しいです」
その一言に慶次はふうんと納得したような顔をすると、忽ち立ち上がって戸口のほうに行ってしまった。
「俺、ちょっと出てくる。煙草を買ってそんまま外で一服してくる。ほっつき歩くんで暫く戻らないから幸村も風呂入って寝てていいぞ」
さっと部屋を出ていった慶次には、いとも容易く名無しさんへの好意を読まれてしまい、二人っきりになれるよう気遣われた感が否めない。
部屋に一人残されてしまったが、正直、いまから名無しさんの部屋を訪ねる言い訳は見つからない。
名無しさんは既に部屋で寝支度をしているだろうから飲み直そうとか風に当たりに外に出ようとか言うべきではないし、今日の己の失態を慮れば尚更そんな図々しいことは出来ない。
この旅で名無しさんと少しでもお近づきになれたらなんて邪な期待をしていたから脇が甘くなったのか。
それに、兼続と三成が御守り代わりを仕込んだ件にはつくづく思い知らされた。
結局彼ら抜きで離れた土地に来たところで、名無しさんに付き纏う彼らの存在感が強すぎて、兼続と三成がすぐ近くにいる気がしてならないと。
自分のほうが今は名無しさんのすぐそばにいるというのに。
――もし仮に、彼らが名無しさんと一緒に遠方へ旅行していればどうなるだろうか。
例えば、三成が彼女と二人で遠方へ出張し宿泊先に到着して……
『ええっ、三成と同じ部屋なの』
『なんだ、同室なことに何の不満がある。業務に係わる宿泊だぞ。出張費を少しでも節約するのは当たり前だろ』
『そっか、そうだよね』
『わかったら、さっさと部屋に入れ。寝るぞ』
戸惑いながらも決して完全拒否はせず、従うであろう名無しさん。
堂々淡々と淀みなく理屈を述べ、名無しさんに反論させる隙を与えない三成。
同じ部屋に収まった二人は普段どおりのやり取りをしつつ、結局なし崩し的に身体を重ね合わせる結末を迎えるのだろう。
羨ましい……
……って私は何を想像しているのか。
では、同様のシチュエーションで兼続と名無しさんはどうなるだろうか……
『なんで兼続と同じ部屋なの!?』
『私は物凄く嬉しいぞ、意外にも名無しさんと外泊は初めてだしな』
『それもそうだね……ってそこじゃないっ。部屋は別々でいいでしょ』
『名無しさんよ、領外の見知らぬ土地で女性一人で宿泊するのは危険なのだ。襲ってくださいと言っているようなものだ。だから私と同室なのは防犯上やむないと理解して欲しい』
『うぅ……そうなの。わかったよ。でも変なことしないでよ。させないでよ』
『努力しよう。ところでこの宿には混浴風呂があるそうだ、一緒に入ろうか』
『……』
普段は穏やかなのに兼続に対してはかなりハッキリとモノをいう名無しさん。
それを上手いこと言いくるめ、否、口説き落として、イイ展開に持ち込むだろう兼続。
薄々気づいてはいたが、名無しさんは、三成との関係とは種が異なるものの兼続とも異常に相性がいいのだ。
やっぱり羨ましい……
雄弁な二人は自慢の口撃で以てあっという間に名無しさんの懐に入り込むのだ。
自分には到底出来ないことだ。
加えて彼ら二人は名無しさんと関わっている時間の多さ、距離感の近さなどの経験値があるから自分より圧倒的に有利。
自分はこうしてチャンスが巡ってこようとも、名無しさんと二人っきりになるよう策を練り実行する能力に乏しい。
部屋に一人、人目を気にすることもなく、また深い溜め息を吐いた。
そのタイミングで、どすん、がたんと立て続けに何か凄く大きな音が聴こえてきた。
物音がした方向的に、名無しさんの部屋だと直感した。
今までの妄想が吹き飛び、日中の野盗に遭った件も影響し、嫌な予感だけが頭をよぎる。
名無しさんが室内で危機に陥っているのではないか。
夢中で部屋を飛び出した。
「名無しさん!?」
彼女の部屋前で叫びながら、力一杯に戸を開け放った。
「あ、幸村!」
そういってこちらを向く彼女は驚いていた。
彼女はただ普通に室内に立っていて、一見して命になんら別状ない状況だと分かった。
「名無しさん、大丈夫ですか?しかし今の大きな音は一体何だったのでしょう……」
「そうだよね、今お布団敷こうと思ってさ、押し入れの襖を開けて、それで布団を引っ張ったら襖がはずれちゃって。で、はずれた襖がそこに立て掛けてたちゃぶ台に当たって更にちゃぶ台が倒れて」
彼女の傍らには片方の襖が外れた押入、そしてその襖が倒れ、脚を畳んだ状態のちゃぶ台に覆い被さっていた。
説明どおりのその光景は、ついさっき起こった大音声の真相を語っていた。
「成る程」
「びっくりさせてごめんね。お騒がせしました」
彼女は、ばつが悪そうにぺこりと礼をしてきた。
とにかく彼女が無事だったことに安心し興奮も収まり冷静になった。
…はずだった。
名無しさんの服装を見てまた熱がぶり返してきたのだ。
名無しさんは浴衣姿なのだ。
「名無しさん、浴衣着ているんですか。似合いますね」
浮わついて、称賛の言葉が口をついて出てしまった。
「えっ、そう?ありがとう」
脈絡なく急に褒めたため、名無しさんが意外そうな顔をしている。
「パジャマ代わりになる部屋着みたいなのも持ってきてはいるんだけど、例によって兼続の変なお札がつけられてるから、なんか着る気になれなくてさ」
彼女の私物ではなく部屋に備えつけの浴衣なのだが、男女区別が無いためか少しぶかっとしていて、首からその下にかけての肌見え具合が何ともドキドキさせるのだ。
かなり目のやり場に困る。
「いや、その、とてもいいです。素敵です」
御馳走様です!……とはいわぬようにするものの上手く取り繕いきれず本心をぼろっと口走ってしまう。
何故かな、自分はこと武芸以外に関してはこういううっかりしているところが多々ある。
これでは兼続と同様変態扱いされぬか心配だが、彼女は少し照れながら困り顔をしているだけで此方の下心には気づいていない風だ。
「なんかごめんね。あたし、さっきは全然気にしないでなんて言ってたくせに、こんな風にお騒がせして幸村に駆けつけて貰ってるんだから」
「いえいえ」
謝られると逆に申し訳なさが湧いてきた。
どちらかというと自分が大袈裟に捉えて、いきなり女性の部屋に乗り込んでいる。
そして初めて見る浴衣姿に色っぽさを感じ、密かに悦び欲情しまくっているのだから。
慶次が一人で外に出てしまったことを伝えると、慶次らしいと彼女は笑っていたが、あっそうだ、と思いついたようにいった。
「幸村、もしよかったらお菓子を食べていかない?部屋にお試しで置いてあったのがすんごく美味しくって売店で同じものを買っちゃったんだよね」
名無しさんが見せてきた菓子の入った小箱を見せてきた。
確かに部屋にサービスで置かれていたもので、自分もさっき食べたが美味しいものだった。
「いいのですか?もう名無しさんもお疲れでお休みになるところだったのでは……」
「うん、さっきは眠たかったんだけど、今日色々あったこととか思い出したり今やらかしたこととかで目が冴えてきちゃって。だから幸村さえよければ」
「そうですか。では御言葉に甘えてご馳走になります」
これはチャンス。
名無しさんと室内で二人っきりになれるビッグチャンス。
あわよくば(空想上の)三成や兼続のように名無しさんと近づき、イイ感じになれるかも。
だがしかし、安易にイヤらしい欲望全てを叶えようと暴走するのはよくない。
自分が三成や兼続に対抗出来る(と思っている)のは、たとえ密室で二人っきりになろうと外面は誠実そうに振る舞えるという点だ。
だから今夜は名無しさんと二人っきりにはなるが、茶と菓子の力を借りて歓談したら機を見計らって紳士的に離脱するのだ。
もう少し、自分には名無しさんとの交流実績を積み重ねる必要がある。
今はまだ誠実であれ、と内なる決意で下心を覆い隠し、この時を乗り切ろう。
湯を注ぎ茶の準備をする名無しさんの姿を見ながら、背筋をぴっと伸ばし姿勢を正した。
【懊悩】
-END-