Zeal
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三成は、目を合わせてくれない。
彼は、つらそうな表情をしている。
でも見ようによっては面倒くさそうにも、憔悴しているようにも見える。
どの感情が正解かはわからない。
だってこんな三成を見たことがない。
何にせよ先程までの怒りは、すっとどこかへ抜けてしまっているみたいだ。
「今日はもう仕事はしなくていい」
「どうして」
「今日は……もういい。部屋に戻って休め」
「やっぱり一緒にいたくない?」
「そういうわけではない」
「教えてよ、あたしは三成みたいに何でもお見通しなわけじゃない」
「名無しさん」
ずるい、普段、名前でなんて呼んでくれないくせに。
不機嫌でもない宥めるような声色で言われたら、従うしかないのだから。
「わかったよ、もう部屋に戻る」
じゃあね、とも、またあとでね、とも言いようがなく、黙って三成の部屋を出た。
廊下へ出て歩いていると、目鼻に込み上げてくるものがあった。
それを我慢すればするほどに鼻はつんとするし、頭はぼうっと痛くなってくる。
自室に着くと直ぐに温いものが頬を伝った。
三成の前で泣かなくて本当に良かった。
間違って泣いていたら、さぞや面倒くさい女だと思われただろう。
そうでなくても、疎ましく思われて追い払われたのだ。
これ以上、嫌われる要因を積み上げたくない。
泣いているのは、何故か。
いつもより手荒に抱かれたからじゃない。
痛かったからでもない。
三成と一緒に過ごした時間を、三成本人から否定されたからだ。
思うように仕事を手伝えず三成を苛つかせることはあった。
だけど、全体をみれば自分としては上手くやれたと思っていた。
三成との関係は仕事上も私事上でも、おしなべて良好だったと思っていた。
それなのに、兼続が帰ってくると分かったつい先程から、今に至るまでの短い時間で、深まったと思っていた繋がりは、ぶっつりと千切れてしまった。
なんで、こうなったのか。
殆どの原因は自分にあるのだろう。
書庫であんな態度を取ったがためだ。
三成にとっては、至極腹が立っただろう。
それにそんなことをした訳を問い詰められても頑なに回答を拒否したからだ。
疲れて調子の悪い三成にとって、相当カンに障ったのだ。だからあそこまで怒っていたのだ。
本当に失敗した。
築いたモノが崩れる瞬間は、あっという間だ。
プライドなんてかなぐり捨てて、恥ずかしい想像と期待を胸に抱いていましたと馬鹿正直に告白しておけばよかった。
でもプライド云々ではなく、幻滅されるかもしれないという恐怖もあったのだ。
やっぱり自分ごときでは、あの時点で、ああすることしか出来なかったかと思う。
そもそも書庫に行かなければよかった。
無理だけど、時間を戻したい。
こうすればよかったかもという後悔とどうしようもなかったという諦めの感情が、ない交ぜになりながら、部屋の隅の壁を背にして膝を抱え、顔を突っ伏して泣いた。
駄目だ。
これでは目元の化粧がぐしゃぐしゃになってしまう。
そう思うと、額だけを膝につける体勢に直り、声を押し殺して涙を流した。
声も涙も我慢すればするほど、鼻や眼球が痛むし、頭も痛くなってきた。
擦りむけた腕なんて気にもならないくらい、こっちの痛みのほうがつらい。
もう色々痛くて、つらい。
***
どれくらい泣いていたのか?
泣いていた?
いや、今、自分がいるのは寝床だ。
三角座りで泣いていた筈だが、ちょっと寝転がりたいと思って、敷布団に横になり、そのまま寝てしまったのだ。
しかも、ご丁寧に布団までかけている。
最悪だ。
いくら仕事はやらなくていいと言われたとはいえ、あんなに落ち込んでいたのにあっさり寝落ちしてしまうなんて。
神経が図太すぎる自分にがっかりする。
でもからだの痛みはかなり楽になった。
眼が少し痛むくらいで、頭痛はほぼしない。
どれくらい眠っていたかも気になるけど、それよりも泣いてどんな顔になっているかのほうが気になった。
恐る恐る鏡を見てみると、少し腫れぼったい瞼になっていた。
目元の化粧も少し崩れているが、なんとかなりそうだ。
想定していたよりも酷い顔じゃないことに安心した。
窓から外を見るに、今は、おそらく昼と夕方の間くらいの刻だ。
今日、これからどうしようか。
いざ急に暇を貰っても、やることが思いつかないものだ。
そういえば、泣いて寝て昼御飯を食べ損ねてしまった。
お腹の中がさみしい。
こんなときでもお腹は空くものだ。
しかし、今更、部屋に御膳を持ってきて貰うのも忍びない。
かといって、部屋から出で外に食べに行くというのも考えものだ。
外へ出る為には三成の部屋の前を通らなければならないのだ。
万が一、三成に遭ってしまったら非常にやりづらい。
どうしようか。
でもやっぱりお腹は空いた。
それに部屋で悶々としているよりは、気分転換も兼ねて外に出たほうがいい。
やっぱり外食することにしよう。
そうときまれば、化粧をちゃちゃっと直して出かけよう。
再び鏡の前に座って、主に目の周りを手直しする。
よし、瞼の腫れも旨くごまかせた、上出来だ。
戸に手をかけそっと開ける。
顔を半分だけ出して廊下を覗く。
よし、誰もいない。三成もいない。
大股で、早足というか小走りで、廊下を進んでいく。
あと六、七歩で三成の部屋の前に届く、誰も出てこない。
よし、通り過ぎることに成功した。
このまま正面口まで行こう。
歩きながらなんとなく振り返ってみたが、やはり誰もいない。
そんな都合良く……否都合悪く、顔を合わせづらい相手が現れる訳がない。
前に向き直り、早足をやめ、ゆっくりとした歩調になった。
何歩か歩いたところで、急に肩を叩かれた。
「うわぁっ!」
突然のことに、驚いて大声をあげてしまった。
振り返ってみると、もっと驚いてしまった。
「びっくりした……なんで?」
「驚きすぎだろ」
「誰もいなかったはずなのに……」
「つい今、部屋を出るときに後ろ姿を見て、名無しさんだとわかって早歩きで追いかけた」
「足音が全然しなかった」
「気取られぬよう足音は消した。
途中で気が付かれては、また逃げられるかもしれないと思ったからな」
「まるで忍だね」
後ろから追ってきたのは、三成だった。
つい数時間前に気まずい雰囲気になった相手本人だ。
どれくらい前の時間のことになるのか、寝ていたから、そこまではわからない。
偶然とはいえ、三成と話さざるを得ない状況だ。
さっきのことにまだ触れず適当に話を紡いだが、このまま核心に触れずにいるのもよくない気がする。
ほかならぬ自分自身のためにだ。
これまでの自分なら、大人ないい女を気取って、いざこざなど何もなかったように愛想笑いを続けるだろう。
でも、それだけじゃもう駄目な気がする。
思っていることを一片でも話すいい機会かもしれない。
「あのね、三成……」
「なんだ」
「もう少しこう、後味が悪くない感じで終われればいいなと思ってて」
「どういうことだ、お前……まさか城を出るのか」
「あ、いやそういうことじゃなくって。
ほら、最近ずっと三成と一緒にいて、でも、もう二、三日すればそれも終わるでしょ。
だから最後に喧嘩別れみたいなのはイヤだなって思って」
三成は黙って目を合わせて話を聞いてくれている。
先程とはうって変わって、毒気が抜けたような涼やかな美しさが眩しくて、つい目を逸らしてしまう。
「うまく言えないけど、気まずいままじゃなくて……明るいまま終われればなって思って」
言い終えて三成のほうを見ると、苦い顔つきをしていた。
やっぱり、うざったいと思われてしまったのだろうか。
胸の中がざわざわするが、三成は腕を組んで横を向いてしまった。
「気に食わん」
発した一言がそれだった。
「お前な、さっきから最後だ、終わりだ、と何故そんな言い方ばかりする。俺とお前の間で何が潰える?
聞くが、兼続が帰ってきて俺とお前の間で何か失くなるものはあるか?」
「ない、と思う……でももう、長時間仕事を一緒にすることはないと思うんだけど……」
そう、何かが失くなるわけではない。だけど……。
「そうだ、何も失くならんぞ。
ただ同じ空間で過ごす時間が短くなるかもしれない。その程度だ。
だがな、仕事の配分なんざ実際匙加減でどうにでもなることだ。
極端にいえば、俺はお前を縛りつけておくことだって出来る」
胸の奥が疼いた。
これは嬉しい疼きだ。三成が自分を手放さないでいてくれる、そう聞こえるからだ。
「俺はお前のそういうところが気に食わん。兼続が帰ってくるだけで、最後だ、終わりだと決めつけるような、その言い草や考え方がだ。それでは俺を拒んでいるのと同じだ」
「終わりじゃない。一区切りだ。
兼続の帰ってくることは、その単なるきっかけに過ぎん。
頻度は減るかもしれんが、俺とお前はこれからも顔を突き合わせることは必ずある。
本質的なところは今と変わらん」
「そうだよね、そうだよね。ごめんね」
そういえば、三成は自分が投げた問いに『考えておく』と言ってくれていた気がする。
こうして言葉にしてくれている、その気持ちが嬉しい。
「いや、謝るな。俺が本当に言いたかったのはこんなことではない」
傷ついたほうの腕を優しく掴みとられて、また驚いてしまったが、この驚きも嬉しいものだ。
三成は腕の傷をじいっと見つめている。
「……傷つけて悪かった。
忍び足で追いかけてまで言おうと思ったのは、このことだ」
「え、あ、大丈夫だよ。これは本当にもう全然痛くない……」
腕の傷は本当にもう何ともない。
それよりも下手に出てくる三成に狼狽えてしまい、つい素直に言葉を受けとれない。
「この怪我のことだけではない。
目に見えないところだって傷ついただろ」
三成はこんな抽象的な表現を遣う男だったろうか。
もっと現実主義的で、目に見えるものしか信じない、合理的な男だと思っていた。
もしかして何か裏がある?企みがある?
こんな彼にどう接していいかわからない。
でも、でもだ、裏の裏は結局表だし。
それに、こんな自分ごときが深読みだの駆け引きだの、慣れない真似はする必要なんてない。
只々、素直に受け取って、伝えたいありのままを自分の言葉で表せばいいんだ。
多分、三成もそれを望んでいる……と思う。
「うん、結構傷ついた。
それで、泣いて、泣き疲れて、結構寝ちゃって。でも起きたらわりとすっきりしてて……だからもう……大丈夫なの」
「そうか」
たった三文字の言葉でも、三成の顔を見ると、彼の思いが凝縮された返答だというのがわかる。
泣いた、という言葉に反応して切なさを滲ませつつも、最後に大丈夫、というところで安堵した表情へと変わっていたのだ。
「……これからは、仕事とかそういうの関係なしに、たまにでいいから……三成のそばにいてもいい?」
「ああ」
それしか言わないけれど、首を縦に二回も振ってくれた。
それしか、じゃなかった。
それだけで自分にとってはもう十分だ。
「ところでお前、何処に行こうとしていた?」
「昼ごはんを食べていないので外に食べに行こうかと」
「偶然だな、俺も食べていない」
「え、本当?なんで?」
「不思議と食欲が湧かなかった。
仕事をしつつ、考え事をしていたらな。
いつの間にかこんな時間になってしまった」
「そうなんだ」
もしかしたら考え事には、自分のことも多少含まれているかもしれない。
勝手ながらそう思うと、笑みが零れてしまっていた。
「じゃあ、一緒に食べに行こうよ」
「いいだろう。奢ってやる」
やった、と拳を握りしめて喜んでしまった。
奢って貰えるのも嬉しいのだが、三成と一緒に外食、というのが堪らなく嬉しいのだ。
「で、何が食いたい?」
「お蕎麦!」
そう言うと、三成が吹き出した。
自分はなにかおかしいことを言っただろうか。
「ん? ねえ、あたし何か変なこと言った?」
「いや、洒落が利いていると思ってな」
「どういうこと?」
「わからぬのならいい。さあ行くぞ。本格的に腹が減ってきた」
まだ笑ったままの顔つきの三成がさっさと大股で歩いて行ってしまうので、慌てて早歩きで追いかける。
三成の言っていることの意味は分からずじまいだ。
でも、彼がにこやかに笑ってくれているなら、どうでもいいかな、と思えた。
それにしても三成、歩くのが速い。
欲をいえば隣を歩きたいんだけどな。
【Zeal】
‐End‐