羨望,潜望
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「兼続殿も戻ってきて、最近では、三成殿も随分楽になったのではないですか」
「ああ、漸くこうしてゆっくり幸村と話せるようになった。忙しくて、誘いを断ってばかりで済まなかった」
いいえ、と言いつつ出された茶を口にした。
石田三成、彼は誤解されやすい性格だが、訪れれば、こうしていつも茶と菓子を出し、懇切丁寧にもてなしてくれる。
気を許した相手にしか見せない態度なのだろうけど、自分がその中のひとりになっていることはとても嬉しく思う。
卓上に出される菓子は、連続して同じものにならないよう計算されている。
完璧主義な彼らしい気配りだ。
そして、今日出してくれたものも、やはり、目を引くものだった。
「あ、これは、三成殿が好きそうなお菓子ですね。例の行きつけのお店で買ってきたのですか」
「いや、買ってきたのはあいつ……名無しさんだ」
「あ、そうなんですか。私のせいでお手間をかけてしまいましたね」
「まあ、細かくいえば兼続と買ってきたのだ。
兼続が俺の趣味を名無しさんにバラしやがった。それでこういう系統を買ってきた」
「そうなのですか……」
また、彼らを羨ましく思ってしまった。
これは、初めてのことではなかった。
【羨望,潜望】
彼ら――目の前の三成、そしてここにはいない兼続。
彼らを羨ましく思う理由、それは名無しさんと仲がいいからだ。
あるときは、三人で談笑していたり。
食事を共にしていたり。
仕事終わりに出掛けていたり。
彼らが、名無しさんと睦まじく過ごす光景を見続けているうちに、自分は名無しさんに興味を持ち始めていた。
また、あるときは、三成か兼続の部屋を訪ねた際に名無しさんがいた……つまり室内に男女二人きりでいるところに出くわしたことさえある。
そういう場面を目にする度に、自分も同じようになりたい、と心の中で感じてしまっていた。
だが、宴席で名無しさんと彼らのどちらかとが長時間いなくなったときには、あぁ、そういう仲なのか、と勝手ながら自己完結の理解と想像をした。
そうすると、今度はまた別の感情が生まれてきてしまった。
自分も名無しさんと特別な仲になれるものだろうか、と。
別に自分は、名無しさんに恋情を抱いているつもりはない。
ただ、仲良く、友達のようになりたいと思っているだけ……のつもりだ。
それでも、男と女として彼らと名無しさんが関わっているだろうと匂わせられると、どうしても感情が飛躍しすぎてしまうのだ。
純粋な恋心とはいえない、こんな邪な想いを抱いているとは、誰にも言っていない。
「幸村は、最近どうだ?忙しいか?」
三成がわずかに口角を緩めて聞いてきた。
同性ながら美しい、そう思った。
「ええ……そうですね。最近は争乱もなく平和で、専ら領内の警備が中心ですので、そこまで忙しくはないかなと思うのですが」
美しい彼は小さく頷きながら話を聞いてくれている。
「ただ、私の心の中は穏やかではなく、転がるように忙しなく……そんな状況と申しましょうか……」
考えながら発言していたつもりが、うっかりおかしなことを口走ってしまった。
やってしまった……と内心焦ったが、三成は変わらず微笑んでいた。
「幸村は面白い表現を遣うな。どういう意味なのだ?」
「実は、その……昨今日常の最中、少々気にかかることというか、悩んでいることがありまして」
「そうなのか。幸村さえよければ俺に話してみぬか?勿論、無理に、とはいわぬ。幸村が言いたければ言って欲しい」
自分が気になっていることは、三成には非常に聞きづらいことだ。
しかし優しい言い方に、背中を押されたようで、つい前のめりな気持ちになってしまった。
それに友人同士、ここは覚悟を決め、腹を割って、思いきって質問をぶつけてみよう。
「では、三成殿、無礼を承知でお聞きしたいことが何点かあります」
「なに、急に改まらないでくれ。何でも聞いてくれて構わぬ」
「三成殿は、名無しさん殿とお付き合いをされているのですか」
「は!?幸村、急にどうしたのだ?」
つい先程まで穏やかだった三成が、口を半開きにして驚いている。
これは彼らしくない反応だ。
「とても気になっておりまして。
三成殿、不躾ではありますが、本当のところ、どうなのでしょうか?」
「いや、あいつとはそういう付き合いではない。
幸村が思っているような類いの付き合いではない」
「そうですか……。ではもうひとつ。
兼続殿は、名無しさん殿とお付き合いされていますか?」
「兼続も、そういう関係ではないはずだぞ」
「本当ですか、いや、良かったです」
三成のその答えに、ずうっと刺さっていた棘が抜けたように楽になり、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「幸村、なぜそのようなことを聞く?」
三成は、驚いた感じに訝しさを加えた顔つきで尋ねてきた。
「実は……私は仲良くしている三成殿と兼続殿と名無しさん殿を見て、たいへん微笑ましく感じておりました。
それだけに留まらず、次第に自分も名無しさん殿と仲良くなりたい……との欲が出てきてしまったのです」
「別に、そう思うのはまったく悪いことではないだろう。何者から責められることでもない。幸村は何を気にしている?」
「お三方の様子を見続ければ見続けるほど、名無しさん殿は三成殿もしくは兼続殿と恋仲ではないかとか、もしそうであれば私の邪な欲望のせいで、友人の恋路を妨げたり、名無しさん殿にも迷惑をかけてしまうとか、それは様々な可能性を考えては悩みあぐねておりました」
「そうか、そのようなことを考えていたか。
いや、幸村が深刻に真剣に考えてくれたのは、俺は嬉しく思う」
三成は少し目を横に逸らして、そう言ってくれた。
「突然このような告白をし、すみません。
でも、すっきりしました」
大きく深呼吸しながら、少し足を崩して座り直すと、三成はこちらに向けた視線をはずすことなく何か言いたそうな様子だった。
「なあ、幸村は、あいつのことを好いているか?」
「いえ、まだはっきりとわからないのです。だけど、仲良くなりたい、お近づきになりたいとは思うのです。
もっと、近くで名無しさん殿を見れば、きっとこの気持ちははっきりするとは思いますが」
聞こえはしなかったが、三成の口の動きは、そうか、と言っているように見えた。
「三成殿はどうですか?
お付き合いはしていないにしても、名無しさん殿のことが好きですか?」
三成は、何も答えず、暫くただ黙って腕を組んだまま、肘を触ったり首を傾げたりしていた。
「わからん。好きだとか嫌いだとか一口に説明するのが難しい。
ただ、いいヤツだとは思う。
幸村のように、いいヤツだとは思うのだ」
「ありがとうございます。
そうですね、名無しさん殿は素敵な方だと思います」
「幸村、ひとつ言っておきたい。
今、俺はあいつと付き合ってなどいない。
だから友人同士だからといって俺にも、兼続にも、変な遠慮はしないで欲しい。
幸村は己が気持ちのままに行動して欲しい」
「わかりました。三成殿は“いいヤツ”ですね」
「そんなことはない。幸村だから言えるのだ」
三成は穏やかに目を細めていたが、心なしか真剣さが加わったような顔つきだった。
聞きたいことを聞くことが出来て、本当に良かった。
遠慮せず、真っ直ぐ聞くことも友人同士、男同士の礼儀のひとつだと三成は気づかせてくれた。
改めて卓上を見やると、例のお菓子がまた目に入った。
名無しさんは、自分の好みよりも、三成の好みを優先して買い物をしてきたのは間違いない。
このお菓子のチョイスからして、名無しさんの思い入れの比重は、石田三成:真田幸村=10:0でほぼ間違いない。
もし名無しさんが、
『幸村は、どんなものが好きかな』
……なんてカケラでも想像してくれていれば、とても嬉しいのだが。
ほんの些細なことだとはしても、名無しさんから三成に注がれる思いやりに関しては本当に羨ましく、自分も欲しいと切に願ってしまうのだ。
整然と盛られた菓子の中から、クッキーを手に取り、食べてみると非人工的な優しい甘味が口に広がった。
「あ、やっぱりおいしいですね。
三成殿の健康志向も素晴らしいですし、買いにいってくださった名無しさん殿と兼続殿にも感謝ですね」
「幸村は律儀者だな」
くくっと笑う三成は、ドーナツに手を伸ばしていた。
「幸村は、欠片一片もこぼすこともなく食べ方が綺麗だな。誰かさんとは大違いだ」
「ん?」
「いや、気にしないでくれ。こっちの話だ」
三成がドーナツを一口運んで、咀嚼し始めている。
無駄のない上品な所作だった。
***
そろそろいい時間だろうと思い、名無しさんはあるものを片手の内に潜め、彼の部屋を訪れた。
「三成、いる?」
戸を軽く叩いて呼び掛けるやいなや、明るい笑い声が聞こえた。
これは部屋に三成以外の人がいる。
まさかまだ……と思っていると、自動で戸が開いた。
「名無しさん殿、御機嫌よう」
「あ、幸村、かなり盛り上がってるみたいね」
あっ、と思い、片手に潜めたものを見せないように背中の後ろへ隠した。
「ついつい話に花が咲いてしまいまして」
もう夕方近いというのに、いい大人の男……顔のいい大人の男二人が部屋でずうっと喋っていたようだ。
明るい時間から部屋飲みをしているのかと思いきや、卓上にはお茶とお菓子しかない。
顔のいい男二人は酒もないのにずうっと部屋で喋って盛り上がっていたということになる。
女子か!とツッコミを入れたくなるが、まあまあ大変仲がよろしいことで。
「名無しさん殿、このたびは私の訪問にさしあたってお菓子を用意いただきありがとうございました。大変美味しくいただきました」
「あ、いいえ。ご丁寧に。幸村が喜んでくれてよかったよ。本当」
「で、名無しさん。何か用事があって来たんだろう、どうしたのだ?」
絶妙な間で聞いてくれた三成は、いつもよりも遥かにトゲがない。
いつもなら、『は、お前、何の用だ?』くらいなものだ。
無駄が省かれた思いやりのカケラもない冷たい口調なのだ。
それが、幸村がいるとこんなに態度が違うのかい、と心の中で軽く舌打ちをしたくなる。
「あ、あぁ……ちょっと言いづらいんだけど」
ちらりと幸村のほうを見ると、にっこり微笑まれた。
「あ、私はずしましょうか?」
「あっ、幸村、違うの違うの!ごめん。
あのね、お釣りを返しに来ただけなの。
……ほら、そのお菓子を買いにいったとき三成からお金を貰ったから」
背中の後ろに追いやっていた片手をぶらんと下げた状態に戻した。
幸村にいらぬ気を遣わせてしまった。
幸村の前で露骨に金銭の遣り取りを見せるのも気がひけるな、と思ったのだが、正直に言わなければならない状況になってしまった。
もう幸村はいないだろうとこうして来てみたら、まだいるものだから、あぁやってしまったと思っていた。
己の登場するタイミングの悪さが恨めしい。
瞬時に巧いごまかしができればいいのだが、どうも自分はそこまで素早く頭が回らないのだ。
「こんなこと幸村の前で言うことになっちゃってごめんね。ホントあたし、間が悪くって」
「いいえ、逆にこのタイミングで良かったです。名無しさん殿にお逢いできましたからね」
「ありがと、幸村。じゃあ、はい、三成……」
言いながら、三成に釣銭を渡そうと手を伸ばす。
「いや、それは返さんでいい」
ほんの一瞬だけ考える素振りを見せて三成が言った。
「え?」
「その金で夕飯になるものを買ってきて欲しい。
俺と幸村とお前の三人分だ。幸村、悪いが頼まれてくれ。
俺はここで待っている。
俺も付いて行くとこいつのどうしよう、迷うな~、決められない~の優柔不断っぷりに心底イラつきそうだ」
「うわ、言い方ひどい」
三成の口調が急にいつもの風に戻ったことに思わず不満を漏らした。
聞いている幸村は笑いながらも、わかりました、と言っていた。
「でも三成殿、さっきと言っていること矛盾してません?」
「これは遠慮ではない。気にするな」
「そうですか、わかりました。
ではおつかいに行って参ります。さ、行きましょう、名無しさん殿」
矛盾?遠慮?
二人の言っていることがよくわからないが幸村と買い物に行くことに意識を移し、うん行こっか、と返事をした。
***
「うーん、迷うな」
陳列された美味しそうなおにぎりやらお弁当やらを目の前にして唸ってみた。
三成のいったとおりだ。
これにしよう!とすぱっと決められないこんな自分を見られていたら、それはもうボロクソにけなされていたことだろう。
でも、今一緒なのは幸村だ。
彼は優しい笑みを浮かべて、そうですね、と同調してくれている。
「ごめんね、時間かかっちゃって」
「いえいえ、お気になさらず。ごゆっくり選んでください」
「うん。主食を減らしてその分デザート系を多めに食べようとか欲張って色々考えちゃってね。幸村は決めた?」
「私はお弁当にします。いわゆるガッツリ系の。私、量を食べるので」
そう言う幸村は、フタに”大盛!”と書かれ、肉と米がぎゅうぎゅうに詰まった弁当を手にしていた。
「たくさん食べるんだ。そうだよね、体動かすことが多いもんね。いいね。あたし、たくさん食べる人好きなんだ」
「本当ですか!」
幸村が弾んだ調子で声をあげた。
ものすごく喜んでいるように見える。
「それとね、自分の分も迷うけど、三成の分はもっと迷っちゃって。
今日初めて、健康マニアの情報を得たから、なおのこと悩んじゃうの。
炭水化物は控えたいのかなぁとか、野菜やたんぱく質を多めに摂りたいのかなぁって勝手に色々想像しちゃって」
「……そうですか」
急に幸村がしょんぼりしているように見える。
なぜだろう。
「幸村のほうが三成の好みをわかってるよね。どんなのがいいかな」
「意外と何を買っても食べてくれますよ。私も気になって聞いたことありますけど、他人と飲食するときはあまり強くこだわりを出さないようにしているらしいです」
「へぇー、なんか三成らしい」
「ですよね、じゃあこれにします」
そうは言いつつ、幸村が選んだのは、野菜多めの色合いが綺麗な弁当だった。
ヘルシー志向な女子ウケしそうなモノを三成に、というところが彼の思慮深さを感じる。
「ありがとう。やっぱり幸村と買い物に来て良かった。あ、幸村って食べ物何が好きなの?」
「聞いてくださるんですか!」
幸村がまた、ぱっと明るく喜んでくれた。
「うん、幸村の好きなもの知りたいな。そうすれば、また何かあったとき、今度は幸村の好みに合ったお菓子があたし一人でも用意出来るしね」
「そうですね……強いて言えば」
考えるようにして幸村が口を開いた。
「私は、名無しさん殿に興味があります」
「うん?」
「……名無しさん殿の好きなものに興味があります。お奨めのモノなどあれば食べてみたい……ですね」
「あぁ、そういうことね。
あたしは、げてもの系とか、物凄く辛かったり苦かったりしなければ結構なんでも食べるんだ。でも最近、はまってるのはあんこモノかな、幸村は甘いもの好き?」
「はい、大好きです」
「よかった。ほら、あたし的にはこれが美味しいなって思ってるの」
中腰になって、デザートコーナーから普通の大福と生クリーム入りの大福を手にとって幸村がいるほうを向くと、目が合った。
「かわいらしいですね」
「ん?あぁ、これね。
あんこだけの素朴な大福も好きなんだけど、生クリーム入りのこてっとした大福も好きなんだよね」
「どちらもいいですね。私も興味があります、こういうの。
美味しそうですから両方買いましょう」
「だね!あ、あとね……デザートじゃないけど、これも……」
「あ、これは、三成殿が好きそうですね」
どさどさとあれこれカゴに入れて、会計する金額は結局、三成のお釣りを上回ってしまったが、差額は幸村が支払ってくれたのだった。
***
帰り道、幸村の隣を歩きながら、思った。
街中に買い物に来たのは、今日二回目だなぁと。
一回目は、兼続と買い物に来て、三成と幸村のためにお菓子を買って。
今、この二回目は、その幸村と買い物に来て夕ごはんを買って。
おつかいだらけの不思議な楽しい一日だな。
……あ、でも、半兵衛様が兼続と三成の前であんな大胆なことをしていったな。
濃い一日だ。
夕暮れどきの空の下でしみじみと思った。
隣の幸村は結構ぱんぱんになった買い物袋を持ちながら、老若男女問わず、挨拶をされるたびに、笑顔で会釈したり手を振ったりして応えていた。
流石、城内一のプレイボーイ……というよりは自分の目にはアイドルのように映った。
城門をくぐるところまで来ると、先程のことを思い出した。
見えないところで兼続にキスをした自分。
思い出すのも小恥ずかしいけれど、奥手だと自負していた自分は、人の目に触れないところだと、とんでもないことをやらかせる大胆さがあるのだ。
「名無しさん」
「はい?」
隣の幸村が急に立ち止まった。
自分も二、三歩余計に歩いて止まった。
「名無しさんは、好きな男性はいらっしゃいますか」
「は、幸村?急にどうしたの?」
「似たような反応をなさるのですね」
「えっ?」
「いえ、こっちの話です」
ぷっと吹き出しながらそう言った幸村は、なおも微笑み続けている。
「なんでそんなことを聞くの?」
前、二人っきりで喋ったときも思ったけど、幸村って、会話の端々でとんでもないことを言う。
どこまで、聞き流していいものか、正直わからない。
笑顔の幸村がじりっと距離を詰めてくる。
「では、名無しさん、三成殿のことを好きですか?兼続殿のことを好きですか?」
「えっ」
吃驚する声をあげるだけで、問いには答えず少し後ずさりしてみると、すぐに城壁が背中にあたり、ひんやりとした。
流石にカンの鋭くない自分でもわかる。
幸村は色んな意味で自分の領域に踏み入ろうとしている。
「三成? 兼続? ……うーん、どうかなぁ……二人とも面白いし、人としての魅力満載だけど。どうかな、わからないかなぁ」
ふと思う。
ここは、死角になる場所だ。
自分ですら大胆になった場所だ。
そして、目の前の幸村はなんか様子がおかしい。
「偶然ですね。私も同じなんです」
「それは……幸村には、好きかどうかわからない人がいるっていう意味?」
この緊張状態から気を逸らしたくて、必死に話すのをやめないようにしている。
自分が言葉を発するのをやめたら、侵攻を許してしまうような気がする。
「そうです。とある方に、まだ恋とも友情ともわからぬ想いを抱いていますよ」
「そうなんだ……」
相手が誰、なんて聞く気は起きなかった。
聞いたが最後、機転の利かない自分はあっという間に墓穴を掘りそうだからだ。
幸村は変わらず笑顔のままだが、壁を背にする自分はいうなれば追い込まれているような格好だ。
「名無しさん、私のこの想いの置き所について相談したいので、今度お食事がてらお話を聞いて貰えませんか?
勿論、名無しさんはお忙しいと思いますので、お時間があるときで結構ですので」
これ以上近づかれてはいけない気がする。
本能的に、直感的に、そう思う。
だからこれは、うん、わかったと約束すべきではないと思う。
「相談、ね……あたしみたいなので務まるかな。力不足じゃない?
そういう相談なら同じ男性の……三成とか兼続にしたほうが」
「いいえ、名無しさんに相談したいんです。
女性の気持ちがわかる方、つまり名無しさんが適任者なのです」
「そう……うん、わかった。じゃあ時間があるときね」
「ありがとうございます。楽しみにしてますね」
近づかれてはいけないし、近づくべきでもない。
凄く理解している筈なのに断れなかった。
というか、相談したいと理由づけをされては拒めない。
断れないように話を詰めてくるあたり、やっぱり幸村はやり手の男、プレイボーイと呼べる男だ。
アイドルなんかじゃない。
少なくとも今のこの時間は。
「さあ、三成殿の部屋に戻りましょうか。
三成殿はきっとお腹を空かせていますね」
買い物袋を掲げて穏やかに幸村が言った。
緊張状態から解放されはしたが、幸村のいつものあたたかい笑顔を見ても、今は、はらはらするだけで悪い緊張感しか生まれてこない。
やっぱり、今日は濃ゆい一日だ。
【羨望,潜望】
‐End‐